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かさ地蔵じぞう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
路傍ろぼういし地蔵じぞうではなく、ぶしちがうが、りゅう地蔵じぞうかたられる六地蔵ろくじぞうのイメージ
かさ地蔵じぞうのイメージにいくらかちか画像がぞうふゆ支度じたくととのえたいし地蔵じぞううし姿すがた明月めいげついんおくいんにて。かさ地蔵じぞうゆきふか大晦日おおみそかはなしである。

かさ地蔵じぞう(かさじぞう)は、日本にっぽんとぎばなしひと[1]で、とりわけよくられる昔話むかしばなし[1]ひとつ。致富たん(ちふたん)[2][3][4]代表だいひょうてきなもので、親切しんせつほどこした無欲むよく善行ぜんこうものおもいがけないぶくうん謝礼しゃれいとしてもたらされるはなしである[3]具体ぐたいてきには、まずしくともしんきよろう夫婦ふうふが、路傍ろぼういし地蔵じぞう地蔵じぞう菩薩ぼさつ石像せきぞう)に菅笠すげがさかぶせてやり、その恩返おんがえけるというもの[1]かさ長者ちょうじゃ(かさちょうじゃ)ともいう[5]ほか、現代げんだいでは かさこ地蔵じぞう(かさこじぞう)ともいう。

地蔵じぞう信仰しんこう[6]沖縄おきなわ地方ちほう以外いがい[6]日本にっぽん各地かくちひろ分布ぶんぷしているはなしであり[2]寺社じしゃ縁起えんぎ関連かんれんしているものもある[2]かさくつがえてら愛知あいちけん名古屋なごやみなみ笠寺かさでらまち所在しょざい)とかさ地蔵じぞう関係かんけいはその代表だいひょうてきいちれいである[5][3]地域ちいきごとにことなる部分ぶぶんおおいが、大晦日おおみそか出来事できごととするてんではちがいが[2]

花咲はなさきじいしたすずめなどのように善悪ぜんあく対比たいひするようなはなしではない。純粋じゅんすいただしいおこないをするものすくわれるという展開てんかいは、仏教ぶっきょう思想しそう観念かんねんもとづくものであり、おやかたいでいくことで、子供こども道徳どうとくおしさと寓話ぐうわ要素ようそっている。

あらすじ

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地域ちいきごとに細部さいぶことなるはなしであるため、ここにげるのは、あくまでもっとひろられているとおもわれるものを粗筋あらすじとしてまとめたにぎない。

とあるゆきふかくににひどくまずしいろう夫婦ふうふらしていた。としちかいというのに新年しんねんむかえるためのもちすらうことができなかった。そこでおじいさんは、まち日々ひびこさえてきたかさろうと背負せおえるだけ背負せおってかけていった。ところが残念ざんねんなことに、かさたいしてれなかった。吹雪ふぶ気配けはいがしてきたため、おじいさんはかさることをあきらめて帰路きろにつく。吹雪ふぶきなか、おじいさんはろくにんのお地蔵じぞうさまをかけると、そのいかにもさむそうな様子ようす可哀想かわいそうおもい、のこりのかさげることにした。おじいさんはお地蔵じぞうさまのあたまもったゆきはらい、ひとつまたひとつとかさをかぶせていった。しかし、手持てもちのかさひとりず、おじいさんは自分じぶん使つかっているかさ最後さいごのお地蔵じぞうさまにおかぶせし、なにたずにかえっていった。おじいさんからわけをいたおばあさんは、「それはよいことをしました」とい、結局けっきょくなにえなかったことをめたりもしなかった。

そのよる老夫婦ろうふうふていると、いえそとなにおもたいものちたようなおとがする。そこでとびらけてそと様子ようすうかがうと、いえまえべいたわらもち野菜やさいたいなどの様々さまざま食料しょくりょう小判こばんなどの財宝ざいほうやままれていた。ろう夫婦ふうふは、かさをかぶったろくにんのお地蔵じぞうさまがゆきるなかけてってゆくのを見送みおくるのだった。このお地蔵じぞうさまからのおくもののおかげで、ろう夫婦ふうふ新年しんねんむかえることができたという。

地蔵じぞうかず

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いくつかの種類しゅるいがあるが、のこりのかさかずとおじいさんの装備そうびとともに変化へんかしている。 変化へんかする要素ようそ以下いかのようなかたち分類ぶんるいできる。

  • のこりのかさかず一山ひとやま(5つ)が主流しゅりゅうである。(最低さいてい5たい
  • おじいさんが自分じぶんかさあたえる(+1たい
  • おじいさんがぬぐいなどの手持てもちのしなあたえる(+1たい

おおむね 5たいから 7たい主流しゅりゅうのようである。

この地蔵じぞう登場とうじょうすう物語ものがた終盤しゅうばん展開てんかいふかかかわっている。

だい用品ようひんについて

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ぬぐいではなく、ふんどしかぶせた異説いせつがある。また、当初とうしょ、おじいさんが行商ぎょうしょうっていた品物しなもの菅笠すげがさではなくおばあさんが内職ないしょくつくったかせだまであり、それを帰宅きたく途中とちゅう菅笠すげがさった行商ぎょうしょうじん交換こうかんしたというバージョンもある。新潟にいがたけん小千谷おじや隣接りんせつする長岡ながおか小国おぐにまちなどでは、菅笠すげがさではなく小千谷おじやちぢみ反物たんものをお地蔵じぞうさんにけるはなしとなっており、りゅう地蔵じぞうでなく「ちぢみ地蔵じぞう」という地域ちいきもある。

地蔵じぞうのおれい

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物語ものがたりオチである、地蔵じぞうのおれい様子ようすには様々さまざま亜種あしゅ存在そんざいする。以下いかげるのはその一部いちぶである。

  • やってくるお地蔵じぞうさまは 1みことのみ。
  • 地蔵じぞうさまではなく七福神しちふくじんがやってくる。
  • 返礼へんれいとしておくものとどけるのではなく、ろう夫婦ふうふ極楽浄土ごくらくじょうどおくとどける。

解説かいせつ

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地蔵じぞうさまのおかげでじいばばはよい新年しんねんむかえられたというはなし[3]

地蔵じぞう出会であったのはむらまちあいだ、つまりさかいであり、このさかいかみとしての性質せいしつかさ地蔵じぞう六地蔵ろくじぞう仏教ぶっきょう地蔵じぞう信仰しんこうではなく{{疑問ぎもんてん}}、年取としとりの出来事できごとからるに正月しょうがつしん歳徳神としとくじん)の要素ようそっており、秋田あきたけんなまはげ鹿児島かごしまけんトシドンのごとく家々いえいえおとずれてこうをもたらすマレビト根底こんていおなじであろう。みのかさけるとことなった存在そんざいになるのは人間にんげんだけではなかったのである。地蔵じぞうかずも1、3、6、7、12と土地とちによってかずちがいはあれども(こちらは本来ほんらい地蔵じぞう信仰しんこう六道ろくどう衆生しゅじょう救済きゅうさいするというかんがえから)6たい一番いちばんおおい。

西日本にしにほんでは別伝べつでんとしてつぎのようなはなしもある。じいゆきもらせた地蔵じぞうをかわいそうにおもい、背負せおってかえる。ばばいかり、地蔵じぞうからだからこめる。ばばよくしてもっとこめそうとしてはらくとべいなくなった。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c かさ地蔵じぞう”. コトバンク. 2019ねん5がつ5にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d かさ地蔵じぞう”. ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん. コトバンク. 2019ねん5がつ5にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d かさ地蔵じぞう”. 小学館しょうがくかん日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ:ニッポニカ』. コトバンク. 2019ねん5がつ5にち閲覧えつらん
  4. ^ 致富”. コトバンク. 2019ねん5がつ5にち閲覧えつらん
  5. ^ a b かさ地蔵じぞう”. 平凡社へいぼんしゃマイペディア. コトバンク. 2019ねん5がつ5にち閲覧えつらん
  6. ^ a b かさ地蔵じぞう”. 平凡社へいぼんしゃ世界せかいだい百科ひゃっか事典じてんだい2はん. コトバンク. 2019ねん5がつ5にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 野村のむら純一じゅんいち編著へんちょ昔話むかしばなし伝説でんせつしょう事典じてん』みずうみ書房しょぼう、1987ねん、74ぺーじISBN 4-8380-3108-4。Nomura(1987)。 

関連かんれん項目こうもく

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