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四書ししょ五経ごきょう

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四書ししょ五経ごきょう(ししょごきょう)は、儒教じゅきょう経書けいしょなかとく重要じゅうようとされる四書ししょ五経ごきょう総称そうしょう。ただしこのうち『大学だいがく』『中庸ちゅうよう』はもともと『れい』のいちへん独立どくりつさせたものである。

概要がいよう

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君子くんし国家こっか政治せいじたいするこころざしべるだいせつとして日常にちじょう出来事できごとかんする意見いけん主張しゅちょううわさばなしなど虚構きょこう空想くうそうはなし小説しょうせつ区別くべつされる。

四書ししょは『論語ろんご』『大学だいがく』『中庸ちゅうよう』『孟子もうし』、五経ごきょうは『えきけい』『しょけい』『詩経しきょう』『れい』『春秋しゅんじゅう』をいい、五経ごきょうもっ四書ししょよりもたかしとする[ちゅう 1]。「らくけい」をふくめて四書ししょろくけいともいう。

中国ちゅうごく本国ほんごくだけでなく、日本にっぽん朝鮮ちょうせんでもひろ講義こうぎされた。なお朝鮮ちょうせんでは『れい』と『春秋しゅんじゅう』をはぶいて「四書ししょさんけい」ともいった[1]

かく時代じだいあつか

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戦国せんごく時代じだい六経りくけい

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そう』や『かたりくさむら』においては、下記かきろく種類しゅるい経書けいしょ列挙れっきょされている。

当時とうじ儒家じゅからはこれらの経典きょうてん重視じゅうししたが、『らく』ははやくにうしなわれたとされる。

前漢ぜんかん五経ごきょう

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とうだい五経ごきょう

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とうふとしむねは、以下いか経典きょうてんを「五経ごきょう」とし、『五経ごきょう正義まさよし』という解釈かいしゃくあな穎達らにさだめさせた。とうだい以前いぜん注釈ちゅうしゃくるいは殆んど現存げんそんしないため、とうだい以前いぜん経学けいがく研究けんきゅう基本きほんしょとされている。

そうだい以降いこう

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五経ごきょう

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そうだいにはとうだいまでに集成しゅうせいされた五経ごきょう研究けんきゅうちゅう)にたいして、批判ひはんてき厖大ぼうだい注釈ちゅうしゃくしょしんちゅう)をした。これはそうもと王朝おうちょうつうじておこなわれ、あかり永楽えいらく年間ねんかんに『五経ごきょう大全たいぜん』として結実けつじつした。『五経ごきょう大全たいぜん』は科挙かきょのテキストとしても利用りようされ世上せじょう流行りゅうこうしたが、即席そくせきてき編纂へんさんされた書物しょもつであったこと、しかも『五経ごきょう大全たいぜん』の種本たねほんの殆んどが現存げんそんすること、また明朝みょうちょうそのものの経学けいがく研究けんきゅう低調ていちょうであったこととうから、『五経ごきょう大全たいぜん』そのものの学術がくじゅつてき評価ひょうかひくい。『五経ごきょう大全たいぜん』の注釈ちゅうしゃくしょしゅ熹とその弟子でしの蔡沈、しゅ熹の先駆せんくしゃほど頤の私淑ししゅく弟子でしえびす安国やすくにと、比較的ひかくてき簡潔かんけつ注釈ちゅうしゃくおこなったひね澔がえらばれている。

四書ししょ

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れい』のうち「中庸ちゅうよう」「大学だいがく」を重視じゅうしする立場たちばは、かんいよいよなどそうだい以前いぜん学者がくしゃにもられた傾向けいこうであるが、きたそうほどとくにこれらを重視じゅうしした。

みなみそうしゅが『れい』のいちへんであった『大学だいがく』と『中庸ちゅうよう』をそれぞれ独立どくりつさせ、『論語ろんご』『孟子もうし』とわせ「四書ししょ」として五経ごきょう以前いぜんむべき入門にゅうもんがくとして顕彰けんしょうし、その注釈ちゅうしゃくしょとして『四書ししょあきら句集くしゅうちゅう』(『大学だいがく章句しょうく』・『中庸ちゅうよう章句しょうく』・『論語ろんごしゅうちゅう』・『孟子もうししゅうちゅう』)をあらわした。四書ししょもとだい以降いこう科挙かきょ科目かもく採用さいようされ、五経ごきょうよりもひろまれるようになった。

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ れい」の成立せいりつおよび受容じゅようについては「さんれい」のこう参照さんしょう
  2. ^ にせあなでん」とばれる。

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • きむ文京ぶんきょう朝鮮ちょうせん王朝おうちょう時代じだい科挙かきょ答案とうあん : せい元年がんねん (いちなななななな) きむあらわうんおくあさぬりやまためしけんれいとして」『慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく言語げんご文化ぶんか研究所けんきゅうじょ紀要きようだい52ごう、2021ねんNAID 120007031618