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大橋おおはしよりゆき

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大橋おおはし よりゆき(おおはし らいも[ちゅう 1]1861ねん3月19にち万延まんえん2ねん2がつ9にち[1][ちゅう 2]) - 1912ねん大正たいしょう元年がんねん11月5にち[2][3])は、明治めいじ時代じだい政治せいじ実業じつぎょう新聞しんぶん経営けいえいしゃ衆議院しゅうぎいん議員ぎいん静岡しずおかけん磐田いわたぐん通村みちむらちょう

経歴けいれき[編集へんしゅう]

遠江とおとうみこく豊田とよだぐん小立野こだちのむら静岡しずおかけん豊田とよだぐんどおりむら磐田いわたぐんどおりむら豊田とよだむら豊田とよだまちげん磐田いわた)にまれる[4]浜松はままつ師範しはん卒業そつぎょうし、西之島にしのしま学校がっこうげん磐田いわた市立しりつ豊田とよだみなみ小学校しょうがっこう教員きょういんとなる[4]。ついでぐん書記しょきて25さいにして川井かわいむらがい11宿しゅくむら戸長こちょう就任しゅうにんし、1888ねん明治めいじ21ねん)には静岡しずおかけんかい議員ぎいん当選とうせんした[4]。15ねんわた県議けんぎつとめ、さらにけん常置じょうち委員いいんけん参事さんじ会員かいいんどおり村長そんちょうちゅうどおのう会長かいちょう磐田いわたぐん米穀べいこく改良かいりょう組合くみあいちょう静岡しずおかけんのう会長かいちょうなどを歴任れきにんした[4]

その静岡しずおか新報しんぽう社長しゃちょうとして経営けいえいたったほか、静岡しずおか印刷いんさつ社長しゃちょうつとめた[2][3]1908ねん明治めいじ41ねん)5がつだい10かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょでは静岡しずおかけん郡部ぐんぶから立憲りっけん政友せいゆうかい所属しょぞく出馬しゅつば当選とうせん[2]。つづくだい11かいそう選挙せんきょでも当選とうせんしたが在職ざいしょくちゅう死去しきょした[2]

親族しんぞく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 議会ぎかい制度せいどななじゅうねん だい11』106ぺーじでは「たのも」。
  2. ^ 講談社こうだんしゃ日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん』378ぺーじでは文久ぶんきゅう元年がんねん4がつせい

出典しゅってん[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • だいじゅうかい帝国ていこく議会ぎかい 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名簿めいぼ衆議院しゅうぎいん事務じむきょく衆議院しゅうぎいん公報こうほう号外ごうがい〉、1908ねんhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900093/206 
  • 衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいん へん議会ぎかい制度せいどななじゅうねん だい11大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1962ねんhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3000139 
  • 静岡新聞社しずおかしんぶんしゃ出版しゅっぱんきょく へん静岡しずおかけん歴史れきし人物じんぶつ事典じてん静岡新聞社しずおかしんぶんしゃ、1991ねんISBN 4783804249 
  • 上田うえだただしあきらほか 監修かんしゅう講談社こうだんしゃ日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん講談社こうだんしゃ、2001ねんISBN 4062108496