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四書ししょ大全たいぜん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

四書ししょ大全たいぜん』(ししょたいぜん)は、あきら時代じだいに、永楽えいらくみかどいのちえびすひろ(ここう)らが編集へんしゅうした四書ししょ注釈ちゅうしゃくしょ

起源きげん

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1415年刊ねんかん四書ししょ注釈ちゅうしゃくしょぜん36かんしゅ朱子しゅし)の『四書ししょしゅうちゅう』がおおくつくられたが,さらにみことのりれいによる『四書ししょ大全たいぜん』が編纂へんさんされた。

元朝がんちょうをモンゴル高原こうげん退しりぞけて、かん民族みんぞくによる中国ちゅうごく統一とういつ達成たっせいした明朝みんちょうでは、民族みんぞくてき伝統でんとうてき文化ぶんか復興ふっこう気運きうんたかまりを背景はいけいに、ふたた儒教じゅきょうさかんとなった。

あかりでは朱子学しゅしがく官学かんがくとなり、永楽えいらくみかどいのちによって『四書ししょ大全たいぜん』・『五経ごきょう大全たいぜん』・『せい大全たいぜん』などが編纂へんさんされた。また中国ちゅうごく最大さいだい類書るいしょである『永楽えいらく大典たいてん』も編纂へんさんさせた。

四書ししょ大全たいぜん』と『五経ごきょう大全たいぜん』(ともに1415年刊ねんかん)は、『四書ししょ』と『五経ごきょう』を朱子学しゅしがくせつによって解釈かいしゃくした注釈ちゅうしゃくしょで、以後いご中国ちゅうごく朝鮮ちょうせん科挙かきょ試験しけん解釈かいしゃく基準きじゅんとなった。また『せい大全たいぜん』(1415ねん完成かんせい)は、そうもとせい理学りがく学説がくせつ集大成しゅうたいせいしたしょである。しかし、国家こっか経典きょうてん解釈かいしゃくさだめたために、儒学じゅがく形式けいしきし、思想しそう固定こていすすんだ。科挙かきょ受験じゅけんしゃはこれらを暗記あんきするのみで、あきらしんだい知識ちしき階級かいきゅう自由じゆう研究けんきゅうしん阻害そがいされたといわれる。

関連かんれん項目こうもく

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • Bary, Wm. Theodore de (1986). Neo-Confucian orthodoxy and the learning of the mind-and-heart. New York: Columbia University Press. p. 168. ISBN 0231052294 

外部がいぶリンク

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