寝技ねわざ

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寝技ねわざ(ねわざ)とは、柔道じゅうどうなどの格闘技かくとうぎにおいて姿勢しせいでの攻防こうぼうおこなわざった姿勢しせい展開てんかいされるわざ対比たいひされる。また、寝業ねわざ表記ひょうきもちいられることもある。使用しようされる格闘技かくとうぎでは柔道じゅうどうブラジリアン柔術じゅうじゅつがその代表だいひょうとしてげられる。レスリングサンボなどでも使用しようされている。寝技ねわざ技術ぎじゅつ体系たいけいは、そもそもこみわざあるいは関節かんせつわざわざといったかたわざ中心ちゅうしんであるが、その状態じょうたいからの当身あてみわざ、スイープ、パスガードも存在そんざいする。

日本にっぽんにおける歴史れきしてき経緯けいいなど[編集へんしゅう]

もとより寝技ねわざの、すくなくとも原型げんけいとなった技術ぎじゅつは、相手あいてくこと自体じたい目的もくてきとするのではなく、そのわざにより相手あいて身体しんたい自由じゆううばい、頸をいたりはらしたりするための手段しゅだんであった。合戦かっせんにおいて武者むしゃ脇差わきざしあるいはとげがたなばれるちいさな利器りきびていたのは、それをもっ薙刀なぎなた太刀たちわたうためではなかった。

明治めいじ15ねん1882ねんに、嘉納かのう治五郎じごろうが、当身あてみわざかたわざわざ中心ちゅうしんとする天神てんじん楊流柔術じゅうじゅつわざ中心ちゅうしんとするおこりたおせりゅう柔術じゅうじゅつわざから、東京とうきょう下谷しもたに永昌寺えいしょうじ講道館こうどうかん柔道じゅうどう創設そうせつしたさいには、警視庁けいしちょう大会たいかいにおいて、くずしの概念がいねん導入どうにゅうなどによりわざでも優位ゆういだったが、他流たりゅう柔術じゅうじゅつ流派りゅうはおおくはわざでのわざ関節かんせつわざ中心ちゅうしんであったため、寝技ねわざおおきな武器ぶきであった。しかし、一部いちぶ柔術じゅうじゅつ流派りゅうは寝技ねわざ得意とくいとし、講道館こうどうかん苦戦くせんいられた。そののち柔道じゅうどう世界せかいにおいてことに寝技ねわざ発達はったつさせたのは、いわゆるこうせん柔道じゅうどうである。戦前せんぜんきゅう学制がくせい時代じだい高等こうとう学校がっこう専門せんもん学校がっこう大学だいがく発展はってんしたこのスタイルは、わざではなく寝技ねわざ非常ひじょう重視じゅうししていた。こうせん柔道じゅうどう当初とうしょはそのような独特どくとく体系たいけいではなかった。全国ぜんこく大会たいかいにおいて、ある学校がっこう寝技ねわざ中心ちゅうしん練習れんしゅうのぞ優秀ゆうしゅう結果けっかおさめたことをきっかけに、それを目標もくひょうとして、姿勢しせいでの攻防こうぼうわざの、研鑽けんさん研究けんきゅうかさねてられていった。講道館こうどうかんがわはこれを「やりすぎ」とかんがえ、そこまで熱心ねっしんには発達はったつさせなかったのである。柔道じゅうどう寝技ねわざおおきな特徴とくちょう今日きょう総合そうごう格闘技かくとうぎ有用ゆうようせい証明しょうめいされているポジショニング概念がいねんふくまれていることである。おおくのスイープパスガード技法ぎほう開発かいはつされてきた。これはレスリングサンボにはられない特徴とくちょうである。他流たりゅう柔術じゅうじゅつ流派りゅうはにこの概念がいねんがあったかは確認かくにんされていない。余談よだんだが、ブラジリアン柔術じゅうじゅつ柔道じゅうどうのこの概念がいねんマウントポジションバックマウントポジションとく優位ゆういであることなどをくわえてさらに改良かいりょうしたわけである。

年表ねんぴょう[編集へんしゅう]

  • 1888ねん嘉納かのう治五郎じごろう柔道じゅうどう講義こうぎようノートとして使用しようした『柔道じゅうどう雑記ざっき』にかたわざとして、かたゆび関節かんせつわざ手首てくび関節かんせつわざひじ関節かんせつわざ)9しゅあしかたあし関節かんせつわざ)3しゅからだかたそもそもこみわざ)9しゅくびかたくび関節かんせつわざ)9しゅはだかしぼしぼわざ)11しゅ[1]柔道じゅうどう
  • 1900ねん手足てあしゆびあしなど足首あしくびへの関節かんせつわざ禁止きんしされる。(柔道じゅうどう
  • 1910ねんあしされるものちに禁止きんし。(こうせん柔道じゅうどう
  • 1916ねんどうしぼあし禁止きんし。(柔道じゅうどう
  • 1921ねんあし大逆だいぎゃくひざじゅう)がされるものちに禁止きんし。(こうせん柔道じゅうどう
  • 1922ねん三角さんかくされる。(こうせん柔道じゅうどう
  • 1924ねん姿勢しせいからはじめるのを禁止きんし。(柔道じゅうどう
  • 1935ねん、フランスにおいてかわせき酒造しゅぞうすけかわせきメソッド使用しようして柔道じゅうどう教授きょうじゅ。そこではかたわざとしてそもそもこみわざしぼわざひじ関節かんせつわざ以外いがいに、手首てくび関節かんせつわざあし関節かんせつわざくび関節かんせつわざ採用さいよう[2]柔道じゅうどう
  • 1941ねんしぼわざ関節かんせつわざへのわざありを廃止はいしみを禁止きんし主審しゅしん主観しゅかんめていたそもそもこめいちほん時間じかんを30びょう統一とういつ[3]。(柔道じゅうどう
  • 1942ねんだい日本にっぽん武徳ぶとくかい改組かいそされる。1943ねんしん武徳ぶとくかい柔道じゅうどう試合しあい審判しんぱん規定きてい。(いち等外とうがいしゃひじ関節かんせつ、(ゆうとうしゃひじ関節かんせつ手首てくび関節かんせつ足首あしくび関節かんせつ、(さん称号しょうごう受有しゃ脊柱せきちゅう関節かんせつのぞぜん関節かんせつ、として等級とうきゅう称号しょうごうによって制限せいげんはあるが、脊柱せきちゅう以外いがいすべての関節かんせつへの攻撃こうげきゆるされる。[4]柔道じゅうどう
  • 1945ねん日本にっぽん敗戦はいせんともな武道ぶどう禁止きんしれい。1946ねんだい日本にっぽん武徳ぶとくかい解散かいさん。1950ねん文部省もんぶしょうからGHQ学校がっこう柔道じゅうどう復活ふっかつかんする請願せいがんしょ提出ていしゅつ戦時せんじちゅうおこなわれた関節かんせつわざとうなか危険きけんおもわれる技術ぎじゅつ除外じょがいする内容ないよう学校がっこう柔道じゅうどう復活ふっかつむね
  • 1950ねん国際こくさい柔道じゅうどう協会きょうかいプロ柔道じゅうどう発足ほっそくゆび足首あしくび手首てくびかたなどへの関節かんせつわざみとめるルールを採用さいようどう年内ねんない解散かいさん。(柔道じゅうどう
  • 1951ねん関節かんせつわざわざにおいて、「まいった」がなくても気絶きぜつ骨折こっせつ脱臼だっきゅうがあったとき一本いっぽんに。見込みこいちほん廃止はいしに。(柔道じゅうどう
  • 1966ねん見込みこいちほん原則げんそく廃止はいしのままだが、大会たいかいによっては関節かんせつわざわざ見込みこ一本いっぽんがとれるように。(講道館こうどうかん柔道じゅうどう
  • 1980ねん女子じょしへの見込みこ一本いっぽんみとめられるようになる。(講道館こうどうかん柔道じゅうどう
  • 1993ねん - 国際こくさい規定きてい講道館こうどうかん規定きていわせるかたち柔道じゅうどうころもくち行為こうい指導しどう[5]
  • 1995ねん女子じょしへの見込みこ一本いっぽん国際こくさい規定きていわせるかたち男子だんし同様どうよう原則げんそく廃止はいし。(講道館こうどうかん柔道じゅうどう
  • 2001ねんまでに関節かんせつわざなどで脱臼だっきゅう骨折こっせつ場合ばあい主審しゅしんがまだ戦闘せんとう能力のうりょくがあるとなされれば一本いっぽんはとらず試合しあい続行ぞっこうとなった[6]。(柔道じゅうどう国際こくさい規定きてい

寝技ねわざ特徴とくちょう[編集へんしゅう]

こうせん柔道じゅうどう寝技ねわざ志向しこうした背景はいけいには、学生がくせい短期間たんきかん成果せいかげねばならないという背景はいけいがあったほか、体格たいかく不利ふり解消かいしょうしやすい、という特徴とくちょうがあった。

指導しどうしゃによっては、寝技ねわざわざ半分はんぶん、あるいは3ぶんの1の期間きかんいち人前にんまえ仕上しあげることができるといい、また姿勢しせいおこなわれる攻防こうぼう展開てんかいにおいては、身長しんちょうおよび体重たいじゅうが、わざほどに顕在けんざいしない。修業しゅうぎょう期間きかんみじかさが殊更ことさら重要じゅうようされたのは、卒業そつぎょうするまでのあいだつよくする、ということ以前いぜんに、入学にゅうがくまえには碌々ろくろく運動うんどうをしていなかったような少年しょうねんきたげるという必要ひつようがあったからという指摘してきもある。

井上いのうえやすし作品さくひんに、柔道じゅうどう作品さくひん世界せかいひとつのはしらとなっている『きたうみ』があるが、これは井上いのうえ自身じしんこうせん柔道じゅうどう修行しゅぎょう没頭ぼっとうした学生がくせい時代じだい体験たいけんと、そのときの仲間なかまたちの追憶ついおくがベースになっている。ここでかれは、練習れんしゅうすればしただけ上手うまくなるという意味いみのことを登場とうじょう人物じんぶつかたらせている。そして寝技ねわざ柔道じゅうどうとは、練習れんしゅうりょうがすべてをけっする柔道じゅうどうでもあった。

なお、みみやわらかくないひと寝技ねわざによってみみ相手あいて道着どうぎたたみなどのゆかれてしまい、毛細血管もうさいけっかん内出血ないしゅっけつにより餃子ぎょうざのようなかたち変形へんけいすることがあり英語えいごでは「カリフラワーイヤー」という。このような状態じょうたいは、レスリングブラジリアン柔術じゅうじゅつにもしばしられる。

寝技ねわざでの打撃だげきけいわざ[編集へんしゅう]

寝技ねわざにおいても打撃だげきけいわざがある。地面じめん寝転ねころがることで相手あいてからめる箇所かしょすくなくし、おも相手あいてのひざからしためるわざである。アントニオ猪木いのきモハメド・アリせんせたのが典型てんけいてきといえる。

柔道じゅうどう当身あてみわざにおいては、きょくかたちわざ横打よこうち」ではかたかたせいしたけ(相手あいて)にひじ水月すいげつ(みぞおち)にてるわざとなっており、「」ではした状態じょうたいとうげでんだけ(相手あいて)にこぶし釣鐘つりがね股間こかん急所きゅうしょ)にてるわざとなっている。立合たてあいの「」ではった状態じょうたいからたおしたけ(相手あいて)に手刀てがたな烏兎うと眉間みけん)にてるわざとなっている。

また、柔道じゅうどう精力せいりょく善用ぜんよう国民こくみん体育たいいく単独たんどく動作どうさだいるい当身あてみわざうでとうこぶしとうしも突」(「左右さゆう交互こうご突」「りょう手下てした突」「ぜんした突」)は下方かほうたおれた相手あいてへのとっわざ想定そうていした動作どうさ体育たいいくてきおこな運動うんどうとなっている。[7]

柔道じゅうどう当身あてみわざあしとうかかととうあし踏」はたおれた相手あいてへのめのみつけのわざとなっている。[8][9][10]

空手からてかたにもて(たおされて?)からっている相手あいてわざがあり、またたおれた相手あいてめを意味いみき、あるいはみつけをおこな流派りゅうはもある。日本にっぽん拳法けんぽうではおさんだ相手あいて頭部とうぶひざりすることで一本いっぽんとなる。

また、総合そうごう格闘技かくとうぎにおいて、寝技ねわざにおける打撃だげき重要じゅうよう技術ぎじゅつひとつになっている。 マウントポジション(たて四方しほうかため)やガードポジションからの頭部とうぶへのパンチ・鉄槌てっついグラウンドパンチ)やひじている相手あいてももへのローキック、がぶりやサイドポジションなどからの頭部とうぶへのひざり、げ(ペダラーダ)、サッカーボールキック、ストンピングなど。

寝技ねわざおも基本きほん動作どうさ[編集へんしゅう]

わき[編集へんしゅう]

りょうわきめてはらばいの状態じょうたいからまえすすむ。わきめることで相手あいて逆襲ぎゃくしゅうらわずきっちりおさちからやしなうための鍛錬たんれんとなる。

エビ[編集へんしゅう]

仰向あおむけの状態じょうたいからからだ左右さゆうにはねながら、たたみ両足りょうあし交互こうごげてあたま方向ほうこうすすむ。仰向あおむ状態じょうたいとき相手あいて自分じぶんあし方向ほうこうからめてきたときに、相手あいて攻撃こうげきをかわしてぎゃく攻撃こうげきてんずるための鍛錬たんれんとなる。

ぎゃくエビ[編集へんしゅう]

仰向あおむけの状態じょうたいからからだ左右さゆうらしながら、たたみ両足りょうあし交互こうごげてあし方向ほうこうすすむ。相手あいておさまれないようにからだ移動いどうさせたり、相手あいて密着みっちゃく状態じょうたいになったとき隙間すきまをつくるための鍛錬たんれんとなる。

あしまわ[編集へんしゅう]

仰向あおむけになってひざげながら左右さゆうあしまわす。仰向あおむ状態じょうたいから相手あいて攻撃こうげきをかわすための鍛錬たんれんとなる。

あしばし[編集へんしゅう]

仰向あおむけになって両足りょうあし交互こうごしたからうえまわす。仰向あおむ状態じょうたいからあしばして相手あいて反撃はんげきをかわして、ぎゃく逆襲ぎゃくしゅう機会きかいうかがうための鍛錬たんれんのなる。

ブリッジ[編集へんしゅう]

うつせ、または仰向あおむけの状態じょうたい頭部とうぶたたみにつけながらくび上下じょうげうごかす。またはその状態じょうたいからからだ回転かいてんさせる。くび強化きょうかのための鍛錬たんれんとなる。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 藤堂とうどう良明よしあき柔道じゅうどう歴史れきし文化ぶんか』(初版しょはんだい昧堂出版しゅっぱん、2007ねん9がつ10日とおか、115ぺーじISBN 978-4-8293-0457-0 
  2. ^ 村田むらた直樹なおき柔道じゅうどう国際こくさい《その歴史れきし課題かだい》』臼井うすい日出男ひでお発行はっこうしゃ)、日本武道館にほんぶどうかん発行はっこうしょ)、スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ発売はつばい)(原著げんちょ2011ねん4がつ30にち
  3. ^ 小俣おまた幸嗣こうじ松井まついいさお尾形おがたたかし詳解しょうかい 柔道じゅうどうのルールと審判しんぱんほう 2004年度ねんどばん』(初版しょはんだい2さつ大修館書店たいしゅうかんしょてん、2005ねん9がつ1にち原著げんちょ2004-8-20)、7ぺーじISBN 4-469-26560-8 
  4. ^ 中嶋なかじま哲也てつや近代きんだい日本にっぽん武道ぶどうろん武道ぶどうのスポーツ問題もんだい誕生たんじょう』(初版しょはんだい1さつ国書刊行会こくしょかんこうかい、2017ねん7がつ24にち、378ぺーじISBN 978-4-336-06158-4 
  5. ^ 小俣おまた幸嗣こうじ松井まついいさお尾形おがたたかし詳解しょうかい 柔道じゅうどうのルールと審判しんぱんほう 2004年度ねんどばん』(初版しょはんだい2さつ大修館書店たいしゅうかんしょてん、2005ねん9がつ1にち原著げんちょ2004-8-20)、3-4ぺーじISBN 4-469-26560-8 
  6. ^ 小俣おまた幸嗣こうじ松井まついいさお尾形おがたたかし詳解しょうかい 柔道じゅうどうのルールと審判しんぱんほう 2001年度ねんどばん』(初版しょはん大修館書店たいしゅうかんしょてん原著げんちょ2001ねん5がつ20日はつか)、140ぺーじISBN 4-469-26463-6 
  7. ^ 最新さいしん 柔道じゅうどうかたち ぜんじゅうだん 小谷おたにきよし きゅうだん 大滝おおたき忠夫ただお 共著きょうちょ 昭和しょうわ46ねん9がつ10日とおか 初版しょはん発行はっこう 昧堂出版しゅっぱん ISBN 4-8293-0093-0
  8. ^ 『JUDO KODOKAN ATEMI WAZA』José A Caracena
  9. ^ 日本にっぽん武道ぶどう日本武道館にほんぶどうかん へん ISBN 978-4-583-10039-5 ベースボールマガジンしゃ 平成へいせい19ねん8がつ20日はつか発行はっこう
  10. ^ 講談社こうだんしゃ 講道館こうどうかん ちょ決定けっていばん 講道館こうどうかん柔道じゅうどうISBN 4-06-207415X 1995ねん6がつ15にち だい1さつ発行はっこう