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歴史れきし地震じしん

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出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
1755ねんリスボン地震じしんによる災禍さいかつたえる銅版どうはん (en) 挿絵さしえ同年どうねんさく
安政あんせいだい地震じしん絵図えず1855ねん発生はっせいした安政あんせい江戸えど地震じしんによる災禍さいかつたえている。
日本にっぽん岩手いわてけん宮古みやふるにあるだい津浪つなみ記念きねん1933ねん昭和しょうわ8ねん)に発生はっせいした昭和しょうわ三陸さんりく地震じしん教訓きょうくんなが後世こうせいつたえるべく同年どうねん建立こんりゅうされた災害さいがい記念きねん

歴史れきし地震じしん(れきしじしん)とは、歴史れきし時代じだい発生はっせいした地震じしんのうち、地震じしんけいはじめとする近代きんだいてき観測かんそく機器きき存在そんざいしなかった時代じだいぞくするもので[1]、なおかつ、記録きろくたしかめられるものをいう。それらは、古文書こもんじょ災害さいがい記念きねんというかたち今日きょうまでつたえられてきた。英語えいごには "historical earthquake" というかたり (cf. en) があるが、日本語にほんごの「歴史れきし地震じしん」よりやや広義こうぎかもれない。

日本語にほんご専門せんもん用語ようご)「歴史れきし地震じしん」において定義ていぎされている「歴史れきし」は、記録きろくされた人間にんげん社会しゃかい出来事できごと変遷へんせんすため、時期じきてき該当がいとうしていようとも、つたわっていながら信頼しんらいするに記録きろく見当みあたらないものや、考古学こうこがくてき地球ちきゅう科学かがくてき知見ちけん遺跡いせき発掘はっくつ地質ちしつ調査ちょうさはじめとする様々さまざま学問がくもんからられる情報じょうほう見解けんかい)によってその発生はっせい推測すいそくあるいは確認かくにんされながら歴史れきしとして検証けんしょうできないものは、歴史れきし地震じしんなされない。つまり、たしかな記録きろくのこっていることが「歴史れきし地震じしん」の定義ていぎじょう前提ぜんていである[2][* 1]

一方いっぽう先史せんし時代じだい記録きろくのこされるようになる以前いぜん時代じだい)に発生はっせいした地震じしん先史せんし地震じしんといい[2][3]地質ちしつがくてき成果せいか考古学こうこがくてき成果せいかなどがこれを証明しょうめいる。なお、日本にっぽん歴史れきしでは、中央ちゅうおう政権せいけん勢力せいりょく範囲はんいにおいて古墳こふん時代じだい以前いぜん先史せんし時代じだいとしているが、地域ちいきによって差異さいおおきく、たとえば蝦夷えぞ北海道ほっかいどう)は江戸えど時代じだい以降いこう歴史れきし時代じだいはじまる[2][* 2]日本にっぽんでは1885ねん明治めいじ18ねん)に地震じしんけいはじめとする近代きんだいてき観測かんそく体制たいせい整備せいび開始かいしされたため、歴史れきし地震じしん一般いっぱんてき1884ねん明治めいじ17ねん以前いぜん発生はっせいしたものを[4]。また、先史せんし時代じだい歴史れきし時代じだいべつく、さらには、歴史れきしてき歴史れきしがくまと検証けんしょう有無うむわず、近代きんだいてき観測かんそく機器きき登場とうじょう以前いぜん発生はっせいした地震じしんそうじて地震じしんという[2][5]

歴史れきし地震じしん調査ちょうさ研究けんきゅうは、将来しょうらい発生はっせい想定そうていされる地震じしん予測よそくなど、防災ぼうさいうえかすことのできないもので、巨大きょだい地震じしん発生はっせい再来さいらい間隔かんかくなどをろんずる地震じしんがくいち分野ぶんやであり、ある地域ちいき地震じしん災害さいがい正確せいかく評価ひょうかおこなうためには、地震じしんによって開放かいほうされるエネルギーを見積みつもる必要ひつようがあるが、計器けいき観測かんそくはじまって以来いらい地震じしんのみではデータの蓄積ちくせきとして不充分ふじゅうぶんであり、地震じしんがくたすけをりる必要ひつようせいしょうじる[6]

歴史れきし地震じしん歴史れきし研究けんきゅう一部いちぶにな考古学こうこがく知見ちけんでもあり、地震じしん考古学こうこがく分野ぶんや開拓かいたくされている[7][8]

古文書こもんじょ調査ちょうさ

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歴史れきし地震じしん研究けんきゅう古文書こもんじょ調査ちょうさからはじまる。古文書こもんじょ国家こっか歴史れきししるした正史せいしから個人こじん日記にっきなど多種たしゅ多様たようであり、誤記ごき誤植ごしょく誇張こちょう伝聞でんぶんによるものなどをふくみ、その信頼しんらいせい疑問ぎもんてんがあるものもおおく、可能かのうかぎおおくの史料しりょうあえせ、検証けんしょうする作業さぎょう要求ようきゅうされる[9][10]。また、偽書ぎしょおおいが、ある目的もくてきたいして偽書ぎしょであっても、そこにしるされた事項じこうすべいつわりであるとはかぎらず、しるされた天変地異てんぺんちい真実しんじつである可能かのうせい否定ひていできない場合ばあいもある。天変地異てんぺんちい発生はっせいした当時とうじ人々ひとびとにとっては誤魔化ごまかすことができない真実しんじつであって、これをしるすことにより偽書ぎしょ真実味しんじつみたせる行為こういもありるからである[11]

戦乱せんらんによる社会しゃかいてき混乱こんらん火災かさいによる焼失しょうしつ津波つなみによる古文書こもんじょ流失りゅうしつなど、地震じしん災害さいがい自体じたい過去かこ記録きろく喪失そうしつにつながる場合ばあいすくなくない。たとえば房総ぼうそうおきにおける慶長けいちょう津波つなみ記録きろくすくないのは、そののより甚大じんだい元禄げんろく地震じしん津波つなみうしなわれた可能かのうせいがあるとされる[12]。また、宝永ほうえい地震じしん津波つなみにより、尾鷲おわせ土佐とさ久礼くれ八幡宮はちまんぐうでも古記こきろく流失りゅうしつし、これ以前いぜん歴史れきし不明ふめいてんおお[13][14][15]

記録きろく欠落けつらく期間きかん問題もんだい

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今村いまむら明恒あきつねは、日本にっぽん地震じしん活動かつどうは、684-887ねん、1586-1707ねん、1847ねん以降いこう旺盛おうせいであり、さだかん津波つなみなどとく規模きぼ雄大ゆうだいであったものはこの時期じき発生はっせいしているとべている[16]

しかし、かく時代じだい記録きろく密度みつど均質きんしつとはえず、時代じだいによる記録きろく多寡たかかけじょうのものであり、人為じんいてき影響えいきょうである可能かのうせいもある[17]地震じしん記録きろくおおくみられる684-887ねんは、ろく国史こくし編纂へんさんされた時代じだい相当そうとうし、ろく国史こくしには天人てんにん相関そうかん思想しそう反映はんえいして天変地異てんぺんちいこのんでおお収録しゅうろくされた背景はいけいがある。887ねん以降いこう地震じしん記録きろくりょう急速きゅうそく減少げんしょうするが、記録きろく欠落けつらく期間きかんとして認識にんしきする必要ひつようがあり[10][18]室町むろまち時代じだいから江戸えど時代じだい初期しょき検地けんちかたなかりでそれ以前いぜん地方ちほう文書ぶんしょ回収かいしゅう処分しょぶんされたらしいことも影響えいきょうしている[19]

また、記録きろく地域ちいきおおきく、京都きょうと鎌倉かまくら以外いがい地方ちほう中世ちゅうせい以前いぜん記録きろく現存げんそん自体じたいまれであり、地震じしん史料しりょうしゅうとして活用かつようされている武者むしゃ史料しりょう[20]しん収史しゅうじりょう[21]などは、ただでさえ不完全ふかんぜん日本にっぽん歴史れきし記録きろく一部分いちぶぶん抜書ぬきがきしたものにぎないてん認識にんしきしておく必要ひつようがある[10]

たとえば伊勢原いせはら断層だんそう調査ちょうさ結果けっか、その活動かつどう時期じき平安へいあん時代じだいから江戸えど時代じだい初期しょきという1000ねんものはばった推定すいていであったが、その地震じしん日本にっぽんさんだい実録じつろく記録きろくされた878ねん相模さがみ武蔵むさし地震じしん対比たいひされたことがある[22]。しかし、この活動かつどう時期じきには江戸えど時代じだい以前いぜん大幅おおはば記録きろく欠落けつらく期間きかんふくまれ、記録きろくれただい地震じしんである可能かのうせい否定ひていはできない[10]

はつふるえ時刻じこく

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現代げんだいのように時計とけいたず厳密げんみつ時刻じこくもとめない時代じだいでは、はつふるえ時刻じこく地震動じしんどう継続けいぞく時間じかん記憶きおく感覚かんかくたよ部分ぶぶんおおく、江戸えど時代じだい以前いぜん日本にっぽんのような干支えと表現ひょうげんした時刻じこくでは分解能ぶんかいのうひくく、2あいだ程度ていど確定かくていせいふくむものとなる。定時ていじほうではいれ時刻じこくとその前後ぜんご薄明はくめいにより一時いちじ時間じかん定時ていじほうとはことなり、また標準時ひょうじゅんじ概念がいねん存在そんざいしなかった時代じだいゆえに、現代げんだい時刻じこく換算かんさんするには緯度いど経度けいど考慮こうりょする必要ひつようしょうじる。近世きんせい以前いぜんでは1にちさかい厳密げんみつさだめられていたわけではなく、平安へいあん時代じだいにはうしこくとらこくあいだ(3ごろ)を1にち境界きょうかいとしていた[23]

またしばしば、半時はんとき、あるいは数刻すうこくといった、現代げんだい観測かんそくからはしんじにくい、1 - 2あいだ地震動じしんどう継続けいぞくしたような表現ひょうげん記録きろくにある。これはだい地震じしんによる恐怖きょうふかん誇張こちょうてき表現ひょうげんんだとする見方みかたもあるが、2011ねん東北とうほく地方ちほう太平洋たいへいようおき地震じしんでも観測かんそくされたようにつよれがすう分間ふんかん継続けいぞくした本震ほんしん発生はっせい以降いこうすうじゅう分間ふんかんつよ余震よしん続発ぞくはつし、直後ちょくご余震よしん活動かつどうをもふくめた時間じかんあらわしているともかんがえられる[24]

こよみ日付ひづけ

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太陰暦たいいんれき太陽暦たいようれき

世界せかい基準きじゅん存在そんざいしない時代じだいゆえ、通常つうじょう古記こきろくくに地域ちいきごとにことなる個別こべつ年号ねんごうでもってしるされている。

日本にっぽん朝鮮ちょうせん中国ちゅうごく場合ばあい元号げんごう成立せいりつ以前いぜん時代じだいには、とき為政者いせいしゃ(※すくなくとも改暦かいれき改元かいげん権能けんのうしゃ)の治世ちせいなんねんかという記述きじゅつほう採用さいようされ、元号げんごう成立せいりつ以降いこう時代じだいには、その元号げんごうにおけるなんねんかという記述きじゅつほう採用さいようされている。当然とうぜん日付ひづけ当時とうじこよみである太陰暦たいいんれきいまでいう旧暦きゅうれき)でしるされている。当時とうじ太陰暦たいいんれき現在げんざいひろもちいられている太陽暦たいようれき日付ひづけ旧暦きゅうれき新暦しんれき日付ひづけ)は根本こんぽんてきちがうため、かならずズレがしょうじる。ゆえに、れき場合ばあいなど、「□○ねんがつにち西暦せいれき換算かんさん:△としつきにち)」(※□は元号げんごう、○はれき太陰暦たいいんれき〉の年月日ねんがっぴ、△は西暦せいれき太陽暦たいようれき〉の年月日ねんがっぴ)という記述きじゅつほうが、本来ほんらいかならずなされるべきである。実際じっさいには「□○ねん(△とし)○がつにち」「□○ねん(△とし)△つきにち」「□○ねん(△とし)○がつ」などという記述きじゅつほう蔓延はびこっているが、これらは「正確せいかくでない」のではなく、誤解ごかいあらたな誤記ごき原因げんいんとなるあいだちがった記述きじゅつほうである。歴史れきし地震じしん研究けんきゅうかいでは、たとえば天正てんしょう地震じしん日付ひづけを「1586ねん1がつ18にち天正てんしょうじゅうさんねんじゅういちがつじゅうきゅうにち)」のように、れきかん数字すうじもちいて区別くべつするよう推奨すいしょうしている[25]

としつき端境期はざかいきちか日付ひづけべつこよみ日付ひづけ換算かんさんすると、つきなら1〜2かげつとしでも1ねんあらたまる(ズレる)場合ばあいおおい。たとえば、慶長けいちょう地震じしん発生はっせいした日付ひづけ慶長けいちょう9ねん12月16にちであるが、西暦せいれき換算かんさんすると(慶長けいちょう9ねん11月11にちグレゴリオれきの1604ねん12月31にち相当そうとうするので)1604ねんではなくとしまたいだ1605ねんの2がつ3にちとなる。

地震じしん改元かいげん

元号げんごうのあるくにでは、見張みは瑞相ずいそう治世ちせいあやうくするほど禍々まがまがしい出来事できごとがあった場合ばあい瑞相ずいそうならあやからんがため、凶事きょうじならやりごす意図いとなどをもって、しばしば改元かいげんおこなわれた。地震じしんは、ときに瑞相ずいそう(※厳密げんみつには仏教ぶっきょうけんかぎ概念がいねん)、ときに凶事きょうじさいたるものととらえられ、改元かいげん理由りゆうになった[26]ひとつのれいとして、安政あんせい伊賀いが地震じしん伊賀上野いがうえの地震じしん)・安政あんせい東海とうかい地震じしん安政あんせい南海なんかい地震じしんよしみひさし7ねん発生はっせいしたが、やすんじるべく「安政あんせい」へ改元かいげんされたことで、現在げんざいでは改元かいげん元号げんごうかんしているが、地震じしん発生はっせい当時とうじ記録きろくしゃにとっては当然とうぜんながら「よしみひさし」のであり、「よしみながななねん」の出来事できごととして記録きろくされている[27]よしみ永年えいねんあいだ出来事できごとに「安政あんせい」をかんする整合せいごうせいについては、明治めいじ改元かいげんさいにそのとし慶応けいおう4ねん)の正月しょうがつ旧暦きゅうれき1がつ1にち)までさかのぼったうえでの改元かいげんとして処理しょりされたれいならい、ただしいと解釈かいしゃくされている。

誤記ごき

歴史れきし記録きろくには日付ひづけ誤記ごき誤写ごしゃすくなくない。たとえば、寛永かんえい4ねん10月4にち西暦せいれき換算かんさん:1627ねん11月11にち)では、『東宇和ひがしうわぐん沿革えんかく』に「地震じしんのため道後どうご温泉おんせん埋没まいぼつす」、『きゅう記録きろくしょう』に伊那いなたにで「だい地震じしん所々ところどころつぶせがあった」と記録きろくされ、さらに寛永かんえい4ねん11月23にち西暦せいれき換算かんさん:1627ねん12月30にち)には『泰平たいへい年表ねんぴょう』に「富士山ふじさん噴火ふんか江戸えど降灰こうかいよんにち、其色くろ」と記録きろくされているが、この記録きろく掲載けいさいしている『だい日本にっぽん地震じしん史料しりょう』にそれぞれ武者むしゃ金吉かねきち大森おおもり房吉ふさきちが「たからひさしよんねん宝永ほうえい4ねん、1707ねん)の誤写ごしゃなるべし」と註釈ちゅうしゃくけている[28]。このような誤記ごき歴史れきし地震じしんだけではなく、昭和しょうわ南海なんかい地震じしんさいに、地震じしん原簿げんぼへの重複じゅうふく記載きさいにより実際じっさいには発生はっせいしていない前震ぜんしん記載きさいされたれいもある[29]地震じしん学者がくしゃ資料しりょう編纂へんさんしているさいあやまりによってもしょうじている[30]

西暦せいれき表記ひょうき統一とういつ

日本にっぽんでは発生はっせい年月日ねんがっぴ西暦せいれき表記ひょうき換算かんさんグレゴリオれき一本いっぽんされてきた[23][31][11][32]一方いっぽう西洋せいよう使用しようされていたこよみ1582ねん10月4にち以前いぜんユリウスれきであった。グレゴリオれきとユリウスれきでは16世紀せいきすえごろでは最大さいだい10にち存在そんざいし、日本にっぽん歴史れきし地震じしん慣例かんれいうえグレゴリオれき表記ひょうきであったため、アメリカ海洋かいよう大気たいきちょう (NOAA) の地震じしんカタログは1582ねん以前いぜんはユリウスれき基本きほんとしているのにたいし、日本にっぽん地震じしんについてはグレゴリオれき先発せんぱつグレゴリオれき)と統一とういつされていない[33]

当時とうじ西洋せいよう社会しゃかい歴史れきしうえ実際じっさい使つかわれたこよみ換算かんさんするのがのぞましいとのかんがえから、1582ねん以前いぜんはユリウスれき表記ひょうきのぞましいとする意見いけんがある[34]一方いっぽうで、1582ねん以前いぜんはユリウスれき欧州おうしゅうなどいち地方ちほう使用しようされていたのみであり世界せかい共通きょうつうであったとはえず、太陽たいようにリファーされたグレゴリオれきほう便利べんりではないかとの意見いけんもある[35]歴史れきし地震じしん研究けんきゅうかいでは、1582ねん以前いぜん地震じしん発生はっせい日時にちじはユリウスれき表記ひょうき推奨すいしょうしている[25][36]

震度しんど分布ぶんぷ

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宝永ほうえい地震じしん震度しんど分布ぶんぷ

古文書こもんじょにある記録きろくから、その地域ちいき震度しんど推定すいてい可能かのうとなる。古文書こもんじょには「地震じしん」や「しょう地震じしん」、「だい地震じしん」といった記録きろくられ、当時とうじマグニチュード概念がいねんはなく、これは震度しんど大小だいしょうあらわすものと解釈かいしゃくされる。「しょう地震じしん」「地震じしん」「だい地震じしん」などの記録きろく登場とうじょうする頻度ひんどと、近年きんねん観測かんそく記録きろくとの比較ひかくから、それぞれの記録きろくがどの程度ていど震度しんど相当そうとうするかを見積みつもった研究けんきゅうもある[37][38]。684ねん白鳳はくほう地震じしんや1707ねん宝永ほうえい地震じしんなどのなが地震動じしんどうともな巨大きょだい地震じしんでは「未曾有みぞう」や「前代未聞ぜんだいみもん」などの記述きじゅつられる。

家屋かおく倒壊とうかいについても「ざんつぶせレ」、「はんつぶせレ」、「ことナシ」などの記録きろく宝永ほうえい地震じしんにおける『たにりょう』)、また具体ぐたいてきなんけんのうち、なんけんつぶれの記録きろくから倒壊とうかいりつもとめることが可能かのうである。当時とうじ木造もくぞう家屋かおく現代げんだい建物たてもの単純たんじゅん比較ひかくすることはできないが、類似るいじした建物たてもの被害ひがい状況じょうきょう比較ひかくすることによりその都市としにおける推定すいてい震度しんどもとめられる。また、墓石はかいしいし灯篭どうろう土塀どべい石垣いしがきなどの倒壊とうかい破損はそんじょうきょう地割じわれ、どろ噴出ふんしゅつなどの現象げんしょう、および「大地だいちどうふるえ歩行ほこうすることず。」(『鸚鵡おうむかごちゅう』)、「にわちゅう水船みずぶねすいコボル、十分之中五分斗也」(『もとひろしおおやけ』)などの記録きろく震度しんど推定すいてい材料ざいりょうとなる[39][40][41][42]

震央しんおうおよび震源しんげんいき

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推定すいてい震度しんど分布ぶんぷから、おおよその震央しんおう推定すいていされる。強震きょうしんいき分布ぶんぷ近代きんだい発生はっせいした地震じしん比較ひかくすることにより、おおよその震源しんげんいき推定すいてい可能かのうである。しかし記録きろく欠損けっそんによりただしい震央しんおう震源しんげんいき不明ふめいであるものもすくなくない。また、断層だんそう破壊はかい開始かいしてんである地震じしんがくてき震源しんげんやその地上ちじょう投影とうえいである震央しんおう地震じしんけいければさだまらない。宝永ほうえい地震じしん安政あんせい東海とうかい南海なんかい地震じしんよう震源しんげんいき広大こうだいきょだい地震じしんでは震央しんおう位置いち無意味むいみであるうえ誤解ごかいあたえることもある[43]

内陸ないりく地震じしんでは、地震じしんがくてき震央しんおうちか位置いちでははつふるえ後家ごけただちにつぶれて圧死あっしする場合ばあいおおくなるとかんがえられるため、家屋かおく倒壊とうかいりつではなく死者ししゃすう分布ぶんぷから、より地震じしんがくてき震央しんおうちかいものが推定すいていできるとの研究けんきゅうもある[44]

地震じしん記録きろくとぼしい中世ちゅうせい以前いぜん地震じしん場合ばあいたんにその地震じしん報告ほうこく発信はっしんあるいは記録きろくされた、国府こくふ寺社じしゃなどの位置いち震央しんおうとみなしただけのれいおおい。そしてあらたな史料しりょう発見はっけんされるとその推定すいてい震源しんげんいきひろがり、地震じしん規模きぼ増大ぞうだいしていくことになる。つまり史料しりょう不足ふそくのために規模きぼ過小かしょう評価ひょうかされていたり、あるいは推定すいてい誤差ごさおおきい可能かのうせいもある[10]

白鳳はくほう地震じしん古記こきろくには飛鳥あすか周辺しゅうへんおもわれる被害ひがい様相ようそうと、および土佐とさ地変ちへん漠然ばくぜん諸国しょこくだい被害ひがい発生はっせいしたとしるされているのみである。しかし、より詳細しょうさい記録きろくゆうする宝永ほうえい地震じしん安政あんせい南海なんかい地震じしん記録きろくわせることにより、ほぼ同様どうよう地殻ちかく変動へんどうしょうじているものと推定すいていされ[45]、さらに近代きんだいてき観測かんそく記録きろくゆうする1944ねんひがし南海なんかい地震じしんおよび1946ねん南海なんかい地震じしん地盤じばん変動へんどう水準すいじゅん測量そくりょう結果けっか比較ひかくすることにより、かえ発生はっせいしている南海なんかい地震じしんであると推定すいていされた[46]。さらに、東海とうかい地方ちほう遺跡いせき発掘はっくつ調査ちょうさによる液状えきじょうあと海岸かいがん地質ちしつ調査ちょうさからほぼどう時期じき東海とうかいひがし南海なんかい地震じしん連動れんどうしたと推定すいていされ、震源しんげんいきがさらにひろ可能かのうせいがある[8]

869ねんさだかん地震じしん漠然ばくぜん陸奥みちのくこくだい震動しんどう津波つなみ内陸ないりくまで遡上そじょうしたとめる記録きろくがあり、歴史れきし資料しりょう調査ちょうさあるいは、仙台平野せんだいへいやのトレンチ調査ちょうさにより、9世紀せいきころ、およびさらにいくそうかの有史ゆうし以前いぜん津波つなみ堆積たいせきぶつ内陸ないりくまでたっしていることがあきらかになっていた[47][48][49]。しかし明治めいじ三陸さんりく地震じしんよりも甚大じんだい津波つなみ発生はっせいしたことを示唆しさするもので、ここまで内陸ないりくたっする津波つなみ記録きろく近代きんだいでは存在そんざいせず、この地震じしん実体じったい不明ふめいてんおおいとされていた。産業さんぎょう技術ぎじゅつ総合そうごう研究所けんきゅうじょによる数値すうち実験じっけん解析かいせきによりM8.4の巨大きょだい地震じしん推定すいていされたが[50][51]東北とうほく地方ちほう太平洋たいへいようおき地震じしん発生はっせいはこの地震じしん全容ぜんよう解明かいめいのきっかけとなり、ほぼどういきひろ範囲はんい震源しんげんいきとする類似るいじした地震じしんであるとかんがえられるようになった<[52][53]

1099ねんかんかず地震じしんは、もともと摂津せっつ大和やまと記録きろくしか存在そんざいせず畿内きない付近ふきん震央しんおうとされていたが、土佐とさ田畑たはた沈降ちんこう記録きろく発見はっけんされ、よりひろ範囲はんい震源しんげんいきとする南海なんかい地震じしん推定すいていされることとなった[54]。しかし、その解釈かいしゃくにも疑義ぎぎとなえられ、かんかず南海なんかい地震じしん存在そんざいせず永長ながおさ地震じしん南海なんかい地震じしんふく可能かのうせいがあるなど、あらたな知見ちけんにより解釈かいしゃく変更へんこうもあり[55]

1703ねん元禄げんろく地震じしん関東かんとう南部なんぶひろ範囲はんいつよ震動しんどう沿岸えんがん強大きょうだい津波つなみをもたらしているが、房総半島ぼうそうはんとう隆起りゅうき記録きろくは1923ねん関東かんとう地震じしん類似るいじし、これにより相模さがみトラフのプレートあいだ地震じしん推定すいていされ、津波つなみ隆起りゅうき規模きぼはよりおおきいものであった[23]。この4ねん宝永ほうえい地震じしん発生はっせいするなど、過去かこにおいても巨大きょだい地震じしん時間じかんてき接近せっきんして続発ぞくはつするれいがしばしばられる。

津波つなみ規模きぼ

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下地島しもじしまおびがん八重山やえやま地震じしん津波つなみげられたとされる。

宝永ほうえい地震じしん安政あんせい地震じしんなどでは、地震じしんしばらくして強大きょうだい津波つなみ襲来しゅうらいし、その回数かいすうだいなん最大さいだいであったか、津波つなみ襲来しゅうらい継続けいぞく時間じかんなど詳細しょうさい記録きろくのこる。また、津波つなみ遡上そじょう範囲はんいとその標高ひょうこうおよび家屋かおく流失りゅうしつ範囲はんい、あるいは神社じんじゃ寺院じいん石段いしだん浸水しんすい段数だんすうなどの記録きろくにより遡上そじょうだか見積みつもることが可能かのうである[24][56]

沿岸えんがんうら々の津波つなみ遡上そじょうだか分布ぶんぷからおよその震源しんげんいき断層だんそうモデルの推定すいていおこなわれる[57][58]

宝永ほうえい地震じしんでは済州さいしゅうとう上海しゃんはい津波つなみ到達とうたつしたとおもわれる記録きろくがあり[59]安政あんせい東海とうかい地震じしん安政あんせい南海なんかい地震じしん津波つなみサンフランシスコけんしおしょ記録きろくされている[23][60]

沿岸えんがん観測かんそくされた最大さいだいたかさと被害ひがい発生はっせいした沿岸えんがんちょうもとづいて津波つなみ階級かいきゅう m (0 - 4) が提案ていあんされている[61]。これに小規模しょうきぼ被害ひがいおよぼさないが頻度ひんどたか規模きぼとして「-1」をくわえ、エネルギーと関連付かんれんづけた「今村いまむら飯田いいだ津波つなみ規模きぼ階級かいきゅう」も提唱ていしょうされた[62]最大さいだいm = 4 とされているものは869ねんさだかん地震じしん、1611ねん慶長けいちょう三陸さんりく地震じしん、1707ねん宝永ほうえい地震じしん、1771ねん八重山やえやま地震じしん、1896ねん明治めいじ三陸さんりく地震じしん[63]、2011ねん東北とうほく地方ちほう太平洋たいへいようおき地震じしん[32]、1700ねんカスケード地震じしん、1730ねんチリ地震じしん、1868ねんアリカ地震じしん、1877ねんイキケ地震じしん、1946ねんアリューシャン地震じしん、1960ねんチリ地震じしん、1964ねんアラスカ地震じしん[64]などである。

マグニチュード

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地震じしんがく研究けんきゅう必要ひつようじょう、あるいは将来しょうらい地震じしん発生はっせい予測よそくするじょう過去かこ発生はっせいした地震じしん規模きぼることはかせないものである。しかし地震じしんけいによる観測かんそく記録きろくゆうしない歴史れきし地震じしんのマグニチュードは古文書こもんじょ記録きろく発掘はっくつ調査ちょうさ地質ちしつ調査ちょうさによる限定げんていてき情報じょうほうから推定すいていするよりい。

1935ねんチャールズ・リヒターにより、ウッド・アンダーソンしき地震じしんけい観測かんそくされた最大さいだい振幅しんぷくもとづく地震じしん規模きぼであるリヒター・スケール(ローカル・マグニチュード)ML考案こうあんされた[65]。これ以降いこう表面ひょうめんマグニチュード Ms [66]実体じったいマグニチュード mb [66]などが登場とうじょうした。

1943ねんかわすみひろ震央しんおうからの距離きょり 100km における平均へいきん震度しんどMK と定義ていぎし、歴史れきし地震じしんにおいても古文書こもんじょ被害ひがい記録きろくから震度しんど推定すいていされ、規模きぼあらわすことが可能かのうであるとした。また MK とリヒタースケールのあいだには以下いか関係かんけいがあるとされた[67]

I = 2 M - 4.605 log ⊿ - 0.00166 ⊿ - 0.32 ( I : 気象庁きしょうちょう震度しんど階級かいきゅう, ⊿ : 震央しんおう距離きょり[km] )

この推定すいていされたかわかくマグニチュードは日本にっぽん地震じしんにおいて最大さいだいのものでさだかん地震じしん仁和にわ地震じしんおよびあかりおう地震じしんM8.6であった。これらの地震じしんMK = 7.5とされている。一方いっぽうで、宝永ほうえい地震じしん安政あんせい東海とうかい南海なんかい地震じしんなどではMK = 7. と小数点しょうすうてん以下いか不定ふていとされ、MK = 7を換算かんさんしてM8.4とされていたが、いずれもこれらのMKの根拠こんきょしめされていない。かわすみひろはさらに過去かこ地震じしん記録きろくから日本にっぽん各地かくち地震じしん地域ちいき係数けいすうさだめた日本にっぽんはつ地震じしんハザードマップであるかわかくマップを作成さくせいした[67][68]

そのほかに震度しんど4, 5, 6の範囲はんい面積めんせきとマグニチュードの関係かんけいしき提唱ていしょうされている[69]

(S5 : 震度しんど5以上いじょう範囲はんい[km2])
(S6 : 震度しんど6以上いじょう範囲はんい[km2])

メルカリ震度しんど階級かいきゅうでは以下いかしき提唱ていしょうされている[70]

( I : メルカリ震度しんど階級かいきゅう, r : 震央しんおう距離きょり[km] )

宇佐美うさみ(1970)はこのかわかく規模きぼ気象庁きしょうちょうマグニチュード関係かんけい検討けんとうしたが、日本にっぽん歴史れきし地震じしんのマグニチュードは最大さいだいでも8.4 - 8.5程度ていどとされた。この当時とうじ後述こうじゅつのモーメント・マグニチュードという概念がいねん存在そんざいせず、世界せかい観測かんそく史上しじょう最大さいだいきゅうの1960ねんチリ地震じしんM8.5とされていた[71]

1977ねん金森かなもり博雄ひろお地震じしんモーメント M0地震じしんのエネルギーと密接みっせつ関係かんけいがあることを見出みいだ[72]地震じしん断層だんそう規模きぼから誘導ゆうどうされるモーメント・マグニチュード Mw が考案こうあんされ、M8をえても数値すうち飽和ほうわ巨大きょだい地震じしん規模きぼをより適切てきせつあらわすものとして今日きょうではひろもちいられる。しかしモーメント・マグニチュードを正確せいかくもとめるためには地球ちきゅう規模きぼ観測かんそくもう必要ひつようとし、断層だんそうおおきさなど震源しんげんパラメーターを決定けっていするためには膨大ぼうだい計算けいさん必要ひつようとする。機器きき観測かんそく記録きろく存在そんざいしない歴史れきし地震じしんでは、古記こきろくから推定すいていされる震度しんど分布ぶんぷ津波つなみたかさを、ほぼおな震源しんげんいき推定すいていされる近代きんだい発生はっせいした地震じしん観測かんそく記録きろくもとづく断層だんそうパラメータから類推るいすいして、数値すうち実験じっけんかえ最適さいてきされた断層だんそうモデルが仮定かていされてモーメント・マグニチュードが推定すいていされる[73]。しかし、情報じょうほうりょうとぼしく断層だんそうモデルを位置いちすこえるなどパラメーターを多少たしょう変化へんかさせるだけでもマグニチュードはおおきく変化へんかし、近似きんじ程度ていどわる精度せいどひく[74]

1700ねんカスケード地震じしん当時とうじ北米ほくべい大陸たいりくにおける地震じしん記録きろく現存げんそんしていないが、『田辺たなべまちだいちょう』、『大槌おおつち記録きろくしょう』など日本にっぽん各地かくちにおける遠地おんち津波つなみ記録きろく存在そんざい[28]地震じしん発生はっせいしたおよその日時にちじやマグニチュード Mw 8.7 - 9.2 が推定すいていされている[75]。そのチリペルーにおける地震じしん津波つなみ日本にっぽん襲来しゅうらいした記録きろくがあり、その規模きぼからこれらのおおよそのマグニチュードの推定すいてい可能かのうである。

地震じしん記録きろく

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中東ちゅうとう

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中東ちゅうとうには紀元前きげんぜん20世紀せいき以前いぜんから地震じしん記録きろくがある。紀元前きげんぜん2150ねんころヨルダンカラク付近ふきん地震じしん旧約きゅうやく聖書せいしょにあるソドムとゴモラ滅亡めつぼうとの関連かんれんとなえられている[76]。このほかにも聖書せいしょにはシリア付近ふきんかんがえられる地震じしん記述きじゅつがあり、たとえばサムエルうえ14・15およびマタイ27・51、28・2などがげられる。

紀元前きげんぜん2000ねんころには、シリア、およびトルクメニスタンでそれぞれ地震じしん発生はっせいしたとされる[77]

中国ちゅうごく

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中国ちゅうごくふる記録きろくゆうするくにひとつであり、なつあさ紀元前きげんぜん1831ねん泰山たいざん付近ふきん発生はっせいしたとされる泰山たいざん地震じしんは『たけしょ紀年きねん』に記録きろくされ、中国ちゅうごく確認かくにんされる記録きろくとしては最古さいこのものである[78][79]NOAA地震じしん年表ねんぴょう登録とうろくされているものとしては紀元前きげんぜん193ねんおよび紀元前きげんぜん186ねん甘粛かんせいしょうにおける地震じしん記録きろくがある[77]

138ねん甘粛かんせいしょう発生はっせいした隴西地震じしんは700kmはなれた洛陽らくよう設置せっちされたちょう製作せいさくによるどう感知かんちし、これは最古さいこ地震じしんけいひとつとされる[80]

中国ちゅうごくでは内陸ないりく巨大きょだい地震じしん記録きろくおお存在そんざいし、直下ちょっかがた巨大きょだい地震じしん様相ようそうていし、1556ねんはなけん地震じしんなどすうじゅうまんにん死者ししゃすような甚大じんだい被害ひがいともなうものがしばしばられる。史上しじょう最大さいだい規模きぼとされる地震じしんは1668ねん山東さんとうしょう発生はっせいした郯城地震じしんとされている。

ヨーロッパ

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ヨーロッパ最古さいこ記録きろくつのは古代こだいギリシアであり、紀元前きげんぜん1410ねんごろ紀元前きげんぜん1450ねんころとも)、紀元前きげんぜん550ねんころ紀元前きげんぜん479ねん紀元前きげんぜん432ねん古代こだいローマ)、紀元前きげんぜん426ねん紀元前きげんぜん373ねん紀元前きげんぜん330ねん紀元前きげんぜん282ねん紀元前きげんぜん227ねん、および紀元前きげんぜん223ねんなどに地震じしん記録きろくがある[77]

紀元前きげんぜん17世紀せいきないし紀元前きげんぜん1450ねんごろサントリーニとう噴火ふんか地震じしんゲ海げかい甚大じんだい津波つなみをもたらし、クレタとうフェストス宮殿きゅうでん崩壊ほうかいしたとされる。

1755ねんポルトガルおき発生はっせいしたリスボン地震じしんは、西にしヨーロッパきたアフリカのひろ範囲はんい強震きょうしんをもたらし、だい津波つなみ発生はっせい比較的ひかくてきまれ大西おおにしひろし全体ぜんたい津波つなみ波及はきゅうした[63]。この地震じしんによる経済けいざいなど社会しゃかいてき影響えいきょう多大ただいなもので、これを地震じしんがく発足ほっそくした。

朝鮮半島ちょうせんはんとう

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朝鮮半島ちょうせんはんとう地震じしん発生はっせい比較的ひかくてきすくなく津波つなみ記録きろくもほとんどないとわれるが、実際じっさいにはふるくからの地震じしん記録きろく存在そんざいし、最古さいこのものとしては『さん国史こくし』に2ねん発生はっせいした地震じしん記述きじゅつられる。以下いか被害ひがい記録きろくがあるものとして27ねん、34ねん、37ねん、89ねんなどと、京畿けいきどう広州こうしゅうにおけるだい地震じしん家屋かおく倒壊とうかいおよび液状えきじょう記録きろくがある[28]。『さん国史こくし』や『高麗こうらい』『朝鮮ちょうせん王朝おうちょう実録じつろく』にしるされた被害ひがい内容ないようなどからマグニチュード6.0以上いじょう推定すいていされるものもあって[81]、16世紀せいきから17世紀せいきにかけて比較的ひかくてきおおくの地震じしん発生はっせいしている。史上しじょう最大さいだい規模きぼとされる地震じしんは1681ねん6がつ28にち江原えばらみちじょうぐんさんのぼる地震じしんじょう地震じしん)とされ、推定すいていされるマグニチュードは7.0〜7.5でうみふるえ津波つなみられる記述きじゅつもあるという[81]

日本にっぽん

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浅川あさがわ観音堂かんのんどう宝永ほうえい津波つなみ犠牲ぎせいしゃ供養くようするために建立こんりゅうされた観音堂かんのんどう徳島とくしまけん海陽かいようまち浅川あさがわ

日本にっぽんもっと詳細しょうさい記録きろく現存げんそんしているくにである。1892ねん明治めいじ25ねん)に地震じしん契機けいきとして震災しんさい予防よぼう調査ちょうさかい組織そしきされ1893ねんから関谷せきやきよしけいらにより調査ちょうさ研究けんきゅう開始かいしされた[82]、これらの調査ちょうさ結果けっかは1904ねん震災しんさい予防よぼう調査ちょうさかいにより集大成しゅうたいせいとして『だい日本にっぽん地震じしん史料しりょう』が刊行かんこうされ[31]、その地震じしん史料しりょう収集しゅうしゅう研究けんきゅう継続けいぞくされ、武者むしゃ金吉かねきちらにより『ぞうていだい日本にっぽん地震じしん史料しりょう』(1941)や宇佐美うさみ龍夫たつおらによる『あたらしおさむ 日本にっぽん地震じしん史料しりょう』などが作成さくせいされた[28][83][84][85]。また、津波つなみかんする歴史れきし資料しりょうは『日本にっぽん被害ひがい津波つなみ総覧そうらん』(渡邉わたなべ偉夫ひでお,1985,1998)がある[10]

日本書紀にほんしょき』の允恭天皇いんぎょうてんのう5ねんじょう(416ねん換算かんさんされるがはっきりしない)にはじめて地震じしん記録きろく登場とうじょうする(まこときょう地震じしん)。599ねんには、地震じしん被害ひがいについての記録きろくはじめてあらわれる(推古地震じしん)。679ねん筑紫つくし地震じしんは、筑紫つくし震源しんげんいき判明はんめいするはつ記録きろくである。684ねん白鳳はくほう地震じしん日本にっぽん最古さいこ巨大きょだい地震じしん津波つなみ記録きろくである。この白鳳はくほう地震じしん嚆矢こうしとする南海なんかいトラフ沿いの巨大きょだい地震じしん推定すいていされる一連いちれん地震じしんはプレートあいだ地震じしんかえしの記録きろくとしては世界せかい最長さいちょうのものとされる。しかし、飛鳥あすか時代ときよには大和やまと筑紫つくしなど西日本にしにほんおもわれる記録きろくしかなく、断片だんぺんてき限定げんていてきなものである。当時とうじ交通こうつう事情じじょうくわえ、関東かんとうは、朝廷ちょうていにとって辺境へんきょうともえる土地とちであり、さらにとおくの東北とうほく地方ちほうは「まつろわぬ」蝦夷えぞちからつよく、いま朝廷ちょうてい支配しはい完全かんぜんにはおよんでいなかったためとおもわれる。

日本にっぽんさんだい実録じつろく』では869ねんさだかん地震じしんなど、陸奥みちのく地震じしん登場とうじょうするが、地震じしん活動かつどう活発かっぱつ東北とうほく地方ちほうたしかなきょだい地震じしん記録きろくはこれ以降いこう1611ねん慶長けいちょう三陸さんりく地震じしんまで確認かくにんされておらず記録きろく空白くうはくいきとなっており、わずかにとおる徳地とくじしんなど会津あいづ地震じしん記録きろくられるのみである。

南海なんかいトラフ沿いや東北とうほく地方ちほう太平洋たいへいようおきように、あきらおう地震じしん宝永ほうえい地震じしんおよび慶長けいちょう三陸さんりく地震じしん津波つなみなどで従前じゅうぜん記録きろくうしなわれたとかんがえられる場所ばしょにおいては[48]、これ以前いぜん現地げんちしるされた現存げんそん記録きろくきわめてすくないが、しるされた『日本書紀にほんしょき』や『日本にっぽんさんだい実録じつろく』にはふる巨大きょだい地震じしん記録きろくがあり、当時とうじ律令制りつりょうせい稼働かどうはじめ、国司こくしらによって地方ちほう地震じしん被害ひがい報告ほうこくされていたものとかんがえられている[17]

これらろく国史こくし時代じだい以降いこう正史せいし途絶とだえ、鎌倉かまくら時代ときよには『吾妻あづまきょう』などに地震じしん記録きろく登場とうじょうするが、京都きょうと鎌倉かまくらなどいち都市としにおける限定げんていてき記録きろくのみとなり震源しんげんいき推定すいてい困難こんなんなものがおおい。室町むろまち時代ときよには『太平たいへい』などに地震じしん記録きろく登場とうじょうするが[86]正平しょうへい地震じしん津波つなみの「にわか太山たいざんの如なるしおみなぎて」など軍記物語ぐんきものがたりゆえに文学ぶんがくてき誇張こちょうてき表現ひょうげんられる。

江戸えど時代じだい以降いこう町人ちょうにんらの記録きろく見受みうけられるようになり全国ぜんこく各地かくち豊富ほうふ被害ひがい記録きろくのこされている。しかし、依然いぜん巨大きょだい地震じしんかずおおいとかんがえられる北海道ほっかいどうにおける記録きろくとぼしい。これは、先住民せんじゅうみんアイヌ文字もじたなかったため、記録きろく口伝くでんたよるほかなかったことによる。また、文字もじっていた和人わじん江戸えど時代じだい北海道ほっかいどう僻地へきちまではんでおらず、アイヌと和人わじん両者りょうしゃ敵対てきたいてき関係かんけいであった時代じだいながかったため、情報じょうほう和人わじんもとあつまらなかったことも影響えいきょうしているとおもわれる。この時代じだいには、慰霊いれいのため、地震じしん被害ひがいしゃ供養くようした寺社じしゃなどの施設しせつがいくつもてられ、いまのこっているものもすくなくない。

明治維新めいじいしんのち、1880ねん明治めいじ13ねん)4がつに、世界せかいではじめて、地震じしんがく専門せんもんとする学会がっかい日本にっぽん地震じしん学会がっかい」が設立せつりつされる。以後いご日本にっぽん発生はっせいした地震じしん数々かずかず記録きろくと、西洋せいようしき学問がくもんわさり、日本にっぽん地震じしん研究けんきゅう発展はってんしていくこととなる。

データベース

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古文書こもんじょ調査ちょうさした結果けっか武者むしゃ金吉かねきちぞうていだい日本にっぽん地震じしん史料しりょうぜん3かん(1941 - 43ねん)・『日本にっぽん地震じしん史料しりょう』(1951ねん[* 3]宇佐美うさみ龍夫たつお日本にっぽん被害ひがい地震じしん総覧そうらん[* 4][87]などとしてまとめられているが、史料しりょう吟味ぎんみ方法ほうほう推論すいろん過程かてい詳細しょうさい不明ふめいなためはら史料しりょうさかのぼってさらなる調査ちょうさ推論すいろんには使つかえないと指摘してき[10]研究けんきゅうようデータベースの不在ふざい指摘してきされていた[88][89]。これらの問題もんだい解決かいけつするため2000年代ねんだいから「歴史れきし地震じしん史料しりょうしゅう電子でんしデータベース」の作成さくせいすすめられている[90]

史料しりょう信憑しんぴょうせい
日本にっぽん歴史れきし地震じしん史料しりょう全文ぜんぶんをまとめた「歴史れきし地震じしん史料しりょうしゅう電子でんしデータベース」(古代こだい中世ちゅうせい地震じしん噴火ふんか史料しりょうデータ)[90]では信憑しんぴょうせいを、5段階だんかい評価ひょうかしている[91]
  • 5段階だんかい評価ひょうか
    • 等級とうきゅうA:基本きほん史料しりょうどう時代じだい史料しりょう
    • 等級とうきゅうB:参考さんこう史料しりょうしゅとして近世きんせいまでに成立せいりつした史料しりょう
    • 等級とうきゅうC:しゅとして明治めいじ以降いこうかれた文献ぶんけん
    • 等級とうきゅうD:史料しりょうとしては使つかえず削除さくじょすべきもの
    • 等級とうきゅうE:保留ほりゅう史料しりょう信頼しんらいせいがまだ確認かくにんできていない史料しりょう

南米なんべい

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南北なんぼくアメリカ大陸あめりかたいりく先住民せんじゅうみんのほとんどは、文字もじ文化ぶんかっておらず、そのためふるくの地震じしん記録きろくとぼしい。南米なんべいペルーチリ地震じしん記録きろくあらわれるのは15世紀せいき以降いこうである。マヤ文字もじかれた、さらにふる記録きろくがあったのかもしれないが、スペインじんはじめとする侵略しんりゃくしゃのヨーロッパじんによって破壊はかいされた可能かのうせいがある。ヨーロッパじんたちはアメリカ大陸あめりかたいりく植民しょくみんにおいて、現地げんち文化ぶんか文物ぶんぶつ徹底的てっていてき破壊はかいしたほか先住民せんじゅうみんたいしても過酷かこく大量たいりょう虐殺ぎゃくさつ実行じっこうして記録きろくつたえるもの皆殺みなごろしにしていった。以降いこう征服せいふくしゃのヨーロッパじんたちによる、西洋せいよう科学かがくもとづく詳細しょうさい記録きろくつたえられていくこととなる。

1960ねんのチリ地震じしん代表だいひょうされるようにペルー・チリ海溝かいこうしずたいは、みなみアメリカプレートとの境界きょうかいナスカプレートていかくしずみ、プレートあいだつよ固着こちゃくによりアスペリティ形成けいせいしていると推定すいていされ、プレートあいだ地震じしん推定すいていされる巨大きょだい地震じしん記録きろくがしばしばられる。これらの地震じしん津波つなみ太平洋たいへいよう全体ぜんたい波及はきゅうしたものと推定すいていされ、日本にっぽんにおける遠地おんち津波つなみ記録きろく存在そんざいする。

ペルー地震じしんは1471ねん巨大きょだい地震じしん最古さいこ記録きろくあらわれ、チリ地震じしんは1520ねんから記録きろく登場とうじょうするようになり、両国りょうこくともこれ以降いこう巨大きょだい地震じしん記録きろく頻繁ひんぱんあらわれている。年月日ねんがっぴまで判明はんめいしている地震じしんとしての最古さいこは1555ねんのペルー地震じしん。1960ねん日本にっぽんにおけるチリ地震じしん津波つなみ被害ひがい同様どうよう、1730ねんのチリの地震じしん津波つなみ陸前りくぜん到達とうたつし、田畑たはたそんじた記録きろくが『ひがしはん稿こう』にある[28]

観測かんそく史上しじょう最大さいだいきゅうの1960ねんチリ地震じしんおな地域ちいき発生はっせいした1575ねんバルディビア地震じしんは、古記こきろくおよび地質ちしつ調査ちょうさから、1960ねんとほぼどう規模きぼ一部いちぶ研究けんきゅうしゃによってはそれ以上いじょうである可能かのうせい指摘してきされ、さらにどう地域ちいきでは平均へいきんしてやく300ねんごと津波つなみ堆積たいせきぶつなどの痕跡こんせきのこすようなだい規模きぼ地震じしんかえされていることがしめされた[92]。これ以外いがいにも津波つなみ堆積たいせきぶつなどの地質ちしつ調査ちょうさから、カスケード、スマトラおき南海なんかいトラフ千島ちしま海溝かいこう日本にっぽん海溝かいこう沿いなど世界せかい各地かくちのプレート境界きょうかいしずたいにおいて、300 - 600ねん程度ていど周期しゅうきとくだい規模きぼ地震じしんかえされていることがあきらかにりつつある。

伝承でんしょうおよび口碑こうひ

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土佐とさ各地かくち白鳳はくほう地震じしんかんする口碑こうひつたわり、東北とうほく地方ちほう太平洋たいへいようがわ各地かくちさだかん地震じしん津波つなみおもわれる伝承でんしょう存在そんざいする[93]。しかし、白鳳はくほう地震じしんかんする口碑こうひ後世こうせいしるされたものもあり、土佐湾とさわん陥没かんぼつなど信頼しんらいせいうたがいのあるものもある[94]

地震じしん文献ぶんけん記録きろくくても北米ほくべい大陸たいりくにはインディアンあいだに、カスケード地震じしん津波つなみられる洪水こうずいのいいつたえが存在そんざい[95]北海道ほっかいどうにはアイヌあいだ津波つなみかんする伝承でんしょう存在そんざいする[96]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 出典しゅってん定義ていぎするところでは「史料しりょうのこっていることが前提ぜんてい」ということであるが、定義ていぎじょう史料しりょう」には記録きろくだけでなく遺物いぶつ遺跡いせき口頭こうとう伝承でんしょうなどもふくまれ、「記録きろく」とは意味いみおおきくことなる。したがって、ほんこうでは狭義きょうぎで「たしかな記録きろくのこっていることが前提ぜんてい」とした。このように、ほんこうでは「記録きろく」と「史料しりょう」を明確めいかくける。
  2. ^ 出典しゅってん歴史れきし地震じしん範疇はんちゅう奈良なら時代じだい以降いこうとしているが、奈良なら時代じだいまえ飛鳥あすか時代ときよ先史せんし時代じだいなすことには無理むりがあるため、調整ちょうせいした。
  3. ^ 日本にっぽん地震じしん史料しりょう』は、本来ほんらいぞうていだい日本にっぽん地震じしん史料しりょうだい4かんとして刊行かんこうされるはずであったが、戦局せんきょく悪化あっかなどのために公刊こうかんおくれていたものである。『日本にっぽん地震じしん史料しりょう所収しょしゅう日本にっぽん地震じしん史料しりょう完成かんせいさいして」参照さんしょう
  4. ^ 初版しょはんは『資料しりょう日本にっぽん被害ひがい地震じしん総覧そうらん』(1975ねん)。以後いご、『新編しんぺん日本にっぽん被害ひがい地震じしん総覧そうらん』(1987ねん)、『新編しんぺん日本にっぽん被害ひがい地震じしん総覧そうらん増補ぞうほ改訂かいていばん] 416-1995』(1996ねん)、どう・CD-ROMばん(1997ねん)、『最新さいしんばん 日本にっぽん被害ひがい地震じしん総覧そうらん [416]-2001』(2003ねん)、『日本にっぽん被害ひがい地震じしん総覧そうらん 599-2012』(2013ねん)とたびたび改版かいはんかさねている。

出典しゅってん

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  2. ^ a b c d 杉村すぎむら政徳まさのり,「歴史れきし地震じしん -宝永ほうえい地震じしん中心ちゅうしんに- (PDF) 」(2011ねん6がつ1にち時点じてんアーカイブ
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参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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