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大屋おおや旅館りょかん

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大屋おおや旅館りょかん外観がいかん
大屋おおや旅館りょかん外観がいかん
大屋おおや旅館りょかん帳場ちょうば

大屋おおや旅館りょかん(おおやりょかん)は、千葉ちばけん夷隅いすみぐん大多喜おおたきまち新丁しんちょう64にある旅館りょかん江戸えど時代じだいよりつづ老舗しにせ旅館りょかんで、正岡子規まさおかしきつげ義春よしはるゆかりの宿やどとしてられる。くに登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざい登録とうろくされている[1][2]

概要がいよう

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大屋おおや旅館りょかん新丁しんちょう地区ちく大多喜おおたきしろした夷隅いすみ神社じんじゃかくとして形成けいせいされるが、その参道さんどうわき位置いちする江戸えど時代じだいよりつづ門前もんぜん宿やどである。大正たいしょうから昭和しょうわ初期しょきにかけては、旅館りょかんぎょうほかに、フォードくるま使用しようしたバス乗合のりあい自動車じどうしゃ事業じぎょういとなんでいた。1891ねん明治めいじ24ねん)に正岡子規まさおかしき学生がくせい時代じだいころ房総ぼうそうたびさい宿泊しゅくはくしたとされる。また、つげ義春よしはるの『リアリズムの宿やど』に“理想りそう宿やど”として、帳場ちょうばたたずまいがえがかれた。往時おうじ面影おもかげのこ宿やどとして、テレビドラマ写真しゃしんしゅうのロケとしてしばしば利用りようされている[1]

現在げんざい建物たてもの1885ねん明治めいじ18ねんごろ建築けんちくで、木造もくぞう2かいけん南北なんぼくとう瓦葺かわらぶき切妻きりづま屋根やねひらいれで、正面しょうめん2かい左右さゆう戸袋とぶくろにはおおきく屋号やごうの「大屋おおや」の文字もじ漆喰しっくいえがかれている。1999ねん平成へいせい11ねん)7がつ8にちくに登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざい建造けんぞうぶつ)に登録とうろくされた[1]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c 千葉ちばけん教育きょういく委員いいんかい - 大屋おおや旅館りょかん”. 2019ねん10がつ12にち閲覧えつらん
  2. ^ 夷隅いすみぐん旅館りょかん 大屋おおや旅館りょかん”. 2020ねん3がつ2にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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