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天下茶屋てんがちゃやあと

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
天下茶屋てんがちゃやあと

天下茶屋てんがちゃやあと(てんがちゃやあと)は、大阪おおさか大阪おおさか西成にしなりにある遺跡いせき大阪おおさか顕彰けんしょう史跡しせき

概要がいよう

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当地とうちにあったあと一部いちぶである。

当地とうちひがしには天神ノ森てんじんのもり天満宮てんまんぐうがあり武野むの紹鴎にちなんで紹鴎のもりともばれていた。天正てんしょう年間ねんかんに、楠木くすのき正行まさゆきじゅうせいまごしょうするしょう兵衛ひょうえこうりつがその西側にしがわひらいて茶店ちゃみせしたとつたえられる。3代目だいめしょう兵衛ひょうえあきらりつのとき、豊臣とよとみ秀吉ひでよし住吉すみよし大社たいしゃまたはさかい途中とちゅうり、随行ずいこう千利休せんのりきゅう茶店ちゃみせ泉水せんすいんでちゃてさせたところ、あじさからいずみに「めぐみみず」のめいとしさんじゅうひょう朱印しゅいんあたえたという故事こじがあり、そこから殿下でんか茶屋ちゃや天下茶屋てんがちゃやばれるようになったという[1]

やく5000平方へいほうメートルの敷地しきち屋敷やしき茶室ちゃしつ井戸いどいけなどをそなえていたといい、江戸えど時代じだいにはこの屋敷やしき紀州きしゅうはんあるじをはじめとしたしょ大名だいみょう宿泊しゅくはくしたとつたえられる。しかし1945ねん大阪大おおさかだい空襲くうしゅう焼失しょうしつし、現在げんざい敷地しきち大半たいはんはマンションや住宅じゅうたくになっている。大阪おおさかから敷地しきち北西ほくせい一角いっかく土蔵どぞう寄付きふけ、顕彰けんしょう史跡しせき天下茶屋てんがちゃやあととして整備せいびした。

所在地しょざいち

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  • 大阪おおさか西成にしなり岸里東きしのさとひがし2-10-9

交通こうつう

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 天下茶屋てんがちゃやあとについて”. おおさか資料しりょうしつ. 大阪おおさか市立しりつ図書館としょかん. 2020ねん5がつ13にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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座標ざひょう: 北緯ほくい3437ふん48.3びょう 東経とうけい13529ふん48.1びょう / 北緯ほくい34.630083 東経とうけい135.496694 / 34.630083; 135.496694