東京大学 地震 研究所
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Earthquake Research Institute, University of Tokyo | |
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〒113-0032 ( | |
50.23 | |
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1925 | |
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概要
[所在地
[東京大学 弥生 キャンパス(農学部 構内 )
沿革
[- 1925
年 (大正 14年 )11月13日 :「地震 ノ學理 及震災 豫防 ニ関 スル事項 ノ研究 」を目的 に勅 令 第 三 百 十 一 號 に基 づき設立 [2][5]。所長 は東京 帝国 大学 教授 より補任 、所員 は東京 帝国 大学 教授 および助教授 その他 関係 各 庁 高等官 の中 より補任 、助手 5人 、書記 1人 。所在地 は本郷 キャンパス内 で、仮 事務所 を東京 帝国 大学 工学部 船舶 工学 教室 附属 バラックに設置 。同年 12月 9日 より事務 を開始 。 - 1926
年 (大正 15年 )5月 12日 :大正 15年 勅 令 117号 により助手 10人 (+5)、書記 2人 (+1) に増員 。庶務 課 、会計 課 設置 。 - 1927
年 (昭和 2年 ) - 1928
年 (昭和 3年 ) - 1931
年 (昭和 6年 )7月 21日 :昭和 6年 勅 令 191号 により技師 2人 、技手 2人 を新設 。書記 3人 (+1) に増員 。 - 1932
年 (昭和 7年 ) - 1934
年 (昭和 9年 )5月 31日 :浅間山 南 麓 の長野 県 軽井沢 町 に浅間 支所 を設置 。 - 1939
年 (昭和 14年 )10月 24日 :昭和 14年 勅 令 729号 により助手 11人 (−1) に減員 。 - 1941
年 (昭和 16年 ) - 1942
年 (昭和 17年 )11月 20日 :昭和 17年 勅 令 807号 により書記 2人 (-1)に減員 。 - 1943
年 (昭和 18年 )- 1
月 20日 :昭和 18年 勅 令 34号 により、爆 震 爆風 に関 する事項 の研究 を掌 ることが設置 目的 に加 えられた。教授 8人 (+1)、助教授 5人 (+1)、助手 11人 (+1)、技手 3人 (+1) に増員 。技師 1人 (−1) に減員 。 - 7
月 27日 昭和 18年 勅 令 614号 により助手 12人 (+1)、技手 4人 (+1) に増員 。
- 1
- 1944
年 (昭和 19年 )8月 22日 :昭和 19年 勅 令 515号 により、地震 探鉱 法 に関 する事項 の研究 を掌 ることが設置 目的 に加 えられた。教授 10人 (+2)、助教授 7人 (+2)、助手 16人 (+4) に増員 。 - 1945
年 (昭和 20年 )5月 :駒場 支所 が戦災 で焼失 。 - 1947
年 (昭和 22年 ):神奈川 県 三崎 町 に油 壺 地殻 変動 観測 所 を設置 。 - 1949
年 (昭和 24年 )9月 1日 :愛媛 県 松山 市 に松山 地殻 変動 観測 所 設置 。 - 1952
年 (昭和 27年 )10月 1日 :新潟 県 に間瀬 地殻 変動 観測 所 を設置 。所在地 は西蒲原 郡 岩室 村 間瀬 (現在 は新潟 市 の一部 )。 - 1955
年 (昭和 30年 )3月 31日 :長野 県 小諸 市 に小諸 火山 化学 研究 施設 設置 。 - 1959
年 (昭和 34年 )4月 :伊豆 大島 に伊豆 大島 地磁気 観測 所 を設置 。 - 1960
年 (昭和 35年 )4月 :伊豆 大島 津波 観測 所 を設置 。 - 1961
年 (昭和 36年 )4月 :鋸山 (千葉 県 )に鋸 山地 殻 変動 観測 所 設置 。 - 1963
年 (昭和 38年 )- 3月:
弥生 キャンパスに移転 。 - 4
月 :霧島 火山 観測 所 設置 。
- 3月:
- 1964
年 (昭和 39年 )4月 :筑波 支所 を筑波 地震 観測 所 、浅間 支所 を浅間 火山 観測 所 に名称 変更 。和歌山 微小 地震 観測 所 を設置 。 - 1965
年 (昭和 40年 )4月 :白木 微小 地震 観測 所 (広島 県 高田 郡 白木 町 牛岩 (現 ・広島 市 安佐北 区 白木町有留 )および強震 計 観測 センター設置 。 - 1966
年 (昭和 41年 )4月 :弥彦 地殻 変動 観測 所 および堂平 微小 地震 観測 所 を設置 。 - 1967
年 (昭和 42年 )- 3月31
日 :三鷹 支所 を理学部 に用途 変更 。 - 4
月 :地震 予知 観測 センターおよび北信 微小 地震 ・地殻 変動 観測 所 を設置 。
- 3月31
- 1968
年 (昭和 43年 )4月 :柏崎 微小 地震 観測 所 設置 。 - 1969
年 (昭和 44年 )4月 :富士川 地殻 変動 観測 所 設置 (山梨 県 南巨摩 郡 富沢 町 (現 ・南部 町 )福士 14758)。 - 1970
年 (昭和 45年 )- 4
月 :八ヶ岳 地磁気 観測 所 を設置 。 - 8
月 28日 :地震 研究所 で紛争 (-1974年 6月 19日 )。
- 4
- 1973
年 (昭和 48年 ):間瀬 地殻 変動 観測 所 を廃止 。 - 1979
年 (昭和 54年 ):地震 予知 観測 センターを転換 ・拡充 し、地震 予知 観測 情報 センター設置 。 - 1983
年 (昭和 58年 )3月 :白木 微小 地震 観測 所 を広島 市 安佐北 区 落合 へ移転 。 - 1984
年 (昭和 59年 ):伊豆 大島 地磁気 観測 所 及 び伊豆 大島 津波 観測 所 を廃止 ・統合 し、伊豆 大島 火山 観測 所 設置 。 - 1985
年 (昭和 60年 )4月 1日 :北信 微小 地震 ・地殻 変動 観測 所 及 び柏崎 微小 地震 観測 所 を廃止 ・統合 し、信越 地震 観測 所 設置 。 - 1994
年 (平成 6年 )6月 :改組 により、全国 共同 利用 研究所 となる。 - 1995
年 (平成 7年 ):室戸岬 に室戸 地殻 変動 観測 設置 。白木 微小 地震 観測 所 を広島 地震 観測 所 に名称 変更 。 - 1997
年 (平成 9年 ):海 半球 観測 研究 センター設置 。 - 2006
年 (平成 18年 ):江 の島 津波 観測 所 を廃止 。 - 2009
年 (平成 21年 ):地震 予知 研究 推進 センターを地震 火山 噴火 予知 研究 推進 センター、火山 噴火 予知 研究 推進 センターを火山 噴火 予知 研究 センターに改組 。 - 2010
年 (平成 22年 )4月 1日 :地震 ・火山 科学 の共同 利用 ・共同 研究 拠点 となり、4部門 ・7センターに改組 。 - 2012
年 (平成 24年 ):巨大 地震 津波 災害 予測 研究 センター設置 。 - 2024
年 (令 和 6年 )6月 5日 :富士山 噴火 に備 えた協定 を山梨 県庁 と締結 [6]。
組織
[研究 部門
[数理 系 研究 部門 地球 計測 系 研究 部門 物質 科学 系 研究 部門 災害 科学 系 研究 部門
附属 センター
[地震 予知 研究 センター火山 噴火 予知 研究 センター (VRC)浅間 火山 観測 所 小諸 火山 化学 研究 施設 伊豆 大島 火山 観測 所 霧島 火山 観測 所
海 半球 観測 研究 センター (OHRC)高 エネルギー素粒子 地球 物理 学 研究 センター (CHEER)巨大 地震 津波 災害 予測 研究 センター
観測 開発 基盤 センター筑波 地震 観測 所 油 壺 地殻 変動 観測 所 鋸 山地 殻 変動 観測 所 和歌山 地震 観測 所 広島 地震 観測 所 弥彦 地殻 変動 観測 所 堂平 地震 観測 所 信越 地震 観測 所 富士川 地殻 変動 観測 所 室戸 地殻 変動 観測 所 浅間 火山 観測 所 小諸 地震 火山 観測 所 伊豆 大島 火山 観測 所 霧島 火山 観測 所 八ヶ岳 地球 電磁気 観測 所 強震 観測 室 化学 分析 室 機器 開発 室 - テレメータ
室
地震 火山 情報 センター (EIC)
室
[- アウトリーチ
推進 室 国際 地震 ・火山 研究 推進 室
観測 所
[八ヶ岳 地球 電磁気 観測 所 江 の島 津波 観測 所
大学院 教育
[地方 の主 な附属 研究 施設
[筑波 地震 観測 所 筑波山 東南 側 の海抜 約 250mの場所 にある[7]。筑波山 は良質 な岩盤 上 にあり、1908年 (明治 41年 )6月 に地震 研究所 設立 調査 のため、田中 舘 愛橘 、長岡 半太郎 、古市 公 威 、真野 文二 、大森 房吉 、辰野 金吾 、中村 精 男 、中村 達太郎 、小 藤 文 次郎 、戸崎 孝 ら、物理 学 、工学 、地震 学 、建築 学 、気象 学 など10名 の博士 が調査 登山 を行 った[7]。その後 1922年 1月 に筑波 山 微動 観測 所 として開設 [7]。1927年 (昭和 2年 )に東京大学 地震 研究所 に移管 されて筑波 支所 となる[7]。国際 地球 観測 年 の1957年 (昭和 32年 )に観測 計器 を整備 し筑波 地震 観測 所 となった[7]。弥彦 地殻 変動 観測 所 新潟 県 新潟 市 西 蒲 区 間瀬 の弥彦 山麓 にある[8]。1952年 (昭和 27年 )、採石 坑 跡 を利用 して間瀬 地殻 変動 観測 所 が開設 されていた[8]。1967年 (昭和 42年 )5月 に第 1次 地震 予知 (研究 )計画 の一環 で現在 の地 に開設 された(間瀬 地殻 変動 観測 所 は1971年 に廃止 )[8]。1999年 (平成 11年 )以降 は常勤 者 はいなくなり無人 観測 所 となった[8]。2階 建 ての庁舎 があったが2017年 (平成 29年 )に取 り壊 され、以後 は観測 坑 とその前部 にある建屋 だけとなっている[8]。2021年度 (平成 23年度 )で閉鎖 され観測 坑 と建屋 も閉鎖 して地主 に土地 は返 される[9]。
脚注
[出典
[- ^ a b 『
東京大学 地震 研究所 要覧 2017 (PDF) 』2019年 4月 28日 閲覧 - ^ a b
所長 挨拶 /沿革 東京大学 地震 研究所 ウェブサイト(2024年 7月 7日 閲覧 ) - ^
地震 研究所 設置 『朝日 年鑑 大正 15年 』 - ^
末広 恭二 『末廣 恭二 論 文集 』末広 恭二 博士 記念 事業 会 編 、1934年 。 - ^ 『
官報 』第 三 千 九 百 六 十 八 號 (大正 十 四 年 十 一 月 十 四 日 ) - ^
火山 防災 対策 の充実 ため~東京大学 地震 研究所 との協定 締結 式 ~山梨 県 ホームページ(2024年 6月 5日 )2024年 7月 8日 閲覧 - ^ a b c d e
渡邊 唯夫 、千葉 平八郎 、加藤 育子 「筑波 地震 観測 所 の歴史 と地震 観測 について」(PDF)『東京大学 地震 研究所 技術 研究 報告 』第 1巻 、東京大学 地震 研究所 、1996年 、83-86頁 。 - ^ a b c d e
芹澤 正人 、増田 正 孝 、新谷 昌人 「弥彦 地殻 変動 観測 所 の歴史 と変遷 」(PDF)『東京大学 地震 研究所 技術 研究 報告 』第 26巻 、東京大学 地震 研究所 、2020年 、37-41頁 。 - ^ “
東大 地震研 の弥彦 観測 所 21年度 で幕 ”.新潟 日報 . 2021年 10月 14日 閲覧 。
参考 文献
[関連 項目
[研究所 今村 明恒 :元 所員 寺田 寅彦 :元 所員 金森 博雄 :元 教授 河 角 廣 :元 教授 ・元 所長 溝上 恵 :元 教授 都 司 嘉 宣 :元 准 教授 佐藤 比呂志 :教授 。2013年 、立川 断層 帯 の現地 調査 で断層 を確認 したが、根拠 とした「凝灰岩 」はコンクリートの誤認 であった。- ハリー・グリッケン:かつて
博士 研究 員 として赴任 した時期 がある。 映画 『日本 沈没 』:製作 協力