厨子 甕
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/56/Tsuboya_ware_cinerary_urn_%28Zushigame%29_made_in_19th-Ryukyu_kingdom.jpg/250px-Tsuboya_ware_cinerary_urn_%28Zushigame%29_made_in_19th-Ryukyu_kingdom.jpg)
概要
[分類
[板 厨子
[![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/71/Itazushi.jpg/220px-Itazushi.jpg)
いわゆる
石 厨子
[- 閃緑
岩
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3f/Ishizushi_yodore.jpg/220px-Ishizushi_yodore.jpg)
中国 福建 省 産 の閃緑岩 を使用 した石 厨子 で、第 二 尚 氏 王 統 第 3代 尚 真 王 の時代 に集中 する。完成 形 は浦添 ようどれ4基 、玉 陵 4基 、伊是名 玉 陵 2基 、小禄 墓 1基 がある。天 山陵 (尚 巴 志 墓 )にも石 厨子 の基壇 (台座 )の部分 だけ残存 している。本体 には法師 像 、蓮華 、動物 等 が高度 な技法 で彫刻 され、宝珠 を頂 き屋根 瓦 を彫 り込 んだ寄 棟 や入母屋 の屋根 が付 く。
石灰岩
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1e/Ishi_zushi.jpg/220px-Ishi_zushi.jpg)
玉 陵 にある尚 真 王 ・第 4代 尚 清王 の石 厨子 が石灰岩 製 で、その後 の第 5代 尚 元 王 、第 6代 尚 永 王 、第 8代 尚 豊 王 、第 9代 尚 賢 王 、第 10代尚 質 王 、第 11代 尚 貞 王 、第 12代 尚 益 王 までの約 200年間 にわたる歴代 国王 とその妃 (尚 益 王妃 を除 く)の石 厨子 もすべて石灰岩 製 である(第 7代 尚 寧 王 の厨子 甕 は浦添 ようどれ)。屋根 は入母屋 で、本体 はごく一部 を除 いて彫刻 を欠 き、立派 な彫刻 を刻 んだ尚 円 王 の閃緑岩 製 石 厨子 と比 べると、全体 に簡素 な造 りで見劣 りする。その代 わり、尚 元 と、尚 豊 から尚 益 までの各 国王 の石 厨子 には、地蔵 像 や瑞雲 等 の彩色 画 が描 かれている。
凝灰岩
鹿児島 から輸入 されたとみられる凝灰岩 製 の石 厨子 で、数 は多 くない。1609年 の薩摩 侵攻 以降 のものと推定 されている。1800年代 以降 は確認 されていない。
- サンゴ
石灰岩
一般 には海 石 とも軽石 とも言 われるが、その名 の通 り乾燥 すると軽 い。この石 は中城 村 、北中城 村 等 、沖縄 本島 中部 の東海岸 地域 で多 く採取 されることから、サンゴ石灰岩 製 の石 厨子 もこの地域 に多 く見 られる。元来 は支配 者 層 の石 厨子 に見 られるが、のちに庶民 層 にも普及 した。17世紀 製 のものは入母屋 、単 層 屋根 で装飾 も少 なく簡素 であるが、18世紀 半 ば以降 のものは屋根 が重層 になり、しゃちほこが付 くものが増 えてくる。20世紀 前半 まで作 られた。
甕 型
[![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Boja_zushi.jpg/220px-Boja_zushi.jpg)
- ボージャー
厨子
- 17
世紀 後半 になると陶製 の厨子 甕 が出現 しはじめるが、ボージャー厨子 はその嚆矢 を飾 るものである。康 煕 9年 (1670年 )の銘 の入 った喜名 焼 ボージャー厨子 が発掘 されている。ボージャー厨子 は、全体 に装飾 が少 なく丸 みを帯 びた簡素 な姿 が「禿 げ坊主 」を想起 させることから、この名 が付 いたと思 われる。胴 部 には瓦 屋根 付 きの入口 の張 り付 けがある以外 、ほかは蓮華 などの線 彫 りがある程度 で全体 の印象 は素朴 である。蓋 は笠 状 で頂上 に宝珠 やそれを扁平 にしたような形 のつまみが付 く。1730年代 以降 になると、赤 っぽい甕 が多 くなり、全体 に厚 ぼったく、線 彫 りも少 なくなる。1770年代 以降 あまり見 られなくなる。
- マンガン
掛 け厨子 甕
- ボージャー
厨子 と入 れ替 わるように、1770年代 から出現 しはじめ、戦後 まで作 られた。マンガン掛 けの焼 締 め厨子 甕 である。マンガンを掛 けると、全体 に黒 っぽい色 の甕 になる。このタイプは陶製 厨子 甕 のうちでも数 の上 でもっとも多 く、初期 には上流 向 けも作 られたが、のちにはもっぱら庶民 向 けのものとなった。時代 が下 るにつれて、胴 部 の口 は大 きくなり全体 のシルエットも細身 になる。蓋 はボージャー厨子 のように、宝珠 やつまみが頂 上部 に付 き、蓋 の高 さはのちになると次第 に高 くなる傾向 がある。装飾 は張 り付 けと線 彫 りを適当 に混 ぜたものが多 い。
- マンガン
掛 け庇 つき厨子 甕
- マンガン
掛 け厨子 甕 より少 し遅 れて登場 する。胴 部 の周 りに瓦 屋根 の庇 を設 け、さらに蓮華 や法師 像 や普通 の花 の装飾 を胴 に張 り付 け、蓋 や庇 の上 には龍 や獅子 を張 り付 ける。非常 に装飾 豊 かで凝 っているが、物 によってはグロテスクに感 じられるほど装飾 過多 の甕 もある。このタイプは18世紀 末 から昭和 10年代 まで作 られた。制作 費 が掛 かるため、主 に中流 以上 向 けの厨子 甕 である。
御殿 型
[赤 焼 御殿 型 厨子 甕
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4f/Akayaki_udun_zushigame1776.jpg/220px-Akayaki_udun_zushigame1776.jpg)
家 型 をした陶製 厨子 甕 を御殿 (うどぅん)型 と呼 ぶが、赤 焼 御殿 型 厨子 甕 は御殿 型 の最初 に出現 するタイプである。時期 は18世紀 前半 からで、それ以前 の石 厨子 をそのまま陶製 にしたような形 をしている。蓋 は屋根 の形 をしていて初期 のものは入母屋 で、胴 部 は前面 に2体 の法師 像 が張 り付 けられている。屋根 には瓦 は刻 まれておらず、しゃちほこも小 さめで形 姿 も稚拙 である。蓋 が寄 棟 の形 をしたタイプは乾 隆 年間 の1770年代 に集中 し、瓦 も彫 り込 まれしゃちほこの下 には獅子頭 の鬼瓦 が付 き、胴 部 には法師 像 が2ないし4体 張 り付 けられている。正面 中央 には入口 をかたどった穴 が穿 たれている。全面 に石灰 塗装 を施 し、その上 から蓮華 や幾何 学 紋様 を朱 や墨 で描 いている。
荒 焼 御殿 型 厨子 甕
赤 焼 御殿 型 の次 に登場 するタイプである。全面 にマンガンを掛 け黒 っぽく焼 締 めしている。屋根 のしゃちほこには鱗 をつけ、胴 部 には法師 像 や蓮華 を張 り付 けるなど、前代 より形 の整 った、より手 の込 んだ仕上 がりとなっている。屋根 は二 層 になったものが多 く、瓦 を描 き、入母屋 もしくは切妻 の変形 と思 われる形 をしている。時期 は19世紀 前半 から中頃 に集中 している。
上 焼 本 御殿 型 厨子 甕
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/49/Udun_type_Urns1.jpg/220px-Udun_type_Urns1.jpg)
- 釉薬を
掛 けたタイプである。化粧 掛 けの上 に、飴 釉(飴色 )、緑 釉(緑色 )、呉須 (コバルト色 )を用 いた色彩 豊 かなものが多 い。屋根 は寄 棟 や重層 になった入母屋 の変形 で、しゃちほこを乗 せ、獅子 や龍 を屋根 の上 に配 している。胴 部 には蓮華 や五 弁 花 を張 り付 ける。 玉 陵 にある尚 敬 王 以降 の歴代 国王 の厨子 甕 はこのタイプで、屋根 は尚 敬 王 が入母屋 、それ以降 は寄 棟 でいずれも単 層 である。しゃちほこは大型 で瓦 は丹念 に彫 り込 まれている。全体 に飴 釉を掛 け、胴 部 には蓮華 を張 り付 け、正面 中央 に国王 名 を金箔 押 している。このタイプの厨子 甕 は厨子 甕 中 の白眉 である。
上 焼 ツノ型 厨子 甕
本 御殿 型 より少 し遅 れて登場 する。道 光 12年 (1832年 )の銘 のものが古 く、明治 8、9年 頃 から急 に多 くなり、昭和 14、15年 まで作 られた。このタイプは俗 に「ソーベー」と呼 ばれた。ソーベーとは商売 用 に作 ったものの意 で、転 じて安 っぽいもののことをいう。白 化粧 掛 けの上 に、コバルトや飴 釉、緑 釉などで着色 し、見 た目 には色彩 豊 かで美 しい。蓋 は重層 屋根 の形 をしていて高 さは極端 に高 くなり、屋根 の各部 には無 釉でツノ状 の突起 がある。ツノは3本 1組 のものが多 く、十 数 組 ある。窯 内 でこのツノの上 に他 の皿 や碗 を乗 せて、限 られたスペースを最大限 に活用 してたくさんの作品 を焼 くためのものである。これによって厨子 甕 のコストが安 くなる。
- コバルト
掛 け厨子 甕
西洋 コバルトを全面 に掛 けたもので、鮮 やかな青色 をしている。これに一部 飴 釉を掛 けて二 色 に彩色 しているものもある。時期 は西洋 コバルトが大量 に日本 に輸入 されるようになった明治 以降 で、明治 34、5年 から戦後 まで作 られた。特 に大正 期 に多 い。形 はツノ型 に似 ているが、ツノはなくこちらのほうが高価 である。しゃちほこ、獅子 、龍頭 等 の張 り付 けも多 く装飾 豊 かである。
その他
[参考 文献
[上江洲 均 『沖縄 の暮 らしと民 具 』慶 文 社 1982年 沖縄 県立 博物館 ・美術館 編 『ずしがめの世界 』沖縄 県立 博物館 ・美術館 2008年