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地蔵じぞう菩薩ぼさつ

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地蔵じぞう菩薩ぼさつ
国宝こくほう木造もくぞう地蔵じぞう菩薩ぼさつ立像りつぞう
奈良なら法隆寺ほうりゅうじだい宝蔵ほうぞういん
地蔵じぞう菩薩ぼさつ
梵名 「クシティガルバ」
(क्षितिघर्भ Kṣitigarbha)
別名べつめい 中国ちゅうごく地藏じぞう菩薩ぼさつ( Dì Zàng Pú Sà)
経典きょうてん法華経ほけきょう』『地蔵じぞう菩薩ぼさつ本願ほんがんけい
信仰しんこう 地蔵じぞう信仰しんこう六地蔵ろくじぞう地蔵じぞうぼん
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地蔵じぞう菩薩ぼさつ(じぞうぼさつ)は、仏教ぶっきょう信仰しんこう対象たいしょうである菩薩ぼさついちみこと釈尊しゃくそん入滅にゅうめつしてから弥勒菩薩みろくぼさつ成仏じょうぶつするまでのふつ時代じだい衆生しゅじょう救済きゅうさいすることを釈迦しゃかからゆだねられたとされる[1]

サンスクリットでは「クシティガルバ」(क्षितिघर्भ [Kṣitigarbha])という[2]。クシティは「大地だいち」、ガルバは「胎内たいない」「子宮しきゅう」の意味いみで、意訳いやくして「地蔵じぞう」としている。また持地もちじみょう憧、無辺むへんしんともやくされる。三昧ざんまい耶形は、如意宝珠にょいほうじゅ幢幡[ちゅう 1]錫杖しゃくじょうたねは ह (カ、ha [ハ])𑖮。

大地だいちすべてのいのちはぐくちからぞうするように苦悩くのう人々ひとびとを、その無限むげんだい慈悲じひしんつつみ、すくところから名付なづけられたとされる。

日本にっぽんにおける民間みんかん信仰しんこうでは、道祖神どうそじんとしての性格せいかくつとともに、「子供こどもまもがみ」としてしんじられており[3]、よく子供こどもよろこ菓子かしそなえられている。日本にっぽんでは一般いっぱんてきに、したしみをめて「地蔵じぞうさん」「地蔵じぞうさま」とばれる。

概要がいよう

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木造もくぞう地蔵じぞう菩薩ぼさつ坐像ざぞう 京都きょうと六波羅蜜ろくはらみつてら鎌倉かまくら時代じだいつて運慶うんけいさく重要じゅうよう文化財ぶんかざい
地蔵じぞう菩薩ぼさつぞう 奈良なら国立こくりつ博物館はくぶつかん鎌倉かまくら時代じだい重要じゅうよう文化財ぶんかざい

地蔵じぞう菩薩ぼさつは、忉利てんって釈迦しゃかほとけ付属ふぞくけ、釈迦しゃか入滅にゅうめつ、5おく7600まんねんか56おく7000まんねん弥勒菩薩みろくぼさつ出現しゅつげんするまでのあいだ現世げんせいほとけ不在ふざいとなってしまうため、そのあいだ六道ろくどうすべての世界せかい地獄じごくどう餓鬼がきどう畜生道ちくしょうどう修羅しゅらどう人道じんどう天道てんとう)にあらわれて衆生しゅじょうすく菩薩ぼさつであるとされる (六道ろくどうのうろくどうのうげ[4])。

虚空蔵菩薩こくうぞうぼさつ地蔵じぞう菩薩ぼさつ一対いっつい安置あんちされるれい京都きょうと広隆寺こうりゅうじ講堂こうどう)などにあるが、一般いっぱんてきではない。

地蔵じぞう菩薩ぼさつ起源きげんは、インドバラモン教ばらもんきょう神話しんわ登場とうじょうする大地だいち女神めがみプリティヴィーで、大地だいち守護しゅごし、ざいたくわえ、やまいなおすといった利益りえき信仰しんこうがあり、これが仏教ぶっきょうにもれられ、地蔵じぞう菩薩ぼさつ成立せいりつしたとされる[信頼しんらいせいよう検証けんしょう][1][だれによって?]経典きょうてんとして「地蔵じぞう菩薩ぼさつ本願ほんがんけい」「大乗だいじょうだいしゅう地蔵じぞうじゅうりんけい」「うらない察善あく業報ごうほうけい」が地蔵じぞうさんけいばれるが、「うらない察善あく業報ごうほうけい」はにせけいともわれる[1]

ぞうよう

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一般いっぱんには剃髪ていはつした声聞しょうもん比丘びくがた僧侶そうりょ姿すがた)で白毫びゃくごうがあり、袈裟けさにまとう。装身具そうしんぐけないか、けていても瓔珞ようらく(ネックレス)程度ていど左手ひだりて如意宝珠にょいほうじゅ右手みぎて錫杖しゃくじょうかたち、または左手ひだりて如意宝珠にょいほうじゅち、右手みぎてあずかねがいいんてのひらをこちらにけ、したらす)のしるししょうをとるぞうおおい(この場合ばあい伝統でんとうてき彫像ちょうぞうであることがおお画像がぞうはまれである)。

しかし密教みっきょうでは胎蔵曼荼羅まんだら地蔵じぞういんしゅみこととして、かみたか装身具そうしんぐけた通常つうじょう菩薩ぼさつがたあらわされ、右手みぎてみぎむねまえ日輪にちりんち、左手ひだりてひだりこしてて幢幡をせた蓮華れんげつ。

功徳くどく利益りえき

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地蔵じぞう菩薩ぼさつ本願ほんがんけい』には、善男善女ぜんなんぜんにょのためのじゅうはちしゅ利益りえき[5]天龍てんりゅう鬼神きじんのためのななしゅ利益りえき[6]かれている。

じゅうはちしゅ利益りえき
  • 天龍てんりゅうまもるねんてんりゅう守護しゅごしてくれる)
  • 善果ぜんかぞうおこないの果報かほう日々ひびしていく)
  • しゅう聖上せいじょういんさとりの境地きょうちいた因縁いんねんあつまってくる)
  • 菩提ぼだい退すささとりの境地きょうちから後退こうたいしない)
  • 衣食いしょくゆたかあし衣服いふく食物しょくもつりる)
  • やまし疫不臨(疫病えきびょうにかからない)
  • 離水りすい火災かさい水難すいなん火災かさいまぬかれる)
  • 盗賊とうぞくやく盗賊とうぞくによる災厄さいやくわない)
  • 人見ひとみ欽敬(人々ひとびと敬意けいいはらっててくれる)
  • かみおにじょ神霊しんれいたすけてくれる)
  • おんなてんおとこ女性じょせいから男性だんせいになれる)
  • ためおうしんおんなおう大臣だいじん令嬢れいじょうになれる)
  • 端正たんせい相好そうごう端正たんせい容貌ようぼうめぐまれる)
  • 多生たしょう天上てんじょう天界てんかいまれわることおおい)
  • あるため帝王ていおう(あるいは人間にんげんかいまれわって帝王ていおうになる)
  • 宿やど智命ちめいどおり過去かこ宿命しゅくめい、しゅくみょう〉智慧ちえち、過去かこつうずる)
  • ゆうもとめみなしたがえ要求ようきゅうがあればみなしたがってくれる)
  • 眷属けんぞく歓楽かんらく眷属けんぞくよろこんでくれる)
  • しょよこ消滅しょうめつ諸々もろもろ理不尽りふじんこと消滅しょうめつしていく)
  • ごうどうながじょ地獄じごくなどのわる場所ばしょまれわらせるぎょうどう(karma-patha)がながのぞかれる)
  • しょつきどおりおもむ場所ばしょに うまくいく)
  • よるゆめ安楽あんらく睡眠すいみんちゅうやすらかなゆめる)
  • さきほろびはなれ先祖せんぞさきほろびれいくるしみから解放かいほうされる)
  • 宿やど福受ふくじゅせい過去かこに なした善行ぜんこうによってまれをける)
  • しょせいさん歎(しょ聖人せいじんたたえてくれる)
  • 聰明そうめい利根りこん聡明そうめい利発りはつになる)
  • にょう慈愍こころ慈悲じひしんあふれる)
  • 畢竟ひっきょう成佛じょうぶつかならふつる)
ななしゅ利益りえき
  • はやちょう聖地せいち(さらに すぐれた境地きょうちすみやかにすすめる)
  • 悪業あくごう消滅しょうめつわるいカルマが消滅しょうめつする)
  • しょふつまもる臨(諸々もろもろふつまもってくれる)
  • 菩提ぼだい退すささとりの境地きょうちから後退こうたいしない)
  • 増長ぞうちょうほんりょく本来ほんらいっていた能力のうりょく増幅ぞうふくされる)
  • 宿命しゅくめいみなどおり過去かこすべてにつうずる)
  • 畢竟ひっきょう成佛じょうぶつかならふつる)

真言しんごん

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オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ [7]Oṃ ha ha ha vismaye svāhā

邦訳ほうやくすれば『オーン、ha・ha・ha(地蔵じぞう菩薩ぼさつ種子しゅしを3かいとなえる)、希有けうなる御方おかたよ、スヴァーハー』となる。

信仰しんこう

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地蔵じぞう十王じゅうおう パリ・ギメ美術館びじゅつかん 敦煌とんこう将来しょうらい(10世紀せいき
地蔵じぞう十王じゅうおう 静嘉堂文庫せいかどうぶんこ高麗こうらい時代じだい

中国ちゅうごくにおける地蔵じぞう信仰しんこう

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にせけいとされる『閻羅おう授記四衆逆修生七往生浄土経』(あずかおさむ十王じゅうおうせいななけい)や『地蔵じぞう菩薩ぼさつ発心ほっしん因縁いんねん十王じゅうおうけい』(地蔵じぞう十王じゅうおうけい)によって、道教どうきょう十王じゅうおう思想しそうむすびついて、中国ちゅうごくにおいては地蔵じぞう菩薩ぼさつ閻魔えんままたはじゅうおういちみこととしての閻魔えんまおう同一どういつ存在そんざいであるという信仰しんこうひろまった。閻魔えんまおう地蔵じぞう菩薩ぼさつとして人々ひとびと様子ようす事細ことこまかにているため、綿密めんみつ死者ししゃさばくことができるとされ、泰山たいざんおうとともに十王じゅうおう中心ちゅうしんえられた。

このため中国ちゅうごくにおいては地藏じぞうおう菩薩ぼさつばれ、おも死後しごの(地獄じごくからの)救済きゅうさいねがって冥界めいかい教主きょうしゅとして信仰しんこうされる。日本にっぽん神奈川かながわけん横浜よこはまちゅうにも、死者ししゃ永眠えいみんまつ地藏じぞうおうびょう中華ちゅうかそう華僑かきょうによって建立こんりゅうされている。

あきらだい小説しょうせつである『西遊せいゆう』でも、冥界めいかいつかさど地藏じぞうおう菩薩ぼさつまご悟空ごくうひとしてん大聖たいせい)のあばれっぷりを地獄じごくからてんたますめらぎ大帝たいてい上奏じょうそうする場面ばめんえがかれている。

地藏じぞうおう菩薩ぼさつ聖地せいちは、安徽あんきしょうにあるきゅう華山げさんである。これは、しん地蔵じぞうというそう696ねん - 794ねん俗名ぞくみょうきむたかしさとし俗姓ぞくせい法名ほうみょうつらねて、きむ和尚おしょうあるいはかね地蔵じぞうともばれる)が、このにあるじょうてらじゅうしたことにちなむものである。よわい99で、この入滅にゅうめつした地蔵じぞうは、3ねんかんひらいてとう奉安ほうあんしようとしたところ、その顔貌かおかたち生前せいぜんまったわることがなかったことなどから、地蔵じぞう地藏じぞうおう菩薩ぼさつ同一どういつする信仰しんこうまれ、そのおこりとう地藏じぞうおう菩薩ぼさつ聖地せいちとなったものである。その故事こじによって、文殊もんじゅ菩薩ぼさつ五台山ごだいさん普賢菩薩ふげんぼさつ峨眉山がびさん観音かんのん菩薩ぼさつひろし陀山なら中国ちゅうごく仏教ぶっきょう聖地せいち中国ちゅうごくよんだい仏教ぶっきょう名山めいざん)として、今日きょうまで信仰しんこうあつめている。

日本にっぽんにおける地蔵じぞう信仰しんこう

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日本にっぽんにおいては、浄土じょうど信仰しんこう普及ふきゅうした平安へいあん時代じだい以降いこう極楽浄土ごくらくじょうど往生おうじょうかなわない衆生しゅじょうは、かなら地獄じごくちるものという信仰しんこうつよまり、地蔵じぞうたいして、地獄じごくにおけるからの救済きゅうさい欣求ごんぐするようになった。

姿すがた出家しゅっけそう姿すがたおおく、地獄じごく餓鬼がき修羅しゅらなど六道ろくどうをめぐりながら、人々ひとびと苦難くなん身代みがわりとなりすくう、だい受苦じゅく菩薩ぼさつとされた。際立きわだって子供こども守護しゅごみこととされ、「子安地蔵こやすじぞう」とばれる子供こどもいだ地蔵じぞう菩薩ぼさつもあり、また小僧こぞう姿すがたおおい。

さい河原かわらで、獄卒ごくそつめられる子供こどもを、地蔵じぞう菩薩ぼさつまも姿すがたは、中世ちゅうせいより仏教ぶっきょう歌謡かよう西院さいいん河原かわら地蔵じぞう和讃わさん」をつうじてひろられるようになり、子供こども水子みずこ供養くようにおいて地蔵じぞう信仰しんこうあつめた。関西かんさいでは地蔵じぞうぼん子供こどもまつりとしてあつかわれる。

また道祖神どうそじん岐のかみ)と習合しゅうごうしたため、日本にっぽん全国ぜんこく路傍ろぼう石像せきぞう数多かずおおまつられている。交通こうつう便びんとぼしい時代じだいではおおきな仏教ぶっきょう寺院じいん参詣さんけいすることができず、簡易かんい参拝さんぱいができる身近みぢか仏像ぶつぞうとして崇敬すうけいあつめた。そのような地蔵じぞう導師どうしかれたれいすくなく、そのため本来ほんらい仏教ぶっきょう教義きょうぎはなれ、神道しんとうとの混同こんどう地域ちいき独自どくじ民間みんかん信仰しんこう意味合いみあいなどもくした。

路傍ろぼう地蔵じぞうみことはさまざまな祈念きねん対象たいしょうになり、難治なんじ傷病しょうびょう治癒ちゆ祈念きねんすれば成就じょうじゅする、と喧伝けんでんされて著名ちょめい地蔵じぞうみこととなったり(とげぬき、いぼとり、びょう子供こども夜泣よなきなど)、あわせた寓話ぐうわのちひろ童話どうわとしてもられるようになったれい六地蔵ろくじぞううな地蔵じぞう、しばられ地蔵じぞうかさ地蔵じぞう田植たう地蔵じぞうなど多数たすう)がある。

このほか自性じしょういん(ねこてら)ねこ地蔵じぞうや、おそれやま菩提寺ぼだいじ英霊えいれい地蔵じぞうのように、供養くようのためつくられたさまざまな地蔵じぞう存在そんざいする。

六地蔵ろくじぞう

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六地蔵ろくじぞうみこと(茨城いばらきけん水戸みと六反田ろくたんだまち)
金倉かなくら六地蔵ろくじぞう平福ひらふく

日本にっぽんでは、地蔵じぞう菩薩ぼさつぞうを6たいならべてまつった六地蔵ろくじぞうぞう各地かくちられる。これは、仏教ぶっきょう六道ろくどう輪廻りんね思想しそうすべての生命せいめいは6しゅ世界せかいまれわりをかえすとする)にもとづき、六道ろくどうのそれぞれを6しゅ地蔵じぞうすくうとするせつからまれたものである。六地蔵ろくじぞう個々ここ名称めいしょうについては一定いっていしていない。地獄じごくどう餓鬼がきどう畜生道ちくしょうどう修羅しゅらどう人道じんどう天道てんとうじゅんまゆみ陀(だんだ)地蔵じぞう宝珠ほうしゅ地蔵じぞうたからしるし地蔵じぞう持地もちじ地蔵じぞうじょぶたさわ(じょがいしょう)地蔵じぞう日光にっこう地蔵じぞうしょうする場合ばあいと、それぞれを金剛こんごうねがい地蔵じぞう金剛こんごうたから地蔵じぞうきむつよし地蔵じぞうきむつよし地蔵じぞうひかりおう地蔵じぞうあずかてん地蔵じぞうしょうする場合ばあいおおいが、文献ぶんけんによっては以上いじょうのいずれともことなる名称めいしょうげているものもある[ちゅう 2]ぞうよう合掌がっしょうのほか、蓮華れんげ錫杖しゃくじょう香炉こうろ、幢、数珠じゅず宝珠ほうしゅなどを持物もちものとするが、持物もちもの呼称こしょうかならずしも統一とういつされていない。

日本にっぽんでは、六地蔵ろくじぞうぞう墓地ぼち入口いりくちなどにしばしばまつられている。中尊寺ちゅうそんじ金色きんいろどうには、藤原清衡ふじわらのきよひらもとしゅう遺骸いがいおさめた3つの仏壇ぶつだんのそれぞれに6たい地蔵じぞうぞう安置あんちされているが、かくぞう姿すがたはほとんど同一どういつである。

勝軍かちいくさ地蔵じぞう

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かぶとよろいけて、右手みぎて錫杖しゃくじょう左手ひだりて如意宝珠にょいほうじゅち、せん騎乗きじょうする[9]勝軍かちいくさ地蔵じぞうねんずればせん勝利しょうりするとされ、武家ぶけ信仰しんこうあつめた[10]。また過去かこおかしたつみむくいをまぬがれたり、飢饉ききんふせぐともされた[10]

愛宕あたご権現ごんげん本地ほんじふつ大宝たいほう年間ねんかんやく小角おがく白山はくさん修験しゅげん開祖かいそとされるやすしきよし山城やましろこく愛宕山あたごやまのぼったとき、りゅういつき菩薩ぼさつとみろう尊者そんじゃ毘沙門天びしゃもんてん愛染明王あいぜんみょうおうともなだい雷鳴らいめいとともにあらわれ、天下てんか万民ばんみん救済きゅうさいちかった地蔵じぞう菩薩ぼさつが、勝軍かちいくさ地蔵じぞうであったという伝承でんしょうのこる。また、さとしたち天皇てんのう御代みよにち勝軍かちいくさ地蔵じぞう護持ごじしたとされ、さらに『げんとおるしゃくしょ』には清水寺きよみずでらのべ勝軍かちいくさ地蔵じぞうかちてき毘沙門天びしゃもんてんりょうみこと坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろ戦勝せんしょう祈願きがんおこなったことがしるされている。しかしながら、などが現存げんそんせず、のべ鎮がおこなったとされる修法しゅほうはじめ、固有こゆう尊容そんよう明確めいかくでない。地蔵じぞう菩薩ぼさつ本願ほんがんけい』『じゅうりんけい』『陀羅尼だらにしゅうけい』にある「煩悩ぼんのうぞく天魔てんまぐんつ」、「軍陣ぐんじんたたかえせんさいして、なんまぬかれる」などの記述きじゅつが、このみこと感得かんとくする依拠いきょとされたとかんがえられている。[よう出典しゅってん]はた軍旗ぐんき)やけんなどをち、甲冑かっちゅう姿すがたであることは共通きょうつうするが、踏割蓮華れんげ立像りつぞうと、神馬しんめにまたがる騎馬きばぞうとが存在そんざいする。

鬼門きもん地蔵じぞう

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中日ちゅうにち新聞しんぶん(2020ねん)によれば、愛知あいちけん半田はんだ亀崎かめざき地区ちくには「鬼門きもん地蔵じぞう」としょうする地蔵じぞうがある。個人こじんたく鬼門きもん方向ほうこうまつられ、2003ねん調査ちょうさでは、どう地区ちくやく70たい確認かくにんされている。史料しりょうはなく、由緒ゆいしょ不明ふめいという[11]

法蔵ほうぞう地蔵じぞうみこと

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東京とうきょう伝通院でんづういん(2023ねん撮影さつえい

東京とうきょう小石川こいしかわ伝通院でんづういん正門せいもんはいって境内けいだい左側ひだりがわにある銅像どうぞうほとけ中央ちゅうおう本尊ほんぞんは「法蔵ほうぞう地蔵じぞうみこと」で、わきまちむかってみぎ観世音菩薩かんぜおんぼさつひだり勢至菩薩せいしぼさつである。このようなわせのさんみこと異例いれい法蔵ほうぞう菩薩ぼさつからほとけとなった阿弥陀如来あみだにょらいが、あえて、大衆たいしゅう信仰しんこうしたしみやすい地蔵じぞう姿すがたをもって出現しゅつげんしたもの[12][13]

地蔵じぞう菩薩ぼさつかんする伝承でんしょう

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古代こだいインドおう転生てんせい

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地蔵じぞう菩薩ぼさつ本願ほんがんけい』によると、むかしインド大変たいへん慈悲じひふか2人ふたりおうがいた。一人ひとりみずからがふつとなってからひとすくおうとかんがえ、一切いっさいさとし成就じょうじゅ如来にょらいというふつになった。だが、もう一人ひとりおうさきひとさとりの境地きょうちわたしてからみずからもさとろうとかんがえた。それが地蔵じぞう菩薩ぼさつである[14]地蔵じぞう菩薩ぼさつ霊験れいけん膨大ぼうだいにあり、人々ひとびと罪業ざいごうほろぼ成仏じょうぶつさせるとか、苦悩くのうする人々ひとびと身代みがわりになって救済きゅうさいするという説話せつわおおい。

子供こども守護しゅご救済きゅうさい

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菩薩ぼさつ如来にょらいたか見地けんちだが、地蔵じぞう菩薩ぼさつは「一斉いっせい衆生しゅじょう済度さいど請願せいがんたさずば、わが菩薩ぼさつかいもどらじ」との決意けついで、その地位ちい退すさし、六道ろくどうみずからのあし行脚あんぎゃし、すくわれない衆生しゅじょうおやよりさき死去しきょしたおさな子供こどもれいすくい、たびつづけている。

おさな子供こどもおやよりさきぬと、おやかなしませ親孝行おやこうこう功徳くどくんでいないことから、三途さんずかわわたれず、さい河原かわらおにのいじめにいながら、いし塔婆とうばづくりを永遠えいえんつづけなければならないとされ、さい河原かわら率先そっせんしてあしはこんでは、おにから子供こどもたちまもり、仏法ぶっぽう経文きょうもんかせてとくあたえ、成仏じょうぶつへのみちひらいていく逸話いつわ有名ゆうめいである。

このように、地蔵じぞう菩薩ぼさつもっとよわ立場たちば人々ひとびとさい優先ゆうせん救済きゅうさいする菩薩ぼさつであることから、古来こらいより絶大ぜつだい信仰しんこう対象たいしょうとなっていた。

施餓鬼せがき法要ほうようとの関係かんけい

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また後年こうねんになると、地蔵じぞう菩薩ぼさつ足下あしもとには餓鬼がきかいへの入口いりくちひらいているとするせつひろかれるようになる。地蔵じぞう菩薩ぼさつぞうみずそそぐと、地下ちかながくるしみにあえ餓鬼がきくちに、そのみずはいる。

仏教ぶっきょうじょうにおける餓鬼がきは、生前せいぜんうそ他言たごんしたつみで、えるしたっており、くちれた飲食いんしょくぶつは、ほのおげてき、いすることは出来できないが、地蔵じぞう菩薩ぼさつ慈悲じひとおしたみず餓鬼がきのどにもとどき、しばらくのあいだくるしみが途切とぎれるといわれている(そのあいだ供養くようささげたり、とくたか経文きょうもんかせたりして成仏じょうぶつねがうのが、施餓鬼せがき法要ほうよう一端いったん)。 

これは、六道ろくどうすべてにへだてなく慈悲じひそそぐといわれる、地蔵じぞう菩薩ぼさつ功徳くどくあらわせつであり、施餓鬼せがき法要ほうよう地蔵じぞう菩薩ぼさつは、ふか関係かんけいとして成立せいりつしていった。

仏教ぶっきょうじょうでは、非道ひどうしゃ仏法ぶっぽう否定ひてい誹謗ひぼうするものいち闡提りゃくして闡提)というが、これにはたんに「成仏じょうぶつがたもの」という意味いみもあることから、一切いっさい衆生しゅじょうすくおおいなる慈悲じひ意志いしで、あえて成仏じょうぶつめた地蔵じぞう菩薩ぼさつ観音かんのん菩薩ぼさつのような菩薩ぼさつを「大悲だいひ闡提」としょうし、通常つうじょうの闡提とは、明確めいかく区別くべつする。

道祖神どうそじんとの関係かんけい

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なすあり地蔵じぞう菩薩ぼさつ1954ねん昭和しょうわ29ねん水道すいどう工事こうじさい白川しらかわ川底かわぞこからされた。以降いこうこのまつられている。京都きょうと東山ひがしやま白川しらかわきたどおり

さきべた「六地蔵ろくじぞう」とは六道ろくどうそれぞれを守護しゅごする立場たちば地蔵じぞうみことであり、他界たかいへの旅立たびだちのである葬儀そうぎじょう墓場はかばに、おおてられた。また道祖神どうそじん信仰しんこうむすびつき、町外まちはずれやつじに「まち結界けっかい守護神しゅごじん」としててられることもおおい。これを本尊ほんぞんとするまつりとして地蔵じぞうぼんがある。 

また道祖神どうそじんのことをシャグジともいうことから、シャグジに将軍しょうぐんて、道祖神どうそじん習合しゅうごうした地蔵じぞう将軍しょうぐん地蔵じぞう勝軍かちいくさともく)ともぶようになった。

垂迹すいじゃくしん化身けしん

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神仏しんぶつ習合しゅうごうのもとで地蔵じぞう菩薩ぼさつ垂迹すいじゃくとされるかみとしては、愛宕あたごしんてん屋根やねいのちがおり、閻魔えんま大王だいおう本地ほんじ地蔵じぞう菩薩ぼさつとされる。


地蔵じぞう菩薩ぼさつまつ寺院じいんれい

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  • 法隆寺ほうりゅうじ奈良ならけん斑鳩いかるがまち) - 平安へいあん時代じだい前期ぜんき、(だいてらきゅうぞう
  • 岩水寺がんすいじ静岡しずおかけん浜松はままつ) - 鎌倉かまくら時代じだいはだかがたけいそうぞう
  • 木之本きのもと地蔵じぞういんきよししんてら)(滋賀しがけん長浜ながはま) - 日本にっぽんさん大地蔵おおじぞうみこと鎌倉かまくら時代ときよ
  • 広隆寺こうりゅうじ京都きょうと京都きょうと) - 平安へいあん時代じだい埋木うめき地蔵じぞう
  • 六波羅蜜ろくはらみつてら京都きょうと京都きょうと) - 鎌倉かまくら時代じだい運慶うんけいさく推定すいてい
  • 六波羅蜜ろくはらみつてら京都きょうと京都きょうと) - 平安へいあん時代じだいかずらかけ地蔵じぞう
  • 浄瑠璃寺じょうるりでら京都きょうと木津川きづがわ) - 平安へいあん時代じだい
  • 帯解おびとけてら奈良ならけん奈良なら) - 鎌倉かまくら時代じだい帯解おびとけ子安地蔵こやすじぞう
  • 東大寺とうだいじ奈良ならけん奈良なら) - 鎌倉かまくら時代じだいおおやけけいどう安置あんち快慶かいけいさく
  • 東大寺とうだいじ奈良ならけん奈良なら) - 鎌倉かまくら時代じだい念仏ねんぶつどう安置あんちかんきよしさく
  • 福智院ふくちいん奈良ならけん奈良なら) - 鎌倉かまくら時代じだい地蔵じぞう菩薩ぼさつ本尊ほんぞんとする
  • 伝香寺でんこうじ奈良ならけん奈良なら) - 鎌倉かまくら時代じだい法服ほうふく地蔵じぞう
  • 室生寺むろうじ奈良ならけん宇陀うだ) - 平安へいあん時代じだい尊像そんぞうひとつとして)
  • たから戒寺神奈川かながわけん鎌倉かまくら) - 仏師ぶっしけんえんさく
  • ぜんねがいてら京都きょうと京都きょうと) - 平安へいあん時代じだい腹帯はらおび地蔵じぞう
  • 菩提寺ぼだいじ青森あおもりけんむつ) - おそれやま中核ちゅうかくをなす寺院じいん地蔵じぞう菩薩ぼさつ本尊ほんぞんとする
  • 牛久うしく成田なりたさんきよしてら茨城いばらきけん牛久うしく) - 水子みずこ守護しゅごする水子みずこ地蔵じぞうみこと
  • 高岩寺こうがんじ東京とうきょう豊島としま) - 巣鴨すがもとげぬき地蔵じぞうみこと
  • 建長寺けんちょうじ神奈川かながわけん鎌倉かまくら) - 地蔵じぞう菩薩ぼさつ本尊ほんぞんとする
  • ちかい安寺あてら岐阜ぎふけん岐阜ぎふ) - 弥八やはち地蔵じぞう
  • 壬生寺みぶでら京都きょうと京都きょうと) - 地蔵じぞう菩薩ぼさつ本尊ほんぞんとする
  • 朝田あさだてら三重みえけん松阪まつさか) - 平安へいあん時代じだいさく地蔵じぞう菩薩ぼさつ本尊ほんぞんとする
  • 宝珠ほうしゅてら和歌山わかやまけん新宮しんぐう)- 鎌倉かまくら時代じだいさくあし親指おやゆびげているまれ銅像どうぞう地蔵じぞう菩薩ぼさつ本尊ほんぞんとする
  • 延命寺えんめいじ和歌山わかやまけん東牟婁ひがしむろぐん那智勝浦なちかつうらまち)- 地蔵じぞう菩薩ぼさつ本尊ほんぞんとする
  • 如意寺にょいじ兵庫ひょうごけん神戸こうべ)- 地蔵じぞう菩薩ぼさつ本尊ほんぞんとする
  • えんむねいん神奈川かながわけん平塚ひらつか) - おたす地蔵じぞうみこと
  • 本光寺ほんこうじ千葉ちばけん市川いちかわ大野おおのまち)- 水子みずこ供養くよう地蔵じぞうみこと水子みずこ供養くよう地蔵じぞうみこと命名めいめいされた最初さいしょ水子みずこ地蔵じぞう
  • 大雲寺だいうんじ岡山おかやまけん岡山おかやま)- 日限にちげん地蔵じぞうられる、子宝こだから祈願きがん
  • なまはちすてら奈良ならけん五條ごじょう)- あめ地蔵じぞう雨乞あまご
  • きよしめいいん東京とうきょう台東たいとう) - はちまんよんせんたい地蔵じぞうみこと 江戸えど六地蔵ろくじぞうだいろくばん
  • 矢田寺やたでら奈良ならけん大和郡山やまとこおりやま) - 地蔵じぞう菩薩ぼさつ本尊ほんぞんとする
  • 西念寺さいねんじ長野ながのけん佐久さく) - 幼児ようじ40めい供養くよう、(そだて地蔵じぞうやなぎどう
  • ほうとくてら山梨やまなしけんきたもり)‐身代みがわます地蔵じぞうみこと灼熱しゃくねつあせながしながらますなかたたずむお姿すがた本尊ほんぞん

地蔵じぞう菩薩ぼさつ関連かんれんする仏典ぶってん

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地蔵じぞうさんけい
  • 地蔵じぞう菩薩ぼさつ本願ほんがんけい
  • 大乗だいじょうだいしゅう地蔵じぞうじゅうりんけい
  • うらない察善あく業報ごうほうけい
密教みっきょう経典きょうてんきむつよしじょう経典きょうてん
  • 仏説ぶっせつ地蔵じぞう菩薩ぼさつ陀羅尼だらにけい
中国ちゅうごく成立せいりつしたとされるにせけい
  • 『閻羅おう授記四衆逆修生七往生浄土経』
日本にっぽん成立せいりつしたとされるにせけい

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 竿ざおさきながしをけた荘厳しょうごん
  2. ^ たとえば、浄土真宗じょうどしんしゅう高田たかだ僧侶そうりょである顕智あきのりは、すくいしょう地蔵じぞうさきあじ地蔵じぞう地蔵じぞう、牟尼地蔵じぞうはなきょう地蔵じぞうしょりゅう地蔵じぞう名前なまえをあげる[8]

出典しゅってん

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  1. ^ a b c 鏡花きょうか女人にょにん救済きゅうさい原型げんけい(諸岡もろおか哲也てつや)仏教大学ぶっきょうだいがく大学院だいがくいん紀要きよう文学ぶんがく研究けんきゅうへんだい47ごう(いちきゅう2019ねん3がつ
  2. ^ 大江おおえ吉秀よしひで日本にっぽんのほとけさまにあまえる』2016ねん東邦とうほう出版しゅっぱん、27ぺーじ
  3. ^ 大江おおえ吉秀よしひで日本にっぽんのほとけさまにあまえる』2016ねん東邦とうほう出版しゅっぱん、28ぺーじ
  4. ^ 「ろくどう‐のうげ」 - デジタル大辞泉だいじせん
  5. ^ 地蔵じぞう菩薩ぼさつ本願ほんがんけい』「わか來世らいせゆうぜん男子だんし善女ぜんにょ人見ひとみ地藏じぞう形像けいぞう及聞此經乃至ないし……とくじゅうはちしゅ利益りえき
  6. ^ 地蔵じぞう菩薩ぼさつ本願ほんがんけい』「わか現在げんざい未來みらい天龍てんりゅう鬼神きじん地藏じぞう名禮なれ地藏じぞうがたある……とくななしゅ利益りえき
  7. ^ しるし真言しんごんほん』108ぺーじ
  8. ^ 高田たかだ 1959, p. 47.
  9. ^ 勝軍かちいくさ地蔵じぞう」 - 精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん小学しょうがくかん
  10. ^ a b 勝軍かちいくさ地蔵じぞう」 - デジタル大辞泉だいじせん小学しょうがくかん
  11. ^ 高田たかだみのり (2020ねん10がつ30にち). “鬼門きもん地蔵じぞうなぞ密集みっしゅう”. 中日新聞ちゅうにちしんぶん朝刊ちょうかん県内けんないばん: p. 20 
  12. ^ 伝通院でんづういん 公式こうしきサイト http://www.denzuin.or.jp/ の「法蔵ほうぞう地蔵じぞうみこと」の説明せつめい 閲覧えつらん2023ねん8がつ14にち
  13. ^ 境内けいだい法蔵ほうぞう地蔵じぞうみこと」 - 伝通院でんづういん、2023ねん8がつ16にち閲覧えつらん
  14. ^ 地蔵じぞう」 - 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん だいはん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • しるし真言しんごんほん 神仏しんぶつ融合ゆうごうする密教みっきょう秘法ひほう大全たいぜん学研がっけんマーケティング〈New sight mook Books esoterica 33〉、2004ねん2がつISBN 978-4-05-603333-5 
  • 高田たかだ山蔵やまぞう「[資料しりょうふくこく] 顕智あきのり上人しょうにんふで聞書ききがき』(-かん)」『高田たかだまなぶほうだい46ごう日本にっぽん印度いんどがく仏教ぶっきょう学会がっかい、1959ねん、47-60ぺーじdoi:10.11501/4416231 

関連かんれん項目こうもく

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