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ヴィクラマれき

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ヴィクラマれき(ヴィクラマれき)は、みなみアジアにおける暦法れきほうひとつ。

ヴィクラマ紀元きげん

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ヴィクラマ紀元きげん紀元前きげんぜん58ねん起点きてんとするこよみもとをいう。インドでは、独自どくじこよみもともちいるベンガル地方ちほうのぞきたインド一帯いったい現在げんざいもちいられている(みなみインドではシャカ紀元きげんおももちいられる)[1]

起点きてんを0ねんとする方式ほうしき一般いっぱんてきおこなわれ、この場合ばあいにはヴィクラマ紀元きげんから56または57をくと西暦せいれきられる[1]。たとえばヴィクラマ紀元きげんの2050ねん西暦せいれきでは1993-1994ねん相当そうとうする。なお、ヴィクラマ紀元きげん太陰たいいん太陽暦たいようれきヒンドゥーれきわせてもちいられるが、ヒンドゥーれき何月なんがつ年初ねんしょとするかについてはさまざまな方式ほうしきがある。碑文ひぶんによっては例外れいがいてき起点きてんを1ねんとする方式ほうしき使つかわれ、この場合ばあいはヴィクラマ紀元きげんから57または58をくと西暦せいれきられる。

由来ゆらい

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伝説でんせつでは、ウッジャイニー(げんウッジャイン)をとしていたヴィクラマーディティヤ(ヴィクラマ・アーディティヤ)というおうが、シャカとの戦争せんそう勝利しょうりした記念きねんはじめたこよみだといわれている[2]。しかしながら、ふる時代じだいにはこの紀元きげんはクリタ(kṛta)またはマーラヴァなどとばれており、ヴィクラマのばれるようになったのは9世紀せいき以降いこうである。したがって、紀元前きげんぜん1世紀せいきにヴィクラマーディティヤなる人物じんぶつ実在じつざいしていたとかんがえる必要ひつようはない[1]

ヴィクラマ紀元きげん由来ゆらいあきらかでない。インド・スキタイ王国おうこくのアゼス1せい即位そくいねんとする有力ゆうりょくせつがあるが[1]、アゼス紀元きげんとヴィクラマ紀元きげん別物べつものであり、偶然ぐうぜんちか年代ねんだいになっただけではないかとする反論はんろんもある[3]

ネパール

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ネパールの公式こうしきこよみとして現在げんざい太陽暦たいようれきビクラムれき(विक्रम संवत्、Bikram Sambat)が採用さいようされている。現代げんだいネパールでのविक्रमの発音はつおんはビクラムであり、ネパールにかんするこうでは原音げんおん主義しゅぎもとづきビクラムれきとする。略号りゃくごうはवि. सं.(B.S.)。

このこよみおこりねん紀元前きげんぜん57ねんで、西暦せいれき2024ねん4がつ13にちはB.S.2081ねんバイサークがつだい1がつだい1にちにあたる。

それまで使用しようされていた太陰たいいん太陽暦たいようれきえて、宰相さいしょうチャンドラ・シャムシェルがB.S.1961ねん新年しんねん西暦せいれき1904ねん4がつ)より、太陽暦たいようれきのビクラムれき公式こうしきこよみとしてもちはじめたとされる[4]

歴史れきしてきには年代ねんだい地域ちいき王朝おうちょうによって、さまざまなこよみ使用しようされてきたが、太陽暦たいようれきのビクラムれき以外いがいはすべて太陰たいいん太陽暦たいようれきだった。これまでもちいられてきたこよみには、ビクラムれきほかシャハカれきネパールれき(ネワールれき)、マンデーブれき(マーナ・デーヴァれき)、ラクシュマン・セーンれき(ラクシュマナ・セーナれき)などがある。ネパールでは中世ちゅうせい前期ぜんきカス・マッラあさ時代じだいごろからビクラムれき使用しよう銘文めいぶんひとしみとめられる[5]

なおビクラムれきはネパールの公式こうしきこよみであり、実生活じっせいかつでも一般いっぱんひろくいきわたっているこよみであるため、日本語にほんごでネパールれきれいがみられるが、ネパールれき(नेपाल संवत्, Nepal Sambat)はビクラムれきとはべつこよみで、新年しんねんあき太陽たいよう太陰暦たいいんれきである。このこよみおもネワールぞくあいだでの使用しようかぎられているので、こよみめい用法ようほう注意ちゅうい必要ひつようである。

まつり(ビスケット・ジャートラーをのぞく)や宗教しゅうきょう行事ぎょうじとう基本きほんてき太陰たいいん太陽暦たいようれきのビクラムれきによっているので、西暦せいれきとのずれがしょうじる。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d Salomon (1998) p.182
  2. ^ グルプラサッド・マイナリ『ナソ・わす形見がたみ野津のつ治仁はるひとわけ穂高ほたか書店しょてん、1992ねん、210ぺーじ下段げだん
  3. ^ Robert Bracey, The Azes Era, Kushan History, a rough guide to India, Afghanistan, Pakistan and eastern Iran, http://www.kushan.org/essays/chronology/azesvikrama.htm 
  4. ^ नेपालमा प्रचलित संवत् र व्यावहरिक प्रयोग।मेरो नेपाल अनलाईन なお英語えいごばんでは1903ねんとしている。
  5. ^ 佐伯さえき和彦かずひこ『ネパールぜん明石書店あかししょてん、212〜213ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 佐伯さえき和彦かずひこ世界せかい歴史れきし叢書そうしょ ネパールぜん明石書店あかししょてん、2003ねん 
  • Salomon, Richard (1998). Indian Epigraphy: A Guide to the Study of Inscriptions in Sanskrit, Prakrit, and Other Indo-Aryan Languages. Oxford University Press. ISBN 0195099842 

関連かんれん項目こうもく

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