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元号げんごう

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年号ねんごうから転送てんそう
1989ねん昭和しょうわ64ねん1がつ7にち総理そうり大臣だいじん官邸かんていにてしん元号げんごう平成へいせい」を発表はっぴょうする内閣ないかく官房かんぼう長官ちょうかん小渕おぶち恵三けいぞう元号げんごうほうもとづき史上しじょうはじめて内閣ないかく元号げんごう選定せんていした。また、元号げんごう発表はっぴょう史上しじょうはじめてテレビ中継ちゅうけいされた。
2019ねん平成へいせい31ねん)4がつ1にち総理そうり大臣だいじん官邸かんていしん元号げんごうれい」を発表はっぴょうする内閣ないかく官房かんぼう長官ちょうかんかんよしえら憲政けんせい史上しじょうはじめて元号げんごう皇位こうい継承けいしょう元号げんごうほうによる改元かいげん要件ようけん)のまえ公表こうひょうされた。また、元号げんごう発表はっぴょう史上しじょうはじめてインターネット配信はいしんされた。

元号げんごう(げんごう、きゅう字体じたい元號げんごう英語えいご: imperial era name)または年号ねんごう(ねんごう、きゅう字体じたい年號ねんごう)とは、古代こだい中国ちゅうごく創始そうしされた紀年きねんほう一種いっしゅ特定とくてい年代ねんだいけられる称号しょうごうで、基本きほんてきとし単位たんいとするが、元号げんごう変更へんこう改元かいげん)はとし途中とちゅうでもおこなわれ、1ねん未満みまん改元かいげんされた元号げんごうもある。

2024ねんれい6ねん時点じてん公的こうてきには世界せかいでは日本にっぽんのみで制定せいてい使用しようされている。ただし、台湾たいわん統治とうちする中華民国ちゅうかみんこくみんこく紀元きげんもとづく「みんこく」や、朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく北朝鮮きたちょうせん)の主体しゅたい年号ねんごうによる「主体しゅたい」が事実じじつじょう元号げんごうてき機能きのうをしている。

日本にっぽんにおける元号げんごう使用しようは、孝徳天皇こうとくてんのうなどのみやとする難波なんばみやおこなわれた大化たいか改新かいしんどきの「大化たいか」からはじまり、「大化たいか」の年号ねんごう前後ぜんごして「日本にっぽん」という国号こくごう使用しようはじまった。明治めいじ以降いこう一世一元いっせいいちげんせい定着ていちゃく元号げんごうほう制定せいてい以後いご、「元号げんごう」が法的ほうてき用語ようごとなった。

ひがしアジア各国かっこく歴史れきしにおいて、中央ちゅうおう政権せいけん以外いがい政治せいじ勢力せいりょく宗教しゅうきょうしゃ民間みんかん独自どくじ年号ねんごうをつくったれいもあり、「わたしねんごう」とばれる。

概説がいせつ[編集へんしゅう]

紀年きねんほうのうち、西暦せいれきイスラム紀元きげん皇紀こうき神武じんむ紀元きげんなどが無限むげんのシステム(紀元きげん)であるのにたいして、元号げんごう有限ゆうげんのシステムである。皇帝こうていおうなど君主くんしゅ即位そくい、また治世ちせい途中とちゅうにもおこなわれる改元かいげんによって元年がんねんから再度さいどかぞなおされ(リセット)、名称めいしょうあらためられる。日本にっぽんではたりまえのことであるが、これは元号げんごうおおきな特徴とくちょうである。

日本にっぽんでは一度いちど使用しようされた元号げんごう二度にど使用しようしない慣例かんれいがある[ちゅう 1]が、中国ちゅうごくなどのほか元号げんごう文化ぶんかけんではそのような慣例かんれい重視じゅうしされておらず、かつて使用しようした元号げんごうさい使用しようするれいおおくみられる。

元号げんごうは、古代こだい中国ちゅうごくかんたけみかど時代じだいはじまった制度せいど[1]皇帝こうてい (中国ちゅうごく)の時空じくう統治とうちけん象徴しょうちょうする称号しょうごうである[2]。『春秋しゅんじゅうこうひつじでん隠元いんげんねんでは「元年がんねんしゃなにくんはじめねん也」(元年がんねんとはなにか、君主くんしゅ治世ちせいはじまるとしのことである。)とあり、これは皇帝こうてい権力けんりょく集中しゅうちゅう統一とういつ重視じゅうしする「だい一統いっとう思想しそうくにせいであった[2]とき政権せいけんなんらかの批判ひはん勢力せいりょくが、ひそかに独自どくじ元号げんごうてて使用しようすることもあった[ちゅう 2]

元号げんごう漢字かんじ2あらわされる場合ばあいおおく、まれに3、4、6わせをることもあった。最初さいしょには改元かいげん理由りゆうにちなんだ具体ぐたいてきえらばれることがおおかったが、次第しだい抽象ちゅうしょうてきな、縁起えんぎ意味いみった漢字かんじわせを、漢籍かんせき古典こてん典拠てんきょにして採用さいようするようになった。日本にっぽん場合ばあい採用さいようされたは2019ねんはじまったれい時点じてんでわずか73であり[3]、そのうち21は10かい以上いじょうもちいられている。一番いちばんおお使つかわれた文字もじは「ひさし」で29かい、2番目ばんめは「てん」「もと」のそれぞれ27かい、4番目ばんめは「おさむ」で21かい、5番目ばんめは「おう」「」で20かいである[4]。なお、近代きんだい以降いこう元号げんごうのうちれいの「れい」や平成へいせいの「なり」、昭和しょうわの「あきら」はそれぞれはじめて採用さいようされたものである。また、平成へいせいの「たいら」は12かい[5]大正たいしょうの「だい」は6かいただし」は19かい明治めいじの「あきら」は7かい使つかわれている[4]

独自どくじ元号げんごうてられた国家こっかには、以下いか項目こうもくげるほかやわしかこうあきらみなみみことのりだい渤海がある。またりょう西にしりょう西にしなつきむ中国ちゅうごくれる解釈かいしゃくもあるが、いずれも独自どくじ文字もじ創製そうせいしており、元号げんごう現在げんざいつたえられる漢字かんじではなく、対応たいおうする独自どくじ文字もじかれていた。

日本にっぽん元号げんごう[編集へんしゅう]

元号げんごうもちいた日本にっぽん独自どくじ紀年きねんほうは、西暦せいれきたいしてれき(あるいはくにれき日本にっぽんれき)とばれることがある。

日本にっぽん国内こくないでは今日きょうにおいても西暦せいれきグレゴリオれき)とともひろ使用しようされている。

西暦せいれき2024ねんは「れい6ねん」。

元号げんごうめいみ) 初日しょにち年月日ねんがっぴ げん年数ねんすう げん在位ざいい年月としつき日数にっすう 天皇てんのうめい
れい(れいわ) れい元年がんねん2019ねん5月1にち 6ねん 5ねん2かげつと6にち とくひとし今上きんじょう天皇てんのう
皇室こうしつ典範てんぱん特例とくれいほうおよび元号げんごうほうもとづく、明仁あきひと上皇じょうこう)の退位たいいおよびとくじん今上きんじょう天皇てんのう)の即位そくい譲位じょういによる皇位こうい継承けいしょう)による改元かいげん。(キャッシュを破棄はき

2019ねんれい元年がんねん5月1にち[6] に、前日ぜんじつ平成へいせい31ねん4がつ30にちの「天皇てんのう退位たいいとうかんする皇室こうしつ典範てんぱん特例とくれいほう」の規定きていによりだい125だい天皇てんのう明仁あきひと退位たいい上皇じょうこうとなる)にともない、とくひとしだい126だい天皇てんのう即位そくいした。この皇位こうい継承けいしょうけて、「元号げんごうほう」の規定きていにより同年どうねん4がつ1にちに「元号げんごうあらためる政令せいれい (平成へいせいさんじゅういちねん政令せいれいだいひゃくよんじゅうさんごう)」が公布こうふ・5月1にち施行しこうされ、「れい」に改元かいげんされた。

元号げんごう制定せいてい条件じょうけん[編集へんしゅう]

昭和しょうわ大礼たいれい記録きろくだいいちさつ)』によると、一木いちき喜徳郎きとくろう宮内みやうち大臣だいじんは、漢学かんがくしゃみや内省ないせい図書としょりょう編修へんしゅうかんであった吉田よしだ増蔵ますぞうに「左記さきの5こう範囲はんいないにおいて」元号げんごう選定せんていにあたるようにめいじた[7]

なお、歴史れきしてきには「他国たこくでかつて使つかわれた元号げんごうとうおなじものをもちいてはならない」という条件じょうけんはなかった。異朝いちょうでかつて使つかわれた元号げんごう意図いとして採用さいようしたたとえはなしすらある。たとえば、後醍醐天皇ごだいごてんのうさだめた「たてたけし」は、おうたおしてかんちょう再興さいこうした光武みつたけみかど元号げんごうたてたけし」にあやかったものであった。また、徳川とくがわ家康いえやすいのちによってもちいられた「元和がんわ」は、とうけんむね年号ねんごうもちいたものである。近代きんだいの「明治めいじ」もだいこくもちいられたれいがあり、「大正たいしょう(たいせい)」もかつてベトナムの莫朝もちいられた。

元号げんごう選定せんてい手続てつづきについて[編集へんしゅう]

1979ねん昭和しょうわ54ねん)10がつだい1大平おおひら内閣ないかく大平おおひら正芳まさよし首相しゅしょう)は、「元号げんごうほうさだめる元号げんごう選定せんてい」について、具体ぐたいてき要領ようりょうさだめた(昭和しょうわ54ねん10がつ23にち閣議かくぎ報告ほうこく[8]

これによれば、元号げんごうは「候補こうほめい考案こうあん」「候補こうほめい整理せいり」「原案げんあん選定せんてい」「しん元号げんごう決定けってい」のかく段階だんかいんで決定けっていされる。最初さいしょに、候補こうほめい考案こうあん内閣ないかく総理そうり大臣だいじんえらんだ若干じゃっかんめい有識者ゆうしきしゃ委嘱いしょくされ、かく考案こうあんしゃは2 - 5の候補こうほめいを、その意味いみ典拠てんきょとう説明せつめいして提出ていしゅつする。総理府そうりふ総務そうむ長官ちょうかんのち内閣ないかく官房かんぼう長官ちょうかん)は、提出ていしゅつされた候補こうほめいについて検討けんとう整理せいりし、結果けっか内閣ないかく総理そうり大臣だいじん報告ほうこくする。このとき、つぎ事項じこう留意りゅういするものとさだめられている。

  1. 国民こくみん理想りそうとしてふさわしいようなよい意味いみつものであること。
  2. 漢字かんじ2であること(3文字もじ以上いじょう不可ふか。ただし、奈良なら時代じだい天平てんぺい21ねん/天平てんぴょうかんたから元年がんねん749ねん)から神護かんごけいくも4ねん/たからひさし元年がんねん770ねん)にかけては、漢字かんじ4文字もじ元号げんごう使用しようされている)。
  3. きやすいこと。
  4. みやすいこと。
  5. これまでに元号げんごうまたはおくりとしてもちいられたものでないこと(過去かこ元号げんごうさい使用しよう不可ふか)。
  6. 俗用ぞくようされているものでないこと(人名じんめい地名ちめい商品しょうひんめい企業きぎょうめいとう不可ふか)。

整理せいりされた候補こうほめいについて、総理府そうりふ総務そうむ長官ちょうかん内閣ないかく官房かんぼう長官ちょうかん内閣ないかく法制ほうせいきょく長官ちょうかんらによる会議かいぎにおいて精査せいさし、しん元号げんごう原案げんあんとしてすうあん選定せんていする。ぜん閣僚かくりょう会議かいぎにおいて、しん元号げんごう原案げんあんについて協議きょうぎする。内閣ないかく総理そうり大臣だいじんは、しん元号げんごう原案げんあんについて衆議院しゅうぎいん議長ぎちょうふく議長ぎちょう参議院さんぎいん議長ぎちょうふく議長ぎちょう連絡れんらくし、意見いけん聴取ちょうしゅする。そして、しん元号げんごうは、閣議かくぎにおいて、改元かいげん政令せいれい決定けっていというかたちめられる。

元号げんごう字数じすう[編集へんしゅう]

日本にっぽん元号げんごう伝統でんとうてきに「2文字もじ」であるが、元号げんごうもちいることのできる文字数もじすう明確めいかく制限せいげんされていない[ちゅう 3]。この例外れいがい聖武天皇しょうむてんのうこうけん天皇てんのう時代じだいやく4はん世紀せいき天平てんぴょうかんたから天平てんぴょうかちたから天平てんぴょうたから天平てんぺい神護かんご神護かんごけいくもの5つ(4文字もじ)のみである。

元号げんごう使用しよう現状げんじょう[編集へんしゅう]

日本にっぽんにおいて、元号げんごう1979ねん制定せいていの「元号げんごうほう」(昭和しょうわ54ねん法律ほうりつだい43ごう)によってその存在そんざい定義ていぎされており、法的ほうてき根拠こんきょがあるが、その使用しようかんしては基本きほんてき各々おのおの自由じゆうで、わたし文書ぶんしょなどで使用しようしなくても罰則ばっそくなどはない。一方いっぽうで、西暦せいれきには元号げんごうほうのような法律ほうりつによるなにかしらの規定きてい存在そんざいしない(法令ほうれい以外いがいでは日本にっぽん産業さんぎょう規格きかく[ちゅう 4]られるような公的こうてき定義ていぎれいがある)。なお、元号げんごうほう制定せいていにかかる国会こっかい審議しんぎで「元号げんごうほうは、その使用しよう国民こくみん義務付ぎむづけるものではない」との政府せいふ答弁とうべんがあり[ちゅう 5]ほう制定せいていおおくの役所やくしょ国民こくみん元号げんごう使用しよう強制きょうせいしないよう注意ちゅうい喚起かんきする通達つうたつされている。

また、元号げんごうほうは「元号げんごう政令せいれいさだめること」「元号げんごう皇位こうい継承けいしょうがあった場合ばあいかぎあらためること一世一元いっせいいちげんせい)」をさだめているにすぎず、公文書こうぶんしょなどにおいて元号げんごう使用しよう規定きていするものではない。しかしながら、日本にっぽん国民こくみん在日ざいにち外国がいこくじん記入きにゅうして役所やくしょ提出ていしゅつする書類しょるいおおくは、年月日ねんがっぴとし元号げんごう記入きにゅうする書式しょしきになっている[9]。ただし元号げんごう前提ぜんていのスペースに西暦せいれき記入きにゅうすることは可能かのうであり、市民しみん団体だんたい西暦せいれき表記ひょうきもとめるかい」は、「わたし西暦せいれき記入きにゅうします」といた意思いし表示ひょうじようのカードを作成さくせい配布はいふしている[9]

日本にっぽん共産党きょうさんとうは、元号げんごう使用しよう慣習かんしゅうとしては反対はんたいしないが、強制きょうせいすべきではないという見解けんかいしめしている[10]同様どうように、キリスト教きりすときょう原理げんり主義しゅぎしゃ団体だんたいなどは「元号げんごう使用しよう強制きょうせい西暦せいれき使用しよう禁止きんしするのは、天皇てんのう支持しじするかかを調しらべる現代げんだいである」と主張しゅちょうしている[11]

公用こうようぶん作成さくせい要領ようりょうにおいて年号ねんごうもちいるさい元号げんごう西暦せいれきのどちらをもちいるべきかのむね明文化めいぶんかされていないが、くに日本国にっぽんこく政府せいふ)、地方ちほう公共こうきょう団体だんたいなどの発行はっこうする公文こうぶんしょ住民じゅうみんひょう運転うんてん免許めんきょしょう、その資格しかくしょうなど)ではほとんど元号げんごうもちいられる一方いっぽうウェブサイトでは、本文ほんぶん元号げんごう使用しようしていても最終さいしゅう更新こうしんやファイルめいなどは(管理かんりじょう都合つごうで)西暦せいれき使用しようしていることもある。また、官公庁かんこうちょう中長期ちゅうちょうき計画けいかく名称めいしょうなど、キャッチフレーズとしてとし印象いんしょうけさせる場合ばあいは、補助ほじょてき西暦せいれきもちいられることもある[12][13]くににおいて、例外れいがいてき西暦せいれき使用しようされている具体ぐたいれいには以下いかのものがある。

有効ゆうこう期限きげんが「2024ねん(平成へいせい36ねん)」と西暦せいれき元号げんごう併記へいきされた運転うんてん免許めんきょしょう
改元かいげん政令せいれい施行しこうされるまえ発行はっこうされた免許めんきょしょうなのでその時点じてんでの元号げんごうもちいられている[19]
  • 特許庁とっきょちょう発行はっこうする公開こうかい特許とっきょ公報こうほうとう工業こうぎょう所有しょゆうけん公報こうほうは、「平成へいせい22ねん1がつ1にち(2010ねん平成へいせい22ねん)1がつ1にち)」のかたち元号げんごう表記ひょうき西暦せいれき表記ひょうき日付ひづけ併記へいきしている[20]。また、特許とっきょ出願しゅつがん番号ばんごうとうも「特許とっきょ2000-123456」のように「西暦せいれきねん + 6けた通番つうばん」の形式けいしきとされている[21]。これは、日本にっぽん以外いがいでの利用りよう考慮こうりょしたためで、世界せかい知的ちてき所有しょゆうけん機関きかんさだめる標準ひょうじゅんじゅんじておこなわれている[22]
  • 2018ねん3月30にち改正かいせいにより、計量けいりょうほうもとづく計量けいりょうほう施行しこう規則きそく平成へいせい5ねん通商産業省つうしょうさんぎょうしょうれいだい69ごうだい15じょう規定きていする修理しゅうりねんならびに食品しょくひんてんとう質量しつりょうけい燃料ねんりょうメータータクシーメーターひとし対象たいしょうである特定とくてい計量けいりょう検定けんてい検査けんさ規則きそく(1993ねん通商産業省つうしょうさんぎょうしょうれいだい70ごうだい28じょうの3にさだめる検定けんてい証印しょういんなどの有効ゆうこう期間きかん満了まんりょうねん検査けんさとし形式けいしき承認しょうにんとし修理しゅうりとし適合てきごう証印しょういんとしについて、西暦せいれき表示ひょうじすることとされた(アポストロフィ+2けた西暦せいれきねんれい:'17)としてもい)。ただし2018ねん12月31にちまでは経過けいか措置そちとして従前じゅうぜん元号げんごう表示ひょうじとしている[23][24]
  • 食品しょくひん表示法ひょうじほうもとづく食品しょくひん表示ひょうじ基準きじゅん平成へいせい27ねん内閣ないかくれいだい10ごう)にかか通知つうち食品しょくひん表示ひょうじ基準きじゅんについて」(平成へいせい30ねん7がつ10日とおかけししょくひょうだい375ごう)の「(加工かこう食品しょくひん)」1-(3)-⑤にさだめる消費しょうひ期限きげんまた賞味しょうみ期限きげん表示ひょうじれいでは元号げんごうとの選択せんたくとして西暦せいれき表示ひょうじれい明記めいきされている[25]
  • 2018ねん平成へいせい30ねん)6がつ15にち閣議かくぎ決定けっていされた「経済けいざい財政ざいせい運営うんえい改革かいかく基本きほん方針ほうしん2018」(骨太ほねぶと方針ほうしん)において、表紙ひょうし日付ひづけ、「平成へいせいn年度ねんど税制ぜいせい改正かいせいとう名称めいしょうちゅうふくまれるもの、およ脚注きゃくちゅう出典しゅってん制定せいてい除外じょがいすると、64ページの「平成へいせい31ねん」1箇所かしょのぞき、過去かこ未来みらいども西暦せいれきのみの表記ひょうきとなっている[26]

日本にっぽん国内こくないにおいて西暦せいれき併用へいよう増加ぞうかしたのは、1964ねん昭和しょうわ39ねん)の東京とうきょう夏季かきオリンピックけてのキャンペーンのちである。皇室こうしつ典範てんぱん改正かいせいにより元号げんごう法的ほうてき根拠こんきょうしなったのちも、東京とうきょうオリンピックのキャンペーンがはじまるまえまでは、1952ねん昭和しょうわ27ねん4がつ28にちサンフランシスコ講和こうわ条約じょうやく発効はっこうともな独立どくりつ主権しゅけん回復かいふく以後いごも、米国べいこくによる統治とうちかれ日本にっぽんからはなされた沖縄おきなわ小笠原諸島おがさわらしょとう千島ちしま列島れっとうのぞき、前述ぜんじゅつ背景はいけいにより元号げんごうのみが常用じょうようされていた。とはいえ、1976ねん昭和しょうわ51ねん)におこなわれた元号げんごうかんする世論せろん調査ちょうさでは、「国民こくみんの87.5%が元号げんごうおも使用しようしている」と回答かいとうしており、「併用へいよう」は7.1%、「西暦せいれきのみを使用しよう」はわずか2.5%であった。元号げんごう昭和しょうわから平成へいせいわり、2つの元号げんごうをまたぐことで年数ねんすう計算けいさん変換へんかん煩雑はんざつになるため、「西暦せいれき併用へいようするひと」「西暦せいれきおも使用しようするひと」も次第しだいおおくなってきた。とく21世紀せいきはいった今日きょうではインターネット普及ふきゅうなどもあり、日常にちじょうにおいて「元号げんごうより西暦せいれきおも使用しようされるケース」は格段かくだんえているため、元号げんごうでは「今年ことしなんねんなのかわからない」「過去かこ出来事できごと把握はあくむずかしい」というひと割合わりあいおおくなってきている[27]

報道ほうどう機関きかんでは『朝日新聞あさひしんぶん』が1976ねん昭和しょうわ51ねん1がつ1にちに、『毎日新聞まいにちしんぶん』が1978ねん昭和しょうわ53ねん)1がつ1にちに、『読売新聞よみうりしんぶん』が1988ねん昭和しょうわ63ねん)1がつ1にちに、『日本経済新聞にほんけいざいしんぶん』が1988ねん昭和しょうわ63ねん9月23にちに、『中日新聞ちゅうにちしんぶん』『東京とうきょう新聞しんぶん』が1988ねん昭和しょうわ63ねん12月1にちに、日付ひづけらん表記ひょうきを「元号げんごう西暦せいれき)」から「西暦せいれき元号げんごう)」にあらためた。それでも昭和しょうわ年間ねんかん末期まっきには、未来みらい予測よそく会計かいけい年度ねんどなど)を「(昭和しょうわ)70年度ねんどまつ」といった表記ひょうきをすることがおおかった。1989ねん平成へいせい元年がんねん1がつ8にち平成へいせい改元かいげん以降いこう、そのかく報道ほうどう機関きかん本文ほんぶんちゅう原則げんそくとして西暦せいれき記載きさい日付ひづけらんは「2012ねん平成へいせい24ねん)」のように「西暦せいれき元号げんごう)」という順番じゅんばん記載きさいおこなうところがおおくなった。『産経新聞さんけいしんぶん[ちゅう 7] や『東京とうきょうスポーツ』、一部いちぶ地方紙ちほうし[ちゅう 8]NHK国内こくないニュース[ちゅう 9]のように本文ほんぶんちゅう原則げんそく元号げんごう記載きさい日付ひづけらんは「平成へいせい29ねん(2017ねん)」のように「元号げんごう西暦せいれき)」という順番じゅんばん記載きさいおこなっている報道ほうどう機関きかんもある。日本にっぽん共産党きょうさんとう機関きかんしんぶん赤旗あかはた』は平成へいせい改元かいげん以降いこう日付ひづけらん元号げんごう併記へいきりやめ西暦せいれき表記ひょうきのみに変更へんこうしていたが、2017ねん平成へいせい29ねん4がつ1にちより元号げんごう併記へいきする「西暦せいれき元号げんごう)」表記ひょうきあらためた(本文ほんぶんちゅうつづ西暦せいれき表記ひょうきのみ)[28][29][30]

企業きぎょう決算けっさん有価ゆうか証券しょうけん報告ほうこくしょなど社外しゃがい資料しりょうプレスリリース鉄道てつどうなどの乗車じょうしゃけん金融きんゆう機関きかん預金よきん通帳つうちょうなども、以前いぜんれき表記ひょうき元号げんごうとし部分ぶぶん表記ひょうき)が主流しゅりゅうであったが、2019ねん改元かいげん[ちゅう 10]まえに、西暦せいれき表記ひょうきあらためるうごきもみられた[31][32][33]

切手きってにおける元号げんごう[編集へんしゅう]

日本にっぽん発行はっこうされている切手きってには元号げんごうおよび西暦せいれき発行はっこうねん記載きさいされている。ただし歴史れきしてきにみればおおきな変遷へんせんがある。なお、記念きねん切手きってには万国ばんこく郵便ゆうびん連合れんごう(UPU)によって原則げんそくとして西暦せいれき発行はっこうねんれるように規定きていされている。

日本にっぽん切手きって発行はっこうねんはいるものに記念きねん切手きってがあるが、記念きねん切手きって印面いんめんだい世界せかい大戦たいせんまえまでは元号げんごうはい場合ばあいまったくない場合ばあい混在こんざいしていた。ただし国立こくりつ公園こうえん切手きって小型こがたシートには皇紀こうき西暦せいれき)とアラビア数字すうじ記入きにゅうされたものがある。戦後せんご発行はっこうされた記念きねん切手きってには「昭和しょうわじゅうねん」といったようにかん数字すうじ表記ひょうきされていたが、経緯けいい不明ふめいであるが1949ねん昭和しょうわ24ねんごろから西暦せいれきのみで表記ひょうきされるようになった。ただし、年賀ねんが切手きってなか一部いちぶ例外れいがいがあるほか、皇室こうしつ慶事けいじかんする記念きねん切手きって元号げんごうのみの表示ひょうじ場合ばあいがあった。また年賀ねんが小型こがたシートなどには「お年玉としだま郵便ゆうびん切手きって昭和しょうわさんじゅういちねん」といった元号げんごうによる表記ひょうきがあるほか、切手きってシート余白よはくには元号げんごう発行はっこう年月日ねんがっぴはいっていたが、1960ねん昭和しょうわ35ねんごろからなくなった。

1979ねん昭和しょうわ54ねん)に施行しこうされた元号げんごうほうによる政策せいさくのためか、1979ねん昭和しょうわ54ねん)7がつ14にち発行はっこうされた「検疫けんえき制度せいど100ねん記念きねん切手きって」から西暦せいれき元号げんごう併記へいきされるようになった。ただし、毎年まいとし発行はっこうされる国際こくさい文通ぶんつう週間しゅうかん記念きねん切手きってについては西暦せいれきしか表記ひょうきされていない。また切手きってシートの余白よはく1995ねん平成へいせい7ねんごろから「H10.7.23」というマ字まじによる発行はっこう年月日ねんがっぴが、さらに2000ねん平成へいせい12ねん)からは「平成へいせい12ねん7がつ23にち」という元号げんごう表記ひょうきはいるようになった。なお、れい改元かいげんされた2019ねんれい元年がんねん)5がつから9がつまでは切手きってめん余白よはく発行はっこう年月日ねんがっぴともに西暦せいれきのみの表記ひょうきで、れい使用しようは10がつからとなっている。

なお、世界せかいてきると切手きって記入きにゅうされる年号ねんごうとしては西暦せいれきのほかには仏滅ぶつめつ紀元きげんイスラムれき北朝鮮きたちょうせん主体しゅたい年号ねんごう中華民国ちゅうかみんこく台湾たいわん)のみんこく紀元きげんなどがある

元号げんごう商標しょうひょう[編集へんしゅう]

日本にっぽんにおいては、「元号げんごうとしてのみ認識にんしきされる商標しょうひょうたとえば「平成へいせい」)は識別しきべつりょくがない」とされ、元号げんごう商標しょうひょう登録とうろく出願しゅつがんすることができない。また、元号げんごう普通ふつう名称めいしょうとう識別しきべつりょくのない文字もじたとえば饅頭まんじゅうについての「まんじゅう」)とをわせた商標しょうひょうたとえば「平成へいせいまんじゅう」)なども同様どうようで、商標しょうひょう登録とうろく出願しゅつがんできないが、商号しょうごう企業きぎょうめい団体だんたいめい屋号やごうなど)での使用しよう制限せいげんされていない。

ただし、その商標しょうひょう使用しようつづけたことによって、識別しきべつりょく知名度ちめいどしょうじた場合ばあいたとえば「平成へいせいまんじゅう」という商標しょうひょう長年ながねん使つかつづけた結果けっか、だれもが「平成へいせいまんじゅう」といえばその饅頭まんじゅうのことだとわかるようになった場合ばあい)には商標しょうひょう登録とうろくされる場合ばあいもある[34] としており、実際じっさい食品しょくひん会社かいしゃの「明治めいじ[35]」や「大正製薬たいしょうせいやく[36]」は商標しょうひょう登録とうろくされ、商号しょうごうとしても存続そんぞくしている。

特許庁とっきょちょうでは、以前いぜんからきゅう元号げんごう現行げんこう元号げんごう同様どうようあつかわれるとの解釈かいしゃくであったが、「商標しょうひょう登録とうろくできないのはげん元号げんごうの「平成へいせい」にかぎられ、「大化たいか」から「昭和しょうわ」までのきゅう元号げんごう商標しょうひょう登録とうろくでき、「れい」への改元かいげんには「平成へいせい」も商標しょうひょう登録とうろくできる、と解釈かいしゃくされる可能かのうせい」があり、実際じっさいにそのような報道ほうどうもなされていた[37][38]

そのため、特許庁とっきょちょうでは2019ねん平成へいせい31ねん)1がつ30にち審査しんさ基準きじゅん改訂かいていし、げん元号げんごう平成へいせい以外いがい元号げんごう昭和しょうわまでの元号げんごうや、改元かいげんまえ公表こうひょうされたしん元号げんごう)も登録とうろくみとめない」明確めいかくした[34][39][40]

元号げんごう使用しようのメリット・デメリット[編集へんしゅう]

元号げんごう使用しようメリットとしては、以下いかようものがある。

一方いっぽう、デメリットとしては以下いかようものがあり、元号げんごうそのものに否定ひていてき姿勢しせいしめものもいる。

  • 西暦せいれきにはわりがなく、紀年きねんすうつねわらないが、元号げんごうにはわりがあり、いつかは変更へんこう改元かいげん)される。明治維新めいじいしんまえだい事件じけん政権せいけんにな征夷大将軍せいいたいしょうぐん都合つごうなど、明確めいかく基準きじゅんがないままいくとなく変更へんこうされていたが、明治維新めいじいしんしん天皇てんのう即位そくい天皇てんのう崩御ほうぎょまたは生前せいぜん退位たいいによる次期じき皇位こうい継承けいしょうしゃへの譲位じょうい)によって変更へんこうされている。このため、たとえば「平成へいせい40ねん」(=西暦せいれき2028ねん)のようなとお未来みらい紀年きねん正確せいかく表現ひょうげんできない[ちゅう 11]
  • 日本にっぽん独自どくじ紀年きねんであり、国外こくがいでは通用つうようしないため、外国がいこくじんには理解りかいされにくい。日本にっぽん国内こくないでも、元号げんごうではなく西暦せいれき時期じきおぼえているひとにも同様どうよう問題もんだいしょうじ、どう時代じだいきていないと予備よび知識ちしき必要ひつようとなる[46]
  • 西暦せいれきでは1ねんたいする紀年きねんすうつねに1たい1の関係かんけいにあるのにたいし、日本にっぽん元号げんごう制度せいどでは「たてとし改元かいげん」ではなく「即日そくじつ改元かいげん」を採用さいようしているため、1つの西暦せいれきねんたいして複数ふくすう元号げんごう1860ねん = 安政あんせい7ねん/万延まんえん元年がんねん1912ねん = 明治めいじ45ねん/大正たいしょう元年がんねん1926ねん = 大正たいしょう15ねん/昭和しょうわ元年がんねん1989ねん = 昭和しょうわ64ねん/平成へいせい元年がんねん2019ねん = 平成へいせい31ねん/れい元年がんねん)が混在こんざいするれいや、翌月よくげつあたらしい元号げんごうの「元年がんねん」ではなく「2ねん」になるれい発生はっせいする。
  • 元号げんごうことなる2つのとし前後ぜんご関係かんけい判別はんべつするには、元号げんごう順序じゅんじょ記憶きおくしていなければならない。また、元号げんごうことなる2つのとし間隔かんかく計算けいさんするには、いったん西暦せいれき変換へんかんしなければならないため、とし変換へんかん計算けいさん作業さぎょう非常ひじょう煩雑はんざつになる(れい明治めいじ30ねんから平成へいせい10ねんまでなんねんはなれているか、というような年数ねんすうかぞえにくい)。とくに「れき表記ひょうきのみ」と「西暦せいれき表記ひょうきのみ」が混在こんざいし、年号ねんごう表記ひょうき統一とういつできていない場合ばあいはさらに混乱こんらんする(れい昭和しょうわ58ねんから1996ねんまでなんねんはなれているか、など)。
  • 会計かいけい年度ねんど区切くぎ[ちゅう 12]改元かいげん区切くぎりと一致いっちせず、改元かいげん年度ねんど終了しゅうりょうまでの呼称こしょうきゅう元号げんごうによる(たとえば平成へいせい元年がんねん3がつ31にち昭和しょうわ63年度ねんどぞくする)ため、混乱こんらんしょうじやすい。ただし、2019ねんれいへの改元かいげん2019年度ねんど(2019ねん4がつ1にちから2020ねんれい2ねん)3がつ31にちまで)のくに予算よさん改元かいげん以後いご、「れいもと年度ねんど予算よさん」としてあつかうものとされたため、平成へいせい31ねん4がつ1にちから4がつ30にちしん元号げんごう年度ねんどである「れいもと年度ねんど」にぞくすることとなった[47]

表記ひょうき(「1ねん」か「元年がんねん」か)[編集へんしゅう]

公文書こうぶんしょにおいて、れい1とし表記ひょうきするかれいもととし表記ひょうきするかは、様々さまざまである。

登記とうき関係かんけい[編集へんしゅう]

登記とうき種類しゅるいによって、「1ねん」とするか「元年がんねん」とするかは使つかけられている[48]

1)不動産ふどうさん登記とうきおよ商業しょうぎょう法人ほうじん登記とうきとう[ちゅう 13]

2)成年せいねん後見こうけん登記とうき

  • 証明しょうめい日付ひづけおよ登記とうき事項じこうかんする日付ひづけ生年月日せいねんがっぴ裁判さいばん確定かくてい作成さくせい年月日ねんがっぴ登記とうき年月日ねんがっぴとう)は「れい元年がんねん」と表記ひょうきされる。

3)動産どうさん譲渡じょうと登記とうきおよ債権さいけん譲渡じょうと登記とうき

  • 証明しょうめい日付ひづけおよ登記とうき事項じこうかんする日付ひづけ登記とうき原因げんいん日付ひづけ登記とうき存続そんぞく期間きかん満了まんりょう年月日ねんがっぴ登記とうき年月日ねんがっぴとう)は「れい1ねん」と表記ひょうきされる。

会計かいけい年度ねんど名称めいしょう[編集へんしゅう]

れいもと年度ねんど」「れいもと年度ねんど予算よさん」とするとさだめられている[49]

元号げんごうをめぐる事件じけん出来事できごと[編集へんしゅう]

  • 歴史れきしじょう大正たいしょう初日しょにちは1912ねん7がつ30にちであるが、この受付うけつけ郵便ゆうびんぶつじつ逓便)には「(明治めいじ)45ねん7がつ30にち」の日付ひづけしるし押印おういんされている。「(大正たいしょう)1ねん」の日付ひづけしるし押印おういんされたのはよく31にち受付うけつけ郵便ゆうびんからであるとされている。「(大正たいしょう)1ねん7がつ30にち」の日付ひづけしるし押印おういんされたじつ逓便の存在そんざい確認かくにんされていない[50]
  • 大正たいしょう16ねん元旦がんたん」(1927ねん1がつ1にち)に配達はいたつされる予定よていであった年賀ねんが郵便ゆうびんには「(大正たいしょう)16ねん1がつ1にち」の日付ひづけしるし押印おういんされていたが、1926ねん大正たいしょう15ねん昭和しょうわ元年がんねんまつの12月25にち大正天皇たいしょうてんのう崩御ほうぎょしたため、年賀ねんが郵便ゆうびん取扱とりあつかいそのものが中止ちゅうしになった。ただし、それまでにけていた年賀ねんが郵便ゆうびんとしけて配達はいたつされた。訂正ていせい意味いみで「(昭和しょうわ)2ねん1がつ1にち」の日付ひづけしるし押印おういんされていたものもある[51]
  • 大正たいしょうから昭和しょうわ改元かいげんされるさい、『東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん』(げん・『毎日新聞まいにちしんぶん』)があたらしい元号げんごうを「ひかりぶん」との誤報ごほうながした。
  • 盗難とうなん預金よきん通帳つうちょう偽造ぎぞうされた保険ほけんしょう本人ほんにん確認かくにんをして銀行ぎんこうはらもどしをした過失かしつたいする民事みんじ訴訟そしょうで、銀行ぎんこうがわ保険ほけんしょう生年月日せいねんがっぴが「昭和しょうわ元年がんねん6がつ1にち」という存在そんざいしない日付ひづけ上記じょうきのとおり、昭和しょうわ元年がんねんは12月25にちからの1週間しゅうかんしかない)なのにかなかった過失かしつがあるとして敗訴はいそした事例じれい[52]がある。
  • 平成へいせいかられいへの改元かいげんたって「改元かいげんじょうじた詐欺さぎ」が相次あいついで発生はっせいし、被害ひがいしゃまでた。ほぼどう時期じきにはあたらしい元号げんごうほうじる新聞しんぶん号外ごうがいれようと人々ひとびと殺到さっとうし、怪我人けがにんまであらわれた。

コンピュータでの処理しょり[編集へんしゅう]

元号げんごう採用さいようしている日本にっぽんにおいても、コンピュータでは元号げんごうよりも西暦せいれきによる処理しょりほうつぎてんにおいて便利べんりであるとされる。

  • 元号げんごうでは改元かいげんされるごとしん元号げんごう換算かんさんする処理しょり追加ついかする必要ひつようがあるが、西暦せいれきではそれが不要ふようである。ただし、アプリケーションによっては、コンピュータの内部ないぶ処理しょりとして特定とくてい日付ひづけ基準きじゅんとした。たとえばExcelでは1900ねん明治めいじ33ねん)1がつ1にち基準きじゅんとする。シリアル管理かんりしているので、西暦せいれきであっても基準きじゅん以前いぜん使用しようする場合ばあい別途べっと計算けいさん処理しょり必要ひつようとなる。
  • 西暦せいれき使用しようする外国がいこく情報じょうほう利用りようするさいに、元号げんごう表記ひょうきするには、西暦せいれきかられき換算かんさんする処理しょり必要ひつようとなる。
  • オペレーティングシステム大半たいはんは、ファイル作成さくせい日付ひづけられるように西暦せいれき使用しようしている。
  • Unicodeでは、「㍾ (Unicode U+337E)」「㍽ (Unicode U+337D)」「㍼ (Unicode U+337C)」「㍻ (Unicode U+337B)」についてはCJK互換ごかんよう文字もじブロックにごう準備じゅんびされており、「㋿(Unicode U+32FF)」にもあらたにかこみCJK文字もじがつブロックにごう準備じゅんびされた[53]。これら以外いがい元号げんごうはいっておらず、4つ連続れんぞくしていたUnicodeの前後ぜんごにはべつ文字もじてられている(U+337Aは㍺、U+337Fは㍿)。

これらのてんから、日本にっぽんでもコンピュータでの処理しょりさいしては内部ないぶ西暦せいれきもちいているが、ほとんどの公文こうぶんしょ前述ぜんじゅつとおり、補助ほじょてき西暦せいれき併用へいようしているものも存在そんざいしている)では元号げんごう使用しようすることをはじめ、一般いっぱんにも書類しょるい事務じむ元号げんごうもちいるというニーズが根強ねづよいため、表示ひょうじ入力にゅうりょくさいしては元号げんごう使用しようできるアプリケーションがおおい。これは、とく使用しようしゃ限定げんていせず多様たよう用途ようと想定そうていされているオフィススイート顕著けんちょである(ExcelOpenOffice.orgなど多種たしゅ)。

なお、昭和しょうわ年間ねんかん使用しようされていたアプリケーションのなかには、としを「昭和しょうわ○○ねん」として入力にゅうりょくし、処理しょりされているものがある。平成へいせい以降いこうも、内部ないぶてき昭和しょうわつづきとしてあつかうため、1989ねん平成へいせい元年がんねん = 昭和しょうわ64ねん)、1990ねん平成へいせい2ねん = 昭和しょうわ65ねん)、1991ねん平成へいせい3ねん = 昭和しょうわ66ねん)…として処理しょりされる。しかし、3けたになる2025ねん(=れい7ねん昭和しょうわ100ねん)に誤作動ごさどうきる可能かのうせい昭和しょうわ100ねん問題もんだい)が懸念けねんされている。

Excel 98以前いぜんは、2けた入力にゅうりょくした場合ばあい元号げんごう優先ゆうせん処理しょりしていた。たとえば、「08.03.01」と入力にゅうりょくした場合ばあい、Excel 98以前いぜんバージョンでは「1996ねん平成へいせい8ねん)3がつ1にち」と処理しょりされていた(詳細しょうさいは「Microsoft Excel#日付ひづけ変換へんかん問題もんだい」を参照さんしょう)。なお、Excel 2000以降いこうのバージョンでは西暦せいれき(この場合ばあい「2008ねん平成へいせい20ねん)3がつ1にち」)で処理しょりされるようになっている。

なお、コンピュータにおけるファイルめい先頭せんとう部分ぶぶん元号げんごうもちいた場合ばあい単純たんじゅん文字もじコード順序じゅんじょならえると、利用りようしゃ意図いとしない順序じゅんじょになり、混乱こんらんまねくおそれがある。れいとして、本来ほんらい元治もとはる慶応けいおう明治めいじ大正たいしょう昭和しょうわ平成へいせいれい」の順序じゅんじょにすべきところが、「慶応けいおう元治もとはる昭和しょうわ大正たいしょう平成へいせい明治めいじれい」の順序じゅんじょになる(文字もじコード「シフトJIS」の昇順しょうじゅんならえた場合ばあい)。

西暦せいれき元号げんごうとの変換へんかん[編集へんしゅう]

元号げんごうによる日付ひづけ西暦せいれきとの対応たいおうひょう日本にっぽん産業さんぎょう規格きかくJIS X 0301:2019)[54]

元号げんごう 元号げんごうによる最初さいしょ日付ひづけおよ最後さいご日付ひづけ 対応たいおうする西暦せいれき日付ひづけ
明治めいじ M01.01.01(ちゅう1) 1868-01-25
M01.09.08(太政官だじょうかんれい発令はつれい 1868-10-23
M05.12.02(ちゅう2) 1872-12-31
M06.01.01(グレゴリオれき採用さいよう初日しょにち 1873-01-01
M45.07.29 1912-07-29
大正たいしょう T01.07.30 1912-07-30
T15.12.24 1926-12-24
昭和しょうわ S01.12.25 1926-12-25
S64.01.07 1989-01-07
平成へいせい H01.01.08 1989-01-08
H31.04.30 2019-04-30
れい R01.05.01 2019-05-01
  • ちゅう1)明治めいじ時代じだいまでは、慣例かんれいとして、元号げんごうわったとき、そのとしの1がつ1にちさかのぼって、その元号げんごう最初さいしょ日付ひづけとしていた(最初さいしょの「大化たいか」をのぞく)。太政官だじょうかんれい発令はつれいされたのは明治めいじ元年がんねん9がつ8にちで、その日付ひづけから明治めいじとなった。
  • ちゅう2)M06.01.01よりまえは、日本にっぽん太陰たいいん太陽暦たいようれき使つかわれていた。したがって、それ以前いぜん元号げんごう表記ひょうきは、この規格きかく適用てきよう範囲はんいがいであり、この期間きかん元号げんごうによる日付ひづけ換算かんさんには特別とくべつ注意ちゅうい必要ひつようである。

簡易かんい換算かんさんほう[編集へんしゅう]

西暦せいれきねんから元号げんごうねん簡易かんい計算けいさんする方法ほうほうとして、りたいとし西暦せいれき紀年きねんすうからかく元号げんごう元年がんねん前年ぜんねん(0ねん)の西暦せいれきいて元号げんごう紀年きねんすう算出さんしゅつする方法ほうほうがある(ぎゃくに、くわえると西暦せいれき算出さんしゅつできる)。減算げんざんは、した2けた同士どうしでもよい。

  • 1867ねん = 慶応けいおう3ねん = 明治めいじ0ねん
    • 1878ねん:78 - 67 = 明治めいじ11ねん
    • 明治めいじ11ねん:1867 + 11 = 1878ねん
    • 1967ねん:1967 - 1867 = 明治めいじ100ねん
    明治めいじ100ねん」の式典しきてん1968ねん昭和しょうわ43ねん)の10がつ23にちおこなわれた。
  • 1911ねん = 明治めいじ44ねん = 大正たいしょう0ねん
    • 1919ねん:19 - 11 = 大正たいしょう 8ねん
  • 1925ねん = 大正たいしょう14ねん = 昭和しょうわ0ねん
    • 1947ねん:47 - 25 = 昭和しょうわ22ねん
    • 昭和しょうわ63ねん:1925 + 63 = 1988ねん
    昭和しょうわ西暦せいれきした1けたが5ずれているので、比較的ひかくてきかぞえやすい。
  • 1988ねん = 昭和しょうわ63ねん = 平成へいせい0ねん
    • 1990ねん:90 - 88 = 平成へいせい2ねん
    • 1999ねん:99 - 88 = 平成へいせい11ねん
    • 2008ねん:108 - 88 = 平成へいせい20ねん
    西暦せいれきに12をしてした2けたむことで、平成へいせいねん算出さんしゅつすることもできる。
  • 2018ねん = 平成へいせい30ねん = れい0ねん
    西暦せいれきから18をいてした2けたむことで、れい和年かずとし算出さんしゅつすることができる。

元号げんごう使用しよう歴史れきし日本にっぽん[編集へんしゅう]

そうぶくてらにあるみなもときよし麿まろはか左下ひだりしたに「安政あんせい」の元号げんごうきざまれている。
1895ねん明治めいじ28ねん)11月8にち
さんこく干渉かんしょう結果けっかとなった遼東りゃおとん半島はんとう還付かんぷ条約じょうやく日本にっぽんの「明治めいじ」ときよしの「ひかりいとぐち」、ヶ国かこく年号ねんごうしるされている。

一般いっぱん難波なんばみやおこなわれた大化たいか改新かいしん645ねんに「大化たいか」がもちいられたのが最初さいしょであり、以降いこう日本にっぽんという国号こくごう使用しようはじまったとされる。なお、即位そくい改元かいげん南北なんぼくあさ以後いごから江戸えど時代じだい前半ぜんはんすうれい寛永かんえいなど)をのぞいて確実かくじつ実施じっしされている[1]

前史ぜんし[編集へんしゅう]

日本書紀にほんしょき』のおうれき原則げんそくとしておう即位そくい翌年よくねん元年がんねんとする記述きじゅつ整理せいりされている[1]。ただし『日本書紀にほんしょき』は後世こうせい編纂へんさんされたものでかくおうときにどのような紀年きねんほうだったかはべつ問題もんだいである[1]

日本書紀にほんしょき』のおうれきぜんおう崩御ほうぎょおなねん即位そくいしたか翌年よくねん即位そくいしたかにかかわらず原則げんそくとして即位そくい翌年よくねん元年がんねんとする記述きじゅつ整理せいりされている[1]例外れいがいてき孝徳天皇こうとくてんのう元号げんごう大化たいか」と『ぞく日本にっぽん』の文武ぶんぶ天皇てんのうおうれき即位そくいねん元年がんねんとなっているが、いずれも譲位じょういにより即位そくいしたれいで、諒闇りょうあん即位そくいとき翌年よくねん元年がんねんとし、譲位じょうい即位そくいとき同年どうねん元年がんねんとしている[1]。『日本書紀にほんしょき』のおうれきにおける即位そくい翌年よくねん改元かいげんする越年えつねんしょうもと(踰年しょうもと)は那珂なか通世みちよによって指摘してきされた[1]元号げんごう制度せいど確立かくりつされてからも即位そくい翌年よくねん改元かいげんする踰年改元かいげんれい江戸えど時代じだいまでみられた[1]

古墳こふん時代じだい江戸えど時代じだい[編集へんしゅう]

一般いっぱんには「大化たいか」が日本にっぽん最初さいしょ元号げんごうとされている。

元号げんごう制度せいど安定あんていてきにみられるのは文武ぶんぶ天皇てんのう5ねん701ねん)に「大宝たいほう」とけんもとしてからで、以降いこう独自どくじ元号げんごう制度せいど展開てんかいされている[1]古墳こふん時代じだいはまだられず飛鳥あすか時代ときよの「大宝たいほう」から江戸えど時代じだい末期まっき幕末ばくまつ)の「慶応けいおう」まではいちだい天皇てんのうあいだふくすうかい改元かいげんしうる制度せいどであった[1]

平安へいあん時代じだい末期まっきみなもと頼朝よりともは、寿ことぶきひさしねんじゅうがつ宣旨せんじによって朝敵ちょうてき認定にんてい赦免しゃめんされ東国とうごく支配しはいけんみとめられるまで、養和ようわついで寿ことぶきひさしへの改元かいげんをいずれもみとめず、それ以前いぜんうけたまわ年号ねんごう使つかつづけるなど、元号げんごうつよ政治せいじせいびていた。

南北なんぼくあさ時代じだいには、持明院じみょういんみつる北朝ほくちょう)、大覚寺だいかくじみつる南朝なんちょう)がそれぞれ元号げんごう制定せいていしたため、もととく3ねん/元弘もとひろ元年がんねん1331ねん)からもとなか9ねん/明徳めいとく3ねん1392ねん)まで2つの元号げんごう並存へいそんした[55]たてたけし元年がんねんどう2ねん朝廷ちょうてい分裂ぶんれつするまえであるため元号げんごう共通きょうつうであった。

室町むろまち時代ときよには、朝廷ちょうていさだめたしん元号げんごうを、将軍しょうぐんきちしょとして総覧そうらんして花押かおうえる「きちしょはじめ」とばれる儀式ぎしき改元かいげん宣言せんげんして、武家ぶけあいだ使用しようされるようになった。そのため元号げんごう選定せんていには武家ぶけ影響えいきょうりょくつよいものであった。とく室町むろまち幕府ばくふだい3だい将軍しょうぐん足利あしかが義満よしみつ以降いこう改元かいげん幕府ばくふ影響えいきょうつよまった。一方いっぽう京都きょうと幕府ばくふ対立たいりつした鎌倉かまくら改元かいげんみとめずに反抗はんこうするという事態じたいしょうじた。また応仁おうにんらんなどで朝廷ちょうてい幕府ばくふみだれると朝廷ちょうていによる改元かいげん幕府ばくふの「きちしょはじめ」のあいだひらくようになり、しん元号げんごうきゅう元号げんごう使用しようされる混乱こんらんられた。

戦国せんごく時代じだい末期まっき織田おだ信長のぶながもとかめ4ねん7がつ将軍しょうぐん足利あしかが義昭よしあき京都きょうとから追放ついほうした直後ちょくごもとかめから天正てんしょうへの改元かいげん主導しゅどうし、織田おだ政権せいけん開始かいし象徴しょうちょうする出来事できごととなった。

江戸えど時代じだいはいると幕府ばくふによってされた禁中きんちゅうなみ公家くげしょ法度はっとだい8じょうにより「かんちょう年号ねんごううち吉例きちれいもっあいじょうむべし。ただかさねて習礼しょうむにおいては、本朝ほんちょうさきぶんまわし作法さほうたるべきこと中国ちゅうごく元号げんごうなかからいものをえらべ。ただし、今後こんご習礼をかさねてあいむようになれば、日本にっぽん先例せんれいによるべきである)」とされ、徳川とくがわ幕府ばくふ元号げんごう決定けってい介入かいにゅうすることになった。また、改元かいげんしん元号げんごう実際じっさい施行しこうする権限けんげん江戸えど幕府ばくふゆうしており、朝廷ちょうていから連絡れんらくけた幕府ばくふ大名だいみょう旗本はたもとあつめて改元かいげん事実じじつげた公達きんだち)より施行しこうされることになっていた。これは朝廷ちょうていのある京都きょうとにおいても同様どうようであり、朝廷ちょうてい江戸えど幕府ばくふ改元かいげん正式せいしき通知つうちをして、幕府ばくふ江戸城えどじょうしょ大名だいみょうらに公達きんだちおこない、江戸えどから派遣はけんされた幕府ばくふ使者ししゃ京都きょうとまち奉行ぶぎょう改元かいげん公達きんだちおこない、町奉行まちぶぎょう改元かいげんまちさわおこなったのちはじめて施行しこうされるものとされた。京都きょうと役人やくにん民衆みんしゅうはたとえ改元かいげん事実じじつっていても、まちさわされるまえしん元号げんごう使つかうことはきんじられていた[56]

ひろ庶民しょみんにも年号ねんごうつたわるようになったのは、江戸えど時代じだいになってからのことである[57]

江戸えど時代じだいまで元号げんごういちだい天皇てんのうあいだふくすうかい改元かいげんしうるもので後世こうせいになるほど祥瑞しょうずいからしとりねんでの改元かいげんえた[1]即位そくい改元かいげんでは9世紀せいき以降いこう践祚せんそ翌年よくねん改元かいげんする踰年改元かいげん江戸えど時代じだいには即位そくい翌年よくねん改元かいげんするのが通例つうれいであった(ただし中国ちゅうごくのように改元かいげんつき正月しょうがつ固定こていされなかった)[1]。また、南北なんぼくあさ以後いごから江戸えど時代じだい前半ぜんはんにかけて即位そくい改元かいげん実施じっしされなかったれいがいくつかある(後水尾天皇ごみずのおてんのう御世みよ改元かいげんされた「寛永かんえい」は明正めいせい天皇てんのう即位そくいしても改元かいげんされなかったれいなど)[1]

明治めいじ時代じだい以後いご[編集へんしゅう]

慶応けいおう以前いぜんは、在位ざいいした天皇てんのう交代こうたい以外いがいにも随意ずいい改元かいげん吉事きちじさい祥瑞しょうずい改元かいげんだい規模きぼ自然しぜん災害さいがい戦乱せんらんなどが発生はっせいしたときわざわい改元かいげんなど)していた。しかし、戊辰戦争ぼしんせんそう結果けっかとして全国ぜんこく政府せいふ奪取だっしゅした明治めいじ政府せいふは、明治めいじ改元かいげんしたとき一世一元いっせいいちげんみことのり発布はっぷし、明治めいじ以後いごは、現在げんざいいたる、しん天皇てんのう即位そくい限定げんていして改元かいげんする「一世一元いっせいいちげんせい」に変更へんこうされた。これにより、からしとり改元かいげん甲子きのえね改元かいげん廃止はいしされた。さらに、1872ねん明治めいじ5ねん)には、西洋せいようわせて太陽暦たいようれきグレゴリオれき)へと移行いこうすることになり、「旧暦きゅうれき太陰たいいん太陽暦たいようれき)にわるこよみとして永久えいきゅうにこれを採用さいようする」との太政官だじょうかん布告ふこくにより採用さいようされた[58]詳細しょうさいは「明治めいじ改暦かいれき」を参照さんしょう)。それにともない、元号げんごう干支えと神武じんむ天皇てんのう即位そくい紀元きげん皇紀こうき神武じんむれき[ちゅう 14]くわえて、キリスト紀元きげん西暦せいれき西紀せいき)の使用しようはじまったが、だい世界せかい大戦たいせんときには西暦せいれきはむしろ敵性てきせいあつかいされたふしもあった。その太陽暦たいようれき移行いこうしても、1910年代ねんだいまでは旧来きゅうらい太陰たいいん太陽暦たいようれき天保てんぽうれき)でのこよみ併記へいきされていたように、年数ねんすうかぞえるにおいて民衆みんしゅうには浸透しんとうしづらかった側面そくめんもある。そして、1889ねん明治めいじ22ねん)に公布こうふされたきゅう皇室こうしつ典範てんぱん1909ねん明治めいじ42ねん)に公布こうふされた登極とうきょくれい皇室こうしつれい一部いちぶ)に「(天皇てんのうの)践祚せんそただちに元号げんごうあらためる」と規定きていされ、元号げんごう法的ほうてき根拠こんきょしょうじた。

だい世界せかい大戦たいせん敗戦はいせんのちに、日本国にっぽんこく憲法けんぽう制定せいていともな皇室こうしつ典範てんぱん改正かいせいをもって、元号げんごう法的ほうてき根拠こんきょ一時いちじ消失しょうしつした。しかし慣例かんれいというかたちで、官民かんみんわず「昭和しょうわ」の元号げんごう使用しようされつづけた。だが、だい世界せかい大戦たいせん終結しゅうけつ翌年よくねんたる1946ねん昭和しょうわ21ねん)1がつには、尾崎おざき行雄ゆきお帝国ていこく議会ぎかい衆議院しゅうぎいん議長ぎちょう改元かいげん意見いけんしょ提出ていしゅつした。この意見いけんしょにおいて、尾崎おざきは、だい世界せかい大戦たいせんやぶれた1945ねん昭和しょうわ20ねんかぎりで「昭和しょうわ」の元号げんごう廃止はいしして、1946ねん昭和しょうわ21ねん)をもって「新日本しんにほん」の元年がんねんとして、1946ねん昭和しょうわ21ねん以後いご無限むげんの「新日本しんにほんNとし」の表記ひょうきもちいるべきだと主張しゅちょうした。これにたいして、石橋いしばし湛山たんざんは、『東洋経済新報とうようけいざいしんぽう1946ねん昭和しょうわ21ねん1がつ12にちごうのコラム「あらわ正義せいぎ」において、「元号げんごう廃止はいし」と「西暦せいれき使用しよう」を主張しゅちょうした。1950ねん昭和しょうわ25ねん)2がつ下旬げじゅんになると、国会こっかい参議院さんぎいんで「元号げんごう廃止はいし」が議題ぎだいがった。ここで東京大学とうきょうだいがく教授きょうじゅ坂本さかもと太郎たろうは、元号げんごう使用しようは「独立どくりつこく象徴しょうちょう」であり、「西暦せいれきなに世紀せいきというような機械きかいてき時代じだい区画くかくなどよりは、はるかに意義いぎふかいものをって」いるじょうさらに「大化たいか改新かいしんであるとかたてたけし中興ちゅうこうであるとか明治維新めいじいしん」という名称めいしょうをなし、「日本にっぽん歴史れきし日本にっぽん文化ぶんか緊密きんみつ結合けつごうし」ていることは今後こんご同様どうようであるため、便利べんり元号げんごうを「廃止はいしする必要ひつよう全然ぜんぜんみとめられない」一方いっぽうで「存続そんぞくしなければならん意義いぎ沢山たくさん存在そんざいする」と熱弁ねつべんをふるい元号げんごう正当せいとうせい主張しゅちょうつづけた[59]。さらに1950ねん昭和しょうわ25ねん)5がつ日本にっぽん学術がくじゅつ会議かいぎ吉田よしだしげる首相しゅしょうあてに「天皇てんのう統治とうち端的たんてきにあらわした元号げんごう民主みんしゅ国家こっかにふさわしくない」として、元号げんごう廃止はいし西暦せいれき採用さいようもうれる決議けつぎおこなった[60]

1950ねん昭和しょうわ25ねん)6がつ朝鮮ちょうせん戦争せんそう勃発ぼっぱつすると、元号げんごう議題ぎだい棚上たなあげされた。以来いらい元号げんごう廃止はいしあらたな元号げんごうかんする議論ぎろん低調ていちょうにとどまることとなる。その1979ねん昭和しょうわ54ねん)に元号げんごうほう制定せいていされ、議論ぎろん事実じじつじょう終結しゅうけつした。これは昭和しょうわ天皇てんのう高齢こうれいと、1976ねん昭和しょうわ51ねん当時とうじ世論せろん調査ちょうさ国民こくみんの87.5%が元号げんごう使用しようしている実態じったい[61]かんがみたものである。元号げんごうほうでは「元号げんごう皇位こうい継承けいしょうがあった場合ばあいかぎあらためる」とさだめられ、明治めいじ以来いらいの「一世一元いっせいいちげんせい維持いじされた。ここでふたた元号げんごう法的ほうてき根拠こんきょまれ、現在げんざいいたるまで元号げんごう西暦せいれき双方そうほう使用しようされつづけることとなる。ただし、皇紀こうき神武じんむ天皇てんのう即位そくい紀元きげん)にかんしては現在げんざい、(文化ぶんかてきでの使用しようのぞき)公文書こうぶんしょにて使用しようされていない。

もっと期間きかんなが元号げんごうみじか元号げんごう[編集へんしゅう]

日本にっぽん元号げんごうもっと期間きかんなが元号げんごうは「昭和しょうわ」の62ねんと14にちもっと期間きかんみじか元号げんごうは「こよみひとし」の2かげつと14にちである。昭和しょうわ日本にっぽんだけでなく、元号げんごうもちいていたすべてのくに元号げんごうなかでももっとなが元号げんごうである。

年数ねんすうもっとなが元号げんごうも「昭和しょうわ」で、64ねんまである。ぎゃく元年がんねんのみ使つかわれた元号げんごうは「朱鳥あすか」と「天平てんぴょうかんたから」がある。こよみじん期間きかんないもとはさんでいるため2ねんまである。

アジアにおける歴史れきし[編集へんしゅう]

あきら発行はっこうされた大明だいめい通行つうこうたから鈔とばれる紙幣しへい左下ひだりしたひろしたけ元号げんごうかれている。

中国ちゅうごく元号げんごう制度せいどはじまるのはかんたけみかど時代じだいのことである[1]かんたけみかど治世ちせいだい36ねん - もとかなえ2ねん紀元前きげんぜん115ねんごろ治世ちせいだい1ねん紀元前きげんぜん140ねん)に遡及そきゅうして「たてはじめ」という元号げんごう創始そうしされて以降いこうきよしまでもちいられた。

ぜん近代きんだい朝鮮ちょうせん雲南うんなん[編集へんしゅう]

中国ちゅうごく元号げんごうは、中華ちゅうか帝国ていこくさつふうけた朝鮮ちょうせん高句麗こうくり百済くだらしんこううらら朝鮮ちょうせん)、雲南うんなんみなみみことのりだい)でもそのまま使つかわれた。しんによる朝鮮半島ちょうせんはんとう統一とういつ直前ちょくぜんしん独自どくじ元号げんごう使用しようしたが、このときは、おそらくは白村はくそんこうたたかさきだつとうとの同盟どうめい締結ていけつのため、短期間たんきかん廃止はいしされた。高麗こうらい初期しょき朝鮮ちょうせん末期まっきかんまつ)にも独自どくじ元号げんごう短期間たんきかん使用しようされた。朝鮮ちょうせんにおいては、ベトナムと同様どうよう紀年きねんにおいて中国ちゅうごく元号げんごう + 年数ねんすうわりに自国じこくおう皇帝こうていびょうごう + 干支えとわせて使つかうことがよくあった。

ぜん近代きんだい満州まんしゅうとベトナム(こしみなみ[編集へんしゅう]

8世紀せいき初頭しょとう以降いこう満州まんしゅうまさる渤海国王こくおうだい武芸ぶげいじんやす元年がんねん以降いこうりょうきむ後金あときんて、あいしんさとしだいきよし帝国ていこく溥儀ふぎせんみつる2ねんまで)、日本にっぽん文武ぶんぶ天皇てんのう治世ちせいだい5ねん大宝たいほう元年がんねん以降いこう現在げんざいまで)と、10世紀せいきまつ以降いこうのベトナム(ちょうだい瞿越こく太平たいへい元年がんねん以降いこう阮氏大南おおみなみ帝国ていこくだい20ねんまで)は、中華ちゅうか帝国ていこくさつふうけた時期じきもあったが、つね独自どくじ元号げんごう使用しようし、中国ちゅうごく対等たいとう立場たちばあらわした。満州まんしゅうからきよし中国ちゅうごく本土ほんどあきらおよ台湾たいわんていあずまやすし)をたおして中華ちゅうか帝国ていこく統治とうちし、満州まんしゅう元号げんごう中国ちゅうごく本土ほんどおよ台湾たいわんでももちいられた。ベトナムにおいても、朝鮮ちょうせん同様どうように、紀年きねんにおいて中国ちゅうごく元号げんごう + 年数ねんすうわりに自国じこくおう皇帝こうていびょうごう + 干支えとわせて使つかうことがよくあった。ベトナム阮朝では、みなみベトナムのこうみなみ阮氏の正史せいし編纂へんさんさいし、阮氏歴代れきだいびょうごう + 干支えと中国ちゅうごく元号げんごう大越おおこしきたベトナムのはじむあさ)の元号げんごうみっつを併記へいきした。

ぜん近代きんだい琉球りゅうきゅう[編集へんしゅう]

伝承でんしょうじょう琉球りゅうきゅう国王こくおう系譜けいふしゅんてん清和せいわはじめ系統けいとう)となおからる。琉球りゅうきゅう12世紀せいき日本にっぽん本土ほんどからすめらぎべつ氏族しぞくである清和せいわはじめしゅんてんみことあつし源義家みなもとのよしいえよんせいまごである源為朝みなもとのためともつたえられる)によって建国けんこくされた。この伝承でんしょうによれば鎌倉かまくら幕府ばくふみなもと琉球りゅうきゅう王国おうこくしゅんたかし一家いっかである。そのすうだいしゅんたかししょうえい)と交替こうたいした。なお琉球りゅうきゅうもとたおしたあかり朝貢ちょうこうし、しょう大明だいめい皇帝こうていによって琉球りゅうきゅう国王こくおうみとめられるさつふう体制たいせいぞくした。17世紀せいき初頭しょとう島津しまつによる琉球りゅうきゅう侵攻しんこうによるしょう琉球りゅうきゅう保護ほごこく以降いこうも、なお琉球りゅうきゅう国内外こくないがい中国ちゅうごく元号げんごうあきらおよきよし年号ねんごう) + 年数ねんすう使つかっていたが、琉球りゅうきゅう通信使つうしんしなどのような島津しまつおなじく源義家みなもとのよしいえよんせいまごであるみなもと頼朝よりとも庶出しょしゅつ自称じしょうするが、日向ひなたこく島津しまつそうにあった藤原ふじわらきた近衛このえ領地りょうちそうかんねており、りょうであった藤原ふじわら朝臣あそん本姓ほんせいとする)や徳川とくがわおなじく源義家みなもとのよしいえよんせいまごであるとくがわよりゆきゆう/とくかわよりゆきゆう子孫しそん自称じしょう)とのやりとりのさいには日本にっぽん元号げんごう + 年数ねんすう使つかった。

中国ちゅうごく[編集へんしゅう]

かんたけみかど以前いぜんおう皇帝こうてい即位そくい年数ねんすうによる即位そくい紀元きげん方式ほうしきもちいられていた(在位ざいい紀年きねんほうおうれき[1]当時とうじ紀年きねんほうではあたらしい天子てんし即位そくいした翌年よくねんはじめのとしとする認識にんしきがとられていることがおお[1]たとえば『どおりかん』によればしゅうれつおう23ねん翌年よくねん安王やすおう元年がんねん高祖こうそ12ねん翌年よくねんこうきさき元年がんねんとなっている[1]。また『史記しき』のこう武本たけもとおさむではこうけいくずれじた翌年よくねん元年がんねんとしている[1]。このようにおうれきにおいて即位そくい翌年よくねんからつぎ天子てんし元号げんごうはじめることを「踰年しょうもと」といい[1]即位そくいねんさき天子てんし没年ぼつねん)からつぎ天子てんし元号げんごうはじめることを「没年ぼつねんしょうもと」という。ただし『史記しき』でも孝文たかふみ本紀ほんぎこうけい本紀ほんぎとでは記載きさい混乱こんらんがみられ、史書ししょによっても混乱こんらんがみられる部分ぶぶんがある[1]。そのため史書ししょ編纂へんさん過程かていで『どおりかん』のような体裁ていさいととのえられていったとするせつがある[1]

元号げんごう制度せいどはじまったのはかんたけみかど時代じだいからだが、あきらふとしひろしたけみかどしゅもとあきら)により一世一元いっせいいちげんせいがとられるまで、一人ひとり皇帝こうてい治世ちせいちゅうにしばしば改元かいげんされた[1]たけみかどとき、「もと」は祥瑞しょうずいによってめるべきで、即位そくいとしを「けん」、彗星すいせい出現しゅつげんとしを「ひかり」、麒麟きりん捕獲ほかくとしを「かり」とすることが献策けんさくされた。これによって「たてはじめ」「もとひかり」「もとかり」といった元号げんごうつくられ、以後いご、このような漢字かんじめいかんした元号げんごうもちいる紀年きねんほうおこなわれるようになった。

中国ちゅうごくでは元号げんごう制度せいど正式せいしきもうけられたのちも、即位そくい改元かいげん場合ばあい原則げんそくとしてぜん皇帝こうていくなったとしのうちは改元かいげんおこなわず、しん皇帝こうてい翌年よくねん正月しょうがつ改元かいげんする方式ほうしきがとられた(踰年しょうもと、踰年改元かいげん[1]伊藤いとう東涯とうがいは『制度せいどどおり』において「先君せんくんくずし薨ののち明年みょうねん元年がんねんうん、踰年改元かいげんすとうんなり。」としている[1]。ただし、王朝おうちょう交替こうたいにはしん皇帝こうてい即位そくいとほぼ同時どうじ政変せいへん譲位じょういときしん皇帝こうてい即位そくい同時どうじあいだをおいて改元かいげんされることがおおかった[1]

あかりふとししゅもとあきら)は、皇帝こうてい即位そくいのたびに改元かいげんする一世一元いっせいいちげんせい制定せいていした。これにより実質じっしつてき在位ざいい紀年きねんほうもどったといえるが、紀年きねんすう元号げんごう漢字かんじめい)がされることがことなっている。また元号げんごう皇帝こうてい死後しご通称つうしょうとなった。

1911ねんからし革命かくめいによって満州まんしゅうぞくあいしんさとし王朝おうちょうきよしたおれると元号げんごう廃止はいしされた。各省かくしょう政府せいふ当初とうしょ革命かくめいみかど紀元きげんもちいていたが、これもまた帝王ていおう在位ざいいによる紀年きねんほうであり、共和きょうわせいになじまないという理由りゆうで、中華民国ちゅうかみんこく建国けんこくさいし、1912ねん中華民国ちゅうかみんこく元年がんねんりゃくしてみんこく元年がんねん)とする「みんこく紀元きげん」がさだめられた。1916ねん袁世凱みかどせい中華ちゅうか帝国ていこく)をいたときには「ひろしけん」の元号げんごうてた。ただし、しんしつ優待ゆうたい条件じょうけんによってせんすべみかど溥儀ふぎむらさき禁城きんじょう従来じゅうらいどおりの生活せいかつ保障ほしょうされており、宮廷きゅうてい内部ないぶへりくだきよし皇室こうしつしょう朝廷ちょうてい)では「せんみつる」の元号げんごうつづ使用しようされていた。このことが溥儀ふぎの「復辟ふくへきみかどせい復活ふっかつ」への幻想げんそうんだ。

まんしゅうこく1932ねん建国けんこくされると「大同だいどう」とけんげんし、1934ねん溥儀ふぎ皇帝こうてい即位そくいしてまんしゅう帝国ていこくになると「康徳やすのり」と改元かいげんされた。だい世界せかい大戦たいせん末期まっきの1945ねん8がつソビエト連邦れんぽうによるまんしゅう侵攻しんこうまんしゅう帝国ていこく滅亡めつぼうすると、ふたた元号げんごう廃止はいしされた。

中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく大陸たいりく制覇せいはすると、「おおやけもと」という名称めいしょう西暦せいれき採用さいようされる。しかし、これはキログラムが「おおやけきん」と、キロメートルが「公里くり」と表記ひょうきされるのとおなじで、元号げんごうとしてではなく、common eraの中国語ちゅうごくごやく表記ひょうきである。同様どうようにベトナムでもおおやけもと công nguyênという名称めいしょう西暦せいれき採用さいようされる。

現代げんだい台湾たいわん[編集へんしゅう]

中華民国ちゅうかみんこく台湾たいわん)では、正月しょうがつ元旦がんたんぶし)はのうれき正月しょうがつきゅう正月しょうがつ)をいわ一方いっぽうおおやけもと西暦せいれき)と同期どうきした「中華ちゅうかみんこく紀元きげん」が、からし革命かくめい1911ねん)の翌年よくねん1912ねん以降いこう台湾たいわんこうふく1945ねん10月25にち)、台北たいぺい遷都せんと(1949ねん12月7にち)を現在げんざいいたるまで公式こうしきもちいられている。西暦せいれき1912ねん1がつ1にちみかど紀元きげん4609ねん旧暦きゅうれき11がつ13にちだいきよし帝国ていこくせんすべ2ねん旧暦きゅうれき11がつ13にち中華民国ちゅうかみんこく元年がんねん1がつ1にち( = 日本にっぽん明治めいじ45ねん1がつ1にち)。

みんこく紀元きげんは、厳密げんみつには国号こくごうであって、紀元きげんでも元号げんごうでもないが、元号げんごうのように公的こうてき使用しようされている。台湾たいわん独立どくりつ時代じだい元号げんごうとして、ていあずまやすしこくながれき(もと南明なんめい元号げんごう、1662ねん - 1683ねん)、台湾たいわん民主みんしゅこくえいきよし(1895ねん)があるが、ていあずまやすしこく台湾たいわん民主みんしゅこく建設けんせつ中華民国ちゅうかみんこく台北たいぺい遷都せんとにちなむ台湾たいわん紀元きげんのような紀年きねんほうはない。また、1949ねん以降いこう中国ちゅうごく中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく)では一般いっぱん公文書こうぶんしょには「おおやけもと」(西暦せいれき)を使用しようし、元号げんごうやそれにじゅんじたみんこく紀元きげんのような紀年きねんほうく、西暦せいれき使用しようはばかられる宗教しゅうきょう建築けんちくむねさつなどには干支えとのうれき旧暦きゅうれき)による紀年きねんもちいられる。西暦せいれき2024ねん中華民国ちゅうかみんこく113ねんである。

現代げんだい朝鮮ちょうせん[編集へんしゅう]

朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく北朝鮮きたちょうせん)では、正月しょうがつ元旦がんたんぶし)は陰暦いんれき正月しょうがつきゅう正月しょうがつ)をいわ一方いっぽう陽暦ようれき西暦せいれき)と同期どうきした「主体しゅたい紀元きげん」が、きむ正日じょんいる統治とうちだい3ねん(1997ねん以降いこう現在げんざいいたるまで公式こうしきもちいられている。「1997ねん主体しゅたい86ねん」であり、元年がんねん~85ねんまでは観念かんねんうえ存在そんざいであって遡及そきゅうてき使用しようされ、きむ正日じょんいるちちきむ日成いるそんまれた「1912ねんみんこく元年がんねん大正たいしょう元年がんねん)= (観念かんねんじょうの)元年がんねん」とする。

主体しゅたい紀元きげんは、厳密げんみつにはイデオロギーこうごう(こうごう、スローガン)であって、紀元きげんでも元号げんごうでもないが、みんこく紀元きげん同様どうよう公的こうてき使用しようされている。日本にっぽんでは1872ねん明治めいじ5ねんまつ改暦かいれき旧暦きゅうれき廃止はいしされ、よく1873ねん明治めいじ6ねん以降いこう元号げんごう西暦せいれき同期どうきするようになったが、朝鮮ちょうせんこく(1897ねん以降いこう大韓たいかん帝国ていこく)においても1895ねん開国かいこく504ねんまつ改暦かいれき旧暦きゅうれき廃止はいしされ、よく1896ねんこうそうけん元年がんねん以降いこう大韓たいかん帝国ていこく消滅しょうめつした1910ねんじゅんむねりゅう4ねんまで西暦せいれき同期どうきした元号げんごうもちいられた。1912ねん = 【観念かんねんじょう朝鮮ちょうせん開国かいこく521ねん】 = 【観念かんねんじょう朝鮮ちょうせんじゅんむねりゅう6ねん】 = 朝鮮ちょうせん主体しゅたい元年がんねん中華民国ちゅうかみんこく元年がんねん( = 日本にっぽん大正たいしょう元年がんねん)。このほか、朝鮮ちょうせんこくで1870ねん - 1896ねんまでもちいられた開国かいこく紀元きげん旧暦きゅうれき同期どうき、1392ねん元年がんねんとする)や、大韓民国だいかんみんこく韓国かんこく)の大韓民国だいかんみんこく紀元きげん西暦せいれき同期どうきさんいち独立どくりつ運動うんどうとし大韓民国だいかんみんこく臨時りんじ政府せいふ上海しゃんはい成立せいりつとし、1919ねん元年がんねんとする)、だんくん紀元きげん(もと旧暦きゅうれき同期どうきしていたが1948ねん以降いこう西暦せいれき同期どうきする、ひらきてん紀元きげんともいう、『さんこくのここと』に記録きろくされただんくん神話しんわもとづき、だんくん即位そくいとしである、中国ちゅうごくみかどみかど治世ちせいだい50ねん紀元前きげんぜん2333ねん旧暦きゅうれき10がつ3にち」を元年がんねん即位そくいねん即位そくいとし、いま西暦せいれき10がつ3にちひらきてんぶしとしていわう)などの紀年きねんほうがある。1961ねん以降いこう韓国かんこくでは一般いっぱん公文書こうぶんしょには「陽暦ようれき」(西暦せいれき)を使用しようし、だんくん紀元きげん使用しようされず、元号げんごうやそれにじゅんじた主体しゅたい紀元きげんのような紀年きねんほうもない。西暦せいれき2024ねん朝鮮ちょうせん主体しゅたい113ねん( = 中華民国ちゅうかみんこく113ねん)である。

現代げんだいのベトナム[編集へんしゅう]

ふつりょうインドシナ時代じだい漢文かんぶん公文書こうぶんしょ表記ひょうき
ちゅう圻欽使」はふつりょうインドシナ総督そうとく機関きかんであるので西暦せいれきで、「機密きみついん」は阮朝大南おおみなみ政府せいふ機関きかんであるので「だい」が使つかわれている。

ベトナム社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこく共和きょうわ社会しゃかい主義しゅぎえつみなみ)の指導しどう政党せいとうであるベトナム共産党きょうさんとう設立せつりつ記念きねんは1930ねん2がつ3にち大南おおみなみたもつだい5ねん/旧暦きゅうれき1がつ5にち)であり、かなら西暦せいれきいわわれ、旧暦きゅうれき1がつ5にちいわわれることはない。一方いっぽう、ベトナムもまた正月しょうがつ元旦がんたんぶし)は台湾たいわん朝鮮ちょうせん同様どうよう陰暦いんれき正月しょうがつきゅう正月しょうがつ)をいわう。また、元旦がんたんぶし清明せいめいぶし春分しゅんぶんぶしなどの伝統でんとうぶし紀年きねんにおいては、おおやけもと西暦せいれき)ではなく旧暦きゅうれき同期どうきした共和きょうわ社会しゃかい主義しゅぎえつみなみ紀元きげん[よう出典しゅってん]が、ベトナム戦争せんそう終結しゅうけつさせたサイゴン陥落かんらくみなみベトナム革命かくめい(1975ねん)の翌年よくねん(1976ねん以降いこう現在げんざいいたるまで非公式ひこうしきもちいられている。1976ねん共和きょうわ社会しゃかい主義しゅぎえつみなみ32ねんであり、元年がんねん~31ねんまでは観念かんねんじょう存在そんざいであって遡及そきゅうてき使用しようされる。共和きょうわ社会しゃかい主義しゅぎえつみなみ紀元きげんは、厳密げんみつには国号こくごうであって、紀元きげんでも元号げんごうでもないが、マ字まじやキリスト紀元きげん西暦せいれき)の使用しようはばかられる宗教しゅうきょう建築けんちく村落そんらく集会しゅうかいしょちん)やてらびょうぞくほこらむねさつなどには、原則げんそくとして漢字かんじおよ喃字、チューノム)とかん数字すうじで、阮氏大南おおみなみ帝国ていこく時代じだい元号げんごう年号ねんごう)のように使用しようされている。実際じっさいにはマ字まじ算用さんよう数字すうじ場合ばあいもあり、共和きょうわ社会しゃかい主義しゅぎえつみなみ紀元きげんわりに干支えと陰暦いんれき旧暦きゅうれき)による紀年きねんもちいられる場合ばあいもあって、その使用しようかならずしも絶対ぜったいではない。1945~1954ねんまで、ベトナムのちんてらびょうぞくほこらなどでは西暦せいれきけて干支えと国長くにおさ年号ねんごうおおまたはだい南保なんぼまさるふつぐん支配しはい地域ちいきのベトナムにおけるきゅう阮朝帝室ていしつ国長くにおさせいは1945~55ねんまで継続けいぞく)、国号こくごうえつみなみ民主みんしゅ共和きょうわ)、じゅん国号こくごうえつみなみみんこく、1945~54ねんまで、ベトナム民主みんしゅ共和きょうわこく官報かんぽうは『えつみなみみんこく公報こうほう』であった)を非公式ひこうしき使用しようしたとかんがえられる。きゅうきたベトナムのちんてらびょうぞくほこらなどでは1954~1975ねんまで1945ねん元年がんねんとするえつみなみ民主みんしゅ共和きょうわ紀元きげん非公式ひこうしき使用しようされ、きゅうみなみベトナムでは1955~1975ねんまで1955ねん元年がんねんとするえつみなみ共和きょうわ紀元きげん非公式ひこうしき使用しようされて、現存げんそんする寺社じしゃむねさつなどでその使用しよう確認かくにんできる。共和きょうわ社会しゃかい主義しゅぎえつみなみ紀元きげん観念かんねんじょう元年がんねんは、えつみなみ民主みんしゅ共和きょうわ紀元きげんどうじ、はちがつ革命かくめいとし、1945ねんである。1945ねん大南おおみなみたもつだい20ねんえつみなみ民主みんしゅ共和きょうわ元年がんねん = 【観念かんねんじょう共和きょうわ社会しゃかい主義しゅぎえつみなみ元年がんねん】(= 日本にっぽん昭和しょうわ20ねん)である。

このほかに、おなじく旧暦きゅうれき同期どうきしたゆうおう紀元きげん(フンヴオン紀元きげん)がある。おおとり紀元きげん(ホンバン紀元きげん)ともいう。ゆうおう紀元きげんは、『大越おおごえ史記しきおよび『大越おおごえ史記しき全書ぜんしょ』に記録きろくされた神話しんわゆうおうみかどあかりせつ)にもとづき、初代しょだいフンヴオン(ゆうおう涇陽おうおおとり厖氏即位そくいとしである、中国ちゅうごくさんすめらぎほのおみかどかみみのりだいさんせいまごみかどあきら)の没年ぼつねん紀元前きげんぜん2879ねん元年がんねんとする。このため、ベトナムじんあいだでは「ベトナムせんねん歴史れきし」といういいまわしが存在そんざいする。ベトナムでは「ベトナム(おおとり厖氏文郎ふみおこく建国けんこくとし建国けんこくは、初代しょだいフンヴオンのちちおうみかどあきら没年ぼつねんであり命日めいにち忌日きじつ(ゾー Giỗ)である」という「没年ぼつねんしょうもと」の観点かんてんから、建国けんこく記念きねん旧暦きゅうれき3がつ10日とおか」をゆうおう(ゾートーフンヴオン、Giỗ Tổ Hùng Vương)という。ゆうおう紀元きげんゆうおういわうえでの観念かんねんじょう紀元きげんであり、ゆうおう以外いがい使用しようされることはまれである。

1887ねんフランスによる阮氏大南おおみなみ帝国ていこく保護ほごこく以降いこう、ベトナムの一般いっぱん公文書こうぶんしょは「西紀せいき」(西暦せいれき同期どうきする)と元号げんごう年号ねんごう旧暦きゅうれき同期どうきする)が併記へいきされ、1945ねん以降いこう独立どくりつベトナムしょ政権せいけん元号げんごう旧暦きゅうれき廃止はいしして「おおやけもと」(西暦せいれき)だけを使用しようしたため、旧暦きゅうれき3がつ10日とおか固定こていされたベトナムの建国けんこく記念きねんゆうおう)は、きゅう正月しょうがつ元旦がんたんぶし)とともに、ベトナムの国民こくみん祝日しゅくじつのうち「移動いどう祝日しゅくじつ」(毎年まいとし西暦せいれきじょう日付ひづけ移動いどうする祝日しゅくじつ)となっている。西暦せいれき2022ねん1がつ25にち = 【観念かんねんじょうゆうおう紀元きげん4900ねん旧暦きゅうれき正月しょうがつ元日がんじつ】 = 共和きょうわ社会しゃかい主義しゅぎえつみなみ77ねん旧暦きゅうれき正月しょうがつ元日がんじつ(=日本にっぽんれい4ねん1がつ25にち)である。

東北とうほくアジア、東南とうなんアジアの神話しんわ紀元きげん王室おうしつはな伝承でんしょう[編集へんしゅう]

朝鮮ちょうせん・ベトナム王室おうしつはな伝承でんしょう[編集へんしゅう]

旧暦きゅうれき同期どうきした中国ちゅうごくみかど紀元きげん朝鮮ちょうせんこううらら)のだんくん紀元きげん、ベトナム(大越おおこし)のおう紀元きげんは、いずれもとう司馬しばさだ史記しき』(732ねんごろ完成かんせい以下いか史記しき』としょうする)の さんすめらぎ本紀ほんぎ司馬しば遷『史記しき』(紀元前きげんぜん90ねんごろ完成かんせい)のみかど本紀ほんぎ記載きさいされた中国ちゅうごく神話しんわ朝鮮ちょうせん場合ばあいはプラスしてインド神話しんわ)にもとづき、みずからの王家おうけ祖先そせんはな裔(中華ちゅうか皇帝こうてい血統けっとう)とするかたちで、13世紀せいきまでに創作そうさくされた神話しんわ紀元きげんである。『史記しき』にもとづいて古代こだいしょ帝王ていおう系譜けいふじゅんうと、(1)だい3だいさんすめらぎ初代しょだいえんみかどかみみのりみかどせきねん、(2)みかど臨魁(いしねん)、(3)みかどうけたまわみかど臨魁の)、(4)みかどあきらみかどうけたまわみかどせきねんさんせいまご)とつづき、みかどあかり庶子しょしがベトナムの初代しょだいフンヴオン(ゆうおう涇陽おう)となる。その、(5)みかどじきみかどあかり初代しょだいフンヴオン涇陽おう異母いぼけい、ベトナムの伝承でんしょうではみかどよろし)、(6)みかど嫠(みかどじき)、(7)みかどあいみかど嫠の、ベトナムの伝承でんしょうではみかどらいで、だいだいフンヴオンむじなりゅうくんしゅうとつまおうなひめちち)、(8)みかどかつみかどあい)(9)みかどにれ罔(みかどかつ)とつづき、みかどにれ罔をたおしてさんすめらぎ時代じだい終焉しゅうえんさせ、あらたなみかど時代じだい開始かいしし、また干支えとつくったのが、(1)初代しょだいみかどみかどである。さんすめらぎのうち庖犠とおんな媧はへびであり、かみみのり人身じんしんだがその子孫しそんのベトナムのだいだいフンヴオンむじなりゅうくんふたたへびりゅうたね)となっており、みかどいたってようやく人間にんげん世界せかい統治とうちしゃになったとつたえられる。みかどつづいて、(2)みかど顓頊(みかどせいまご)、(3)みかど嚳(みかど顓頊のおいみかどさんせいまご)、(4)みかど堯(みかど嚳の)とつづき、みかど堯の治世ちせいだい50ねん帝釈天たいしゃくてん(インドラ、桓因)のせいまごであるだんくん朝鮮ちょうせん降臨こうりんした(人間にんげんではなくくまからだであったとつたえられる。『ラーマーヤナ』物語ものがたりさるおうヴァーリンはくまおうであるともいわれ、だんくん同様どうようにインドラの子孫しそんである)。その、(5)みかどしゅんみかど堯の女婿じょせい)がみかど堯から禅譲ぜんじょうけ、いで(1)初代しょだいなつおうとなるなつ禹、禹王)がみかどしゅんから禅譲ぜんじょうけてなつあさ創業そうぎょうした。以後いごなついんしゅう西にしあまね)へいたり、あずまあまね春秋しゅんじゅう戦国せんごく時代じだい以降いこう神話しんわてき記述きじゅつえて歴史れきし時代じだいはいる。

日本にっぽん皇室こうしつはな伝承でんしょう[編集へんしゅう]

 1872ねん明治めいじ5ねん)に制定せいていされた日本にっぽん神話しんわ紀元きげんすなわち神武じんむ天皇てんのう即位そくい紀元きげん皇紀こうき)は、『日本書紀にほんしょき』(養老ようろう4ねん720ねんごろ完成かんせい)の紀年きねんげんよしみれきおおとりれきによる干支えと紀年きねん)を西暦せいれき換算かんさんし、西暦せいれき同期どうきしており、またその由来ゆらいが『史記しき』(天平てんぺい4ねん732ねんごろ)に記述きじゅつされた中国ちゅうごく神話しんわとは無関係むかんけいであるてんで、中国ちゅうごくみかど紀元きげん朝鮮ちょうせんだんくん紀元きげん、ベトナムのゆうおう紀元きげんことなる。しかし、日本にっぽん皇室こうしつはな伝承でんしょうがなかったわけではない。中国ちゅうごくがわでは『史記しき』の淮南ワイナン衡山列伝れつでんじょぶくでん付記ふきされて後代こうだい皇祖こうそじょぶくせつ影響えいきょうあたえ、三国志さんごくしの『しょ』(こころざし倭人わじんでん)が「男子だんし大小だいしょうみな黥面文身いれずみいにしえ以來いらい、其使まい中國ちゅうごくみな自稱じしょう大夫たいふなつきさきしょうかん之子ゆきこふう於會稽、斷髪だんぱつ文身いれずみ…」とべて皇祖こうそなつしょうやすしせつ紹介しょうかいし、『すすむしょ』『はりしょ』にも「うんふとしはくこれ」(倭人わじんしゅうしつ親戚しんせきで衡山に隠棲いんせいしたふとしはく後裔こうえい自称じしょうする)という皇祖こうそふとしはくせつ紹介しょうかいされている。これらのはな伝承でんしょう日本にっぽんがわぎゃく輸入ゆにゅうされ、とく日本にっぽん儒学じゅがくしゃにとっての皇祖こうそふとしはくせつは、日本にっぽん仏教ぶっきょうものにとってのはん本地垂迹ほんじすいじゃくせつ同様どうように、日本にっぽん皇室こうしつこそしゅうしつ後裔こうえいであり、世界せかい中心ちゅうしんにして正統せいとうであり、日本にっぽん儒教じゅきょうこそただしい儒教じゅきょうであると主張しゅちょうできる根拠こんきょであったため、はやし羅山らざんなどがこれを支持しじした。しかし、はやし羅山らざんはやし鵞峰父子ふしらの『本朝ほんちょうどおりかん』(寛文ひろふみ10ねん1670ねんごろ)には皇祖こうそふとしはくせつ記載きさいされていない。一方いっぽうイエズスかい宣教師せんきょうしジョアン・ロドリゲスの『日本にっぽん教会きょうかい』(寛永かんえい10ねん1633ねんごろ)はもうひとつの異説いせつ採用さいようして、「日本にっぽん皇室こうしつひめれき子孫しそん」と記載きさいした。てい成功せいこう幕僚ばくりょうで、中国ちゅうごく大陸たいりく南部なんぶやベトナムを転戦てんせんしたのち来日らいにちした儒学じゅがくしゃ朱子学しゅしがくしゃ)のしゅしゅんすいは、武人ぶじんであると同時どうじ当時とうじ中国ちゅうごく最高さいこう儒学じゅがくしゃであり、水戸黄門みとこうもん徳川とくがわ光圀みつくに)の保護ほごけて水戸みとはん儒学じゅがくしゃらに学問がくもんこうじ、水戸みとまなぶおおきな影響えいきょうおよぼしたが、皇祖こうそふとしはくせつ皇祖こうそひめれきせつ自著じちょべていない。上記じょうきのように、しゅしゅんすい同様どうようはやし羅山らざんもまた皇祖こうそふとしはくせつ自著じちょべていないにもかかわらず、18世紀せいき以降いこう水戸みとはんにおいて、「はやし羅山らざん・鵞峰らの『本朝ほんちょうどおりかん』が皇祖こうそふとしはくせつ採用さいようし、これにおこった水戸黄門みとこうもん佐々ささかいさんろう(すけさん)、安積あさかさとし兵衛ひょうえ(かくさん)らが、林家はやしやの妄説である皇祖こうそふとしはくせつ断固だんことして否定ひていするため、『本朝ほんちょうどおりかん』へのアンチテーゼとして『だい日本にっぽん執筆しっぴつみ、日本にっぽん全国ぜんこく探訪たんぼうして史料しりょう蒐集しゅうしゅうをおこなった」というあやまった伝承でんしょう存在そんざいし、『水戸黄門みとこうもん漫遊まんゆう』などの娯楽ごらく小説しょうせつへとつながった。詳細しょうさい本朝ほんちょうどおりかん』によるふとしはくせつとの関係かんけい参照さんしょう

まんせい一系いっけい」「はじめぶねそくくつがえ[編集へんしゅう]

しょけい』『史記しき』が記述きじゅつする中国ちゅうごく神話しんわによれば、しゅうおうひめはつ紀元前きげんぜん1070ねん - 1043ねんごろ)の祖父そふであるおおやけ亶父には長男ちょうなん長兄ちょうけい)のひめふとしはく次男じなんちょうおとうと)のひめおそれなか三男さんなんつぎおとうと)のひめれきがおり、子爵ししゃくひめふとしはくふとしはく)の子孫しそんしゅう王家おうけしゅうしつ)はひめれき子孫しそんしゅうおうひめれきせいまごである。『日本にっぽん教会きょうかい』の皇祖こうそひめれきせつは『大越おおごえ史記しき全書ぜんしょ』などにおけるゆうおうみかどあかりせつ酷似こくじし、中国ちゅうごく自国じこく帝王ていおう兄弟きょうだい関係かんけい強調きょうちょうするものである。このほかに、松野まつの系譜けいふ松野まつのれん系図けいず)にも松野まつの祖先そせんひめせつふとしはく系統けいとう)がある。皇祖こうそふとしはくせつ皇祖こうそひめれきせつはいずれもしゅうしつ皇室こうしつ同根どうこんとして、皇室こうしつ万世ばんせい一系いっけい正統せいとうせい補強ほきょうするものであった。そのため、日本にっぽんにおける皇祖こうそふとしはくせつ支持しじしゃたちにとって、①はたによるしゅう討伐とうばつ紀元前きげんぜん249ねんはたりょによってほろぼされた)を正当せいとうする理論りろん提供ていきょうし、②しゅうおうによるいんの紂王討伐とうばつ革命かくめいれいとした『孟子もうし』の革命かくめいせつは、しゅうほろぼした理論りろんしゅう侮辱ぶじょく皇祖こうそ不敬ふけいをなす妄説であり、断固だんことして否定ひていすべきものであった。『孟子もうし』は遣唐使けんとうしによって早期そうき日本にっぽんまれていたにもかかわらず、鎌倉かまくら時代じだい花園天皇はなぞのてんのうのような天皇てんのう自身じしんによる引用いんようのぞき、引用いんようはばかられた。そうだいの「国王こくおういちせい相伝そうでんろくじゅうよんせい」(『しんとうしょ日本にっぽんでん)、明代あきよの「ゆう携其しょ孟子もうし往者おうしゃぶねそくくつがえおぼれ」(『ざつまないた』)などのように、日本にっぽんの「てんよりこのかたつぎたいたがはずしてただいちしゅまします」(『かみすめらぎ正統せいとう』における万世ばんせい一系いっけいせつ)、「此書(孟子もうし)をみてきたるふねかならずしも暴風ぼうふうにあひてしずむよし」(『雨月物語うげつものがたり』におけるはじめぶねそくくつがえせつ)のもととなる記述きじゅつ中国ちゅうごく史料しりょう初出しょしゅつであるが、日本にっぽん儒教じゅきょう受容じゅよう当初とうしょから『孟子もうし』が忌避きひされたことは事実じじつかんがえられる。日本にっぽん元号げんごう宗教しゅうきょうじょう産業さんぎょうじょう瑞祥ずいしょうのぞき、基本きほんてき四書ししょ五経ごきょう出典しゅってんとするが、四書ししょ五経ごきょうのうち『孟子もうし』に由来ゆらいする元号げんごうはいまだかつて存在そんざいしない。

元号げんごう一覧いちらん[編集へんしゅう]

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脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 同音どうおん異字いじさい使用しようされたれいすうみられる(れいとして「しょうわ」がげられる。鎌倉かまくら時代ときよに「正和しょうわ」が使用しようされ、のちに「昭和しょうわ」としてきん現代げんだいさい使用しようされた)。
  2. ^ このほか、日本にっぽんでは室町むろまち幕府ばくふ対立たいりつした古河ふるかわ公方くぼう足利あしかが成氏しげうじ改元かいげん無視むしして以前いぜん元号げんごう使つかつづけたというれいもある。ただし改元かいげん詔書しょうしょ室町むろまち幕府ばくふかた関東かんとう管領かんりょう上杉うえすぎのみにくだしたとのせつもある。詳細しょうさいは「とおるとく」を参照さんしょう
  3. ^ 元号げんごうほうさだめる元号げんごう選定せんていについて、だい1大平おおひら内閣ないかく具体ぐたいてき要領ようりょうさだめている(昭和しょうわ54ねん10がつ23にち閣議かくぎ報告ほうこく)。この要領ようりょうでは留意りゅういすべきことのひとつとして「漢字かんじ2文字もじであること」としている。
  4. ^ 情報じょうほうにおける日時にちじデータ形式けいしき規定きていする、日本にっぽん産業さんぎょう規格きかく(JIS)の JIS X 0301 においては国際こくさい規格きかく ISO 8601じゅんじて、西暦せいれきねんメートル条約じょうやく調印ちょういんねんを「1875」としとしてこの起点きてんからとし増減ぞうげん両方向りょうほうこう定義ていぎする紀年きねんほうとしてさだめている。
  5. ^ 元号げんごう法案ほうあん趣旨しゅし説明せつめい)での答弁とうべん参議院さんぎいん会議かいぎろく情報じょうほう だい087かい国会こっかい ほん会議かいぎ だい13ごう1979ねん昭和しょうわ54ねん)4がつ27にち)を以下いか抜粋ばっすいする。
    • 国務大臣こくむだいじん三原みはら朝雄あさおきみ):(中略ちゅうりゃくつぎに、ほん法案ほうあん制定せいていをされたのちにおいて、おおやけ機関きかん手続てつづきあるいはとどとうにおいて強制きょうせいてき措置そちがとられるのではないか、現在げんざいでもそういうのがられるがという指摘してきでございました。承知しょうちのように、わたしども、ほん法案ほうあん制定せいていされますれば、公的こうてき機関きかん手続てつづきなりあるいはとどとうたいしましては、行政ぎょうせい統一とういつてき事務じむ処理しょりじょうひとつ元号げんごうでおとどけをねがいたいという協力きょうりょくかたはおねがいをいたします。しかし、たって自分じぶん西暦せいれきでいきたいというほうにつきましては、今日きょうまでと同様どうように、併用へいようで、自由じゆう立場たちばとどねがってもこれを受理じゅりすると、そういうかんがえでおるわけでございます。
    • 国務大臣こくむだいじん古井ふるいきみ):法務ほうむかんする部分ぶぶんについておこたえをもうげます。従来じゅうらい戸籍こせきなどのしょとどけの用紙ようしに、不動ふどう文字もじで「昭和しょうわ」と、こういうことをんでおることは事実じじつでございます。これは申請しんせいしゃ便宜べんぎあたえる、便宜べんぎはかるというだけの趣旨しゅしのものでございまして、強制きょうせいするとか拘束こうそくするとかという趣旨しゅしではございません。あたらしい元号げんごうほう施行しこうされるといたしまして、その場合ばあい、このあたりにつきましては誤解ごかいこらぬように、強制きょうせいする、拘束こうそくするものではないという趣旨しゅし十分じゅうぶん徹底てっていして、ちがいがないようにいたしたいとおもっております。
    • 国務大臣こくむだいじん渋谷しぶやただしぞうきみ):わたしたいする質問しつもんもんございますが、ひとつは、ただいま法務大臣ほうむだいじんからも答弁とうべんがありましたように、市町村しちょうそんにおける戸籍こせきじょうとど住民じゅうみん登録とうろく印鑑いんかん登録とうろくなど、現在げんざい法的ほうてき根拠こんきょがないにもかかわらず強制きょうせいしておるのではないかと、こういう質問しつもんでございます。現在げんざい住民じゅうみん基本きほん台帳だいちょう、それから印鑑いんかん登録とうろくのそれらの様式ようしきは、いずれもこれは市町村しちょうそん自主じしゅてき判断はんだんさだめておるわけでございますが、一般いっぱん元号げんごう使用しようされておりますけれども、これはもう承知しょうちのように、従来じゅうらいからの慣行かんこうによっておこなわれ、協力きょうりょくもとめておる、強制きょうせいするというものでないことはうまでもございません。このことによってべつ不都合ふつごうなことはしょうじておらないとかんがえております。
  6. ^ 13じょう2こうで、検定けんてい証印しょういん数字すうじを「西暦せいれき年数ねんすうじゅう以下いかあらわすものとする」とさだめている[14]
  7. ^ 産業経済新聞社さんぎょうけいざいしんぶんしゃ発行はっこうする産経新聞さんけいしんぶん国内こくない記事きじかんして一貫いっかんして元号げんごう表記ひょうきのみをおこなっており、同社どうしゃ発行はっこうする『サンケイスポーツ』も原則げんそく元号げんごう表記ひょうきのみとなっている(ただし、産経新聞さんけいしんぶん記事きじ配信はいしんするウェブサイト「産経さんけいニュース」では、トップページの今日きょう日付ひづけは「2010(平成へいせい22)ねん04がつ04にち」、個々ここ記事きじタイトルのしたにある配信はいしん日時にちじは「2010.4.4 02:04」、記事きじ本文ほんぶんちゅうでは「平成へいせい22ねん」のように統一とういつ見受みうけられる)。また同社どうしゃ発行はっこうする新聞しんぶんでは夕刊ゆうかんフジもかつては同様どうようであったが、2007ねん平成へいせい19ねん2がつ1にちより原則げんそく西暦せいれき表記ひょうき変更へんこうしている。さらに、同社どうしゃ発行はっこうするタブロイドはん日刊にっかんSANKEI EXPRESS』は西暦せいれきおも使用しようするなど、新聞しんぶんによって方針ほうしんことなっている。
  8. ^ 河北かわきた新報しんぽう』『静岡しずおか新聞しんぶん』『熊本くまもとにちにち新聞しんぶん』など。
  9. ^ ただし、2017ねん以降いこう国内こくないニュースであっても経済けいざいニュースなどでは西暦せいれき使用しようすることもある。
  10. ^ このとし5月1にち改元かいげんしたため、年度ねんどにおいても平成へいせいれい混在こんざい
  11. ^ 昭和しょうわ年間ねんかんには、行政ぎょうせいちょう政策せいさく計画けいかくに「昭和しょうわ7nとし」(昭和しょうわ70年代ねんだい)なるものまで存在そんざいしたれいや、荒俣あらまたひろし小説しょうせつ帝都ていと物語ものがたり』に「昭和しょうわ73ねん」(1998ねん実際じっさい元号げんごう平成へいせい10ねん)の用例ようれいがある。また、運転うんてん免許めんきょしょう有効ゆうこう年月日ねんがっぴが「昭和しょうわ66ねん」(当時とうじは3ねん有効ゆうこうのみ)という存在そんざいしなくなった年度ねんどのものを使用しようしていたもの当時とうじすくなくなかった。より極端きょくたんれいでは「昭和しょうわ230ねん」(=れい137ねん西暦せいれき2155ねん)と表記ひょうきしたものもられた[41]。2018ねん平成へいせい30ねん現在げんざいにおいても、たとえば復興ふっこう特別とくべつ所得しょとくぜいが「平成へいせい49ねん」(れい19ねん西暦せいれき2037ねん)まで徴収ちょうしゅうされるという表記ひょうきられる[42]ほか、公文書こうぶんしょ保存ほぞん期限きげんに「平成へいせい61ねん」(れい31ねん西暦せいれき2049ねん)などという表記ひょうきおこなわれているれいもある[43]
    なお、平成へいせい3けたとしでは「平成へいせい122ねん」(=れい92ねん西暦せいれき2110ねん[44]、「平成へいせい222ねん」(=れい192ねん西暦せいれき2210ねん[45] などという表記ひょうきられるものの、昭和しょうわ230ねんなどのれいことなり、西暦せいれき併記へいきしている場合ばあいがほとんどである。
  12. ^ 日本にっぽんでは1886ねん明治めいじ19ねん以後いご公共こうきょう機関きかん会計かいけい年度ねんどは3がつまつ区切くぎられる。会計かいけい年度ねんど#始期しき終期しゅうき参照さんしょう
  13. ^ 数字すうじの1(いち)を全角ぜんかくとするか半角はんかくとするかまではさだめられていない。見本みほんでは全角ぜんかくとなっている。
  14. ^ 1840年代ねんだいから1860年代ねんだいにかけては、藤田ふじた東湖とうこなど国学こくがくもの皇紀こうきもちいていた。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

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参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]