(Translated by https://www.hiragana.jp/)
聞得大君 - Wikipedia コンテンツにスキップ

聞得大君おおきみ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

聞得大君おおきみ(きこえおおぎみ、きこえのおおきみ、チフィジン)とは、だいしょう時代じだい琉球りゅうきゅう神道しんとうにおける最高さいこうしんおんなノロ)。

概要がいよう

[編集へんしゅう]

「聞得」(チフィ)は大君おおきみ美称びしょうやめ、「きみ」(ジン)は「カミ」ので、したがって「大君おおきみ」(ウフジン)はきみ最高さいこうしゃという意味いみであるというせつがある。琉球りゅうきゅう方言ほうげんで、チフィウフジンガナシ(聞得大君おおきみこころざし)としょうした。宗教しゅうきょうじょう固有名詞こゆうめいしとなるかみめいは「しませんこ あけしの」「てだしろ」である。

聞得大君おおきみ琉球りゅうきゅう王国おうこく最高さいこう権力けんりょくしゃである国王こくおうおなりしん位置いちづけられ、国王こくおう王国おうこく全土ぜんど霊的れいてき守護しゅごするものとされた。そのため、おも王族おうぞく女性じょせい任命にんめいされている。琉球りゅうきゅう全土ぜんどしゅくおんな頂点ちょうてん存在そんざいであり、命令めいれい権限けんげんった。ただししゅくおんな任命にんめいけん国王こくおう一任いちにんされていた。また、琉球りゅうきゅう最高さいこう御嶽おんたけである斎場さいじょう御嶽おんたけてのひらかんし、くびさとじょううちにあったじゅう御嶽おんたけ儀式ぎしきつかさどった。

就任しゅうにん儀礼ぎれい

[編集へんしゅう]

沖縄おきなわ本島ほんとう最大さいだい聖地せいちである斎場さいじょう御嶽おんたけにおいて就任しゅうにん儀式ぎしきである「しんくだり(うあらうり)」がおこなわれた。「しんくだり」の本質ほんしつ琉球りゅうきゅう創造そうぞうしんとのちぎりであるせいこんかみこん儀礼ぎれいかんがえられている。宗教しゅうきょう観念かんねんじょうは、このせいこんによりきみしゅかみ加護かごて聞得大君おおきみとしての霊力れいりょく宿しゅくすのである。就任しゅうにん原則げんそくとして生涯しょうがいしょくであった。

由来ゆらい

[編集へんしゅう]

琉球りゅうきゅう王国おうこくでは、俗世ぞくせにおける最古さいこ系図けいずわれる長濱ながはま系図けいずきた山王さんのう なかむかし中山なかやまえいおう長女ちょうじょ 聞得大君おおきみが聞得大君おおきみつたえる最初さいしょ記述きじゅつとなっている。なおおうだいには中央ちゅうおう集権しゅうけん祭政さいせい一致いっちおこなわれた。このさいかく存在そんざいしていたかみおんなをまとめるためかみおんな組織そしき整備せいびされ、そのかい頂点ちょうてんとしてあらたにこの役職やくしょくもうけられた。ちなみにそれまでの琉球りゅうきゅう王国おうこくにおけるしゅくおんな最高さいこうかさ(さすかさ / または「かさ」と表記ひょうきしょく国頭くにがみ地方ちほう由来ゆらいおもねおうめぐみ(あおりやへ / または「あおりやへ」と表記ひょうき / 琉球りゅうきゅう方言ほうげんみ:オーレー)しょくであり、これらは聞得大君おおきみしょく制定せいていのあと、ぜんしゅくおんななかで聞得大君おおきみだい格付かくづけと降格こうかくされている。

そのかみめい「しませんこ あけしの」は勢理客じっちゃくにあった既存きそんしゅくおんなしょくおなじであることが判明はんめいしており、聞得大君おおきみしょくもとになった宗教しゅうきょう概念がいねん以前いぜんから存在そんざいしたとかんがえられるが、その詳細しょうさいについては不明ふめいてんがある。また「てだしろ(=太陽たいようだい)」はそれまでうまたかししゅくおんなかみめいであったが、聞得大君おおきみしょく制定せいていとともにうまたかししゅくおんなから剥奪はくだつされた。

盛衰せいすい

[編集へんしゅう]

なおおういもうとであるおとさとし殿どのしげきん(うとぅちとぅぬむぃがに)(かみめいつききよし)が就任しゅうにんしたのが最初さいしょである。

琉球りゅうきゅう処分しょぶんによる王国おうこく消滅しょうめつも、東京とうきょうでのしょう宗家そうけ女性じょせいによる祭祀さいしとしては継承けいしょうされたが、戦時せんじちゅう1944ねんに18だいおもえきんおきなぬし就任しゅうにんしたのを最後さいごはいしょくとなった。

なお宗家そうけ女性じょせいによる称号しょうごう継承けいしょう

[編集へんしゅう]

なお王家おうけ東京とうきょううつり、沖縄おきなわせん沖縄おきなわのアメリカ統治とうちて、なお一族いちぞくによる表立おもてだった祭祀さいしなが中断ちゅうだんされるようになると、神人しんじん(かみんちゅ)のなかに「聞得大君おおきみ」を自称じしょうするもの何人なんにんあらわれるようになった。

なおいえだい23だい当主とうしゅなおまもるは、「地元じもと要請ようせい」をけ、「自称じしょう混乱こんらんけるため」、2019ねんぼっしたあね野津のつ圭子けいこを「晩年ばんねんなんねんか」聞得大君おおきみとして沖縄おきなわ派遣はけん祭儀さいぎになわせた。野津のつ没後ぼつごむすめなお満喜まきにその役目やくめ継承けいしょうさせた[1]東京とうきょうなおいえ祭祀さいしになっていた歴代れきだい王族おうぞく女性じょせいたち(まもる大伯母おおおば井伊いい文子ふみこあね野津のつ圭子けいこら)が19だい,20だいの聞得大君おおきみ位置付いちづけられ、むすめなお満喜まきは2019ねんに「だい21だい聞得大君おおきみ」として就任しゅうにん挨拶あいさつおこない、「正式せいしきには就任しゅうにんしき拝命はいめいとなりますので、それまでのあいだ臨時りんじ聞得大君おおきみとして祭祀さいし勉強べんきょうさせていただいております」とべている[2]

聞得大君おおきみ一覧いちらん

[編集へんしゅう]
琉球りゅうきゅう王国おうこく巫女ふじょ組織そしき頂点ちょうてん
だい 就任しゅうにん なま没年ぼつねん 備考びこう
初代しょだい つききよし なおおうだい 不明ふめい なおえんおうおんなおとさとし殿どのしげきん
2だい 梅南ばいなん なおもとおうだい 不明ふめい - 1577ねん 浦添うらぞえ王子おうじちょうまんおんな加戸かどだる
3だい うめたけし 1577ねん 不明ふめい - 1605ねん なおもとおう
4だい つきみね 1605ねん 1584ねん - 1653ねん なおながおうおんな
5だい 円心えんしん 1653ねん 1617ねん - 1677ねん 金武かなたけ王子おうじあささだおんな
6だい つきこころ 1677ねん 1645ねん - 1703ねん なおさだおう
7だい くも 1703ねん 1664ねん - 1723ねん なおじゅん
8だい ひつじさるひろし 1723ねん 1680ねん - 1765ねん なおえきおう
9だい じんしつ 1766ねん 1705ねん - 1779ねん なおけいおう
10代 ひろししつ 1780ねん 1719ねん - 1784ねん なおけい王女おうじょ
11だい じゅんなり 1784ねん 1721ねん - 1789ねん なおけい王女おうじょ
12だい 徳沢とくさわ 1789ねん 1762ねん - 1795ねん なおあきら
13だい ほうくも 1795ねん 1765ねん - 1834ねん なおきよしおうおんな
14だい せんとく 1834ねん 1785ねん - 1869ねん なおゆたかおう
15だい 仲井間なかいまおうぬし 1870ねん 1785ねん - 1869ねん なお灝王おんな真鶴まなづるきん
16だい 安里あさとおうぬし 明治めいじ年間ねんかん 1825ねん - 1909ねん なお灝王おんなうしきんだいむべウシ)
なおいえ祭祀さいしにな
だい 就任しゅうにん なま没年ぼつねん 備考びこう
17だい 安室あむろおうぬし 大正たいしょう年間ねんかん 1874ねん - 1944ねん なおたいおうだい王女おうじょ安室あむろ御殿ごてん
18だい おもえきんおきなぬし 1944ねん 1887ねん - 1967ねん なおてん長女ちょうじょ今帰仁なきじんちょうえい夫人ふじん延子のぶこ
19だい 井伊いい文子ふみこ    1917ねん - 2004ねん なおあきら長女ちょうじょ伯爵はくしゃく井伊いい直愛なおみ夫人ふじん
20だい 野津のつ圭子けいこ   1947ねん - 2019ねん[3] なおひろし長女ちょうじょ日本にっぽんカバヤ・オハヨーホールディングス会長かいちょう野津のつたかし夫人ふじん
21だい なお満喜まき[4] (2020ねん) 1984ねん -  臨時りんじ聞得大君おおきみ」への就任しゅうにんなお宗家そうけ なおまもる養女ようじょ

関連かんれん作品さくひん

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん 琉球りゅうきゅう歴史れきし文化ぶんか継承けいしょう振興しんこうかい なお本家ほんけ祭祀さいし”. 2020ねん4がつ28にち閲覧えつらん
  2. ^ 一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん 琉球りゅうきゅう歴史れきし文化ぶんか継承けいしょう振興しんこうかい なお満喜まき臨時りんじ聞得大君おおきみ挨拶あいさつ/だい21だい聞得大君おおきみとして」”. 2020ねん5がつ14にち閲覧えつらん(2020ねん5がつ閲覧えつらん
  3. ^ 訃報ふほう野津のつ圭子けいこさん 72さい井上いのうえ信治しんじ衆院しゅういん議員ぎいん義母ぎぼ最後さいご琉球りゅうきゅう国王こくおうなおたいおう玄孫げんそん”. 毎日新聞まいにちしんぶん. 2019ねん10がつ1にち閲覧えつらん一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん 琉球りゅうきゅう歴史れきし文化ぶんか継承けいしょう振興しんこうかい なお本家ほんけ祭祀さいし”. 2020ねん5がつ14にち閲覧えつらん
  4. ^ 一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん 琉球りゅうきゅう歴史れきし文化ぶんか継承けいしょう振興しんこうかい なお本家ほんけ祭祀さいし”. 2020ねん4がつ28にち閲覧えつらん一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん 琉球りゅうきゅう歴史れきし文化ぶんか継承けいしょう振興しんこうかい なお満喜まき臨時りんじ聞得大君おおきみ挨拶あいさつ/だい21だい聞得大君おおきみとして」”. 2020ねん5がつ14にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]