(Translated by https://www.hiragana.jp/)
宇喜也嘉 - Wikipedia コンテンツにスキップ

宇喜也嘉

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

宇喜也嘉(おぎやか、正統せいとう10ねん1445ねん) - 弘治こうじ18ねん3月1にち1505ねん4がつ5にち[1])は、だい二尚氏王統初代なおえんおう金丸かねまる)の王妃おうひで、だい3だいなおおうおうふとしきさき

概要がいよう

[編集へんしゅう]

添御殿どの(よそえうどぅん)ことオギヤカは、20さいとき金丸かねまるなおえんおう当時とうじ50さい)へとついだ[2]

1476ねんなおえんおうぼっすると、おうおとうとなおせん即位そくいするが、その半年はんとしおこなわれた即位そくいしきでは、しんおうたたえるはずのきみしゅかみ神意しんいつたえるかみおんなが、せんではなくなおえんとオギヤカのであるマアカトダルをたたえるオモロとなえた。これをなおせん退位たいいし、マアカトダルが即位そくいしてなおおうとなったが、これはおう女官にょかん掌握しょうあくしていたオギヤカの陰謀いんぼうであったとかんがえられている。

なおおう即位そくい13さいであり、母后ぼこうオギヤカが実権じっけんにぎった。『朝鮮ちょうせん王朝おうちょう実録じつろく』にも、当時とうじ琉球りゅうきゅう保護ほごされて帰国きこくした朝鮮ちょうせんじん漂流ひょうりゅうみんが、世嗣せいしぎのおう幼少ようしょうで、母后ぼこう政治せいじていると供述きょうじゅつした記録きろくのこっている[2]

なおおうぜん琉球りゅうきゅうノロ統括とうかつする聞得大君おおきみという役職やくしょくもうけ、おういもうと(オギヤカの長女ちょうじょ)をにんじたが、これも母后ぼこうオギヤカの意思いしとされており、おうの「実力じつりょく支配しはい」との「かみ神託しんたく」という形態けいたいみん支配しはいし、なおえん・オギヤカの一族いちぞくによる支配しはい体制たいせい基礎きそかためることに成功せいこうした。

なおおうはまた、だいしょう墓所はかしょとしてたまりょう造営ぞうえいしたが、その被葬ひそうしゃ資格しかくについてしるしたたまりょう碑文ひぶんにはなおえんおうとオギヤカの子孫しそんのみがしるされる一方いっぽうなおせんおうなどその血統けっとうがいもののぞかれ、これも実権じっけんにぎっていたオギヤカの意思いしだとかんがえられている[2]。ただし、たまりょうからはオギヤカのしるした厨子ずし骨壷こつつぼ)はつかっておらず、なおえんおう出身しゅっしんである伊是名いぜなとう伊是名いぜなだまりょうからそれらしきものが発見はっけんされている。

  •  だい米須こめす親方おやかた子孫しそんのノロから伝承でんしょう
  •  母親ははおやうまたかしノロの血筋ちすじほう
  •  だいいちしょうの聞得大君おおきみ血筋ちすじ

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ 宇喜也嘉 (おぎやか)
  2. ^ a b c 新城しんじょう俊昭としあき琉球りゅうきゅう沖縄おきなわ東洋とうよう企画きかく