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施餓鬼せがき

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施餓鬼せがきぶね高知こうちけん大豊たいほうまち

施餓鬼せがき(せがき)とは、仏教ぶっきょうにおける法会ほうえ名称めいしょうである。または、施餓鬼せがきかい(せがきえ)の略称りゃくしょう

中国ちゅうごくで、この法会ほうえはじまり、日本にっぽんつたわった。

概説がいせつ

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餓鬼がきどうくるしむ衆生しゅじょう食事しょくじほどこして供養くようすることで、またそのような法会ほうえす。ひろ一切いっさいしょ精霊せいれいたいしておさむされる(特定とくてい先祖せんぞへの供養くようではなく)。施餓鬼せがき特定とくてい月日つきひおこな行事ぎょうじではなく、僧院そういんでは毎日まいにちおさむされることもある。

日本にっぽんでは先祖せんぞへの追善ついぜんとして、盂蘭盆会うらぼんえわせておこなわれることがおおい。すなわちぼんにはれい以外いがいにもいわゆる無縁仏むえんぼとけ供養くようされない精霊せいれいおとずれる。したがって戸外こがい精霊棚しょうりょうだな施餓鬼せがきだな)をもうけてそれらにほどこ習俗しゅうぞくがある。御霊みたま信仰しんこうつうじるものがある。

中世ちゅうせい以降いこう戦乱せんらん災害さいがい飢饉ききんとう非業ひごうげた死者ししゃ供養くようとして盛大せいだいおこなわれるようにもなった。

水死すいしじんれいとむらうために川岸かわぎしふねうえおこな施餓鬼せがき供養くようは「川施餓鬼かわせがき」といい、なつ時期じきかわおこなわれる。

由来ゆらい

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そらやくすくい抜焔こう陀羅尼だらにけい』にるものである[よう出典しゅってん]釈迦しゃかふつじゅうだい弟子でし多聞たもんだいいちしょうされるおもねがた尊者そんじゃが、しずかな場所ばしょ坐禅ざぜん瞑想めいそうしていると、ほのおこう(えんく)という餓鬼がきあらわれた。おとろえてのどほそくちからき、かみみだおくひかみにく餓鬼がきであった。その餓鬼がきおもねなんかって『おまえさんにちんで、わたしのようにみにく餓鬼がきまれわるだろう』とった。おどろいたおもねなんが、どうしたらその苦難くなんのがれられるかと餓鬼がきうた。餓鬼がきは『それにはわれら餓鬼がきどうにいる衆生しゅじょう、あらゆる困苦こんく衆生しゅじょうたいして飲食いんしょくほどこし、ふつほうそう三宝さんぽう供養くようすれば、なんじ寿命じゅみょうはのび、また苦難くなんだっすることができるだろう』とった。しかしそのような金銭きんせんがないおもねむずかしは、釈迦しゃかふつたすけをもとめた。すると釈迦しゃかぼとけは『観世音菩薩かんぜおんぼさつのろいがある。いち食物しょくもつそなえ、この『加持かじ飲食いんしょく陀羅尼だらに」』(かじおんじきだらに)をとなえて加持かじすれば、そのもの無量むりょう食物しょくもつとなり、一切いっさい餓鬼がき充分じゅうぶん空腹くうふくたされ、無量むりょう無数むすう苦難くなんすくい、施主せしゅ寿命じゅみょう延長えんちょうし、その功徳くどくにより仏道ぶつどうしょうとくすることができる』とわれた。おもねなん早速さっそくそのとおりにすると、おもねなん生命せいめいびてすくわれた。これが施餓鬼せがき起源きげんとされる[だれによって?]

一方いっぽうれん盂蘭盆うらぼんけい」による釈迦しゃかほとけじゅうだい弟子でし神通じんずうだいいちしょうされるれん尊者そんじゃが、神通力じんずうりきによりはは行方ゆくえさがすと、餓鬼がきどうち、にくおとろこつばかりで地獄じごくのようなくるしみをていた。れん神通力じんずうりきはは供養くようしようとしたがものはおろか、みずえてしまい飲食いんしょくできない。れん尊者そんじゃ釈迦しゃかなにとかははすくだてがないかたずねた。すると釈迦しゃかは『おまえははつみはとてもおもい。生前せいぜんひとほどこさず自分勝手じぶんがってだったので餓鬼がきどうちた』として、『おおくのそうきゅうじゅう日間にちかん雨季うき修行しゅぎょうえるなながつじゅうにちに、ご馳走ちそう用意よういしてけい読誦とくしょうし、しんから供養くようしなさい。』とった。れん早速さっそくそのとおりにすると、れん母親ははおや餓鬼がきくるしみからすくわれた。これが盂蘭盆うらぼん起源きげんとされる(ただしこの経典きょうてん後世こうせい中国ちゅうごくにおいて創作そうさくされたにせけいであるというせつ有力ゆうりょくである)。

日本にっぽんでは、この2つのはなし混同こんどうされ、鎌倉かまくら時代じだいからおおくの寺院じいんにおいて盂蘭盆うらぼん時期じき施餓鬼せがきおこなわれるようになったといわれる[だれによって?]

施餓鬼せがきほう

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そらやくすくい抜焔こう陀羅尼だらにけい』にもとづく修法しゅほうで、いけほとり樹木じゅもくしたなどのしずかな場所ばしょ東方とうほうかい3しゃく以下いかだんもうけてしゅうする。陀羅尼だらに如来にょらいたからまさるみょうしょく甘露かんろおう広博こうはくはなれこわかしこ)の名号みょうごう念誦ねんじゅ加持かじりょくによって、餓鬼がき罪障ざいしょうほろぼし、飢渇きかつのぞき、天人てんにんどう浄土じょうどへと往生おうじょうさせる。 なお餓鬼がき夜間やかん活動かつどうするとされるので、日没にちぼつ以降いこうおこなう。また吉祥きっしょうであるももやなぎ石榴ざくろがわではおこなわない。本堂ほんどう内陣ないじんではおこなわない。灯明とうみょうをともさない。香華こうげそなえない。かねらさない。数珠じゅずらない。声高こわだか真言しんごんとなえない。作法さほう終了しゅうりょうただちにうしろをいてかえらないなど独特どくとく禁忌きんきのある作法さほう本義ほんぎとする。これらのまりは餓鬼がき吉祥きっしょう灯明とうみょう香華こうげかね数珠じゅずおと大声おおごえひと視線しせんきらうことに由来ゆらいする。 このような施餓鬼せがきほう密教みっきょうけい修行しゅぎょう道場どうじょうでは、行者ぎょうじゃ修行しゅぎょう円満えんまん成就じょうじゅするようにと毎夜まいよおこなわれる。

ただし中世ちゅうせい以降いこう盂蘭盆うらぼん行事ぎょうじとう習合しゅうごうしたことで施餓鬼せがきちゅう盛大せいだいおこなわれるようになり、上記じょうきのような禁忌きんきのない作法さほうおこなわれるようになる。このような法会ほうえには餓鬼がき直接ちょくせつれっすることができないので、供養くようした食物しょくもつ本義ほんぎしたがって水中すいちゅう山野さんやとうじて餓鬼がきとうほどこすのをつねとする。 施餓鬼せがき多大ただい功徳くどくがあるとして、その功徳くどく先祖せんぞへと回向えこうする追善ついぜんとしておこなわれるようになり、これらから盂蘭盆うらぼん行事ぎょうじとなっているが、両者りょうしゃ混同こんどうしてはならないとされる。

関連かんれん文献ぶんけん

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密教みっきょうだい辞典じてん』(宝蔵ほうぞうかん) 『仏教ぶっきょう辞典じてん』(岩波書店いわなみしょてん

関連かんれん項目こうもく

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