(Translated by https://www.hiragana.jp/)
朱印 - Wikipedia コンテンツにスキップ

朱印しゅいん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
徳川とくがわ家康いえやすオランダとの通商つうしょう許可きょかしょうとして発行はっこうした朱印しゅいんじょう(1609ねん8がつ24にちづけ

朱印しゅいん(しゅいん)とは、朱色しゅいろ印肉いんにく朱肉しゅにく)をもちいて押印おういんした印章いんしょうのことである。

広義こうぎでは朱肉しゅにくによりされた印章いんしょう全般ぜんぱんすが、なかでもとく日本にっぽん戦国せんごく時代じだいから江戸えど時代じだいにかけて書類しょるいもちいられたもの(あるいは、その書類しょるい自体じたい)、もしくは現代げんだい日本にっぽんでの神社じんじゃ仏閣ぶっかくにおいて参拝さんぱいしゃけにされるものをす。なお、敬称けいしょうとして御朱印ごしゅいん(ごしゅいん)とぶこともある。[1]

戦国せんごく時代じだいから江戸えど時代じだいにおいての朱印しゅいん

[編集へんしゅう]

日本にっぽん戦国せんごく時代じだいから江戸えど時代じだいにかけて、将軍しょうぐん大名だいみょう武将ぶしょうなどが、命令めいれい承認しょうにんなどを目的もくてきとした公的こうてき文書ぶんしょ朱色しゅいろ印章いんしょうもちいた。その文書ぶんしょ朱印しゅいんじょうび、朱印しゅいんじょう自体じたいりゃくしてぞくに「朱印しゅいん」とぶこともあった[1]

律令制りつりょうせい公文書こうぶんしょおよ公式こうしきさま文書ぶんしょにおいてもちいられたしるし朱印しゅいんのみであり、くろしるし私的してき蔵書ぞうしょいんなどにもちいられたのみであった。

そのため、正式せいしき書類しょるいしるし朱印しゅいんであるとかんがえられ、戦国せんごく時代じだい印判いんばんじょう登場とうじょうしたときも当初とうしょくろしるしじょうさきされていたが、のち朱印しゅいんじょう登場とうじょうするようになると、公式こうしきかつ重要じゅうよう文書ぶんしょ朱印しゅいんした朱印しゅいんじょう発給はっきゅうされるれいおおくなる。

これは織田おだ信長のぶなが徳川とくがわ家康いえやす重要じゅうよう文書ぶんしょ朱印しゅいんじょうで、私信ししん雑務ざつむてき文書ぶんしょにはくろしるしじょうもちいてけ、さらかれらの家臣かしんたち遠慮えんりょしてもっぱくろしるしじょうもちいたことがおおきい。

ただし、朱印しゅいんじょうくろしるしじょう境界きょうかいせんかならずしも明確めいかくではなかった。もっとも、朱印しゅいんもちいることが可能かのうであったのは武士ぶしなどの支配しはい階級かいきゅうかぎられ、農民のうみん町人ちょうにんくろしるしのみしかもちいることが出来できなかった。明治めいじ元年がんねん1868ねん)9がつ農民のうみん町人ちょうにん朱印しゅいん使用しようみとめられるようになると、次第しだい朱印しゅいんひろもちいられるようになった。

なお、中世ちゅうせいにおいては他者たしゃとの差別さべつはかるために朱印しゅいんわってあおむらさき黄色おうしょくなどの印判いんばんされた文書ぶんしょ存在そんざいする。また、書画しょがなどの落款らっかんかなら朱印しゅいんおこな慣例かんれいとなっている。

現代げんだい神社じんじゃ仏閣ぶっかくにおける朱印しゅいん

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b 松村まつむらあきら大辞林だいじりん三省堂さんせいどう(2008ねん

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 荻野おぎのさんななろう朱印しゅいん」(『国史こくしだい辞典じてん 7』(吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1986ねんISBN 978-4-642-00507-4
  • 荻野おぎのさんななろう朱印しゅいん」(『日本にっぽんだい事典じてん 3』(平凡社へいぼんしゃ、1993ねんISBN 978-4-582-13103-1

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]