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聖人せいじん

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君子くんしから転送てんそう
Saint, 12th century fresco in Staraya Ladoga

聖人せいじん(せいじん/しょうにん、※呉音ごおん:しょうにん、漢音かんおん:せいじん)とは、一般いっぱんてきに、とくたかく、人格じんかく高潔こうけつで、かたにおいてほか人物じんぶつ模範もはんとなるような人物じんぶつす。おも特定とくてい宗教しゅうきょう宗派しゅうはなかでの教祖きょうそ高弟こうてい崇拝すうはい崇敬すうけい対象たいしょうとなる過去かこ人物じんぶつをさすことがおおい。 そしてもっとすぐれ、とくたか聖人せいじんのことを大聖たいせい(たいせい)[注釈ちゅうしゃく 1]という。

概要がいよう

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  1. 儒教じゅきょう聖人せいじん
  2. 仏教ぶっきょう聖人せいじん
  3. キリスト教きりすときょう聖人せいじん
  4. イスラム教いすらむきょうユダヤきょうヒンドゥーきょうサンテリアなどの宗教しゅうきょう聖人せいじん

日本語にほんごでは元来がんらい儒教じゅきょう聖人せいじんのことであり、つぎ仏教ぶっきょうでの聖人せいじん上人しょうにん[しょうにん]きよし[ひじり])のことであった。きているひとにもすでにこのったひとにもあてはめられ、世界せかいおおくの宗教しゅうきょうおなじような概念がいねんがあるとして、キリストきょうでは日本にっぽん布教ふきょうさいに"Sanctus"(ラテン語らてんご)・"Saint"(英語えいごフランス語ふらんすご)を「聖人せいじん」と翻訳ほんやくした。そのような宗教しゅうきょうなかで、「聖人せいじん」とばれる人々ひとびと特定とくてい宗教しゅうきょう信徒しんとにとり模範もはんとなり、その生涯しょうがい記録きろくされ、後世こうせいかたがれることがおおい。

かく宗教しゅうきょうによってニュアンスにばらつきがあるが、現代げんだい宗教しゅうきょうで「聖人せいじん」という概念がいねん存在そんざいするのは、キリスト教きりすときょうイスラム教いすらむきょうユダヤきょうヒンドゥーきょうサンテリアなどがげられる。ただしこれらの宗教しゅうきょうでも宗派しゅうは教派きょうはによってあつかいがことなる場合ばあいがあり、キリストきょうプロテスタント一部いちぶイスラム教いすらむきょうワッハーブなどでは聖人せいじん崇敬すうけい否定ひていされている。また、聖人せいじんたいする崇敬すうけいおこなキリスト教きりすときょう教派きょうはでは、教会きょうかいによって公式こうしき認定にんてい列聖れっせい)されなければ聖人せいじんみとめられない。

儒教じゅきょう

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孔子こうし(E.T.C. Wernerの、1922ねん刊行かんこうの『中国ちゅうごく神話しんわ遺産いさん』に掲載けいさいされた挿絵さしえ

中国ちゅうごく儒教じゅきょうにおける聖人せいじんとは、偉大いだい崇高すうこう高貴こうきさん要素ようそそなえている人物じんぶつす。すなわち、政治せいじ指導しどうしゃとしてだけではなく、道徳どうとく体現たいげんしゃとしても理想りそうとされる人物じんぶつである。高貴こうきだが凡庸ぼんよう人物じんぶつ高貴こうきだが下劣げれつ人物じんぶつ、あるいは下賎げせんだが崇高すうこう人物じんぶつ該当がいとうしない。対義語たいぎごで、凡庸ぼんよう下劣げれつ下賎げせんさん要素ようそそなえている人物じんぶつは「小人こども」という。

もっとも理想りそう聖人せいじんとされるのは、しゅん二人ふたりせい天子てんしである。つづく「さんだい」とわれる時代じだい統治とうちしゃ、すなわちなつ王朝おうちょう創業そうぎょうしゃであるいん王朝おうちょう創業そうぎょうしゃであるおうしゅう王朝おうちょう創業そうぎょうしゃであるたけおうもまた聖人せいじんとして位置いちづけられ、堯としゅんをあわせて「堯舜さんだい」とばれる。

また、しゅう王朝おうちょう創業そうぎょうちからくしたしゅうこうだん儒学じゅがく大成たいせいしゃである孔子こうしもまた聖人せいじんとして位置いちづけられている。孟子もうし聖人せいじんではないが、それに存在そんざいであるとして「亜聖あせい」とばれる。

そうだいになると、大夫たいふたちは孔子こうし孟子もうし聖人せいじんとなることを目指めざすようになり、「聖人せいじんまなんでいたるべし」というスローガンのもと、道徳どうとくてき自己じこ修養しゅうようかさねて聖人せいじんいた学問がくもん模索もさくした。明代あきよ陽明学ようめいがくでは「まんまち聖人せいじん」というまちちゅうひと本来ほんらいてき聖人せいじんであるとする主張しゅちょうをし、おう大夫たいふのみならず、庶民しょみんいたるすべてのひと聖人せいじんとなることができる可能かのうせいいだした。また、日本にっぽんでは近江おうみこく滋賀しがけん出身しゅっしん江戸えど時代じだい初期しょき陽明学ようめいがくもの中江なかえ藤樹とうじゅ近江おうみ聖人まさととなえられている。

仏教ぶっきょう

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日本にっぽん仏教ぶっきょう宗派しゅうは一部いちぶ宗祖しゅうそたいする敬称けいしょうとして、一般いっぱんてきな「上人しょうにん(しょうにん)」ではなく、「聖人せいじん(しょうにん)」という敬称けいしょうする場合ばあいがある。

一般いっぱんてきに「聖人せいじん」という敬称けいしょうばれる仏教ぶっきょうしゃは、法然ほうねん浄土宗じょうどしゅう)、親鸞しんらん浄土真宗じょうどしんしゅう)、日蓮にちれん日蓮宗にちれんしゅう)らである。なお、浄土真宗じょうどしんしゅうでは開祖かいそ親鸞しんらんのみならずそのである法然ほうねんたいしても「聖人せいじん」と呼称こしょうされたことがあるが、通例つうれいでは親鸞しんらんたいしてのみ「聖人せいじん」をもちいる。

空海くうかい真言宗しんごんしゅう)や最澄さいちょう天台宗てんだいしゅう)は大師だいし禅宗ぜんしゅう禅師ぜんじばれることおおい。

キリスト教きりすときょう

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アレクサンドリアのせいカタリナカラヴァッジョ1598ねんころ

キリスト教きりすときょうにおいては、新約しんやく聖書せいしょ古代こだいギリシア: ὁ Ἅγιος(ホ・ハギオス「せいなるひと」の 現代げんだいギリシャではオ・アギオス)またその複数ふくすうがた古代こだいギリシア: οおみくろんἱ Ἅγιοι(ホイ・ハギオイ 現代げんだいギリシャではイ・アギイ)に由来ゆらいする。新約しんやく聖書せいしょでは、「ホ・ハギオス」という言葉ことばが、かれらの教会きょうかい歴史れきしにとっての重要じゅうようさにかかわらず、生者しょうじゃ死者ししゃ両方りょうほうにあてはめられている。使徒しとパウロ手紙てがみおおくは「すべてのせいなるものたちに」、あるいは「年長ねんちょうしゃとともに」とてられている。たとえば『エフェソの信徒しんとへの手紙てがみ』は「エフェソのせいなる人々ひとびとへ」ではじまっている。

聖人せいじんへの崇敬すうけい教派きょうはによってあつかいがことなり、正教会せいきょうかい東方とうほうしょ教会きょうかいカトリック教会きょうかいせい公会こうかいルーテル教会きょうかいなどで聖人せいじん崇敬すうけいおこなわれている。キリスト教きりすときょうしょ教派きょうは一覧いちらん参照さんしょうのこと。

ただし、対象たいしょう歴史れきしてき若干じゃっかん変動へんどうがあり、またこれら聖人せいじん崇敬すうけい聖人せいじん概念がいねんみとめるしょ教派きょうはなかでも崇敬すうけい方法ほうほう・ありかたには差異さい存在そんざいする。一方いっぽうプロテスタントではせい公会こうかい、ルーテル教会きょうかいのぞいて聖人せいじんたいする崇敬すうけいおこなわない教派きょうはおおい。改革かいかく教会きょうかい以降いこうのプロテスタントとバプテストけいは、聖人せいじん崇敬すうけい否定ひていし、クリスチャンすべてを聖徒せいとぶ。プロテスタントのなかには、キリストきょう初期しょき慣用かんよう表現ひょうげんから、「聖人せいじん」というかたりたんにこのった信徒しんとたちを言葉ことばとしてもちいるものもある。

正教会せいきょうかい東方とうほうしょ教会きょうかい、カトリック教会きょうかいなど、聖書せいしょ同様どうようひじりつたえ古代こだいからの伝承でんしょう)を現代げんだいいたるまで尊重そんちょうするしょ教派きょうはでは、聖人せいじんへの崇敬すうけい伝統でんとうによってキリストきょう信仰しんこう一部いちぶをなしてきた。このような伝統でんとうにしたがって、聖人せいじん人々ひとびといのりをし、かみ人間にんげん仲介ちゅうかいとしての役割やくわりになうとされる[1]。また、聖人せいじんむかし殉教者じゅんきょうしゃなどにかぎらず、20世紀せいき現代げんだい聖人せいじん多数たすういる:教皇きょうこうきよしヨハネ・パウロ2せいマザー・テレサきよしホセマリア・エスクリバーきよしピオ神父しんぷなど。

崇敬すうけい歴史れきし

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エジプトのせいマリアイコン17世紀せいきロシアえがかれたもの。中心ちゅうしんいのりをたてまつげるエジプトのせいマリアの姿すがたえがかれ、周囲しゅういにその生涯しょうがいについての伝承でんしょう内容ないよう左上ひだりうえからじゅんえがかれている。

ときとして、「キリストきょう一神教いっしんきょうといいながら、なぜ多神教たしんきょうのように聖人せいじん崇拝すうはいするのか」という疑問ぎもん提示ていじされることがあるが、聖人せいじん概念がいねんキリスト教きりすときょうでは、崇敬すうけい尊崇そんすう崇拝すうはいことなる意義いぎけをなされている。この観点かんてんからは、キリスト教徒きりすときょうと聖母せいぼマリアやしょ聖人せいじん崇拝すうはいしているわけではなく、聖人せいじんうやまうこと(マリア崇敬すうけい聖人せいじん崇敬すうけい)はおがむこと(マリア崇拝すうはい聖人せいじん崇拝すうはい)ではない。かみへの信仰しんこう聖人せいじんへの敬意けいいはまったくべつのものとしてとらえられる。一方いっぽうでこれはかつて初期しょき布教ふきょうともない、異教いきょう祖神そしん民間みんかん信仰しんこうんだものの残滓ざんしふくまれているとする研究けんきゅう存在そんざいする。

正教会せいきょうかい東方とうほうしょ教会きょうかいカトリック教会きょうかいでは、聖人せいじんぞう生涯しょうがい描画びょうがしたせい画像がぞうイコン)をつくり、崇敬すうけい対象たいしょうとする。ひじりぞう破壊はかい運動うんどう古代こだいおおくのひじりぞううしなわれたが、この運動うんどうおよばなかった地域ちいき、とりわけそれ以前いぜんにカトリック教会きょうかいやギリシャけい正教会せいきょうかいかれた東方とうほうしょ教会きょうかい聖堂せいどうには、ふるいイコンがのこっていることがある。このようなふるいイコンを収蔵しゅうぞうする代表だいひょうてき存在そんざいとしてはせいカタリナ修道院しゅうどういんげられる。

聖人せいじん伝記でんきせい人伝ひとづて)をきすることも、聖人せいじん崇敬すうけいするじょう重要じゅうよう役割やくわりたしている。これは古代こだいからおこなわれ、信仰しんこうじょう模範もはんしめすことで後世こうせい信仰しんこうのありかたおおきな影響えいきょうあたえたものもすくなくない。たとえばアタナシオスによる『アントニオスつて』は、修道しゅうどうしゃおおきな影響えいきょうあたえた。聖人せいじんでんとして著名ちょめいなものにヤコブス・デ・ヴォラギネの『黄金おうごん伝説でんせつ』がある。

聖人せいじんはつねに個人こじんめい記念きねん記憶きおく)されるとはかぎらない。ななじゅう門徒もんとなどはそのよいれいで、ななじゅうにん内訳うちわけにはいくつかのせつがあり、かならずしも確定かくていしていない。古代こだい殉教者じゅんきょうしゃなどには、名前なまえつたわっていない聖人せいじん数多かずおおい。聖書せいしょてくるれいでは、ヘロデ大王だいおうによるベツレヘム幼児ようじ虐殺ぎゃくさつ死亡しぼうしゃは「せい嬰児えいじ」「幼子おさなご殉教者じゅんきょうしゃ」として聖人せいじんであるが、かれらの個人こじんめいつたわっていない。

祝日しゅくじつ記憶きおく

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ミラのせいニコライ無実むじつさんにん死刑しけいからすくう』
:イリヤ・レーピン

それぞれの教会きょうかいにおいて、いち年間ねんかんなか聖人せいじん祝日しゅくじつ記憶きおく記念きねん)は特定とくてい日付ひづけ固定こていされている。これをまとめたものをカトリック教会きょうかいでは聖人せいじんれき聖人せいじんカレンダー)とぶ。正教会せいきょうかいにおいては正教会せいきょうかいれきぶ。おおくはその聖人せいじん死亡しぼうした記念きねんとなるが、ことなる場合ばあいもある。とく重要じゅうよう聖人せいじん場合ばあいは、ふくすうかい記念きねんがある(れいミラのニコラオス)。古代こだいより崇敬すうけいされる聖人せいじんは、カトリック教会きょうかい東方とうほう教会きょうかい記念きねんおなじくすることがおおい(ただし後者こうしゃのうちユリウスれき使用しようする教会きょうかいでは、グレゴリオれき使用しようする教会きょうかい日付ひづけのずれをしょうじている)が、一部いちぶ聖人せいじんちがった記念きねんされることがある(れいエジプトのマリア)。

聖人せいじん祝日しゅくじつは、基本きほんてきにそれぞれの聖人せいじん個々ここまっているが、いくにんかの聖人せいじんは、聖人せいじん共通きょうつう祝日しゅくじつをもっている。そのようなれいペトロパウロせい使徒しとペトル・パウェルさい)、キュリロスメトディオス正教会せいきょうかいにおけるななじゅう門徒もんとなどがある。多数たすう聖人せいじんをともに記憶きおくするまつり正教会せいきょうかいでは「会衆かいしゅうさい」(かいしゅうさい)という。正教会せいきょうかいでは、じゅう大祭たいさいのいくつかのまつりで、その翌日よくじつ関連かんれんする聖人せいじんまつりおこなうが、これにも会衆かいしゅうさいばれるものがある。

洗礼せんれいめい聖名せなれいめい

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聖人せいじん崇敬すうけいにおいて重要じゅうよう概念がいねんには守護しゅご聖人せいじんかんがえがある。これは正教会せいきょうかいカトリック教会きょうかいにおいて存在そんざいするかんがかたで、個人こじんのほか、特定とくてい団体だんたい地域ちいきたいしてある聖人せいじん特別とくべつ加護かごあたえているという概念がいねんである。

一般いっぱんに、洗礼せんれいめい正教会せいきょうかいでは「聖名せな」・カトリック教会きょうかいでは「れいめい」とも)の概念がいねん教派きょうは場合ばあい洗礼せんれいけるもの聖人せいじんにちなんで洗礼せんれいめい聖名せなれいめい)をける。この名前なまえ起源きげんとなる聖人せいじんが、個人こじん保護ほご聖人せいじんとなる。

自分じぶん洗礼せんれいめい聖人せいじん祝日しゅくじつを、正教会せいきょうかいでは「聖名せな」、カトリック教会きょうかいでは「れいめい祝日しゅくじつ」とんでいわ習慣しゅうかんがある。一部いちぶ地域ちいきでは誕生たんじょうより盛大せいだいいわうこともある。カトリック教会きょうかいなどの西方せいほう教会きょうかいでは、洗礼せんれいめいのほかにけんしんのときにはけんしんめいける習慣しゅうかんもあり、これは洗礼せんれいめいべつ聖人せいじんえらぶこともできる。また修道しゅうどうは、ある聖人せいじん名前なまえにちなんでみずからの修道しゅうどうめいをつける。

せい遺物いぶつ不朽ふきゅうたい

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せいゲオルギオスだい聖堂せいどうにある、不朽ふきゅうたいおさめられている大理石だいりせきせいせいひつ

古代こだいキリスト教きりすときょうでは聖人せいじんとして尊崇そんすうされたものおおくが殉教者じゅんきょうしゃであったが、殉教者じゅんきょうしゃたっとび、その遺骸いがい遺物いぶつあつめてはかて、崇敬すうけいすることがなされていた。殉教者じゅんきょうしゃはか(マルティリウム)は聖堂せいどう礼拝れいはいどうならんで、信仰しんこう生活せいかつ中心ちゅうしんとなった。こうした崇敬すうけいときぎ、聖人せいじん遺骸いがいしょうされるものが高額こうがく取引とりひきされたり、ある崇敬すうけい過度かど熱狂ねっきょうにおちいることがあった。アウグスティヌスなど、こうした風潮ふうちょう警鐘けいしょうらし、聖人せいじん遺骸いがい崇敬すうけい対象たいしょうにすることに反対はんたいとなえたものもいた。

聖人せいじん遺骸いがいは、カトリック教会きょうかいではせい遺物いぶつ正教会せいきょうかいでは不朽ふきゅうたいばれる。遺体いたい腐敗ふはいせずにのこることを聖人せいじんである証明しょうめいひとつとみなすことは伝統でんとうてき見方みかたである。聖人せいじん遺骸いがいまたその一部いちぶ古代こだいから中世ちゅうせいにおいてはつよ崇敬すうけい対象たいしょうとなり、それに関連かんれんした奇跡きせきおおかたられている。現在げんざいでも一部いちぶ教派きょうはでは聖人せいじん遺骸いがい接吻せっぷんするなどして崇敬すうけい表明ひょうめいすることもある。正教会せいきょうかいにおいては、聖人せいじん遺骸いがいたいする崇敬すうけい表明ひょうめいは、ひじりぞう(イコン)への崇敬すうけい表明ひょうめいおな形式けいしきる。これはイコンと同様どうよう聖人せいじん遺骸いがいが、究極きゅうきょくにはかみ由来ゆらいするひじりせい現実げんじつかいあらわれるまどとするかんがえにもとづいており、信者しんじゃ見解けんかいによれば、ものそのものが崇拝すうはいないし信仰しんこう対象たいしょうとなっているわけではないとされる。

また伝統でんとうてきに、教会きょうかい祭壇さいだん正教会せいきょうかいではたから)のしたには聖人せいじん遺骸いがいまたは遺物いぶつ不朽ふきゅうたい)をおさめることが必要ひつようであるとされる。これは東方とうほう教会きょうかいにおいてはかならずしも必須ひっす要件ようけんではないが、しかしそのようにすることがのぞましいといまでもかんがえられている。カトリック教会きょうかいにおいてはかつては必須ひっす要件ようけんであったが、現代げんだいではこの要件ようけん撤廃てっぱいされている。

聖人せいじん認定にんてい

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聖人せいじんたいする崇敬すうけいおこな教派きょうはでは、教会きょうかいによって公式こうしき認定にんてい列聖れっせい)されなければ聖人せいじんみとめられない。一般いっぱんに、聖人せいじんとしてみとめるための調査ちょうさ本人ほんにん死後しごなが時間じかんをかけておこなわれ、はやくても死後しごすうじゅうねん場合ばあいによっては死後しごすうひゃくねんおよ審査しんさてようやくみとめられる(れいジャンヌ・ダルク聖人せいじんとしてみとめられたのは本人ほんにんから489ねんであった)[注釈ちゅうしゃく 2]。しかもカトリック教会きょうかい場合ばあい列聖れっせいぜん段階だんかいとして、ぶくしゃみとめられなければならない(れつぶくされることが必要ひつよう)。正教会せいきょうかい場合ばあいは、さらにいそぐのをけ、その人物じんぶつたいする世間せけん反響はんきょうめるまでに十分じゅうぶん時間じかんてる場合ばあいおおい。

教派きょうはべつ崇敬すうけいのありかたちが

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教派きょうはによって、どの聖人せいじん聖人せいじんとして崇敬すうけいするかにちがいがある。ある教派きょうは聖人せいじんとして崇敬すうけいされていても、べつ教派きょうはでは聖人せいじんとらえられていないといった事例じれい数多かずおおい。

また、崇敬すうけいのありかたにもちがいがある。以上いじょうべたぜん教派きょうは共通きょうつうする聖人せいじん一般いっぱんろんとはべつに、こうした教派きょうはごとの特徴とくちょう以下いかふししるす。

正教会せいきょうかい

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正教会せいきょうかい場合ばあい聖人せいじんにはかなら使徒しと使徒しと致命ちめいしゃかつあやかしゃなどの称号しょうごうく。これはその聖人せいじん信仰しんこうのありようを記憶きおくするために教会きょうかいめるもので、個人こじん恣意しいてき変更へんこうしてよいものではない。ただし「主教しゅきょう」「だい主教しゅきょうとう称号しょうごうには、地域ちいき反映はんえいされることがある。たとえばしん致命ちめいしゃ神品しんぴん致命ちめいしゃせいアンドロニクロシア革命かくめい致命ちめい)は、世界せかいてきには「ペルミのだい主教しゅきょう」とばれるが、日本にっぽんにおいては初代しょだい京都きょうと主教しゅきょうという関係かんけいおもくみて「京都きょうと主教しゅきょう」としょうする。

正教会せいきょうかいには、カトリック教会きょうかいにおけるような尊者そんじゃぶくしゃ概念がいねん存在そんざいしない。したがってれつぶくといった手続てつづきも存在そんざいしない。英語えいごの"Venerable"は正教会せいきょうかいではかつあやかしゃ、カトリック教会きょうかいでは尊者そんじゃやくされてことなっていることにもられるように、訳語やくごにそれぞれの教会きょうかい聖人せいじんたいするあつかいの反映はんえいされている。

正教会せいきょうかい聖人せいじん(しん致命ちめいしゃ)アレクサンドラ皇后こうごうむすめたちオリガタチアナマリアアナスタシア

カトリック教会きょうかい

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ぶくしゃフラ・アンジェリコ肖像しょうぞう

カトリック教会きょうかいには列聖れっせいまえ段階だんかいとして、尊者そんじゃぶくしゃ段階だんかいがある[2]

カトリック教会きょうかいにおける列聖れっせい段階だんかい
  かみぼく   →   尊者そんじゃ   →   ぶくしゃ   →   聖人せいじん  

だい2バチカンこう会議かいぎカトリック教会きょうかいのありかた見直みなおしのなかで、史実しじつでの存在そんざいうたがわれる伝説でんせつてき聖人せいじん聖人せいじんれきからはずされた。またキリストの降誕こうたん準備じゅんびするまてふし復活ふっかつ準備じゅんびするよんしゅんぶしからも、本来ほんらい精神せいしん大切たいせつにするという意味いみ聖人せいじんいわ移動いどうされた。

せい公会こうかい

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せい公会こうかいイギリス国教こっきょうかい)はローマ・カトリック教会きょうかいから分離ぶんりしたためにプロテスタントに分類ぶんるいされることもあるが、信仰しんこう理由りゆうにしてカトリック教会きょうかいから分離ぶんりしたわけではなく、教義きょうぎ精神せいしん非常ひじょうにカトリックにちかいことから、聖人せいじん崇敬すうけいおこなっている。

ルーテル教会きょうかい
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マルティン・ルターはローマ教会きょうかい(カトリック教会きょうかい)の習慣しゅうかんのこした。ルーテル教会きょうかいはプロテスタント教派きょうはのなかでも、一部いちぶでは聖人せいじん概念がいねんをもち、信仰しんこう模範もはんとしてとくに礼拝れいはいでとりあげ、洗礼せんれいめい根拠こんきょとしたり、記念きねんいわったりするところがある。

改革かいかく教会きょうかいとう
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ジャン・カルヴァンは『キリスト教きりすときょう綱要こうよう』で聖人せいじん崇敬すうけい崇拝すうはい批判ひはんした。改革かいかく教会きょうかい以降いこうのプロテスタント福音ふくいんバプテストけい聖人せいじん崇敬すうけい偶像ぐうぞう崇拝すうはいであるとして拒否きょひしており、ルーテル教会きょうかい習慣しゅうかんについては、ローマ教会きょうかい残滓ざんしとみなされることがある[3]

崇敬すうけい地域ちいきせい

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聖人せいじん崇敬すうけい現実げんじつ信仰しんこう生活せいかつのなかでおこなわれるものであって、そこにはおのずと地方ちほう時代じだい独自どくじせい反映はんえいされる。聖人せいじんのリストは世界せかい共通きょうつうであるが、ある聖人せいじんとかかわりのふか地域ちいきでは、その聖人せいじんはよりおも崇敬すうけいされる。そのような信仰しんこう生活せいかつ個別こべつせいは、個人こじん集団しゅうだん守護しゅご聖人せいじんへの信心しんじんあらわれている。

たとえばラドネジのかつあやかしゃせいセルギイ記憶きおくロシア正教会せいきょうかいやそのながれをしょ正教会せいきょうかいではさかんにいわわれるが、地域ちいきではせいセルギイの記憶きおくもっと重要じゅうよう祭日さいじつであるとは認識にんしきされない。このような事情じじょうブルガリア正教会せいきょうかい著名ちょめい聖人せいじんであるリラのかつあやかしゃイオアンなどについても同様どうようことえる。

聖人せいじんにちなむ地名ちめい

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聖人せいじんをつけた地名ちめいおおい。聖人せいじん各国かっこくでサン(San、Saint)、セント(Saint)、サンタ(Santa)、サント(Santo)、サンクト(Sancto)とうになるため、これらではじまる地名ちめいおおむ守護しゅご聖人せいじん使つかわれている。

れいサンフランシスコきよしフランシスコ)、セントルイス聖王せいおうルイ)、サンクトペテルブルクセントピーターズバーグきよしペトロ)、サンパウロきよしパウロ)、サンティアゴきよしヤコブ)、サンタモニカひじりモニカ)、セントヘレナとうせいヘレナ)、サンマリノ共和きょうわこくせいマリヌス)、アイオス・ニコラオス奇蹟きせきしゃニコラオス

イスラム教いすらむきょう

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宗派しゅうはにもよるが、預言よげんしゃムハンマドのきょうともであるサハーバじゅうイマームイスラム教いすらむきょう指導しどうしゃであるじゅうイマームとく初期しょきのイマームはスンニシーア双方そうほうで)などが聖人せいじんとしてあつかわれている。 イスラム教いすらむきょう教義きょうぎにおいてはムハンマドはただの人間にんげんであるが、同時どうじイスラム教いすらむきょうをもたらしたもっと崇敬すうけいすべき聖人せいじんでもある。また、ムハンマド以前いぜん預言よげんしゃたちも聖人せいじんとしてあつかわれており、イスラム教いすらむきょうにおいてはイエスキリスト聖人せいじん一人ひとりとしてあつかわれている。 イスラム社会しゃかいには聖人せいじんんでいたモスクがおお現存げんそんしており、聖人せいじん崇敬すうけいおこな信者しんじゃによって巡礼じゅんれい対象たいしょうとなっている。

シーアにおいては歴代れきだいのイマームへの崇敬すうけいとく重要じゅうよう意味いみっており、マシュハドなどイマームのはかびょうのある都市とし聖廟せいびょう都市としばれ重要じゅうよう巡礼じゅんれいになっている。じゅうイマーム国教こっきょうとするイランでは歴代れきだいイマームの肖像しょうぞうなどもおおえがかれているが、基本きほんてきにはポスターであり、キリストきょうのイコンほどは特別とくべつ意味いみたない。

ワッハーブなどのイスラム原理げんり主義しゅぎでは聖人せいじん崇敬すうけい偶像ぐうぞう崇拝すうはいであるとして禁止きんししており、ワッハーブ国教こっきょうとするサウジアラビアやその前身ぜんしんワッハーブ王国おうこくでは聖廟せいびょうたいする破壊はかい活動かつどうおこなわれている。また、原理げんり主義しゅぎ信奉しんぽうするイスラム過激かげき聖廟せいびょう破壊はかい目的もくてきとしたテロをしばしばこしている。ワッハーブではムハンマドの誕生たんじょういわうこともきんじられている。

アナトリアバルカン半島ばるかんはんとうなどキリスト教きりすときょうイスラム教いすらむきょう隣接りんせつする地域ちいきでは「聖人せいじんだれにとっても聖人せいじん」という言葉ことばがあり、りょう宗教しゅうきょう共通きょうつうする聖人せいじん存在そんざいする[4]。たとえばスーフィー教団きょうだんのひとつ、ベクタシュ教団きょうだん創設そうせつしゃハジ・ベタクシュせいハラランボス同一どういつされ、双方そうほう崇敬すうけいされている。

聖人せいじんとしてあつかわれることがある人物じんぶつ

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じゅうイマーム歴代れきだいイマーム

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  1. アリー
  2. ハサン
  3. フサイン - ウマイヤあさぐんカルバラーたたかはい
  4. アリー・ザイヌルアービディーン
  5. ムハンマド・バーキル
  6. ジャアファル・サーディク
  7. ムーサー・カーズィム
  8. アリー・リダー
  9. ムハンマド・ジャワード
  10. アリー・ハーディー
  11. ハサン・アスカリー
  12. ムハンマド・ムンタザル(マフディー) - かくれイマーム

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 曙光しょこう ちょう司祭しさい牛丸うしまる康夫やすお遺稿いこうしゅう』(1995ねん牛丸うしまるしのぶ発行はっこう及川おいかわしん編集へんしゅう
  • 日本にっぽんカトリック司教しきょう協議きょうぎかいだい2バチカンこう会議かいぎ文書ぶんしょ公式こうしきやく改訂かいてい特別とくべつ委員いいんかい教会きょうかい憲章けんしょう』 カトリック中央ちゅうおう協議きょうぎかいだい2さつ、2015ねん7がつ15にち。126ぺーじISBN 978-4-87750-181-5
  • PETER.BROWN「 Tne Cult of theSaints. Its Rise and Function in Latin Chrstianity(英語えいご)」 (Chicago 1981)
  • 小田内おだうちたかし「ボニファティウス時代じだいの『にせ預言よげんしゃ』について-西欧せいおう社会しゃかいのキリスト教化きょうか異端いたん問題もんだい立命館大学りつめいかんだいがくたていのちかん文学ぶんがく』534 ごう、1994ねん。51‐72ぺーじ
  • 教皇きょうこうフランシスコ「GAUDETE ET EXSULTATE(英語えいご[5]現代げんだい社会しゃかいにおけるきよしせいかんする使徒しとてき勧告かんこく
  • せいホセマリア・エスクリバーあいすべき天地てんち、この熱烈ねつれつあいする[6]
  • 酒井さかい俊弘としひろきよしせいへのまねき: ふつうのおばさん、おじさんも聖人せいじんに』(きょうともしゃ、2012ねん

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ふつ尊称そんしょう大聖たいせいぬし高位こうい菩薩ぼさつ大聖たいせい(だいしょう)、如来にょらい大聖たいせい(たいしょう)とは区別くべつ。(漢語かんごりんより)
  2. ^ 1226ねん10月3にち死去しきょしたアッシジのフランチェスコは、1228ねん7がつ16にち死後しごわずか2ねんらずで聖人せいじんとして認定にんていされたが、当時とうじ(13世紀せいき前期ぜんき)のカトリック教会きょうかいにおける聖人せいじん認定にんてい制度せいど現在げんざいことなり、本人ほんにん存命ぞんめいちゅう業績ぎょうせきによっては死後しご短期間たんきかん認定にんていされる場合ばあいもあった。

出典しゅってん

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  1. ^ 日本にっぽんカトリック司教しきょう協議きょうぎかいだい2バチカンこう会議かいぎ文書ぶんしょ公式こうしきやく改訂かいてい特別とくべつ委員いいんかい教会きょうかい憲章けんしょう』 カトリック中央ちゅうおう協議きょうぎかい、2014ねん2がつ28にち。68-70ぺーじ(50)。ISBN 978-4-87750-181-5
  2. ^ 尊者そんじゃぶくしゃ聖人せいじんとは? カトリック中央ちゅうおう協議きょうぎかい
  3. ^ しん聖書せいしょ辞典じてん』、 『夜明よあけか黄昏たそがれか』、『カトリックとはぞや』(いのちのことばしゃ)、『聖書せいしょ教理きょうり』(ひつじぐんしゃ)、『カトリックとプロテスタントの団結だんけつですか?』(ICM出版しゅっぱん )、『キリスト教きりすときょう綱要こうよう』(改革かいかく教会きょうかい)、『ウェストミンスター信仰しんこう基準きじゅん』(新教しんきょう出版しゅっぱんしゃ
  4. ^ ティエリー・ザルコンヌ『スーフィー:イスラームの神秘しんぴ主義しゅぎしゃたち』 <さい発見はっけん双書そうしょ> はじめもとしゃ 2011ねんISBN 9784422212128 pp.76-77.
  5. ^ Gaudete et exsultate: Apostolic Exhortation on the call to holiness in today's world (19 March 2018) | Francis”. w2.vatican.va. 2019ねん4がつ2にち閲覧えつらん
  6. ^ あいすべき天地てんち―この熱烈ねつれつあいする”. opusdei.org. 2019ねん4がつ2にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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