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坂崎幸之助のオールナイトニッポンはニッポン放送の人気深夜放送オールナイトニッポンでTHE ALFEEの坂崎幸之助がパーソナリティを担当したラジオ番組。
- どうもすいませんコーナー
- 桜井の父コーナー
- 質問コーナー
- 恋人になりたい情報
- 替え歌コーナー
- モーニングコール
- 火曜2部時代、「この早朝から準備や仕事で起きている人もいるだろう」として、そのような人たちと電話をつないで話をするコーナー。このコーナーの第1回目に出演したのは、ちょうど『ズームイン!!朝!』(日本テレビ)の準備をしていた徳光和夫(当時同局アナウンサー)だった[1]。
- 特集コーナー[2]
- 1984年4月4日から1985年3月27日まで『アルフィーのオールナイトニッポン』が水曜1部にて放送されていた。
- 1980年~1981年の火曜2部担当の当時は、ニッポン放送において『坂崎幸之助のほとんど冗談!』のパーソナリティも兼任していた。
- 後に歌手・シンガーソングライターとしてデビューする池田幸司が、はがきや自分の歌を録音したデモテープをこの番組宛に送り続け、まずこの番組中で有名になる[3]。この番組ではアルフィーのミキサーの鈴木千春の名を借りて「岡山の千春」を名乗って投稿していた[3][4]。この番組がきっかけでそのユニークさと熱意、音楽的志向の強さにアルフィーのスタッフが強く反応し、アルフィーの他のメンバーやスタッフらファミリーに紹介される[3][5]。1983年3月には坂崎から池田に向けて直接「上京したら番組に出してあげよう」とメッセージを発し、早速その翌週に上京した池田は本番組に出演した[4]。
- ^ a b c 『オールナイトニッポン大百科』主婦の友社、1997年10月、62頁。 坂崎幸之助インタビュー
- ^ 『ラジオライフ』第2巻第2号、三才ブックス、1981年3月1日、69頁。
- ^ a b c ラジオマガジン 1984年10月号 129 - 130頁 池田幸司の記事。
- ^ a b 明星 1985年1月号 130 - 131頁 池田幸司の記事。
- ^ 明星(集英社)1984年10月号 164頁「今月の新人」池田幸司の記事。
オールナイトニッポン
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前担当
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坂崎幸之助のオールナイトニッポン 火曜 27:00 - 29:00
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次担当
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オールナイトニッポン
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前担当
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坂崎幸之助のオールナイトニッポン 火曜 25:00 - 27:00
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次担当
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オールナイトニッポン
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前担当
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坂崎幸之助のオールナイトニッポン 水曜 25:00 - 27:00
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次担当
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