南西諸島なんせいしょとう

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南西諸島なんせいしょとう
NASA衛星えいせい画像がぞう(2019ねん5がつ23にち
南西諸島の位置(日本内)
南西諸島
南西諸島なんせいしょとう
南西諸島の位置(アジア内)
南西諸島
南西諸島なんせいしょとう
南西諸島の位置(地球内)
南西諸島
南西諸島なんせいしょとう
地理ちり
場所ばしょ 東シナ海ひがししなかいフィリピンうみ太平洋たいへいよう
しますう 198とう面積めんせき0.01km2以上いじょう[1]
主要しゅようしま 沖縄おきなわとう (1,206.98km2)[2]
奄美あまみ大島おおしま (712.35km2鹿児島かごしまけん)[2]
面積めんせき 4,647.55 km2 (1,794.43 sq mi)
国土こくど地理ちりいん、2016ねん10がつ1にち時点じてん
[3][4][ちゅう 1]
なが 1,200 km (750 mi)
九州きゅうしゅう南端なんたん - 台湾たいわんあいだ距離きょり[5]
はば 1,000 km (600 mi)
大東諸島だいとうしょとう - 八重山列島やえやまれっとうあいだ距離きょり[6]
最高さいこう標高ひょうこう 1,936 m (6352 ft)[7]
最高峰さいこうほう 宮之浦岳みやのうらだけ屋久島やくしま
所属しょぞくこく
都道府県とどうふけん 鹿児島かごしまけん南部なんぶ離島りとう)、沖縄おきなわけん全域ぜんいき
最大さいだい都市とし 那覇なは人口じんこう315,954にん[8]
人口じんこう統計とうけい
人口じんこう 1,558,120にん[9][ちゅう 1]
国勢調査こくせいちょうさ、2010ねん10がつ1にち時点じてん
人口じんこう密度みつど 335.50 /km2 (868.94 /sq mi)
面積めんせき[10]人口じんこう[9]ともに2010ねん10がつ1にち時点じてん数値すうちもと算出さんしゅつ
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南西諸島なんせいしょとう(なんせいしょとう)は、九州きゅうしゅうしま南方なんぽうから台湾たいわん北東ほくとうにかけて、やく1200キロメートルにわたり点在てんざいする島嶼とうしょぐんである[6][11][12][13][5]

きたからみなみへ、大隅おおすみ諸島しょとう吐噶喇列島れっとう奄美あまみ群島ぐんとう沖縄諸島おきなわしょとうさきとう諸島しょとう宮古列島みやこれっとう八重山列島やえやまれっとう)とつらなり、沖縄おきなわ諸島しょとうひがしはなれて大東諸島だいとうしょとう八重山列島やえやまれっとうきたはなれて尖閣諸島せんかくしょとうがある。日本にっぽん列島れっとう南西なんせいがわにあたり、ひがし南側みなみがわ西太平洋にしたいへいようフィリピンうみ西にし北側きたがわ東シナ海ひがししなかいである。日本にっぽん行政ぎょうせい区分くぶんとしては与論島よろんとうまでが鹿児島かごしまけん[14]薩南諸島しょとう)、与論島よろんとう徳之島とくのしまなどの北西ほくせいにある硫黄鳥島いおうとりしま沖縄おきなわけん最北端さいほくたんである。

名称めいしょう範囲はんい[編集へんしゅう]

沖縄おきなわとう南西諸島なんせいしょとう」という名称めいしょうは、海上保安庁かいじょうほあんちょう前身ぜんしんである日本にっぽん海軍かいぐん水路すいろ中心ちゅうしんとなって1887ねん明治めいじ20ねんごろ命名めいめいした地名ちめいとされ、翌年よくねん発行はっこうした海図かいず石垣いしがき泊地はくち 日本にっぽん南西諸島なんせいしょとう石垣いしがきとう[15]にその名称めいしょうはじめて記載きさいされている[11][16]1894ねん明治めいじ27ねん発行はっこうの『日本にっぽん水路すいろ以降いこう海図かいずから本格ほんかくてき使用しようされ[11]、また国土こくど地理ちりいん前身ぜんしんひとつである日本にっぽん陸軍りくぐん陸地りくち測量そくりょうによる1937ねん昭和しょうわ12ねん発行はっこうりくにも記載きさいされている[17]。しかし、「南西諸島なんせいしょとう」の名称めいしょう水路すいろなど限定げんていされた組織そしき使用しようされたためか、太平洋戦争たいへいようせんそう開始かいしされるまで、一般いっぱんにはわたることはかった[11]日本にっぽん降伏ごうぶく前後ぜんごするべいぐん統治とうち沖縄おきなわでも、公文書こうぶんしょのごく一部いちぶに「南西諸島なんせいしょとう」が記載きさいされているだけで、のち日本にっぽん復帰ふっきした沖縄おきなわけんでも使用しようれいはほとんど[11]

現行げんこう国土こくど地理ちりいん地方ちほう海上保安庁かいじょうほあんちょう水路すいろでは「南西諸島なんせいしょとう」が使用しようされている[18]。これは1965ねん10月25にちだい4かい地名ちめいとう統一とういつかんする連絡れんらく協議きょうぎかい」において「南西諸島なんせいしょとう」の使用しよう合意ごういがなされ[19][20]、それ以降いこう国土こくど地理ちりいんりく海上保安庁かいじょうほあんちょう海洋かいよう情報じょうほう刊行かんこう海図かいずで、正式せいしき名称めいしょうとして使用しようされている[12]

また、「地名ちめいとう統一とういつかんする連絡れんらく協議きょうぎかい」では以下いか名称めいしょう合意ごういされている。

地名ちめいとう統一とういつかんする連絡れんらく協議きょうぎかい」により合意ごういされた決定けってい地名ちめい奄美あまみ大島おおしま
国土こくど地理ちりいん地方ちほうによる区分くぶんおよび名称めいしょう[18][23]
南西諸島なんせいしょとう 薩南諸島しょとう 大隅おおすみ諸島しょとう 鹿児島かごしまけん
吐噶喇列島れっとう
奄美あまみ群島ぐんとう[21]
琉球りゅうきゅう諸島しょとう[22] 沖縄諸島おきなわしょとう 沖縄おきなわとう久米島くめじま硫黄鳥島いおうとりしまなど) 沖縄おきなわけん
慶良間列島けらまれっとう
さきとう諸島しょとう 宮古列島みやこれっとう
八重山列島やえやまれっとう
尖閣諸島せんかくしょとう
大東諸島だいとうしょとう
海上保安庁かいじょうほあんちょう水路すいろによる区分くぶんおよび名称めいしょう[18]
南西諸島なんせいしょとう
(薩南諸島しょとう)※
大隅おおすみ群島ぐんとう
吐噶喇列島れっとう
奄美あまみ群島ぐんとう[21]
琉球りゅうきゅう諸島しょとう[22]
沖縄おきなわ群島ぐんとう
さきとう諸島しょとう尖閣諸島せんかくしょとうふくむ)
大東諸島だいとうしょとう
※薩南諸島しょとうについてはだい65かい地名ちめいとう統一とういつかんする連絡れんらく協議きょうぎかい」で保留ほりゅうになっている[24]

南西諸島なんせいしょとうほか呼称こしょう[編集へんしゅう]

南西諸島なんせいしょとうにはときに、以下いか名称めいしょう使用しようされることがある。

  • 琉球りゅうきゅう列島れっとう(りゅうきゅうれっとう)
琉球りゅうきゅう海溝かいこう沖縄おきなわトラフとのあいだ形成けいせいされたはす部分ぶぶん弧状こじょうとなった島嶼とうしょぐん弧状こじょう列島れっとう)で、南西諸島なんせいしょとうのうち、東シナ海ひがししなかい大陸棚たいりくだなうえ位置いちする尖閣諸島せんかくしょとう太平洋たいへいよう深海しんかいそこじょう存在そんざいする大東諸島だいとうしょとうのぞ[6][12][13]1907ねん明治めいじ40ねん)に発行はっこうされた地質ちしつがくものわきすい鉄五郎てつごろう著書ちょしょ沖縄おきなわ視察しさつだん[25]見受みうけられる[26]上記じょうきとはべつに、琉球りゅうきゅう列島れっとう沖縄おきなわけん全域ぜんいき構成こうせいする島々しまじまで、琉球りゅうきゅう諸島しょとう同義どうぎ説明せつめいしている文献ぶんけん[27][28]もある。
南西諸島なんせいしょとうおなじく行政ぎょうせいめいであり、一般いっぱんにはあまり使用しようされていない。江戸えど時代じだい中期ちゅうき新井あらい白石はくせきあらわした『南島なんとうこころざし』をはじめ、明治めいじ時代じだいでも琉球りゅうきゅう諸島しょとう奄美あまみ群島ぐんとう以南いなん地域ちいきしていた。また沖縄おきなわにおける戦後せんごべいぐん統治とうちでも、奄美あまみ群島ぐんとう日本にっぽん復帰ふっきするまで、べいぐん奄美あまみ群島ぐんとう以南いなん琉球りゅうきゅう諸島しょとう呼称こしょうしていたとおもわれる。そして奄美あまみ返還へんかん琉球りゅうきゅう諸島しょとう範囲はんい本土ほんど復帰ふっきしていなかった沖縄おきなわけん全域ぜんいきしめすようになった[29]。しかし、「地名ちめいとう統一とういつかんする連絡れんらく協議きょうぎかい」は、大東諸島だいとうしょとう以外いがい沖縄おきなわけん全域ぜんいき範囲はんいとして合意ごういした[22]。また、琉球りゅうきゅう列島れっとうのうち沖縄おきなわけんぞくする島嶼とうしょぐん、すなわち沖縄おきなわ諸島しょとうさきとう諸島しょとう範囲はんいとし、大東だいとう尖閣諸島せんかくしょとうふくまないとする文献ぶんけん[6][12]もある。国土こくど地理ちりいん前身ぜんしんひとつである地理ちり調査ちょうさしょは、1958ねん昭和しょうわ33ねん以降いこう発行はっこうしたりく使用しようしてから、国土こくど地理ちりいん刊行かんこう地図ちずにこの名称めいしょうもちいている[17]
  • 南島なんとう(なんとう)
九州きゅうしゅう以南いなん島嶼とうしょしめ言葉ことばで、古代こだいから存在そんざいし、『日本書紀にほんしょき』に南島なんとうじん交流こうりゅうおこなったという記録きろくがある[30]南西諸島なんせいしょとう名称めいしょう使用しようされる以前いぜんの、1873ねん明治めいじ6ねん発行はっこう南島なんとう水路すいろ』でも確認かくにんできる[11]行政ぎょうせい学術がくじゅつ名称めいしょうでもないが、民俗みんぞく文化ぶんか研究けんきゅうかんする資料しりょうおおられる[30]

また、以下いかに「南西諸島なんせいしょとう」とほぼ同義どうぎで、使用しようされていない名称めいしょうげる。

  • しゅうみなみ諸島しょとう(しゅうなんしょとう)
南西諸島なんせいしょとう」という名称めいしょう誕生たんじょうする以前いぜん海軍かいぐんしょう命名めいめいし、きゅうしゅうみなみ位置いちする島嶼とうしょぐんという意味いみ名付なづけられたとおもわれる。1886ねん明治めいじ19ねん発行はっこう水路すいろられるが、1894ねん明治めいじ27ねん)の水路すいろには南西諸島なんせいしょとう改名かいめい一切いっさいもちいられていない。1885ねん明治めいじ18ねん)に大東諸島だいとうしょとう日本にっぽん編入へんにゅうしたさい九州きゅうしゅうみなみよりも多少たしょうはなれた位置いち存在そんざいするためか、この名称めいしょうはふさわしくなかったとかんがえられる[31][32]
  • 海南かいなん諸島しょとう(かいなんしょとう)
1887ねん明治めいじ20ねんごろ田代たしろ安定あんていにより命名めいめいされた。そのやく30年間ねんかんにわたって田代たしろ使用しようつづけたが、途中とちゅうからしゅうみなみ諸島しょとう同義どうぎあつかい、併用へいようしている。柳田やなぎだ國男くにお著書ちょしょ一部いちぶにこの名称めいしょう記載きさいされているが、一般いっぱんには普及ふきゅうしなかった[33][34]

地質ちしつがくてき地形ちけいがくてき区分くぶん[編集へんしゅう]

南西諸島なんせいしょとう」は公共こうきょう機関きかん決定けっていした行政ぎょうせい名称めいしょうであって、地理ちりがく地球ちきゅう科学かがくもちいられる専門せんもん用語ようごではない[6][11]

地質ちしつがくてき地形ちけいがくてき観点かんてんでは1885ねんハインリッヒ・エドムント・ナウマン地質ちしつ構造こうぞうLiukiu Bogen名称めいしょうがみられる[18]

  • 琉球りゅうきゅう(りゅうきゅうこ)
琉球りゅうきゅう列島れっとうとほぼ同義どうぎあつかわれるが、厳密げんみつには日本にっぽん列島れっとう形成けいせいするしまひとつで、九州きゅうしゅう西南せいなん日本にっぽん琉球りゅうきゅう結合けつごう部分ぶぶん位置いちする[35][36]琉球りゅうきゅうは、琉球りゅうきゅう列島れっとう九州きゅうしゅうほか台湾たいわんふく[6][37]行政ぎょうせいめい南西諸島なんせいしょとうことなり、琉球りゅうきゅう地理ちりがく地球ちきゅう科学かがく分野ぶんやでの学術がくじゅつ用語ようごである[37]1870年代ねんだいハインリッヒ・エドムント・ナウマン原田はらだ豊吉とよきち命名めいめいしたドイツ " Liukiu Bogen " をやくした言葉ことばで、南西諸島なんせいしょとう琉球りゅうきゅう列島れっとうという名称めいしょう成立せいりつする以前いぜん存在そんざいしていた[37]
  • 琉球りゅうきゅう(りゅうきゅうわん)
明治めいじ時代じだい後期こうきに、琉球りゅうきゅう同義どうぎ琉球りゅうきゅう(りゅうきゅうわん)という用語ようごあらわれたが、戦後せんごはいってからほとんど使用しようされなくなった[38]

地質ちしつがくてき地形ちけい学的がくてきには地質ちしつ構造こうぞうじょうの凹地のトカラ構造こうぞう海峡かいきょう悪石島あくせきじま宝島たからじまあいだ)とけいりょうあいだうみきれ沖縄おきなわとう宮古島みやこじまあいだ)でけ、東北とうほく琉球りゅうきゅう中部ちゅうぶ琉球りゅうきゅう西南せいなん琉球りゅうきゅうきた琉球りゅうきゅうちゅう琉球りゅうきゅうみなみ琉球りゅうきゅうなど3つの区域くいきけられるようになっている[18]

かく諸島しょとう地形ちけい概要がいよう[編集へんしゅう]

南西諸島なんせいしょとううち尖閣せんかく大東諸島だいとうしょとうのぞ琉球りゅうきゅう列島れっとう琉球りゅうきゅう海溝かいこう沖縄おきなわトラフとのあいだ位置いちする[39]。またトカラ列島れっとう悪石島あくせきじまから小宝島こだからじま沖縄おきなわとう宮古みやふるとうの2あいだ琉球りゅうきゅう列島れっとう分断ぶんだんする2ほん構造こうぞうせん存在そんざいし、前者ぜんしゃはトカラ構造こうぞう海峡かいきょう(この海峡かいきょう生物せいぶつ地理ちりきゅうきた東洋とうよう境界きょうかいひとつで、渡瀬わたせせんといわれる)、後者こうしゃけいりょうあいだうみきれ宮古みやこ凹地)とばれる[40][41]琉球りゅうきゅうはこれらの構造こうぞうせんさかいにしてきたから、きた琉球りゅうきゅう大隅おおすみ諸島しょとうなど)、ちゅう琉球りゅうきゅう奄美あまみ群島ぐんとう沖縄諸島おきなわしょとうなど)、みなみ琉球りゅうきゅう宮古みやこ八重山列島やえやまれっとう)とけられる[42][43]

大隅おおすみ諸島しょとう[編集へんしゅう]

屋久島やくしまそびえる宮之浦岳みやのうらだけ

大隅おおすみ諸島しょとう南西諸島なんせいしょとう北部ほくぶ位置いちし、屋久島やくしま種子島たねがしま口永良部島くちのえらぶじま馬毛島まげじまの4とうからるが、広義こうぎには西側にしがわ三島みしまむらぞくする島々しまじまうえ三島みしま口之くちの三島みしまともいわれる[44])もふくまれる[45]種子島たねがしま西部せいぶ屋久島やくしま東部とうぶなどにサンゴ礁さんごしょう小規模しょうきぼであるが発達はったつし、これらは南西諸島なんせいしょとう分布ぶんぷする最北端さいほくたんサンゴ礁さんごしょうかんがえられる[46]

九州きゅうしゅう地方ちほう最高峰さいこうほうである宮之浦岳みやのうらだけようする屋久島やくしまは、中新ちゅうしん四国しこくかいぼんしずみによりしょうじた花崗岩かこうがんが、隆起りゅうき侵食しんしょくけて、たかけわしい山地さんち形成けいせいしたとおもわれる。海岸かいがん付近ふきんではすうひゃくメートルをきゅう斜面しゃめんあらわれるが、島中しまなかひさしかうにつれて、斜面しゃめんゆるくなる。山頂さんちょう岩盤がんばんがむきしの状態じょうたいとなるトア地形ちけいしょうじている。これは、長年ながねん風化ふうかや、こおりこったしゅう氷河ひょうが作用さようによるものとかんがえられる。南部なんぶ東部とうぶ海岸かいがんに4だんまたは5だんおよ海岸かいがん段丘だんきゅう発達はったつしている。更新こうしん段丘だんきゅう形成けいせいされたとおもわれるが、海抜かいばつすうメートルの非常ひじょうひく場所ばしょかんしん時代じだい段丘だんきゅう見受みうけられる[47][48]

こうたかし地形ちけい屋久島やくしまたいして、種子島たねがしまていたいら台地だいちじょうしまである。種子島たねがしま海底かいていから隆起りゅうきしたしまで、全体ぜんたいてき海岸かいがん段丘だんきゅう発達はったつしている。とくしま北西ほくせい岸部きしべ幾度いくどにわたって形成けいせいされた海岸かいがん段丘だんきゅう見受みうけられるが、南東なんとうでは段丘だんきゅう地形ちけい侵食しんしょくされ、おぼだに目立めだつ。これはしま北部ほくぶおも砂岩さがん粘板岩ねんばんがんけんかたな互層からり、南部なんぶつぶてがんどろがんなどの軟弱なんじゃく地質ちしつ構成こうせいされているからである。またしま全体ぜんたいテフラばれる火砕流かさいりゅうによる堆積たいせきぶつかんしんひろがり、地上ちじょう動植物どうしょくぶつ多大ただい影響えいきょうおよばしたとられる[47][49]

口永良部島くちえらぶじまうえさんとうは、阿蘇山あそさんからみなみつらなる霧島きりしま火山かざんたいぞくする。また硫黄いおうとう竹島たけしまおにかいカルデラ外輪山がいりんざん一部いちぶし、ほとんどのカルデラ海底かいていしずんでいる。直径ちょっけいやく20kmの楕円だえんがたカルデラで水深すいしん最大さいだい500mにもたっする。過去かこだい規模きぼ火砕流かさいりゅうともな噴火ふんかすくなくとも4かい発生はっせいし、最近さいきん噴火ふんか時期じきやく7300ねんまえである。これらの火砕流かさいりゅう東側ひがしがわはなれた屋久島やくしま種子島たねがしま、さらに九州きゅうしゅう南端なんたん大隅半島おおすみはんとう薩摩半島さつまはんとうにまでおよんだ。口永良部島くちえらぶじま東部とうぶ西部せいぶに2つの火山かざんたいゆうする。とく東部とうぶ位置いちするしんたけ噴火ふんか活動かつどう活発かっぱつで、有史ゆうし時代じだいからなん噴火ふんかしている。1933ねん噴火ふんかにより東側ひがしがわ山麓さんろく存在そんざいした集落しゅうらく消滅しょうめつしている[50][51]

吐噶喇列島れっとう[編集へんしゅう]

火口かこうから噴煙ふんえんげる諏訪之瀬島すわのせじま

吐噶喇列島れっとう全域ぜんいき鹿児島かごしまけん鹿児島かごしまぐん十島としまむら帰属きぞくする島嶼とうしょぐんである[52][53]全長ぜんちょうやく320kmにおよび、琉球りゅうきゅうない火山かざんとうれつをなす[54]霧島きりしま火山かざんたいふくまれ、そのうち硫黄いおうとう竹島たけしまからトカラ列島れっとうて、沖縄おきなわけん最北端さいほくたん硫黄鳥島いおうとりしままでをトカラ火山かざんとうれつといわれる[55]。トカラ列島れっとうだいよん形成けいせいしたしん火山かざんとうれつと、だい三紀みき噴火ふんか火山かざん地形ちけい原型げんけいめていないきゅう火山かざんとうれつ大別たいべつされる[56]きゅう火山かざんとうれつしん火山かざんとうれつよりも大陸たいりくがわ位置いちする[57]

きゅう火山かざんれつ安山岩あんざんがんしつ火山かざんとう構成こうせいされるが、なかには宝島たからじま小宝島こだからじまのようにサンゴ礁さんごしょう由来ゆらい地形ちけい発達はったつしているしまもある。臥蛇島がじやしま平島ひらしましま一部いちぶかこきゅうけわしい断崖だんがいもあれば、平坦へいたんゆるやかな傾斜けいしゃめんゆうする場所ばしょ存在そんざいする。また宝島たからじま小宝島こだからじまやく2,500ねんまえ発生はっせいしただい地震じしんによる隆起りゅうき運動うんどうみとめられ、宝島たからじまやく3m、小宝島こだからじま最大さいだい8mも上昇じょうしょうしたことが判明はんめいした。霧島きりしま火山かざんたいという活発かっぱつ火山かざんたい、トカラ構造こうぞう海峡かいきょう沖縄おきなわトラフの拡大かくだいとうおおくの要因よういんげられる[57][58]

しん火山かざんれつぞくする火山かざんとう海面かいめんやく500mの海底かいていからやまたいし、海抜かいばつ979mの御岳おんたけ中之島なかのしま海底かいていからのだかやく1,500mにたっする。口之島くちのしまは2箇所かしょのカルデラが分布ぶんぷし、そのうち比較的ひかくてきあたらしく形成けいせいされたカルデラないに3つの中央ちゅうおう火口丘かこうきゅう存在そんざいする。このカルデラはしま南東なんとう位置いちし、長径ちょうけい2.5kmの楕円だえんがたゆうし、外輪山がいりんざん原型げんけいたもっている。中央ちゅうおう火口丘かこうきゅうはいずれも溶岩ようがんドームで、そのひとつのもえだけには噴気ふんき活動かつどう見受みうけられる。諏訪之瀬島すわのせじまは、霧島きりしま火山かざんたい桜島さくらじまとともに非常ひじょう活発かっぱつ火山かざん活動かつどうおこなう。過去かこ200年間ねんかんすくなくとも8かい噴火ふんかみとめられ、スコリア溶岩ようがん大量たいりょう噴出ふんしゅつしている。1813ねんごろ文化ぶんか年間ねんかん)にスコリアは集落しゅうらくあつさ50cm以上いじょう堆積たいせきし、当時とうじ住民じゅうみんしまがいへの避難ひなん余儀よぎなくされた[59]

奄美あまみ群島ぐんとう[編集へんしゅう]

奄美あまみ大島おおしまリアス式海岸りあすしきかいがん

奄美あまみ群島ぐんとう南西諸島なんせいしょとうなか北部ほくぶ位置いちし、さいきた奄美あまみ大島おおしまから南端なんたん与論島よろんとうまでのやく200kmの海上かいじょうつらなる島嶼とうしょぐんである[60][61]国土こくど地理ちりいん発行はっこうりくながらく「奄美諸島あまみしょとう」と表記ひょうきされていたが、2010ねん2がつ15にちだい72かい地名ちめいとう統一とういつかんする連絡れんらく協議きょうぎかい」において、「奄美あまみ群島ぐんとう」は決定けってい地名ちめいとして採用さいようされた[21]

奄美あまみ群島ぐんとう最大さいだい面積めんせきゆうする奄美あまみ大島おおしまは、古生代こせいだいジュラ紀じゅらきからはく亜紀あきにかけて形成けいせいされた基盤きばんがんるい露出ろしゅつしている。そのほとんどは侵食しんしょくにより急峻きゅうしゅん山地さんちがたしているが、標高ひょうこう300m付近ふきんたいらな地形ちけいゆうし、さらにしま南西なんせい山頂さんちょう標高ひょうこうやく300mから450m)には起伏きふくちいさい突起とっきじょう地形ちけい確認かくにんできる。これらはじゅん平原へいげん侵食しんしょくしょう起伏きふくめん)といわれ、南西諸島なんせいしょとう一部いちぶしまじゅん平原へいげん形成けいせいされている。しま海岸かいがんせんんだ構造こうぞうをしたリアス式海岸りあすしきかいがんで、周囲しゅうい海岸かいがんには現生げんなまサンゴ礁さんごしょうられる。しま北東ほくとう笠利かさり半島はんとう上述じょうじゅつした奄美あまみ大島おおしま主体しゅたい地形ちけいことなる。海岸かいがん段丘だんきゅうひろ分布ぶんぷし、あつやく40mの海洋かいよう堆積たいせきぶつ構成こうせいされている[62][63][64]

喜界島きかいじますうだんおよサンゴ礁さんごしょう段丘だんきゅう形成けいせいされている。しま海岸かいがんせん沿いにかんしん形成けいせいされたサンゴ礁さんごしょう段丘だんきゅうが4だん確認かくにんでき、また北西ほくせいかうにつれて、この段丘だんきゅうめん高度こうどちいさくなる。奄美あまみ群島ぐんとう東部とうぶ位置いちする喜界島きかいじま海溝かいこうがわもっとちかく、フィリピンうみプレートしずみで隆起りゅうきはげしい。実際じっさい喜界きかいとう隆起りゅうき速度そくど琉球りゅうきゅう列島れっとうない最大さいだいで、やく7せん年間ねんかんで10m以上いじょう隆起りゅうきしている。このしま発生はっせいした隆起りゅうき運動うんどうだい地震じしんによる地殻ちかく変動へんどうによるものとかんがえられる[65][66]

徳之島とくのしま火成岩かせいがんおも基盤きばんとし、しま最高峰さいこうほう井之川岳いのかわだけ標高ひょうこうは645mにたっする。それにたい沖永良部島おきのえらぶしま与論島よろんとう全体ぜんたい隆起りゅうきサンゴ礁さんごしょう段丘だんきゅう形成けいせいされ、最高さいこう標高ひょうこうやく200mと比較的ひかくてきひくく、河川かせん発達はったつしていない[60][67]

沖縄諸島おきなわしょとう[編集へんしゅう]

沖縄おきなわとう北部ほくぶそらつまみ画像がぞうちゅう南部なんぶ丘陵きゅうりょう台地だいちじょうことなり、北部ほくぶ山地さんち地形ちけい[68]

沖縄諸島おきなわしょとう南西諸島なんせいしょとう中央ちゅうおう位置いちする島嶼とうしょぐんで、南西諸島なんせいしょとう最大さいだい面積めんせきゆうする沖縄おきなわとう沖縄おきなわ本島ほんとう)をはじめ、その周辺しゅうへん離島りとう慶良間列島けらまれっとう久米くめとうなどで構成こうせいされる。行政ぎょうせいじょう区分くぶんとして、大東諸島だいとうしょとう沖縄おきなわ諸島しょとうふくまれるのが一般いっぱんてきである[69][70]

沖縄おきなわ諸島しょとうしゅしまである沖縄おきなわとう地質ちしつ構造こうぞうじょううるま石川いしかわから残波岬ざんぱみさき付近ふきんまでをむす境界きょうかい石川いしかわ地峡ちきょう)を基準きじゅん南北なんぼくことなる地形ちけい地質ちしつゆうする。本部ほんぶ半島はんとうのぞしま北部ほくぶは、はく亜紀あき形成けいせいした変成岩へんせいがん一種いっしゅせんまいがんおも構成こうせいされた名護なごそうめる。しかししま北部ほくぶから南東なんとうがわ名護なご東部とうぶから金武かなたけまち)は砂岩さがんしつ付加ふかたい嘉陽かようそうで、場所ばしょによってはおおきく褶曲しゅうきょくした地層ちそう観察かんさつできる。本部ほんぶ半島はんとう伊平屋島いへやじま伊是名島いぜなじまから南東なんとうにかけて付加ふかし、そのうち嘉陽かようそう付加ふかたい構造こうぞうをとる沖縄おきなわとう北部ほくぶ周辺しゅうへんなかもっとあたらしく形成けいせいされた基盤きばんである[71][72]

本部ほんぶ半島はんとうおも古生代こせいだいまつ結晶けっしょうしつ石灰岩せっかいがんチャートどろがんからる。カルスト地形ちけい発達はったつし、熱帯ねったい地方ちほう特有とくゆう円錐えんすいカルストポリエといわれる溶食窪地くぼち多数たすう見受みうけられる。半島はんとう中央ちゅうおう位置いちする海抜かいばつやく400mの山頂さんちょう起伏きふくゆるく、西側にしがわかうにつれ標高ひょうこうがる。本部ほんぶ半島はんとう西方せいほう海上かいじょう位置いちする伊江島いえじまは、全体ぜんたいてきだいよん形成けいせいされた石灰岩せっかいがんおおわれた平坦へいたん地形ちけいである。しかし、しまひがしりに古生代こせいだいのチャートが突出とっしゅつした城山しろやま伊江島いえじまタッチュー)がそびえ、透水とうすいせい石灰岩せっかいがん透水とうすいそうのチャートのあいだから湧水わきみずあらわれる[73][74][75]

沖縄おきなわ島中しまじゅう南部なんぶ北部ほくぶ地質ちしつことなり、サンゴ礁さんごしょう由来ゆらいにするだいよん石灰岩せっかいがん琉球りゅうきゅう石灰岩せっかいがん)と、しんだい三紀みきどろがん砂岩さがんとうめられた島尻しまじりそうぐん構成こうせいされる。山地さんちじょう北部ほくぶたいして、ちゅう南部なんぶ台地だいち低地ていちからり、河川かせん北部ほくぶ比較ひかくして発達はったつしていない。しま南部なんぶ北西ほくせい - 南東なんとう方向ほうこうはしむこう断層だんそう多数たすう存在そんざいするが、これらは琉球りゅうきゅう石灰岩せっかいがん堆積たいせきする以前いぜん形成けいせいされている。島尻しまじりそうぐんどろがんそう風化ふうか速度そくど日本にっぽん本土ほんどくらべておおきいためひろぼんじょうたに点在てんざいし、また砂岩さがんそうには水溶すいようせい天然てんねんガスふくみ、南部なんぶ一帯いったい分布ぶんぷしている。しま南東なんとう位置いちする中城湾なかぐすくわん過去かこりくかたまり陥没かんぼつし、海岸かいがん沿いにひろがる平野へいや西側にしがわ沖縄おきなわとうからひがしりの分水嶺ぶんすいれい形成けいせいされたとかんがえられる[76][77][78]

伊平屋いへや伊是名島いぜなじまはチャートと砂岩さがんから構成こうせいされ、石灰岩せっかいがん見受みうけられない[79]やまちな島々しまじまで、伊平屋島いへやじまには琉球りゅうきゅう列島れっとう最大さいだい沖積ちゅうせき平野へいやひとつがひろがる[80]慶良間列島けらまれっとう山地さんちじょう島々しまじまであるが、砂岩さがん変成岩へんせいがん緑色みどりいろ片岩かたいわせんまいがん)でる。せんまいがん慶良間列島けらまれっとう各地かくち分布ぶんぷするが、緑色みどりいろ片岩かたいわ過去かこ銅鉱どうこう産出さんしゅつした久場島くばしま屋嘉比島やかびじまられる[81]久米島くめじま北部ほくぶだいさん火山岩かざんがん構成こうせいされ、標高ひょうこう300m以上いじょうたっするが、南部なんぶ琉球りゅうきゅう石灰岩せっかいがん卓越たくえつ平地ひらちしている[82][83]久米島くめじま各地かくちには鉱山こうざんあと残存ざんそんし、かつてきむ採掘さいくつしていた[83]。また久米島くめじま東海岸ひがしかいがん奥武島おうしまには畳石たたみいしといわれる安山岩あんざんがん柱状ちゅうじょう節理せつり形成けいせいされている[84]

沖縄おきなわけん最北端さいほくたん位置いちする硫黄鳥島いおうとりしまは、本県ほんけんにおける唯一ゆいいつ活火山かっかざんしま[ちゅう 2]霧島きりしま火山かざんたい南端なんたんかんがえられる。硫黄いおうだけとグスクだけの2つの火山かざんたいゆうし、硫黄いおうだけには火口湖かこうこが、グスクだけ外輪山がいりんざん形成けいせいされている。かずまんねんまえから火山かざん活動かつどう継続けいぞくし、硫黄いおうふく噴気ふんきげている。1959ねん島民とうみん久米島くめじま避難ひなんさせて以降いこう無人島むじんとうしている[85][86]

宮古列島みやこれっとう[編集へんしゅう]

宮古島みやこじま地下ちかダム(福里ふくさとダム

宮古列島みやこれっとう宮古みやこ諸島しょとう)は、沖縄おきなわとう南西なんせいやく300kmに位置いちし、そのあいだにはけいりょうあいだうみきれ宮古みやこ凹地)とばれる水深すいしん1,000mほど窪地くぼち存在そんざいする。とう諸島しょとう地質ちしつのほとんどは琉球りゅうきゅう石灰岩せっかいがんからり、その下部かぶ砂岩さがんどろがん島尻しまじりそう基盤きばんとする。地形ちけい山地さんち平坦へいたん低地ていちで、とう諸島しょとう最高さいこう標高ひょうこう宮古島みやこじまの115mである[87][88]

ほん諸島しょとうしゅしま宮古島みやこじま台地だいちじょうしまで、北東ほくとうないしみなみ海岸かいがんにはうみがけ発達はったつするが、西海岸にしかいがん砂浜すなはまひろがる[89]北東ほくとう海岸かいがんせん沿って発達はったつした断層だんそうは、ケスタ地形ちけい形成けいせい[90]、またこの断層だんそうにより宮古島みやこじま三角形さんかっけい形状けいじょうったともわれる[87]河川かせんく、住民じゅうみん石灰岩せっかいがん島尻しまじりそう地層ちそうあいだながれる地下水ちかすいみずたよらざるをない(→宮古島みやこじま上水道じょうすいどう参照さんしょう)。1979ねん宮古島みやこじま世界せかいはつ地下ちかダム建設けんせつされ、現在げんざい複数ふくすう地下ちかダムが完成かんせいしている。しかし農地のうち散布さんぷした農薬のうやく地下ちか浸透しんとうし、それによりダムや地下水ちかすい水質すいしつ汚染おせん問題もんだいとなっている[91]宮古島みやこじまきたやく15kmの海上かいじょうはちじゅうわれるサンゴ礁さんごしょうぐん形成けいせいしている[88]

伊良部島いらぶじま多良間島たらましますべ琉球りゅうきゅう石灰岩せっかいがんおおわれ[90]伊良部島いらぶじまはカルスト地形ちけい[92]多良間島たらましま海岸かいがん段丘だんきゅう形成けいせいされている[93]

八重山列島やえやまれっとう[編集へんしゅう]

沖縄おきなわけん最高峰さいこうほう於茂登岳おもとだけ

八重山列島やえやまれっとう八重山諸島やえやましょとう)は、南西諸島なんせいしょとうさい南部なんぶ位置いちし、日本にっぽんさい西端せいたん与那国島よなぐにじま有人ゆうじんとうとしては日本にっぽん最南端さいなんたん波照間島はてるまじまゆうし、また行政ぎょうせいてきには尖閣諸島せんかくしょとうふくまれる[94]

石垣島いしがきじま地質ちしつ南北なんぼくことなり、やまがちな北部ほくぶでは古生代こせいだいまつ変成岩へんせいがんるい(トムルそう)、チャートと砂岩さがんふく合体がったい富崎とみさきそう)と火山岩かざんがん由来ゆらい野底のそこそうなどから構成こうせいされる。また沖縄おきなわけん最高峰さいこうほう於茂登岳おもとだけ標高ひょうこう526m)は花崗岩かこうがん中心ちゅうしんとした火山かざんふくごうがんり、中新ちゅうしん形成けいせいされたとおもわれる。トムルそう八重山列島やえやまれっとうもっとふる地層ちそうで、海洋かいよう堆積たいせきぶつ付加ふかたいかんがえられる。南部なんぶ宮良みやらそうといわれるはじめしん石灰岩せっかいがんおもで、ゆうあなちゅうおおふく[93][95]

西表島いりおもてじま山地さんちじょうしまで、南岸なんがん急峻きゅうしゅんがけゆうする。標高ひょうこう300m以上いじょう山頂さんちょう侵食しんしょくによりゆるやか起伏きふくていし、じゅん平原へいげん形成けいせいしている。島西しまにし海岸かいがんせん複雑ふくざつみ、リアス式海岸りあすしきかいがんしている[94]西表島いりおもてじま全体ぜんたい中新ちゅうしん形成けいせいされた砂岩さがんどろがん八重山やえやまそうぐん構成こうせいされ、北東ほくとうにトムルそう見受みうけられる。また八重山やえやまそう石炭せきたんそうふく戦前せんぜん島西しまにし炭坑たんこう開発かいはつされ、1960ねんまで石炭せきたん採掘さいくつしていた[96]県内けんない最長さいちょう河川かせんである浦内川うらうちがわ仲間川なかまがわ河口かこうには三角みすみこう(エスチュアリー)が発達はったつし、マングローブはやし群生ぐんせいしている[97][98]

琉球りゅうきゅう列島れっとうひろ分布ぶんぷする琉球りゅうきゅう石灰岩せっかいがん波照間島はてるまじま黒島くろしま与那国島よなぐにじま北部ほくぶ存在そんざいし、石垣いしがきとう西表島いりおもてじまには発達はったつしていない[99]波照間はてるまとう黒島くろしまサンゴ礁さんごしょう段丘だんきゅう形成けいせいされたしまであるが、与那国島よなぐにじま沖縄おきなわトラフにちかため断層だんそうによって発生はっせいした小規模しょうきぼかたぶけどうかたまり多数たすう存在そんざいする。石垣いしがきとう西表いりおもてとう海域かいいき石西いしにし礁湖ばれる堡礁形成けいせいされている。琉球りゅうきゅう列島れっとうではすそおお分布ぶんぷしているが、石西いしにし礁湖の水深すいしんやく10mとややふか[100]

1924ねん10月31にち西表島いりおもてじま北東ほくとう海上かいじょうから多量たりょう軽石かるいしスコリア噴出ふんしゅつした。一時いちじ八重山列島やえやまれっとう島々しまじま海岸かいがんみなとくし、いちねんけて北海道ほっかいどう礼文島れぶんとうにまで漂着ひょうちゃくした軽石かるいしもあった。火口かこう詳細しょうさい位置いち特定とくていされていないが、水深すいしん200mほどあさ海底かいてい存在そんざいしているのではないかとおもわれる。またこの火山かざん霧島きりしま火山かざんたい南西なんせい延長えんちょうたるかは不明ふめいである[101][102]

大東諸島だいとうしょとう[編集へんしゅう]

南大東島みなみだいとうじま周囲しゅうい標高ひょうこうたかく、中心ちゅうしんひくぼんじょう地形ちけいをなす。

大東諸島だいとうしょとうは、沖縄おきなわとうから東方とうほうやく400kmに位置いちする。北大東島きただいとうじま南大東島みなみだいとうじまほかに、そこからやく140kmみなみ海上かいじょう沖大東島おきだいとうじまがある[103]太平洋たいへいようじょう存在そんざいするとう諸島しょとう琉球りゅうきゅう海溝かいこう沖縄おきなわトラフにはさまれたはす形成けいせいされた琉球りゅうきゅう列島れっとうにはふくまない[104]

きた南大東みなみだいとうとう世界せかいでもるいない隆起りゅうき環礁かんしょうしまである。中央ちゅうおう標高ひょうこう10m以下いか低地ていちであるが、周囲しゅういすうじゅうメートルの高台たかだいかれ、住民じゅうみんらは「はぐ(まく)」と呼称こしょうしている。1934ねん東北大学とうほくだいがく地質ちしつ学者がくしゃ北大東島きただいとうじまおとずれ、ボーリング調査ちょうさおこなった。地上ちじょうから430mもげ、当時とうじ世界せかい最深さいしん記録きろく匹敵ひってきする深度しんどであったが、基盤きばんおもわれた火山岩かざんがんにはたっしなかった。そして1980年代ねんだい大東だいとう海嶺かいれいおこなわれたボーリングでは、はじめしん玄武岩げんぶがん到達とうたつ、その基盤きばん堆積たいせきしていた石灰岩せっかいがん形成けいせい年代ねんだいすくなくともやく4800まんねんまえ判明はんめいした。さらに基盤きばんがん残留ざんりゅう磁気じき調査ちょうさした結果けっか両島りょうしま赤道あかみち付近ふきん環礁かんしょうとして発達はったつし、フィリピンうみプレートの移動いどうにより北上ほくじょうしたとかんがえられる。またフィリピンうみプレートが琉球りゅうきゅう海溝かいこうしずさい、その手前てまえでプレートがしわのようにたわみ、がった部分ぶぶん形成けいせいされる。これは「海溝かいこう周縁しゅうえん隆起りゅうきたい」といわれ、やく400まんから600まんねんまえにその隆起りゅうきたいしまかり、沈降ちんこうから隆起りゅうきてんじたとされる[105][106][107][108]

きた南大東みなみだいとうとう日本にっぽん最南端さいなんたん湖沼こしょう密集みっしゅうで、南大東島みなみだいとうじまには南西諸島なんせいしょとう最大さいだいの「大池おおいけ」がある[109]。カルスト地形ちけい発達はったつし、ドリーネやウバーレといった窪地くぼち雨水あまみずたまり、湖沼こしょう形成けいせいされた。水面すいめん標高ひょうこうは1mと海水かいすいめんとほとんどかわりなく、水深すいしんは7m以上いじょうもある。間隙かんげきおお石灰岩せっかいがん地形ちけいのため、当初とうしょ湖沼こしょう海水かいすい浸入しんにゅうしているのではないかとおもわれた。しかししるべでんりつ計測けいそく結果けっかより、海水かいすい湖沼こしょうすい混入こんにゅうしていないとかんがえられる[110]

沖大東島おきだいとうじまきた南大東みなみだいとうとう同様どうよう隆起りゅうき環礁かんしょうからる。しかし最高さいこう標高ひょうこうは30mときた南大東みなみだいとうとうよりひくいことから、きた南大東みなみだいとうとう隆起りゅうき時期じきよりもおそ開始かいししたとかんがえられる。明治めいじ末期まっきからだい世界せかい大戦たいせんまえにかけてしま全体ぜんたい企業きぎょう私有地しゆうちで、リン鉱石こうせき採掘さいくつしていた。戦後せんごからはアメリカぐん訓練くんれんとして利用りようされ、現在げんざい無人島むじんとうである[111][112]

尖閣諸島せんかくしょとう[編集へんしゅう]

ひだりから魚釣島うおつりしま北小きたことう南小島みなみこじま

尖閣諸島せんかくしょとう八重山列島やえやまれっとうきたやく150kmの海上かいじょう位置いちし、小島こじま岩礁がんしょうぐんからる。東シナ海ひがししなかい大陸棚たいりくだな形成けいせいされた島嶼とうしょぐんであるため、大東諸島だいとうしょとう同様どうよう琉球りゅうきゅう列島れっとうぞくさない[113]

尖閣諸島せんかくしょとう大半たいはん中新ちゅうしん砂礫されきそう安山岩あんざんがんしつ地質ちしつであるが、久場島くばしまとう諸島しょとう唯一ゆいいつ火山かざんとうで、玄武岩げんぶがん構成こうせいされている。しま周囲しゅうい離水りすいサンゴ礁さんごしょう見受みうけられるが、全体ぜんたいとして険峻けんしゅん岩山いわやまかれ、ほぼ垂直すいちょくうみがけ形成けいせいしている。「尖閣せんかく」という名称めいしょうはこれらのけわしい地形ちけい由来ゆらいする[113][114]

1968ねん尖閣諸島せんかくしょとうおき海底かいてい石油せきゆ貯蔵ちょぞうそうおもわれる堆積たいせきそう面積めんせきやく20まんkm2あつやく3kmにわたって存在そんざいし、海底かいてい資源しげん豊富ほうふ埋蔵まいぞうしている可能かのうせいたかいと報告ほうこくされた[115]。その発表はっぴょうけてから、1970ねん中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく中国ちゅうごく)と中華民国ちゅうかみんこく台湾たいわん)がとう諸島しょとう領有りょうゆうけん主張しゅちょうし、意見いけん相違そういられる(→尖閣諸島せんかくしょとう問題もんだい参照さんしょう[116][117]

地震じしん津波つなみ[編集へんしゅう]

日本国にっぽんこく政府せいふ地震じしん調査ちょうさ委員いいんかいは2022ねん3がつ25にち九州きゅうしゅう南東なんとう日向灘ひゅうがなだから南西諸島なんせいしょとう一帯いったいにかけての巨大きょだい地震じしん最大さいだい想定そうていマグニチュード7きゅうから8程度ていどげた[118]歴史れきし地震じしんについての古記こきろく日本にっぽん本土ほんどくらとぼしく、300ねん程度ていどまえまでしかさかのぼれないが[119]日本にっぽん本土ほんど江戸えど時代じだい琉球りゅうきゅう王国おうこく薩摩さつまはん支配しはい時代じだい相当そうとう)、八重山やえやま地震じしん(1711ねん)の津波つなみたかさ30メートルにたっしたとしるされるほか、南西諸島なんせいしょとうにはこの地震じしんなどでげられたとつたえられる津波つなみせきがあり、古記こきろく以外いがい津波つなみ堆積たいせきぶつ研究けんきゅうすすめられている[119]

島嶼とうしょ[編集へんしゅう]

南西諸島なんせいしょとう九州きゅうしゅう南方なんぽう台湾たいわんあいだやく1,200kmに点在てんざいする[5]。そのうち、薩南諸島しょとう鹿児島かごしまけんぞくし、沖縄おきなわけん全域ぜんいき島嶼とうしょぐん琉球りゅうきゅう諸島しょとうといわれる[120]南西諸島なんせいしょとうぞくする面積めんせき0.01km2以上いじょうしま総数そうすうは198とうで、薩南諸島しょとうは38とう琉球りゅうきゅう諸島しょとうは160とうとなる[1]

南西諸島なんせいしょとうぞくする島嶼とうしょ面積めんせき上位じょうい20とう
島嶼とうしょめい 所属しょぞく群島ぐんとう 面積めんせき(km2) 島嶼とうしょめい 所属しょぞく群島ぐんとう 面積めんせき(km2)
1 沖縄おきなわとう沖縄おきなわ本島ほんとう 沖縄諸島おきなわしょとう 1,206.98 11 久米島くめじま 沖縄諸島おきなわしょとう 0059.53
2 奄美あまみ大島おおしま 奄美あまみ群島ぐんとう 0712.35 12 喜界島きかいじま 奄美あまみ群島ぐんとう 0056.76
3 屋久島やくしま 大隅おおすみ諸島しょとう 0504.29 13 口永良部島くちのえらぶじま 大隅おおすみ諸島しょとう 0035.81
4 種子島たねがしま 大隅おおすみ諸島しょとう 0444.30 14 中之島なかのしま トカラ列島れっとう 0034.42
5 西表島いりおもてじま 八重山列島やえやまれっとう 0289.61 15 南大東島みなみだいとうじま 大東諸島だいとうしょとう 0030.53
6 徳之島とくのしま 奄美あまみ群島ぐんとう 0247.85 16 伊良部島いらぶじま 宮古列島みやこれっとう 0029.06
7 石垣島いしがきじま 八重山列島やえやまれっとう 0222.25 17 与那国島よなぐにじま 八重山列島やえやまれっとう 0028.95
8 宮古島みやこじま 宮古列島みやこれっとう 0158.87 18 諏訪之瀬島すわのせじま トカラ列島れっとう 0027.61
9 沖永良部島おきのえらぶしま 奄美あまみ群島ぐんとう 0093.65 19 伊江島いえじま 沖縄諸島おきなわしょとう 0022.76
10 加計呂麻島かけろまとう 奄美あまみ群島ぐんとう 0077.25 20 伊平屋島いへやじま 沖縄諸島おきなわしょとう 0020.66
出典しゅってん:国土こくど地理ちりいん(2015ねん10がつ1にち時点じてん[2]

気候きこう[編集へんしゅう]

7がつ熱帯ねったい収束しゅうそくたい赤色あかいろ)と1がつ熱帯ねったい収束しゅうそくたい青色あおいろ)の位置いち熱帯ねったい収束しゅうそくたい南西諸島なんせいしょとう周辺しゅうへんもっと北上ほくじょうする[121]

南西諸島なんせいしょとう気候きこうは、ケッペンの気候きこう区分くぶんによると西日本にしにほんおな温暖おんだん湿潤しつじゅん気候きこう(Cfa)にぞくする[122]。しかしうみかこまれ、暖流だんりゅうである黒潮くろしお影響えいきょうおおいにけるため、那覇なは年間ねんかん平均へいきん気温きおんは23℃と1ねん半分はんぶん以上いじょう温暖おんだんで、日本にっぽんほか地域ちいき比較ひかくして冬季とうきあたたかく、四季しき変化へんか不明瞭ふめいりょうである。そのため、熱帯ねったい温帯おんたいなかあいだてき気候きこうということで、ぞくに「亜熱帯あねったい気候きこう[ちゅう 3]」と一般いっぱんてきわれている[123]

気温きおん[編集へんしゅう]

南西諸島なんせいしょとうとし較差かくさは9 - 12にち較差かくさ4 - 5℃とともに日本にっぽんもっとちいさいで、海洋かいようせい気候きこう特徴とくちょうしめしている[124]夏季かききた太平洋たいへいようではきた太平洋たいへいよう高気圧こうきあつ発生はっせいし、日本にっぽんにまでびてきたその西にしえん小笠原おがさわら高気圧こうきあつばれる[123][125]小笠原おがさわら高気圧こうきあつおおわれるなつ高温こうおん多湿たしつ気候きこうとなるが、海上かいじょう位置いちするため、最高さいこう気温きおん本州ほんしゅう比較ひかくしてさほどたかくはない(沖縄おきなわけん観測かんそく史上しじょう最高さいこう気温きおん池間島いけまじまの36.7℃、2009ねん時点じてん[126][127]さいだんがつは7がつで、本州ほんしゅうの8がつよりいちげつはやい。これは7がつごろ本州ほんしゅうにかかる梅雨つゆ前線ぜんせん南側みなみがわに、きた勢力せいりょく拡大かくだいする小笠原おがさわら高気圧こうきあつ南西なんせい諸島しょとうおおい、いちじるしい下降かこう気流きりゅうしているのではないかとかんがえられる[126][128]。また冬季とうきぎゃくユーラシア大陸たいりくシベリア高気圧こうきあつ発生はっせいし、大陸たいりくからヒマラヤ山脈ひまらやさんみゃくにより南下なんかをせきめられたつめたい季節風きせつふう南西諸島なんせいしょとうまわ[126][129]。この時期じき平均へいきん気温きおんは16℃、最低さいていでもやく10℃までがるが、沖縄おきなわけんにおける観測かんそく史上しじょう最低さいてい気温きおんは1963ねん1がつ20日はつか観測かんそくされた久米島くめじまの2.7℃(2016ねん1がつ24にち午後ごご11日本にっぽん標準時ひょうじゅんじ現在げんざい[130])で、黒潮くろしお影響えいきょう氷点下ひょうてんかまでたっしない[126][127]さい寒月かんげつ本州ほんしゅう同様どうよう1がつである[126]

降水こうすいりょう雲量うんりょう[編集へんしゅう]

沖縄おきなわけんは5がつ中旬ちゅうじゅんから6がつ下旬げじゅんまでの梅雨つゆ時期じき沖縄気象台おきなわきしょうだい[131]によると1981ねんから2010ねんにかけての梅雨入つゆいりの平年へいねんは5月9にち梅雨つゆけは6がつ23にちとされる。)と7がつから10がつにかけての台風たいふう接近せっきん降水こうすいりょうおおく、年間ねんかん降水こうすいりょうやく60%をめる[126]インドシナ半島いんどしなはんとうからのモンスーン南西諸島なんせいしょとう付近ふきん到達とうたつきたつめたい気団きだんとの接触せっしょくともな積乱雲せきらんうん発生はっせい頻度ひんどたかめ、南西諸島なんせいしょとう南方なんぽう梅雨つゆ前線ぜんせん形成けいせいはじめる[132]。さらにてい気圧きあつ発生はっせいにより、だん湿しめりゅうくわわり南西諸島なんせいしょとう大雨おおあめをもたらす[126]。しかし、南西諸島なんせいしょとう位置いちする北緯ほくい20 - 30ちゅう緯度いどだかあつたい存在そんざいし、砂漠さばくなど乾燥かんそうした地域ちいきおおい。こうあつたい位置いち勢力せいりょく時期じきによって変動へんどうするため南西諸島なんせいしょとう少雨しょううによるかんばつ渇水かっすい見舞みまわれることもある[123][133]実際じっさい沖縄おきなわけん1963ねんだいかんばつ、1981ねん7がつからやく1年間ねんかん渇水かっすいによる給水きゅうすい制限せいげん昭和しょうわ56-57ねん沖縄おきなわ渇水かっすい参照さんしょう)を経験けいけんしている[134]

南西諸島なんせいしょとうにおいて、降雪こうせつさいきた大隅おおすみ諸島しょとうまでにかぎられる[135]1977ねん2がつ17にち気象庁きしょうちょう沖縄おきなわ県内けんないはじめて降雪こうせつ久米島くめじま観測かんそくしたが[136]、これは「みぞれ」であり、ぞくにいう「ゆき」の公式こうしき記録きろくではない[137]2016ねん1がつ24にち奄美あまみ大島おおしま1901ねん2がつ12にち以来いらいゆき[138]、また久米島くめじまで2度目どめの、沖縄おきなわとうでははつのみぞれを観測かんそくした[139]

12月から梅雨つゆけの6がつ下旬げじゅんまでのぜん雲量うんりょうは70 - 80%[140]と、非常ひじょうくもりのおおつづきやすい。冬季とうきの12月ごろから、大陸たいりく乾燥かんそうした寒気さむけ水温すいおん比較的ひかくてきたか東シナ海ひがししなかい通過つうかするさいすじじょう積雲せきうん発生はっせいにより雲量うんりょうおおきくなる。2月から3がつはるにかけて、暖気だんき前線ぜんせんきたげ、東シナ海ひがししなかいではてい気圧きあつ東シナ海ひがししなかいてい気圧きあつ)がしょうじやすく、本州ほんしゅう太平洋たいへいようがわ降雪こうせつをもたらす[137][141]。また4がつ日本にっぽん全域ぜんいきではてい気圧きあつ通過つうかともない、停滞ていたい前線ぜんせん発生はっせいし「菜種梅雨なたねづゆ」とばれる長雨ながあめるが[142]南西諸島なんせいしょとうでは移動いどうせい高気圧こうきあつ通過つうかするため晴天せいてんになるもある[132][143]。5月にはいると、日本にっぽん本土ほんどはいわゆる「五月晴さつきば」がつづくが、南西諸島なんせいしょとう近海きんかいでは梅雨つゆ前線ぜんせん形成けいせいはじめる[144][145]。そして梅雨つゆけた7がつは1ねんもっと安定あんていした晴天せいてんつづき、高温こうおん乾燥かんそうはげしい少雨しょうう時期じきとなる[127][128]

台風たいふう[編集へんしゅう]

2003ねん9月宮古島みやこじまおそった台風たいふうだい14ごう衛星えいせい画像がぞう死傷ししょうしゃ97にんのぼり、また家屋かおく風力ふうりょく発電はつでんしょ施設しせつ倒壊とうかいし、被害ひがい総額そうがくは130おくえん以上いじょうたっした[146]

南西諸島なんせいしょとうは「台風たいふう銀座ぎんざ[123][147]ばれるほど台風たいふう接近せっきん通過つうか[ちゅう 4]おお地域ちいきである。気象庁きしょうちょうによると1981ねんから2010ねん期間きかんにおいて、台風たいふう年間ねんかん発生はっせいすう25.6たい本土ほんどへの年間ねんかん接近せっきんすうは5.5、トカラ列島れっとう以南いなん南西諸島なんせいしょとうは7.6とされる[148]。また台風たいふう発生はっせいすうは7がつから10がつにかけておおくなり、8月で最大さいだいとなる。それにともない、接近せっきんすうも8がつもっとおおい。しかし、最大さいだい風速ふうそくにち最低さいてい海面かいめん気圧きあつ観測かんそく上位じょうい30以内いない観測かんそく当初とうしょから1983ねんまで)の記録きろくすうは9月が最大さいだいとなる。つまり、9がつごろつよ台風たいふう南西諸島なんせいしょとう接近せっきんしやすいといえる。8がつごろ台風たいふう発生はっせい領域りょういき北限ほくげんフィリピン北方ほっぽう海上かいじょうとなるが、沖縄おきなわ付近ふきん到達とうたつする台風たいふうは、発達はったつ途中とちゅうであるのもすくなくない。9月ごろになると、台風たいふう発生はっせいいきは8がつ比較ひかくして南下なんかし、接近せっきんには最盛さいせい台風たいふう襲来しゅうらいやす傾向けいこうにある。また、台風たいふう進路しんろ西にしからひがしりの方向ほうこう転換てんかんする地点ちてん台風たいふう転向てんこうてんわれる)が存在そんざいし、8がつ本州ほんしゅう付近ふきん、9月は南下なんか南西諸島なんせいしょとう移動いどうする。台風たいふうはこの転向てんこうてん勢力せいりょく最大さいだい、かつ進行しんこう速度そくどちいさくなる場合ばあいおおいため[149]、9がつごろ沖縄おきなわ襲来しゅうらいする台風たいふうもっと勢力せいりょくおおきく保持ほじした状態じょうたいで、低速ていそく通過つうかする頻度ひんどたかくなるとかんがえられる[147]

ぶしあらわ言葉ことば[編集へんしゅう]

沖縄おきなわにはふるくからぶしうつあらわれるあめかぜ独特どくとくないいまわしで表現ひょうげんしている。たとえば、3がつごろ東シナ海ひがししなかいてい気圧きあつによりれる強風きょうふうをニングァチカジマーイ(「2月(旧暦きゅうれきふうまわり」)、梅雨つゆけの到来とうらいげるカーチーベー(夏至げし南風みなみかぜ。この時期じきみなみから強風きょうふうく。)、10月から11月のあきにはニーニシ(しん北風きたかぜ晩夏ばんかはじめの北風きたかぜ)とタカヌシーバイ(たか小便しょうべんサシバれが沖縄おきなわ越冬えっとうする時期じきで、北風きたかぜ小雨こさめりやすい。)、12月下旬げじゅん寒波かんぱはトゥンジービーサ(冬至とうじさむさ)、2がつごろ寒波かんぱはムーチービーサ(ムーチーといわれるつきももつつんだもち旧暦きゅうれき12がつ8にち新暦しんれきの1がつ下旬げじゅん - 2がつ上旬じょうじゅん)につくってしょく習慣しゅうかんがあることから[150]。)などおおくの言葉ことばしている[127][137][151][152]

主要しゅよう都市とし[編集へんしゅう]

南西諸島なんせいしょとう主要しゅよう都市とし掲載けいさいする。データは2024ねん3がつ1にち現在げんざい

那覇なは(312,099にん
沖縄おきなわ(142,023にん)・うるま(126,923にん)・浦添うらぞえ(115,702にん)・宜野湾ぎのわん(100,154にん)・宮古島みやこじま(53,079にん)・石垣いしがき(48,216にん)・奄美あまみ(39,643にん)・西之表にしのおもて(14,036にん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 鹿児島かごしまけん西之表にしのおもて奄美あまみ鹿児島かごしまぐん熊毛くまげぐん大島おおしまぐん沖縄おきなわけん全域ぜんいき合計ごうけい
  2. ^ 加藤かとう(1995ねん)p.166によると、沖縄おきなわけんぞくする火山かざんとう硫黄鳥島いおうとりしま尖閣諸島せんかくしょとう久場島くばしまの2とうで、また本県ほんけん活火山かっかざん硫黄鳥島いおうとりしまほかに、西表いりおもて海底かいてい火山かざんげられる。
  3. ^ 中村なかむら和郎かずおほか『日本にっぽん自然しぜん 地域ちいきへん 8 みなみ島々しまじま』(1996ねん)pp.1 - 6によると、海洋かいようには「亜熱帯あねったい」は存在そんざいしないとべている。夏季かき南西諸島なんせいしょとう熱帯ねったい収束しゅうそくたいはい期間きかんがある程度ていどながいからこうばれるのだろうが、大気たいき循環じゅんかんことなり海流かいりゅうぶしにより寒流かんりゅう暖流だんりゅうわることはいと説明せつめいしている。さらに大気たいき循環じゅんかんのメカニズムも熱帯ねったい熱帯ねったい以外いがいでも根本こんぽんてきちがうため、欧米おうべいでは熱帯ねったい (tropical ) と熱帯ねったいがい (extra-tropical ) と大別たいべつして気象きしょう研究けんきゅうしている機関きかんもあるという。またかわめい俊男としお 『シリーズ沖縄おきなわ自然しぜん 琉球りゅうきゅう列島れっとう地形ちけい』(1988ねん)pp.17 - 28でも、植生しょくせい分布ぶんぷちがいをもと区分くぶんしたケッペンの気候きこう区分くぶんには「亜熱帯あねったい」という用語ようごはなく、さらに気候きこう要素ようそひとつである気団きだんことなる性質せいしつもとづいたアリソフの気候きこう区分くぶんには「亜熱帯あねったい地帯ちたい」という気候きこう区分くぶんがあるが、これにぞくするのは南西諸島なんせいしょとう以外いがいにも北海道ほっかいどうのぞ日本にっぽん全土ぜんどアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大陸たいりくのほとんどの範囲はんいおよぶため、「琉球りゅうきゅう列島れっとう="亜熱帯あねったい"」とするのは相応ふさわしくないとべている。
  4. ^ 気象庁きしょうちょう 台風たいふうかんする用語ようごによると、台風たいふう接近せっきんは「台風たいふう中心ちゅうしんがその地点ちてん、またその地域ちいき地理ちりてき境界きょうかいせん海岸かいがんせん県境けんきょうなど)を中心ちゅうしんとする半径はんけい300km以内いない域内いきないはいること」をし、台風たいふう通過つうかは「台風たいふう中心ちゅうしんが、ちいさいしまちいさい半島はんとう横切よこぎって、短時間たんじかんふたた海上かいじょう場合ばあい」をいう。ちなみに、台風たいふう上陸じょうりくは「台風たいふう中心ちゅうしん北海道ほっかいどう本州ほんしゅう四国しこく九州きゅうしゅう海岸かいがんたっした場合ばあい」をし、沖縄おきなわ奄美あまみふく南西諸島なんせいしょとうかんしてはこの用語ようご使用しようされない。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

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参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]