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史学しがくかい

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公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん学会がっかい
The Historical Society of Japan
団体だんたい種類しゅるい 公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん
設立せつりつ 1889ねん11月
所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん 東京とうきょう文京ぶんきょう本郷ほんごうなな丁目ちょうめ3ばん1ごう
北緯ほくい3542ふん48びょう 東経とうけい13945ふん44びょう / 北緯ほくい35.71333 東経とうけい139.76222 / 35.71333; 139.76222座標ざひょう: 北緯ほくい3542ふん48びょう 東経とうけい13945ふん44びょう / 北緯ほくい35.71333 東経とうけい139.76222 / 35.71333; 139.76222
法人ほうじん番号ばんごう 7010005018922 ウィキデータを編集
主要しゅよう人物じんぶつ 理事りじちょう 大津おおつとおる
活動かつどう地域ちいき 日本の旗 日本にっぽん
主眼しゅがん 日本にっぽんをはじめとする歴史れきしがくかんする研究けんきゅう発展はってん普及ふきゅう学術がくじゅつ文化ぶんか向上こうじょう発展はってん
ウェブサイト www.shigakukai.or.jp ウィキデータを編集
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公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん学会がっかい(しがくかい、英語えいご: The Historical Society of Japan)は、1889ねん創設そうせつされた、歴史れきしがく学術がくじゅつ団体だんたい

沿革えんかく概要がいよう

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1889ねん11月、帝国ていこく大学だいがく文科ぶんか大学だいがく現在げんざい東京大学とうきょうだいがく文学部ぶんがくぶ史学しがく基盤きばんとして創設そうせつされた[1][2]同年どうねん12がつ機関きかん史学しがくかい雑誌ざっし』を創刊そうかん、まもなく『史学しがく雑誌ざっし』と改称かいしょう1929ねん財団ざいだん法人ほうじんとなり、2012ねん4がつからは公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん[3]本部ほんぶ東京大学とうきょうだいがく文学部ぶんがくぶないかれている[4]

月刊げっかん機関きかん史学しがく雑誌ざっし』を刊行かんこうしている。また、毎年まいとしあき史学しがくかい大会たいかいひらき、かく部会ぶかい公開こうかいシンポジウムなどをおこなっている。

史学しがくかいしょう

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2014ねん史学しがくかい創立そうりつ125周年しゅうねんさいしてもうけられた。若手わかて会員かいいんまん40さい以下いか)のすぐれた研究けんきゅう活動かつどうたいして授与じゅよされる。対象たいしょうは、選考せんこう時点じてんからさかのぼって2ねん以内いないの『史学しがく雑誌ざっし』に掲載けいさいされた論文ろんぶんである[5]

  • だい1かい(2014ねん11月発表はっぴょう
    • 後藤ごとうはる「17世紀せいきイングランド北部ほくぶにおける法廷ほうてい地域ちいき秩序ちつじょ――国教こっきょう忌避きひしゃ訴追そついをめぐって――」『史学しがく雑誌ざっしだい121へん10ごう(2012ねん10がつ発行はっこう掲載けいさい
    • しろこうあきらよしみやすし馬市うまいちこう」『史学しがく雑誌ざっしだい120へん3ごう(2011ねん3がつ発行はっこう掲載けいさい
  • だい2かい(2015ねん11月発表はっぴょう
    • 吉井よしいぶん「「まんしゅうこく創出そうしゅつ門戸もんこ開放かいほう原則げんそく変容へんよう――「条約じょうやくじょう権利けんり」をめぐる攻防こうぼう――」『史学しがく雑誌ざっしだい122へん7ごう(2013ねん7がつ発行はっこう掲載けいさい
  • だい3かい(2016ねん11月発表はっぴょう
    • 藤波ふじなみしんよしみ「ババンザーデ・イスマイル・ハックのオスマンこくせいろん――主権しゅけん国法こくほうがく、カリフせい――」『史学しがく雑誌ざっしだい124へん8ごう(2015ねん8がつ発行はっこう掲載けいさい
  • だい4かい(2017ねん11月発表はっぴょう
    • 紺谷こんたに由紀ゆき「ローマほうにおける去勢きょせい――ユスティニアヌスいちせい法典ほうてん編纂へんさん事業じぎょうをめぐって――」『史学しがく雑誌ざっしだい125へん6ごう(2016ねん6がつ発行はっこう掲載けいさい
  • だい5かい(2018ねん11月発表はっぴょう
    • 前野まえのとしころもじゅうなな世紀せいき後半こうはんハルハ=モンゴルの権力けんりょく構造こうぞうとその淵源えんげん――右翼うよくのチベット仏教ぶっきょうそう着目ちゃくもくして――」『史学しがく雑誌ざっしだい126へん7ごう(2017ねん7がつ発行はっこう掲載けいさい
  • だい6かい(2019ねん11月発表はっぴょう
    • いんはれきよしだいにおけるやしきほう発行はっこう流通りゅうつう――清朝せいちょう中央ちゅうおう情報じょうほう伝播でんぱいち側面そくめん――」『史学しがく雑誌ざっしだい127へん12ごう(2018ねん12月発行はっこう掲載けいさい
  • だい7かい(2020ねん12月発表はっぴょう
    • づけ晨晨ひとしはり類書るいしょ誕生たんじょう――初期しょき類書るいしょ系譜けいふ南朝なんちょう士人しじん――」『史学しがく雑誌ざっしだい128へん2ごう(2019ねん2がつ発行はっこう掲載けいさい
  • だい8かい(2021ねん12月発表はっぴょう
    • 袁甲こう明治めいじ前期ぜんき府県ふけんちょう会議かいぎ」――行政ぎょうせいにおける「公論こうろん」の展開てんかい――」『史学しがく雑誌ざっしだい129へん2ごう(2020ねん2がつ発行はっこう掲載けいさい
  • だい9かい(2022ねん12月発表はっぴょう
    • 村田むらた優樹ゆうき革命かくめいロシアのウクライナ問題もんだい近世きんせいヘトマンりょう――った自治じちきたるべき自治じち――」『史学しがく雑誌ざっしだい130へん7ごう(2021ねん7がつ発行はっこう掲載けいさい
  • だい10かい(2023ねん
    • トーマス・バレット「D.B.マッカーティと「琉球りゅうきゅう処分しょぶん問題もんだい――清朝せいちょう在外ざいがい公館こうかんにおける外国がいこくじん館員かんいん私的してき活動かつどうとその意義いぎをめぐって――」『史学しがく雑誌ざっしだい131へんだい2ごう(2022ねん2がつ発行はっこう掲載けいさい

脚注きゃくちゅう

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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