夏なつ姫ひめ

『百美新詠図伝』

夏なつ姫ひめ（夏なつ姬ひめ、かき、生なま没年ぼつねん不ふ詳しょう）は、中国ちゅうごくの春秋しゅんじゅう時代じだいの女性じょせい。彼女かのじょと関かかわった男性だんせいたちに次々つぎつぎと不運ふうんが訪おとずれたことで知しられ、物語ものがたりの題材だいざいともなっている。

生涯しょうがい

夏なつ姫ひめは鄭ていの穆きよし公おおやけと少すくな妃ひ姚子のあいだの娘むすめとして生うまれた。子こ貉むじなの妹いもうとにあたる。子こ蛮を最初さいしょの夫おっととしたが、子こ蛮は夭逝ようせいした。子こ蛮は夏なつ姫ひめの兄あにであるともいう。夏なつ姫ひめは陳ひねの大夫たいふの夏なつ御ご叔にとついだ。夏なつ御ご叔とのあいだに子この夏なつ徴ちょう舒（子こ南みなみ）を産うんだ。やがて夏なつ御ご叔は死去しきょした（夏なつ姫ひめが殺ころしたともいう）。

紀元前きげんぜん600年ねん、陳ひねの霊れい公こうと陳ひねの大夫たいふの孔あな寧やすし・儀ぎ行ぎょう父ちちが夏なつ姫ひめと私わたし通とおした。3人にんは夏なつ姫ひめの肌着はだぎをつけて朝廷ちょうていでふざけあっていたので、洩も冶が霊れい公こうを諫めた。霊れい公こうがこのことを孔あな寧やすし・儀ぎ行ぎょう父ちちに告つげると、孔あな寧やすし・儀ぎ行ぎょう父ちちは洩も冶を殺ころすように願ねがい出でた。霊れい公こうが止とめないでいると、孔あな寧やすし・儀ぎ行ぎょう父ちちは洩も冶を殺害さつがいした。

紀元前きげんぜん599年ねん、陳ひねの霊れい公こうと孔あな寧やすし・儀ぎ行ぎょう父ちちは夏なつ氏しのところで飲酒いんしゅした。霊れい公こうが儀ぎ行ぎょう父ちちに「夏なつ徴ちょう舒はおまえに似にている」と告つげると、儀ぎ行ぎょう父ちちは「我わが君きみにも似にております」と答こたえた。夏なつ徴ちょう舒はこのことに激怒げきどし、霊れい公こうが外出がいしゅつするところを厩うまやから弓ゆみを射いて殺害さつがいした。孔あな寧やすし・儀ぎ行ぎょう父ちちは楚すわえに亡命ぼうめいした。

紀元前きげんぜん598年ねん10月、楚すわえの荘そう王おうが夏なつ徴ちょう舒の乱らんを理由りゆうに陳ひねに侵攻しんこうした。楚すわえ軍ぐんは陳ひねに入城にゅうじょうし、夏なつ徴ちょう舒を殺害さつがいして、その遺体いたいを栗ぐり門もんで車くるま裂きれにした。荘そう王おうは陳ひねを滅ほろぼして楚すわえの県けんとして編入へんにゅうしたが、申さる叔時の諫めをいれて、晋すすむに亡命ぼうめいしていた陳ひねの太子たいしの嬀午を迎むかえ、陳ひねを復ふく国こくさせた。

楚すわえが陳ひねの夏なつ徴ちょう舒を滅ほろぼすと、荘そう王おうは夏なつ姫ひめを後宮こうきゅうに入いれようとした。申さる公こう巫みこ臣しんが「色いろを貪むさぼるのを淫いんといい、淫いんは大だい罰ばっを受うけるものです」といって王おうを諫めたので、荘そう王おうは取とりやめた。また子こ反はん（公子こうし側がわ）が彼女かのじょを取とろうとしたので、巫みこ臣しんは「これは不祥ふしょうの人ひとです」といって引ひき止とめた。荘そう王おうは夏なつ姫ひめを連れん尹いんの襄じょう老ろうにとつがせたが、襄じょう老ろうが邲の戦たたかいで戦死せんしし、その遺体いたいが回収かいしゅうできなかったため、襄じょう老ろうの子この黒くろ要ようが彼女かのじょと通つうじた。巫みこ臣しんは自分じぶんが妻つまに迎むかえるので故郷こきょうの鄭ていに帰かえるようにと、夏なつ姫ひめに伝つたえた。さらに巫みこ臣しんはひそかに鄭ていに使者ししゃを送おくって、襄じょう老ろうの遺体いたいを取とり戻もどせるから夏なつ姫ひめに帰郷ききょうさせるようにと、鄭ていに言いわせた。荘そう王おうがこの案件あんけんを巫みこ臣しんに諮問しもんすると、巫みこ臣しんは楚すわえが人質ひとじちとしている晋すすむの智さとし罃と晋すすむが人質ひとじちとしている楚すわえの公子こうし穀こく臣しんの身柄みがらを晋すすむが交換こうかんしたがっており、公子こうし穀こく臣しんに襄じょう老ろうの遺体いたいをつけて返還へんかんする話はなしを鄭ていに仲介ちゅうかいさせているのだと解説かいせつした。荘そう王おうはそこで夏なつ姫ひめの帰国きこくを許ゆるした。巫みこ臣しんは鄭ていから夏なつ姫ひめを妻つまに迎むかえる手筈てはずをつけ、鄭ていの襄じょう公おおやけもこれを許ゆるした。楚すわえの共きょう王おうが即位そくいし、紀元前きげんぜん589年ねんの陽ひ橋きょうの戦たたかいに先さきだって、巫みこ臣しんは斉ひとしへの使者ししゃとして立たった。巫みこ臣しんは鄭ていに立たち寄よると、夏なつ姫ひめを迎むかえて、ともに斉ひとしに逃のがれようとした。しかし斉ひとしは鞍くらの戦たたかいで敗やぶれたばかりだったために取とりやめ、郤至と連絡れんらくして晋すすむに亡命ぼうめいした。巫みこ臣しんは晋すすむにより邢の大夫たいふとされた。

楚すわえの子こ重おも（公子こうし嬰斉）と子こ反はんは巫みこ臣しんに恨うらみを抱だいており、巫みこ臣しんの一族いちぞくの子こ閻・子こ蕩とろけと清きよし尹いん弗どる忌きと襄じょう老ろうの子この黒くろ要ようを殺害さつがいした。巫みこ臣しんは子こ重じゅうと子こ反はんを奔命ほんめいに疲つかれさせて死しなそうと決意けついした。巫みこ臣しんは晋すすむと呉ごのあいだを連絡れんらくして、両国りょうこくの通交つうこうを開ひらかせた。紀元前きげんぜん584年ねん以降いこう、呉ごは楚すわえに侵攻しんこうしはじめた。子こ重じゅうと子こ反はんは1年ねんに7度ども戦たたかいに駆かけずりまわることとなった。

夏なつ姫ひめは巫みこ臣しんとのあいだに娘むすめを産うみ、この娘むすめは羊ひつじ舌した肸（叔向）の妻つまとなった。

夏なつ姫ひめをめぐる異説いせつ

『国語こくご』は、楚すわえが陳ひねの夏なつ徴ちょう舒を滅ほろぼした後のち、楚すわえの荘そう王おうは夏なつ姫ひめを申さる公こう巫みこ臣しんに妻つまとして与あたえようとしたといい、『春秋しゅんじゅう左ひだり氏し伝でん』と異ことなる経緯けいいを記しるしている。

清華せいか簡『繋つなぎ年ねん』には、夏なつ姫ひめは「少しょう［孔あな皿さら］」という呼称こしょうで現あらわれている。これによると、彼女かのじょは夏なつ徴ちょう舒の母ははではなく、妻つまであるとされる。楚すわえの荘そう王おうが陳ひねに侵攻しんこうしたさいに、申さる公こう屈こごめ巫みこ（巫みこ臣しん）が秦はたから援軍えんぐんを得えた功績こうせきに報むくいるため、少しょう［孔あな皿さら］は屈こごめ巫みこに与あたえられるはずであったが、連れん尹いん襄じょう老ろうがこれを争あらそい奪うばってしまった。襄じょう老ろうが河かわ灉で捕虜ほりょとなると、襄じょう老ろうの子この黒くろ要ようが彼女かのじょを妻つまとした。黒くろ要ようが死去しきょすると、司馬しば子こ反たんと屈こごめ巫みこが彼女かのじょを争あらそったが、結局けっきょく屈こごめ巫みこが彼女かのじょを妻つまとしてしまったという。

夏なつ姫ひめの評価ひょうか

古ふるくは『詩経しきょう』が「淫いんなるか夏なつ姫ひめ」と謡うたっている。『列れつ女おんな伝でん』は「そのすがたかたちは美うつくしいこと比類ひるいなく、男性だんせいを籠絡ろうらくする手管てくだを持もっていた」とし、「このような人ひとは閨ねやのことばかり考かんがえて誠実せいじつさがなく、色いろにふけって命いのちを落おとすことを知しらない」といって非難ひなんしている。『春秋しゅんじゅう左ひだり伝でん正義まさよし』は「子こ蛮や御ご叔は自みずから短命たんめいで死しんだのみで、ふたつの事ことを夏なつ姫ひめの罪つみとする理由りゆうはない」と擁護ようごしている。山崎やまざき純一じゅんいちは「劉りゅう向むかいは、この巫みこ臣しんの復ふく讐譚をきりすてて譚たんを構成こうせいし、賢者けんじゃ巫みこ臣しんを楚すわえの叛逆はんぎゃく者しゃたらしめず、痴ち愛あいの女おんなの魔性ましょうに、ついに悲劇ひげきにひきずりこまれた、不運ふうんの人ひととして描えがききったのである」と書かき、『列れつ女おんな伝でん』の記述きじゅつの恣意しい性せいを指摘してきしている。宮城みやぎ谷たに昌光まさみつは「巫みこ臣しんを夏なつ姫ひめに遭あわせたのは天てんであり、天てんが夏なつ姫ひめの心しんの清純せいじゅんさを哀あわれんだとしかいいようがない」と同情どうじょうを示しめしている。

夏なつ姫ひめを題材だいざいとした作品さくひん

• 宮城みやぎ谷たに昌光まさみつ『夏なつ姫ひめ春秋しゅんじゅう』（文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう）
• 駒田こまだ信二しんじ『夏なつ姫ひめ物語ものがたり』（徳間とくま文庫ぶんこ）
• 中島なかじま敦あつし『妖氛録ろく』
• 海音寺かいおんじ潮五郎ちょうごろう 『中国ちゅうごく妖艶ようえん伝でん』 (文春ぶんしゅん文庫ぶんこ)