(Translated by https://www.hiragana.jp/)
塩飽聖遠 - Wikipedia コンテンツにスキップ

塩飽しわくきよしとお

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

塩飽しわく きよしとお(しあく しょうえん/しょうおん、生年せいねん不明ふめい - 元弘もとひろ3ねん/せいけい2ねん5月22にち1333ねん7がつ4にち))は、鎌倉かまくら時代ときよ末期まっき武士ぶし北条ほうじょうとく宗家そうけ被官ひかんである御内おんうちじん通称つうしょうしん左近さこん入道にゅうどう忠頼ただより四郎しろう

元弘もとひろ3ねん/せいけい2ねん(1333ねん)、せいとお幕府ばくふかたとして従軍じゅうぐんし、鎌倉かまくら侵攻しんこうしてきたはん幕府ばくふ勢力せいりょくである新田にった義貞よしさだぐんたたかうも敗北はいぼくする。

太平たいへい』によると、ひがししょうてら北条ほうじょうじゅんじてせいとお自刃じじんした。自刃じじんさい嫡男ちゃくなんである忠頼ただより出家しゅっけをして自身じしんちょういをうながすも、忠頼ただより拒絶きょぜつそでしたからいたかたな自害じがいした。忠頼ただよりおとうとである四郎しろうあにつづこうとするがひじりとお制止せいしし、みずからの辞世じせい漢詩かんしけたのち四郎しろうくびとさせたという。

ひさげ吹毛 截断せつだん虚空こくう 大火たいか聚裡 一道いちどう清風せいふう」(辞世じせい

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 太平たいへい』(まきじゅう 塩飽しわく入道にゅうどう自害じがいごと

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]