朱鳥
改元 [編集 ]
典拠 [編集 ]
朱鳥 年間 の出来事 [編集 ]
元年 (686年 )月 20日 :朱鳥 に改元 する。(1月 1日 に遡 る立 年 改元 )
7月 20日 :宮 号 を飛鳥 浄 御 原 宮 と定 める。
7月 :天皇 のために諸王 臣 等 、観世音 像 を造 る。観世音 経 を大官大寺 で読経 する。
7日 :天武天皇 が崩御 し、皇后 (後 の持 統 天皇 )の称 制 となる。
9月 9- 10月
日 :大津皇子 、八口 音 橿 、伊 吉 博徳 、中 臣 臣 麻呂 、巨 勢多 益 須、新 羅 僧 行 心 、礪杵道 作 ら三 十 余人 が謀反 の疑 いをかけられ捕 らえられる。
2 - 10月
日 :大津皇子 が自害 させられ、妃 の山辺 皇女 が殉死 する。
3 - 10月29
日 :皇子 以外 の大半 の者 は赦 されるが、行 心 は飛騨 国 の寺 に移 され、礪杵道 作 は伊豆 国 に流 される。 - 11月16
日 :大 来 皇女 が伊勢 斎宮 を解任 され帰京 する。 - 12月19
日 :天武天皇 のために無 遮 大会 (かぎりなきおがみ)を大官大寺 、飛鳥寺 、川原 寺 、小 墾田 豊浦寺 、坂田 寺 の五 寺 で行 う。 閏 12月:筑紫 大 宰 が高句麗 、百済 、新 羅 の三 国 の百姓 男女 僧尼 62人 を献 じる。
死去 [編集 ]
元年 - 9月9
日 -天武天皇 - 10月3
日 -大津皇子 、山辺 皇女
- 9月9
西暦 との対照 表 [編集 ]
686 | |
朱雀 [編集 ]
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按 ずるに、続 日本 紀 に、白鳳 以来 朱雀 以前 とあれば、朱雀 は白鳳 より後 なること著 し、蓋 し諸 書 に朱雀 の改元 をば、或 は天武天皇 の壬 申 とし、或 は癸 酉 とし、或 は甲 申 として区々 なれど、其天武天皇 の朝 の改元 なること皆 同 じ、熱田 縁起 に天 渟中原 瀛真人 天皇 朱雀 元年 丙 戌 とあるに拠 れば、朱雀 は朱鳥 の一 名 にして、天武天皇 の十 五 年 丙 戌 の改元 なるべし、そは改元 の種子 となりし朱 鳥 は即 ち赤 雀 なりしかば、当時 朱 鳥 とも朱雀 とも通 はして云 ひしならん、然 るに上 に挙 げたる書 どもには、朱鳥 の号 を赤 雉に由 れりとし、朱雀 を赤 雀 、又 は三 足 の赤 雀 に由 れりとして分 ちたり、されど赤 雉を瑞祥 とせしこと、国史 及 び延喜 治部 式 の祥瑞 の下 に見 えず、頗 る疑 ふべし、されば朱雀 即 ち朱鳥 にて、再 び改元 ありしにはあらざるべし、また按 ずるに、日本書紀 に拠 れば、朱鳥 は一 年 にて終 りたれど、万葉集 には朱 鳥 四 年 庚 寅 、六 年 壬 辰 、七 年 癸巳 、八 年 甲子 あり、蓋 し庚 寅 は己 丑 の誤 、壬 辰 は辛 卯 の誤 、癸巳 は壬 辰 の誤 り、甲子 は癸巳 の誤 にして、霊異 記 に朱 鳥 七 年 壬 辰 とあるを正 しとすべし
という。
出典 [編集 ]
- 『
日本書紀 』巻 29天武天皇 下 改元 曰朱鳥 元年 。〈朱鳥 。此云阿 訶美苔 利 。〉仍名宮 曰飛鳥 淨 御 原 宮 。