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天保てんぽうれき

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天保てんぽうれき(てんぽうれき)は、かつて日本にっぽんにおいて使用しようされた太陰たいいん太陽暦たいようれき暦法れきほうである。過去かこ中国ちゅうごく同名どうめいの「天保てんぽうれき」が存在そんざいするため、「天保てんぽうみずのえとらもとこよみ(てんぽうじんいんげんれき)」とぶこともある。太陰たいいん太陽暦たいようれきは、日本にっぽんにおいて改暦かいれきかえしながらなん採用さいようされたが、天保てんぽうれきはそれらのなか最後さいご使用しようされた暦法れきほうである。

明治めいじ改暦かいれきにより新暦しんれきグレゴリオれき改暦かいれきされ、天保てんぽうれき旧暦きゅうれきとなった。その現在げんざいまで日本にっぽんでは改暦かいれきいことから、「旧暦きゅうれき」で狭義きょうぎには天保てんぽうれきすことがある[ちゅう 1]

以下いか明治めいじ5ねん以前いぜんれき日付ひづけ天保てんぽうれきにより、西暦せいれきおよび明治めいじ6ねん以降いこうれき日付ひづけはグレゴリオれきによる。

使用しよう期間きかん[編集へんしゅう]

天保てんぽう15ねん[ちゅう 2]1がつ1にち(1844ねん2がつ18にち)に寛政かんせいれきから改暦かいれきされ、明治めいじ5ねん12月2にち(1872ねん12月31にち)までやく29年間ねんかん使用しようされた。

明治めいじ6ねん(1873ねん)1がつ1にちグレゴリオれき太陽暦たいようれき)に改暦かいれきされるも、明治めいじ42ねん(1909ねん)までかんれき伊勢神宮いせじんぐうから発行はっこうされた本暦ほんれき略本暦りゃくほんれき)に記載きさいされていた[1]

概要がいよう[編集へんしゅう]

渋川しぶかわけいたすくらが西洋せいよう天文学てんもんがく成果せいかれて完成かんせいさせたこよみで、実施じっしされた太陰たいいん太陽暦たいようれきとしてはそれまででもっと精密せいみつなものである。天文学てんもんがくしゃ平山ひらやま清次せいじ計算けいさんによれば、平均へいきん太陽年たいようねんが365.24219にち平均へいきんさく望月もちづきが29.530589にちたいして、天保てんぽうれき太陽年たいようねんは365.24223にちさく望月もちづきは29.530588にちであり、グレゴリオれき太陽年たいようねんの365.2425にちよりも誤差ごさちいさいことがたしかめられている(『暦法れきほう及時ほう』)。

寛政かんせいれきまでは、じゅうよん節気せっきを1年間ねんかん等分とうぶん時間じかん分割ぶんかつ)して計算けいさんする平気へいきほう使用しようされていた。天保てんぽうれきでは太陽たいよう位置いち計算けいさんし、天球てんきゅうじょう太陽たいよう軌道きどうを24等分とうぶん空間くうかん分割ぶんかつ)してじゅうよん節気せっきもとめるていほう採用さいようした。

しかしていほう採用さいようによっておけうるうほう閏月じゅんげつかた)がかえって複雑ふくざつになったという批判ひはんもある。実際じっさい定義ていぎどおりに運用うんようすると2033ねんにはきゅうがつつぎ十一月じゅういちがつになってしまうという問題もんだいしょうじる(旧暦きゅうれき2033ねん問題もんだい)。また中国ちゅうごく西洋せいようながれにはんして定時ていじほう暦法れきほうにおいて公式こうしき導入どうにゅうしたことにかんしてもつよ批判ひはんがある。

ついたちからつぎついたち前日ぜんじつまでの29にちあるいは30にちを1かげつとし、けい330雨水あまみずふくつきいちがつ以下いかかく中気ちゅうきふくつきがつさんがつ…とする。中気ちゅうきをまったくふくまないつき閏月じゅんげつとなる。

ぶし ふしがつ 中気ちゅうき けい グレゴリオれき
はる いちがつ 雨水あまみず 330 2がつ19にちごろ
がつ 春分しゅんぶん 0 3月21にちごろ
さんがつ 穀雨こくう 30 4がつ20にちごろ
なつ よんがつ 小満しょうまん 60 5月21にちごろ
五月ごがつ 夏至げし 90 6月21にちごろ
ろくがつ 大暑たいしょ 120 7がつ23にちごろ
あき なながつ 処暑しょしょ 150 8がつ23にちごろ
はちがつ 秋分しゅうぶん 180 9月23にちごろ
きゅうがつ 霜降しもふり 210 10月23にちごろ
ふゆ じゅうがつ 小雪こゆき 240 11月22にちごろ
十一月じゅういちがつ 冬至とうじ 270 12月22にちごろ
十二月じゅうにがつ 大寒だいかん 300 1がつ20にちごろ

太陽暦たいようれきへの改暦かいれき[編集へんしゅう]

明治めいじ5ねん11月9にち(1872ねん12月9にち)、突如とつじょとして太陽暦たいようれきへの改暦かいれき布告ふこく明治天皇めいじてんのう詔書しょうしょ太政官だじょうかん布告ふこく337ごうによっておこなわれた。

そのため布告ふこくされた翌月よくげつの12月が、わずか2にちとなり、その翌日よくじつ明治めいじ6ねん(1873ねん)1がつ1にち太陽暦たいようれき)となることをらされた当時とうじ人々ひとびとあいだに、混乱こんらんしょうじた。

改暦かいれきともな混乱こんらん詳細しょうさいは、「明治めいじ改暦かいれき」の項目こうもく参照さんしょうのこと。

改暦かいれき以後いご旧暦きゅうれき[編集へんしゅう]

日本にっぽんでは、新暦しんれきへの改暦かいれき以来いらい現在げんざいまで「旧暦きゅうれき」という名前なまえ太陰たいいん太陽暦たいようれきこよみしょやカレンダーなどに記載きさいされている。これは現代げんだい天文学てんもんがくもとづいて観測かんそくされたつき太陽たいよううごきからついたちじゅうよん節気せっき計算けいさんし、また観測かんそく基準きじゅん京都きょうと東経とうけいやく13546ふんであったものを日本にっぽん標準時ひょうじゅんじ子午線しごせん東経とうけい135変更へんこうして、おけうるうほうのみ天保てんぽうれきおなじにしたものであり、厳密げんみつには天保てんぽうれきではない。

この計算けいさんは、現在げんざいでは国立こくりつ天文台てんもんだいによっておこなわれている。その計算けいさん結果けっかは、毎年まいとし2がつのはじめに、翌年よくねんぶんが「こよみ要項ようこう」というタイトルで「官報かんぽうじょう告示こくじされる[ちゅう 3]。この「こよみ要項ようこう」の「じゅうよん節気せっきおよびざつぶし」および「さくつるもち」の2せつ[ちゅう 4]提示ていじされた情報じょうほうと、天保てんぽうれきもとづくおけうるうほうにより、「30にち大月おおつき、29にち小月おづき」や「12のつきおよび閏月じゅんげつ設定せってい」など、旧暦きゅうれき年月日ねんがっぴはほぼ自動的じどうてき確定かくていする。市販しはんのカレンダーになみしるされている旧暦きゅうれき月日つきひ出版しゅっぱんもとによって相違そういすることはない。これにより、公的こうてきには「旧暦きゅうれき」はメンテナンスされていないが、実質じっしつてきに「旧暦きゅうれき」がさだまる[ちゅう 5]

旧暦きゅうれき2033ねん問題もんだい[編集へんしゅう]

2033ねんに、天保てんぽうれきおけうるうほう破綻はたんする事態じたいしょうずる。 グレゴリオれき西暦せいれき)2033ねん8がつ25にち〜2034ねん3がつ20日はつかの7かげつ(これらを便宜べんぎてきaつきからgつきとする)に旧暦きゅうれきの8・9・10・11・12・1の6かげつ閏月じゅんげつ1つをくことになるが、天保てんぽうれきつきめい決定けっていのルールを適用てきようすると、

  1. 閏月じゅんげつくべき候補こうほaつきeつきgつきと3つも出現しゅつげんする。
  2. このとし中気ちゅうきの「秋分しゅうぶん」をふくつきbつきと「冬至とうじ」をふくdつきあいだには1かげつしかなく、「『秋分しゅうぶん』をふくつきを8がつとする」「『冬至とうじ』をふくつきを11月とする」という規定きていをそのまま適用てきようすることが不可能ふかのうになる。

すなわち、旧暦きゅうれき9がつと10がつめることができなくなる[2]。この問題もんだいについては、国立こくりつ天文台てんもんだいもと天文台てんもんだいちょうや「こよみ計算けいさんしついん国立こくりつ民族みんぞくがく博物館はくぶつかん名誉めいよ教授きょうじゅ、カレンダー出版しゅっぱんぶつ業界ぎょうかい団体だんたいちょうなどを理事りじちょう理事りじ学術がくじゅつ顧問こもんなどにむかえている社団しゃだん法人ほうじん日本にっぽんカレンダーれき文化ぶんか振興しんこう協会きょうかいが、2014ねん7がつ以来いらい、この問題もんだいかんする学術がくじゅつシンポジウムを開催かいさいし、問題もんだい所在しょざいについての啓蒙けいもう周知しゅうち対策たいさくあんについての検討けんとうなどをおこなっている[3]どう協会きょうかいが2015ねん8がつ発表はっぴょうした見解けんかいによれば、下表かひょうeつきうるう11がつとするあん推奨すいしょうしているが、「おけうるうルールについてはさらに検討けんとう継続けいぞくする」ともしている。

西暦せいれき年月日ねんがっぴ 対応たいおうする旧暦きゅうれきつき
だい(30にちしょう(29にち
旧暦きゅうれきつきめい
2033ねん01がつ01にち〜2033ねん01がつ30にち 大月おおつき 12月
2033ねん01がつ31にち〜2033ねん02がつ28にち 小月おづき 1がつ
2033ねん03がつ01にち〜2033ねん03月30にち 大月おおつき 2がつ
2033ねん03月31にち〜2033ねん04がつ28にち 小月おづき 3がつ
2033ねん04がつ29にち〜2033ねん05月27にち 小月おづき 4がつ
2033ねん05月28にち〜2033ねん06月26にち 大月おおつき 5月
2033ねん06月27にち〜2033ねん07がつ25にち 小月おづき 6がつ
2033ねん07がつ26にち〜2033ねん08がつ24にち 大月おおつき 7がつ
2033ねん08がつ25にち〜2033ねん09月22にち 小月おづき aつき
2033ねん09月23にち〜2033ねん10がつ22にち 大月おおつき bつき
2033ねん10がつ23にち〜2033ねん11月21にち 大月おおつき cつき
2033ねん11月22にち〜2033ねん12月21にち 大月おおつき dつき
2033ねん12月22にち〜2034ねん01がつ19にち 小月おづき eつき
2034ねん01がつ20日はつか〜2034ねん02がつ18にち 大月おおつき fつき
2034ねん02がつ19にち〜2034ねん03月19にち 小月おづき gつき
2034ねん03がつ20日はつか〜2034ねん04がつ18にち 大月おおつき 2がつ
2034ねん04がつ19にち〜2034ねん05月17にち 小月おづき 3がつ

天保てんぽうれき改暦かいれき以後いご旧暦きゅうれきふくむ)の閏月じゅんげつ一覧いちらん[編集へんしゅう]

世紀せいき 閏月じゅんげつ
19世紀せいき(グレゴリオれき改暦かいれきまえ ひろし3ねん(1846)うるう5がつよしみなが2ねん(1849)うるう4がつよしみなが5ねん(1852)うるう2がつよしみなが7ねん(1854)うるう7がつ安政あんせい4ねん(1857)うるう5がつ万延まんえん元年がんねん(1860)うるう3がつ文久ぶんきゅう2ねん(1862)うるう8がつ慶応けいおう元年がんねん(1865)うるう5がつ慶応けいおう4ねん(1868)うるう4がつ明治めいじ3ねん(1870)うるう10がつ
19世紀せいき(グレゴリオれき改暦かいれき 1873ねんうるう6がつ、1876ねんうるう5がつ、1879ねんうるう3がつ、1881ねんうるう7がつ、1884ねんうるう5がつ、1887ねんうるう4がつ、1889ねんうるう12がつ、1892ねんうるう6がつ、1895ねんうるう5がつ、1898ねんうるう3がつ、1900ねんうるう8がつ
20世紀せいき 1903ねんうるう5がつ、1906ねんうるう4がつ、1909ねんうるう2がつ、1911ねんうるう6がつ、1914ねんうるう5がつ、1917ねんうるう2がつ、1919ねんうるう7がつ、1922ねんうるう5がつ、1925ねんうるう4がつ、1928ねんうるう2がつ、1930ねんうるう6がつ、1933ねんうるう5がつ、1936ねんうるう3がつ、1938ねんうるう7がつ、1941ねんうるう6がつ、1944ねんうるう4がつ、1947ねんうるう2がつ、1949ねんうるう7がつ、1952ねんうるう5がつ、1955ねんうるう3がつ、1957ねんうるう8がつ、1960ねんうるう6がつ、1963ねんうるう4がつ、1966ねんうるう3がつ、1968ねんうるう7がつ、1971ねんうるう5がつ、1974ねんうるう4がつ、1976ねんうるう8がつ、1979ねんうるう6がつ、1982ねんうるう4がつ、1984ねんうるう10がつ、1987ねんうるう6がつ、1990ねんうるう5がつ、1993ねんうるう3がつ、1995ねんうるう8がつ、1998ねんうるう5がつ
21世紀せいき 2001ねんうるう4がつ、2004ねんうるう2がつ、2006ねんうるう7がつ、2009ねんうるう5がつ、2012ねんうるう3がつ、2014ねんうるう9がつ、2017ねんうるう5がつ、2020ねんうるう4がつ、2023ねんうるう2がつ、2025ねんうるう6がつ、2028ねんうるう5がつ、2031ねんうるう3がつ、2033ねんうるう11がつ※、2036ねんうるう6がつ、2039ねんうるう5がつ、2042ねんうるう2がつ、2044ねんうるう7がつ、2047ねんうるう5がつ、2050ねんうるう3がつ、2052ねんうるう8がつ、2055ねんうるう6がつ、2058ねんうるう4がつ、2061ねんうるう3がつ、2063ねんうるう7がつ、2066ねんうるう5がつ、2069ねんうるう4がつ、2071ねんうるう8がつ、2074ねんうるう6がつ、2077ねんうるう4がつ、2080ねんうるう3がつ、2082ねんうるう7がつ、2085ねんうるう5がつ、2088ねんうるう4がつ、2090ねんうるう8がつ、2093ねんうるう6がつ、2096ねんうるう4がつ、2099ねんうるう3がつ
22世紀せいき 2101ねんうるう7がつ、2104ねんうるう5がつ、2107ねんうるう4がつ、2109ねんうるう9がつ、2112ねんうるう6がつ、2115ねんうるう4がつ、2118ねんうるう3がつ、2120ねんうるう7がつ、2123ねんうるう5がつ、2126ねんうるう4がつ、2128ねんうるう9がつ、2131ねんうるう6がつ、2134ねんうるう5がつ、2137ねんうるう2がつ、2139ねんうるう7がつ、2142ねんうるう5がつ、2145ねんうるう4がつ、2147ねんうるう11がつ※、2150ねんうるう6がつ、2153ねんうるう5がつ、2156ねんうるう3がつ、2158ねんうるう7がつ、2161ねんうるう6がつ、2164ねんうるう4がつ、2166ねんうるう10がつ、2169ねんうるう6がつ、2172ねんうるう4がつ、2175ねんうるう3がつ、2177ねんうるう7がつ、2180ねんうるう6がつ、2183ねんうるう4がつ、2186ねんうるう2がつ、2188ねんうるう7がつ、2191ねんうるう5がつ、2194ねんうるう3がつ、2196ねんうるう7がつ、2199ねんうるう6がつ
23世紀せいき 2202ねんうるう4がつ、2204ねんうるう9がつ、2207ねんうるう6がつ、2210ねんうるう4がつ、2213ねんうるう3がつ、2215ねんうるう7がつ、2218ねんうるう5がつ、2221ねんうるう4がつ、2223ねんうるう9がつ※、2226ねんうるう7がつ、2229ねんうるう5がつ、2232ねんうるう3がつ、2234ねんうるう8がつ、2237ねんうるう5がつ、2240ねんうるう4がつ、2242ねんうるう11がつ※、2245ねんうるう6がつ、2248ねんうるう5がつ、2251ねんうるう3がつ、2253ねんうるう8がつ、2256ねんうるう6がつ、2259ねんうるう4がつ、2262ねんうるう正月しょうがつ、2264ねんうるう6がつ、2267ねんうるう5がつ、2270ねんうるう3がつ、2272ねんうるう8がつ、2275ねんうるう6がつ、2278ねんうるう4がつ、2281ねんうるう2がつ、2283ねんうるう6がつ、2286ねんうるう5がつ、2289ねんうるう3がつ、2291ねんうるう7がつ、2294ねんうるう6がつ、2297ねんうるう4がつ、2300ねんうるう2がつ

しるし天保てんぽうれき性質せいしつじょう不都合ふつごうこるとされるとし日本にっぽんカレンダーれき文化ぶんか振興しんこう協会きょうかい推奨すいしょうあんによる閏月じゅんげつ表示ひょうじ

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ なお明治維新めいじいしんさい陰陽いんようあたま土御門つちみかど晴雄はるお太陽暦たいようれき導入どうにゅう反対はんたいして太陰たいいん太陽暦たいようれきもとづく改暦かいれき企図きとしたが、晴雄はるお急逝きゅうせいにより計画けいかく中止ちゅうしされたため、天保てんぽうれきわる太陰たいいん太陽暦たいようれきへの改暦かいれき実施じっしされなかった。
  2. ^ 改暦かいれき年月日ねんがっぴを、「ひろし元年がんねん1がつ1にち」としている場合ばあいもあるが、天保てんぽう15ねんは、12月1にち(1845ねん1がつ8にち)までで、ひろし元年がんねんは、12月2にち(1845ねん1がつ9にち)に改元かいげんされる。しかし、改元かいげん布告ふこくされた時点じてんでそのとしもとにさかのぼってしん元号げんごう元年がんねんなす場合ばあい改元かいげん#種類しゅるい参照さんしょう)があり、改暦かいれきを「天保てんぽう15ねん」とする文献ぶんけんと、さかのぼって「ひろし元年がんねん」とする文献ぶんけんがあるので注意ちゅうい必要ひつようである。
  3. ^ 2015ねん場合ばあい、2がつ2にち発行はっこうされた「官報かんぽうだい6463ごうの25ページ〜26ページに「平成へいせい28ねん(2016)こよみ要項ようこう」が「告示こくじ」(=掲載けいさい)されている。
  4. ^ こよみ要項ようこう」は、「国民こくみん祝日しゅくじつ」、「日曜にちようひょう」、「じゅうよん節気せっきおよびざつぶし」、「さくつるもち」、「東京とうきょう出入でいり」、「日食にっしょく月食げっしょくなど」などのかくふしから構成こうせいされている。
  5. ^ 中国ちゅうごくでは現在げんざい公的こうてき太陰たいいん太陽暦たいようれきであるどきけんれきがメンテナンスされており、これを基準きじゅんとして春節しゅんせついわわれる。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 岡田おかだ芳朗よしろう ちょこよみ日本人にっぽんじん知恵ちえ
  2. ^ 理科りか年表ねんぴょう 2014年版ねんばん旧暦きゅうれき2033ねん問題もんだいについて」こよみ75(75p) - どう76(76p)など。詳細しょうさいについては「旧暦きゅうれき2033ねん問題もんだい」を参照さんしょうのこと。
  3. ^ 日本にっぽんカレンダーれき文化ぶんか振興しんこう協会きょうかい

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]