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論語ろんご

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儒家じゅか経典きょうてん
五経ごきょう つて
きゅうけい
えき
しょ

れい儀礼ぎれい/しゅうあや
春秋しゅんじゅう
れい
春秋しゅんじゅうひだりでん
春秋しゅんじゅうこうひつじでん
春秋しゅんじゅうこくりょうつたえ
ななけい じゅうけい
論語ろんご
こうけい
しかみやび
じゅうさんけい
孟子もうし
論語ろんご まもるれいこう
しゅ論語ろんごしゅうちゅうはち

論語ろんご』(ろんご、拼音: Lúnyǔ)は、孔子こうしとその高弟こうてい言行げんこうを、孔子こうし死後しご弟子でし記録きろくした書物しょもつである。儒教じゅきょう経典きょうてんである経書けいしょひとつで、朱子学しゅしがくにおける「四書ししょ」のひとつにかぞえられる。

その内容ないよう簡潔かんけつさから儒教じゅきょう入門にゅうもんしょとしてひろ普及ふきゅうし、中国ちゅうごく歴史れきしつうじてもっともよくまれたほんひとつである[1]ふるくからその読者どくしゃそう知識ちしきじんまらず、一般いっぱん市民しみん農民のうみん教科書きょうかしょとしてももちいられていた[1]

名称めいしょう

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論語ろんご』という名称めいしょう定着ていちゃくするのは、前漢ぜんかんせんみかどもとみかどころからであり、『史記しきなか弟子でし列伝れつでん司馬しばさんもちいられるほか、戴聖の『れい』などに使用しようれいがある[2]。それ以前いぜんは、たんに「つて」(『史記しきふうぜんしょ・『漢書かんしょせんみかど)や「かたり」(『しおてつろん』)という呼称こしょうれいがある[2]

論語ろんご』の書名しょめい由来ゆらい諸説しょせつあり、定説ていせつはない。もっとふるせつはんかたの『漢書かんしょ芸文げいぶんこころざしえるせつである[2]

弟子でしたちはそれぞれ孔子こうし言葉ことば記憶きおくしていた。孔子こうしくなると、一門いちもん人々ひとびと一緒いっしょ孔子こうし言葉ことばかたり)をあつめ、論議ろんぎろん)したうえで編纂へんさんした。 — はんかた、『漢書かんしょ芸文げいぶんこころざし[2]

すめらぎただしの『ろん語義ごぎ』では、「ろん」の解釈かいしゃくについて、おと共通きょうつうする「りん意味いみとするせつ、「ろん」の意味いみとするはんかたせつろんりん相違そういはないとするさんせつ紹介しょうかいしている。このうち「りん意味いみとする場合ばあいさら以下いかよっつのせつがあるという[3]

  1. りん」は「つぎ」の意味いみで、順序じゅんじょ次第しだいととのっていて理屈りくつみだれないさまをしめ[3]
  2. りん」は「」の意味いみで、ものごとの道理どうりしめ[3]
  3. りん」は「綸」の意味いみで、国家こっか統治とうち役立やくだつことをしめ[3]
  4. りん」は「」の意味いみで、あらゆる意味いみそなわり、永遠えいえんまわ車輪しゃりんしめ[3]

わせて、「かたり」はたんなる言葉ことばではなく、相手あいて議論ぎろんたいする批判ひはん問答もんどうあらわ言葉ことばであるとする[3]

成立せいりつ

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門人もんじんによる編纂へんさん

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一般いっぱんには、『漢書かんしょ芸文げいぶんこころざし記載きさいされているように孔子こうし門人もんじん孔子こうし死後しごあつまって編纂へんさんしたとされているが、この門人もんじんだれなのかというてんには様々さまざま異説いせつがある[4]比較的ひかくてきふるくからあるせつには、以下いかれいがある。

  1. 弟子でしなつら64にん編纂へんさんした(『文選ぶんせんよしちゅう引『論語ろんご讖』)[4]
  2. 冉雍ゆうなつらが編纂へんさんした(『経典きょうてんしゃくあや』引ていげんせつ[4]
  3. ななじゅう弟子でし編纂へんさんした(『ろん語義ごぎ』)[4]

とうだい学者がくしゃやなぎはじめもとは、『論語ろんご』には孔子こうし弟子でし曾参えがかれていることから、『論語ろんご』は曾参の弟子でし編纂へんさんしたものであるとかんがえた[5]きたそうほどは、孔子こうし弟子でしゆうわか・曾参が『論語ろんご』では「」の敬称けいしょうをつけてばれることから、この二人ふたり門人もんじん編纂へんさんしたとかんがえた[6]。また、江戸えど時代じだい学者がくしゃである太宰だざい春台しゅんだいは、『論語ろんご』は前後ぜんごじゅうへんずつで内容ないよう体裁ていさいがあることを見出みいだし、前半ぜんはんちょう後半こうはんはらけん編纂へんさんであると推論すいろんした[7]

現在げんざいかたちの『論語ろんご』の成立せいりつ

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なに論語ろんごしゅうかいがく

論語ろんごしゅうかい』によれば、かんだいたけみかどころには三種さんしゅのテキストの『論語ろんご』があった[8]

魯論
孔子こうし祖国そこくの魯でつたえられた。けい20へんなつほうまさるしょうもち韋賢韋玄なりらによってつたえられた[8]
ひとしろん
といおうへん知道ともみちへんの2へんおおく、けい22へんおうきょういさおせいおうきちらによってつたえられた[8]
いにしえろん古文こぶん論語ろんご
魯のともおうりゅうあまり孔子こうし旧宅きゅうたくこわしたさい発見はっけんされた『論語ろんご』で、かんだい以前いぜんふる文字もじかれていた[8]。堯曰へんふたつにかれており、けい21へん[9]あな安国やすくにによって注釈ちゅうしゃくつくられた[8]

前漢ぜんかんちょうが「魯論」と「ひとしろん」を校正こうせいして『ちょうこうろん』をつくると、こうかんつつみ咸・しゅうがこれにたいして注釈ちゅうしゃくつくった[8][9]。そののち、こうかんていげんが「魯論」を中心ちゅうしんにしながら「ひとしろん」「いにしえろん」を統一とういつし『論語ろんご』の注釈ちゅうしゃくしょつくった[10][11]。また、こうかんの熹平4ねん175ねん)には、経書けいしょいしきざんで保存ほぞんする事業じぎょう(「石経いしきょう」)によって『論語ろんご』の石経いしきょうつくられた。これもわずかながら現存げんそんしている[12]

さんこく時代じだいはいり、ちんおうしゅうせいれつらによっておおくの注釈ちゅうしゃくつくられた[13]。これらを集大成しゅうたいせいしたのがなにらによって編纂へんさんされた『論語ろんごしゅうかい』で、これが現在げんざいまで完全かんぜんかたち存在そんざいしている最古さいこ注釈ちゅうしゃくである[13]

受容じゅよう

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論語ろんご』は非常ひじょう簡潔かんけつ記述きじゅつかれており、儒学じゅがく入門にゅうもんしょとしてふるくからひろ普及ふきゅうした[14]一方いっぽうで、簡潔かんけつすぎるためはっきり意味いみさだめがたく、後世こうせいおおくの解釈かいしゃくまれることとなった[14]。したがって、時代じだい文化ぶんかおうじて様々さまざま受容じゅよう様相ようそうられ、注釈ちゅうしゃく数多かずおおつくられた。

中国ちゅうごく

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邢昺論語ろんご注疏ちゅうそ

かんだい以来いらい儒教じゅきょうだいいち経典きょうてん五経ごきょう(『えき』・『しょ』・『』・『れい』・『春秋しゅんじゅう』)であったが、『論語ろんご』や『こうけい』も別格べっかくあつかいで同時どうじ尊重そんちょうされていた[15]前漢ぜんかんあきらみかどせんみかどもとみかどらはおさなくして『論語ろんご』と『こうけい』をまなんでおり、このころには『論語ろんご』は基礎きそ教養きょうようとしてれられていた[16][注釈ちゅうしゃく 1]

経書けいしょ研究けんきゅうすすむにしたがい、こうかんていげん経書けいしょともに『論語ろんご』を解釈かいしゃくし、経書けいしょ全体ぜんたい統一とういつてき解釈かいしゃくあたえることをこころみた[18]たかしなにらの『論語ろんごしゅうかい』は先人せんじん解釈かいしゃく引用いんようして編纂へんさんされた。ていげんちゅう経学けいがくてき要素ようそ排除はいじょされ、経書けいしょとははなし、『論語ろんご』の本文ほんぶんかられる一般いっぱんてき意味いみしめした[19]。これにもとづいてりょうすめらぎただしが『ろん語義ごぎ』をつくり、さらにきたそう時代じだいには官製かんせい注釈ちゅうしゃくしょとして『論語ろんご正義まさよし』がつくられた[20]

みなみそうはいり、朱子学しゅしがく勃興ぼっこうすると、五経ごきょうわせて四書ししょ(『論語ろんご』・『孟子もうし』・『大学だいがく』・『中庸ちゅうよう』)も重視じゅうしされるようになり、『論語ろんご』はより重要じゅうよう地位ちいになうこととなった。しゅは『論語ろんごしゅうちゅう』をつくり、朱子学しゅしがく立場たちばからあらたな解釈かいしゃくほどこした[21]きよし考証こうしょうがく時代じだいには、りゅうたからくすのきの『論語ろんご正義まさよし』など、実証じっしょうてき観点かんてんによる解釈かいしゃくこころみられた[22]

日本にっぽん

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国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション
日本にっぽん国見くにみざい書目しょもくろく』の「こうけいいえ」「論語ろんごいえ」のぺーじ

3世紀せいきわりごろ、応神天皇おうじんてんのう時代じだい百済くだら招聘しょうへいした漢人かんど博士はかせである王仁わにが『論語ろんごじゅうかんと『せんぶんいちかん倭国わのくにみつげじょうみつぎじょう=「みつものげる」)したことが『古事記こじき』に記載きさいされている。しかし、『日本書紀にほんしょき』にまれる百済くだら倭国わのくにみつげじょうしたとされる王仁わにや『論語ろんご』『せんぶん』などの歴史れきし構成こうせい批判ひはんてき検討けんとうする文献ぶんけんがくてき批判ひはんがあり、王仁わにが『論語ろんご』『せんぶん』などの典籍てんせきをもたらしたという王仁わに伝説でんせつや、つぎたい欽明あさ五経ごきょう博士はかせ百済くだらから交代こうたい派遣はけんされたとする伝承でんしょうは、事実じじつとはみとがたいとする指摘してき多数たすう存在そんざいする[23][24][25][26]

718ねん編纂へんさんはじめられた『養老ようろう律令りつりょう』においては、教授きょうじゅさいもちいるべき注釈ちゅうしゃくとして『論語ろんご』のていげんちゅうなに妟注がげられており、すで大学だいがくでの教授きょうじゅ官吏かんり登用とうようさい必読ひつどくしょとされていたことがかる[27]

藤原ふじわらたすくの『日本にっぽん国見くにみざい書目しょもくろく』にも、「論語ろんごじゅうかんていげんちゅう」「論語ろんごじゅうかんなん晏注」「ろん語義ごぎ疏皇ただしせん」などが著録ちょろくされている。『論語ろんごしゅうかい』は、正平しょうへい19ねん1364ねん)にはじめて木版もくはん出版しゅっぱんされ、いっそう普及ふきゅうした[27]

江戸えど時代じだいはいると、伊藤いとう仁斎じんさい荻生おぎゅう徂徠そらいらによってすぐれた注釈ちゅうしゃくつくられ、一部いちぶ中国ちゅうごくぎゃく輸入ゆにゅうされて受容じゅようされた[28]。また、吉田よしだたかむら市野いちの迷庵のように『論語ろんご』や『論語ろんごしゅうかい』の校勘こうかんによって業績ぎょうせきげたものもいた[29]

西洋せいよう

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カトリック布教ふきょうのために中国ちゅうごく来訪らいほうしたイエズスかい宣教師せんきょうしにより、徐々じょじょ中国ちゅうごく古典こてん翻訳ほんやくこころみられるようになった。1660ねん、アンドレ・フェランが『大学だいがく』と『論語ろんご』をラテン語らてんごやくし、1662ねんプロスペル・イントルチェッタ英語えいごばん孔子こうし伝記でんきして出版しゅっぱんした。1687ねんルイ14せい認可にんかのもと、フィリップ・クプレパリで『中国ちゅうごく哲学てつがくしゃ孔子こうし』を刊行かんこうし『孟子もうし』をのぞく「四書ししょ」の翻訳ほんやくがなされた[30]。さらに、1711ねんフランソワ・ノエルによって「四書ししょ」の完訳かんやくがなされ、プラハ刊行かんこうされた[31]。クプレやくあかりちょうきょただし解釈かいしゃくによるものであり、ノエルやくしゅちょうきょせい解釈かいしゃく両方りょうほうけたものである[31]

イエズスかいつうじてつたわった古代こだい中国ちゅうごく哲学てつがくは、17世紀せいきから18世紀せいきにはシノワズリ一部いちぶとして流行りゅうこうした。フランスではヴォルテールディドロモンテスキューケネーといった思想家しそうか注目ちゅうもくされ、啓蒙けいもう思想しそう発展はってん寄与きよした[32]。ドイツではクリスティアン・ヴォルフかみろんてき立場たちばから、キリスト教きりすときょうくても道徳どうとく成立せいりつ実例じつれいとして孔子こうし喧伝けんでんした[33][34]

一方いっぽう19世紀せいきヘーゲルは『哲学てつがく講義こうぎ英語えいごばん』で、孔子こうしおしえは哲学てつがくではなく平凡へいぼん通俗つうぞく道徳どうとくでしかないと酷評こくひょう道徳どうとくならキケロ義務ぎむについて』のほうすぐれているとし、イエズスかい翻訳ほんやく原文げんぶんからかけはなれた意訳いやくであるとした[35]。また、マックス・ヴェーバーは『儒教じゅきょう道教どうきょう英語えいごばん』(1915ねん)で、孔子こうしおしえは非合理ひごうりてきでありアメリカン・インディアンおしえにているとした[36][37]

解釈かいしゃく多様たようせい

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論語ろんご』の言葉ことばみじか断片だんぺんてきで、読者どくしゃをしてさまざまな想像そうぞうてるものであり、その解釈かいしゃく読者どくしゃかずだけ存在そんざいするといえる[38]。たとえば、橋本はしもと秀美ひでみは、金谷かなやおさむの『論語ろんご解釈かいしゃくが、無意識むいしきのうちに、当時とうじ日本にっぽん社会しゃかいであるべきとされた知識ちしきじん姿すがた孔子こうしかさわせる場合ばあいがあることを指摘してきする[39]。そして、人々ひとびとが『論語ろんご』をみ『論語ろんご』を解釈かいしゃくするのは、あたかもひとかがみのぞむようなものであり、その解釈かいしゃく解釈かいしゃくしゃ自身じしんしんそのものをしめしているとべた[40]

ここでは、ふるくから相反あいはんする解釈かいしゃくがあることでられる『論語ろんご』のしょうとして、罕篇の「川上かわかみの嘆」の一節いっせつ具体ぐたいれいとしてしめ[41][38][42]

ざい川上かわかみ、曰「逝者如斯おっとしゃ晝夜ちゅうや。」
かわのほとりにたたずみながら、先生せんせいつぎのようにわれた。「あらゆるものは、これとおなじようにながれていく、むことなく、ひるよるも」と[42] — 『論語ろんご罕篇

この一節いっせつたいするかんとう時代じだい注釈ちゅうしゃくである「ちゅう系統けいとう解釈かいしゃくと、そうだい以降いこうの「しんちゅう系統けいとう解釈かいしゃくおおきくことなっている。たとえば、こうかんていげんは、本節ほんぶしを「かわながれのようにときり、君主くんしゅ任用にんようされることなくむなしく年老としおいていく不遇ふぐうなげいたもの」と解釈かいしゃくする[38]。これは「あらゆるものはうつろい、変化へんかしていずれはうしなわれる」というかなしみやはかなさを表現ひょうげんするものであり、ていげんすめらぎただし六朝りくちょう詩文しぶんなどでは、この解釈かいしゃく採用さいようする[41]

一方いっぽうしんちゅうでは「宇宙うちゅう運行うんこうかわながれのようにまることないものであり、これとおなじように、学問がくもんこころざものつねかえるべきだ」との意味いみ[41][38]。この解釈かいしゃくは、ちゅうとはぎゃくに、力強ちからづよ自己じこ改革かいかく精神せいしんるもので、伊藤いとう仁斎じんさいせつもこれと一致いっちする[41]。このしんちゅう解釈かいしゃく朱子学しゅしがくてき色彩しきさいつよ解釈かいしゃくではあるが、ふるくは『孟子もうし』における議論ぎろん内容ないよう一致いっちするものでもあり、その由来ゆらいふる[注釈ちゅうしゃく 2]。『孟子もうし』のほかに、かんだいあげゆう同様どうよう解釈かいしゃくっている[41]。また東洋とうよう哲学てつがく研究けんきゅうしゃ井筒いづつ俊彦としひこは、この一節いっせつから『方丈ほうじょう[注釈ちゅうしゃく 3]代表だいひょうされる「物事ものごと普遍ふへんてき変化へんか」を悲観ひかんてきとらえる仏教ぶっきょうと、これを楽観らっかんてきとらえるそうがく対比たいひっている[42]

新出にいで文献ぶんけん

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莫高くつ出土しゅつどの『論語ろんご

1906ねん、フランスのポール・ペリオ、イギリスのオーレル・スタインらの探検たんけんたいが、敦煌とんこうせんふつほらから敦煌とんこう文献ぶんけんひとつとしてていげんちゅう論語ろんご』の写本しゃほん一部いちぶ発見はっけんした。これは南北なんぼくあさ時代じだいからとうだい写本しゃほんである。また、1969ねんにはトルファン地域ちいきのアスターナ地区ちくで、ふたたていげんちゅう論語ろんご』が発見はっけんされた。これはとうけいりゅう4ねん710ねん)にぼく天寿てんじゅという少年しょうねんによって書写しょしゃされたほんである[43]

1973ねん河北かほくしょうていしゅう前漢ぜんかんなか山懐やまふところおうりゅうおさむはかから、『論語ろんご』の一部いちぶかれたたけ発見はっけんされた。りゅうおさむ紀元前きげんぜん55ねんぼっしたため、これより以前いぜんのものであることがかる[44]。このたけ簡にしるされた『論語ろんご』の内容ないようは、現行げんこうほんとのあいだ異同いどうおおいが、内容ないよう類似るいじしており、現行げんこうほんほんひとつであるとかんがえられる[45]

1990年代ねんだい初頭しょとう朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく平壌ぴょんやん直轄ちょっかつらくなみ地域ちいき領域りょういきにあるさだかしわほら364ごうふんから、『論語ろんご』の一部いちぶかれたたけ簡が発見はっけんされた[46]。この出来事できごとは、2009ねんころから国際こくさいてきられるようになった[46]。このはかには紀元前きげんぜん45ねん戸籍こせき簿副葬ふくそうされており、前漢ぜんかんころには『論語ろんご』が辺境へんきょう地域ちいきにまで伝播でんぱしていたことがあきらかになった[47]

2016ねん江西えにししょうみなみあきらにある遺跡いせきうみ昏侯前漢ぜんかんりゅうはか)から、かんだい当時とうじの『ひとし論語ろんご』と推定すいていされるたけ簡の断片だんぺん(『論語ろんご知道ともみちへん)が出土しゅつどした[48]

2020ねん注釈ちゅうしゃくしょひとつ『ろん語義ごぎ』について6〜7世紀せいきはじめに中国ちゅうごくかれたとみられる最古さいこきゅう写本しゃほん日本にっぽんつかった[49]

構成こうせい

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512に区切くぎられる短文たんぶん長文ちょうぶんが、ぜん10かん20へんなかにまとめられるかたち収録しゅうろくされている。ぜん10へんを「うえろん」、こう10へんを「したろん」とんで区別くべつしたりもする。へん名称めいしょうは(「曰」をのぞく)かくへん最初さいしょ文字もじ(またはさん文字もじ)をったものであり、あきらによってはそのしょう内容ないようのことをいう[50]

  • 巻一けんいち
    • がく而(がくじ)だいいち
      まなんでときこれならう」という孔子こうし言葉ことばはじまる[51]。「がく」についての記述きじゅつ孔子こうし根本こんぽん思想しそうについての立件りっけんおおいため、熟読じゅくどくするといとしゅ熹はう(あつまりちゅう)。およじゅうろくしょう[52][53]
    • 為政いせい(いせい)だい
      せいすにとくもってすれば、たとえば北辰ほくしんところて、しゅうぼしこれともするがごとし」という孔子こうし徳治とくじろんはじまる[51]政治せいじについての記述きじゅつおおいとされる。およじゅうよんしょう[52][53]
  • まき
    • はち佾(はちいつ)だいさん
      孔子こうしが魯の家老がろうまご不遜ふそん態度たいど批判ひはんする言葉ことばからはじまる[51]礼楽れいがくかんする記述きじゅつおおく、この「はち佾」も礼楽れいがく行列ぎょうれつ名前なまえである。およじゅうろくしょう[52][53]
    • 里仁さとに(りじん)だいよん
      じんさと(お)るをうつくしとす」という孔子こうし言葉ことばはじまる[51]。「仁徳にんとく」にかんする記述きじゅつおおいとされる。しゅ熹はおよじゅうろくしょう[52][53]
  • まきさん
    • おおやけ冶長(こうやちょう)だい
      孔子こうし弟子でしおおやけ冶長との問答もんどうよりはじまることからおおやけ長篇ちょうへん名付なづけられたとされる[51]とお孔子こうし弟子でしおおやけ冶長との問答もんどうよりはじまることからおおやけ長篇ちょうへん名付なづけられたとされる。このしょうほとんど(最後さいごさんしょう)が孔子こうし弟子でしとの問答もんどう人物じんぶつ評価ひょうかかれている。およじゅうななしょう[52][53]
    • 雍也(ようや)だいろく
      孔子こうし弟子でし冉雍を「雍や南面なんめんせしむるべし」と絶賛ぜっさんしたあきらはじまる[51]人物じんぶつ評論ひょうろんや「ひとし」と「」のろん目立めだつとされる。およじゅうはちしょう[52][53]
  • まきよん
    • じゅつ而(じゅつじ)だいなな
      べてつくらず」という孔子こうし言葉ことばはじまる[51]孔子こうし自身じしん言葉ことば容態ようだい行動こうどうかんした記述きじゅつおおいとされる。およさんじゅうななしょう[52][53]
    • たいはく(たいはく)だいはち
      たいはく至徳しとくうべきのみ」という孔子こうし言葉ことばはじまる[51]たいはくへの称賛しょうさんから、礼楽れいがくなど、終盤しゅうばんには聖人せいじんなどの構成こうせいとされる。およじゅういちしょう[52][53]
  • まき
    • 罕(しかん)だいきゅう
      、罕(まれ)にいのちじんとをう」というしょうはじまる[51]孔子こうし言行げんこう孔子こうし出処しゅっしょ進退しんたいかんする門人もんじん記録きろくおおいとされる。およさんじゅうしょう[52][53]
    • 郷党きょうとう(きょうとう)だいじゅう
      郷里きょうりにおける孔子こうし様子ようすしるしょう構成こうせいされている特異とくいいちへん[51]篇首へんしゅが「孔子こうし」ではじまり、「曰」という記述きじゅつがないとされる。吉田よしだ(1960)はしゅ熹のしゅうちゅうをもとにじゅうはちしょうけた[52][53]
  • まきろく
    • 先進せんしん(せんしん)だいじゅういち
      先進せんしん礼楽れいがくけるや、野人やじんなり」という孔子こうし言葉ことばはじまる[51]門人もんじんなどの人物じんぶつ評論ひょうろんおおく、孔子こうし祖国そこくの魯に帰国きこくしてからの門人もんじんとの言行げんこう記述きじゅつがあることから孔子こうし晩年ばんねんがわかる。およじゅうしょう[52][53]
    • かおふち(がんえん)だいじゅう
      孔子こうし門人もんじん君主くんしゅが「ひとし」や「せい」にかんする問答もんどうおおく、篇首へんしゅにはかおかいとの「ひとし」についての問答もんどうからはじまる。およじゅうよんしょう[52][53]
  • まきなな
    • (しろ)だいじゅうさん
      せいう」という政治せいじかんする孔子こうし問答もんどうからはじまる[51]前半ぜんはん政治せいじについて、後半こうはん善人ぜんにん士君子しくんし道徳どうとくについての問答もんどうおおいとされる。およさんじゅうしょう[52][53]
    • けんとい(けんもん)だいじゅうよん
      けんはじう」という弟子でしはらけんはじについて孔子こうしたずねるしょうからはじまる[51]。この篇首へんしゅはらけん孔子こうしに「はじ」についていたが、これ以降いこうへんでは「はらけん」のことを「げんおもえ」ともちいていることからこのへんはははらけんいたのではないか,または魯のくに編集へんしゅうしたのではないかと吉田よしだ(1960)は考察こうさつした。およよんじゅうろくしょう[52][53]
  • まきはち
    • まもるれいこう(えいれいこう)だいじゅう
      まもるれいこうちんじん)を孔子こうしう」というしょうからはじまる[51]。このへん修身しゅうしん出処しゅっしょかんする雑言ぞうごんおおいとされる。およよんじゅういちしょう[52][53]
    • (きし)だいじゅうろく
      魯の家老がろうであるまごが魯の属国ぞっこく討伐とうばつしようとしたことをめぐって、孔子こうしと冉雍・問答もんどうわすしょうからはじまる[51]。このへんは「したろん」でも体裁ていさいことなっているとし、「いわく」とあったところが「孔子こうし曰」となっている。およじゅうよんしょう[52][53]
  • まききゅう
    • 貨(ようか)だいじゅうなな
      貨孔んとほっす」、まご家臣かしんの楊貨が孔子こうし政治せいじいざなおうとする場面ばめんからはじまる[51]。このへん孔子こうし出処しゅっしょ進退しんたいかんするあきらすうしょうある。なかおとろえ、みちおこなわれないことをなげいたり、当局とうきょくしゃ門人もんじんあたえた警告けいこくおおいとされる。およじゅうろくしょう[52][53]
    • ほろ(びし)だいじゅうはち
      ほろこれる」、孔子こうしいんさんじんありと論評ろんぴょうするしょうはじまる[51]。このへん逸民いつみんはなしおおいが、孔子こうし関係かんけいった人達ひとたち出処しゅっしょ進退しんたいなどがしるされているとされる。およじゅういちしょう[52][53]
  • まきじゅう
    • ちょう(しちょう)だいじゅうきゅう
      はりの「あやうきをてはいのちいたす」という言葉ことばはじまる[51]。このへん大体だいたい孔子こうし門人もんじんたちの言葉ことばのみしるされている。とく高弟こうていげんおおく、孔子こうしるいするような言葉ことばなどがおおいとされる。およじゅうしょう[52][53]
    • 堯曰(ぎょうえつ)だいじゅう
      「堯いわく、咨(ああ)、しか(なんじ)しゅん」という堯の言葉ことばはじまる[51]。このへんおよさんしょうであるが、聖人せいじん政治せいじ為政者いせいしゃにとっての政治せいじてき訓誡くんかい君子くんし要訣ようけつなど論語ろんごぜんへん照応しょうおうさせたようにられると吉田よしだ(1960)は[52][53]

故事こじ成語せいご

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論語ろんご』に由来ゆらいする故事こじ成語せいごには、以下いかれいがある。

  • ふるきをぬるねて(たずねて)あたらしきを - 為政いせいへん曰、ぬる而知しん
    過去かこ事跡じせき先人せんじん知恵ちえまなんで現在げんざい問題もんだいかんがえ、あたらしい知識ちしき道理どうりすこと。「温故知新おんこちしん」とも[54][55]
  • いちいてじゅう - おおやけ長篇ちょうへんたまもの也何敢望かいかい也聞いち以知じゅうたまもの也聞いち以知
    一端いったんいただけで全体ぜんたい理解りかいすること。理解りかいはや聡明そうめいであること[56]
  • 牛刀ぎゅうとうをもってにわとり - 貨篇「わり雞焉よう牛刀ぎゅうとう
    ちいさなことを処理しょりするのにおおげさな手段しゅだんもちいること[57]
  • あやまちてあらためざるをこれあやまちという - まもるれいこうへん而不あらためいい矣」
    あやまちをおかしてもあらためないことこそが、しんあやまちである[58]
  • ぎたるはなお(なお)およばざるがごと - 先進せんしんへんなお及」
    適当てきとう程度ていどえているのは、不足ふそくおなじ。中庸ちゅうよう大切たいせつであるたとえ[58]
  • いきどおせずんばけいせず - じゅつ而篇「いきどおけい悱不はつきょ一隅不以三隅反、のりふく也」
    しん理解りかいできなくて、いきどおふるつほどでなければ、おしみちびかない。自発じはつてきにやろうとしないものにはおしえない[59]
  • みち(こみち)によらず - 雍也へんゆう澹臺めつあかりしゃこうよしみち
    小道こみちとおらないで、大道だいどうく。人生じんせいにおいては近道ちかみちをしないで、正直しょうじきにしたがいあゆ[59]
  • せいしょうちかし、ならしょうとお - 貨篇「せい相近すけちか也、習相どお也」
    人間にんげんまれつきの天性てんせいはたいしてがないが、後天的こうてんてき習慣しゅうかんによっておおきくちがってくる[60]
  • とくならず - 里仁さとにへんとく不孤ふこ、必有鄰」
    とくのあるものは、けっして孤立こりつすることはなく、かならしたがものたすけるものがいる[61]
  • してどうぜず - へん君子くんし不同ふどう小人こどもどう不和ふわ
    ひと仲良なかよけても、道理どうりそむいてまでひとにへつらわないこと[62]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ はやしやすし輔『論語ろんご年譜ねんぷ』には、古代こだい人物じんぶつが『論語ろんご』をまなんだれいや『論語ろんご』を引用いんようしたれいしめ歴史れきししょ記述きじゅつなどがすべ整理せいりされている[17]
  2. ^ 孟子もうしはなれ婁下「じょった。「孔子こうしはしばしばみずたとえて「みずよ、みずよ」とったそうです。なにたとえたのでしょうか。」孟子もうしった。「いずみはそのみなもとからこんこんとて、ひるよるやすむことがない。そのながれは、くぼみがあればまずそのあなたしたのち、はじめてあふして四海しかいすすむ。根本こんぽんがあるものはこのようだ、ということを比喩ひゆでいいあらわした。」(じょ曰「なか亟稱於水、曰「みず哉、みず哉」、なに於水也」。孟子もうこ曰「原泉げんせんこんこんしゃ昼夜ちゅうやみつる後進こうしん四海しかい有本ありもとしゃ如是にょぜなんじ」。[38]
  3. ^ 「ゆくかわながれはえずして、しかももとのみずにあらず。よどみにかぶうたかたは、かつえかつむすびて、ひさしくとどまりたるためしなし。なかにあるひととすみかと、またかくのごとし。」(『方丈ほうじょう本文ほんぶん冒頭ぼうとう

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 吉川よしかわ 1978a, p. 5.
  2. ^ a b c d 影山かげやま 2016, pp. 25–26.
  3. ^ a b c d e f 影山かげやま 2016, p. 27.
  4. ^ a b c d 影山かげやま 2016, pp. 29–30.
  5. ^ 影山かげやま 2016, pp. 30–32.
  6. ^ 湯浅ゆあさ 2012, pp. 30–31.
  7. ^ 影山かげやま 2016, pp. 33–37.
  8. ^ a b c d e f 影山かげやま 2016, pp. 42–43.
  9. ^ a b 湯浅ゆあさ 2012, p. 81.
  10. ^ 影山かげやま 2016, p. 44.
  11. ^ 湯浅ゆあさ 2012, p. 83.
  12. ^ 湯浅ゆあさ 2012, pp. 84–85.
  13. ^ a b 影山かげやま 2016, p. 45.
  14. ^ a b 橋本はしもと 2009, p. 7.
  15. ^ 湯浅ゆあさ 2012, p. 95.
  16. ^ 橋本はしもと 2009, p. 15.
  17. ^ 橋本はしもと 2009, p. 16.
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参考さんこう文献ぶんけん

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辞書じしょ

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中国ちゅうごく文献ぶんけん

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関連かんれん文献ぶんけん

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論語ろんご』の翻訳ほんやく

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論語ろんご』の注釈ちゅうしゃく訳注やくちゅう

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概説がいせつしょ専門せんもんしょ

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  • 簡野道明みちあき補註ほちゅう 論語ろんごしゅう註』明治めいじ書院しょいん、2003ねん2がつISBN 4-625-73301-4 新版しんぱん再刊さいかん
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  • 津田つだ左右吉そうきち論語ろんご孔子こうし思想しそう岩波書店いわなみしょてん、1946ねん 
    • 津田つだ左右吉そうきち津田つだ左右吉そうきち全集ぜんしゅう だい14かん岩波書店いわなみしょてん、1987ねん10がつISBN 978-4-00-091124-5 新版しんぱん再刊さいかん
  • 宮崎みやざきじょう論語ろんごあたらしいかた礪波となみまもる へん解説かいせつ岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ、2000ねん7がつISBN 4-00-600022-7 新版しんぱん再刊さいかん
  • 安岡やすおか正篤まさあつ論語ろんごまなぶ』PHP研究所けんきゅうじょPHP文庫ぶんこ〉、2002ねん10がつISBN 4-569-57813-6 新版しんぱん再刊さいかん
  • 吉川よしかわ幸次郎こうじろう『「論語ろんご」のはなし筑摩書房ちくましょぼうちくま学芸がくげい文庫ぶんこ〉、2008ねん1がつISBN 978-4480091215 新版しんぱん再刊さいかん
  • 渡邉わたなべ義浩よしひろ論語ろんご 孔子こうし言葉ことばはいかにつくられたか』講談社こうだんしゃ選書せんしょメチエ、2021ねんISBN 978-4065223796 
  • 渡邉わたなべ義浩よしひろ『『論語ろんご』の形成けいせいちゅう展開てんかい汲古書院しょいん、2021ねんISBN 978-4-7629-6672-9 
    • 孔子こうしえきんだのか」
    • 「『論語ろんご』の成立せいりつ過程かていじょうしゅう論語ろんご』」
    • 儒教じゅきょうかたちしんとう従来じゅうらい学説がくせつくつがえす『三国志さんごくし研究けんきゅう権威けんい渡邉わたなべ史学しがく核心かくしんす『論語ろんご研究けんきゅう

入門にゅうもんしょ

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論語ろんご』を題材だいざいにした作品さくひん

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