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寧辺郡(ニョンビョンぐん)は朝鮮民主主義人民共和国平安北道の東南部にある郡。核開発施設が集中することで知られている(寧辺核施設)。
なお、韓国では頭音法則で「ヨンビョン」(영변)と発音する(「朝鮮語の南北間差異」参照)。
平壌から北へ約80kmの距離にある。清川江の北岸に位置し、その支流である九龍江が郡内を貫いて流れている。最高峰は北部にある香積山(ヒャンジョクサン/향적산、805m)。丘に囲まれた地形である。
西に博川郡・泰川郡、北に雲山郡、東に球場郡と隣接し、南は平安南道に接する。
1邑・1労働者区・26里を管轄する。
- 寧辺邑(ニョンビョヌプ)
- 八院労働者区(パルォンノドンジャグ)
- 古城里(コソンニ)
- 館下里(クァナリ)
- 亀山里(クサンニ)
- 亀項里(クハンニ)
- 南燈里(ナムドゥンニ)
- 南山里(ナムサンニ)
- 大川里(テチョンニ)
- 東南里(トンナムニ)
- 龍城里(リョンソンニ)
- 龍湫里(リョンチュリ)
- 龍浦里(リョンポリ)
- 龍和里(リョンファリ)
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- 望日里(マンイルリ)
- 明徳里(ミョンドンニ)
- 鳳山里(ポンサンニ)
- 西山里(ソサンニ)
- 西位里(ソウィリ)
- 西花里(ソファリ)
- 細竹里(セジュンニ)
- 松江里(ソンガンニ)
- 松和里(ソンファリ)
- 延花里(ヨヌァリ)
- 梧峯里(オボンニ)
- 玉倉里(オクチャンニ)
- 下草里(ハチョリ)
- 和坪里(ファピョンニ)
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古代には高句麗・渤海の領域であり、高麗時代には延州(延山府)・撫州と呼ばれた。のちに寧辺の名で呼ばれることになる通り、朝鮮西北辺境防衛の拠点であり、1012年には高麗の姜邯賛が契丹と戦い、1216年には金就礪が金軍と戦っている。
朝鮮王朝時代には延山都護府・撫山県が設置され、1429年に両者をあわせて寧辺大都護府が置かれた。1624年には李适の乱の舞台となっている。
1895年、府郡制(二十三府制)により義州府寧辺郡に改変された。翌1896年に十三道制が発足すると平安北道に属し、平安北道の観察使営(道庁)は本郡に置かれた。1905年に義州に移転するまで、寧辺は平安北道の道庁所在地であった。
1952年12月、北朝鮮の行政区域再編により球場郡・香山郡が分割された。
1980年代には核関連施設の建設がはじまり、以来北朝鮮核問題の中で世界的に知られる地名となった。
この節の出典[1]
- 1914年4月1日 - 郡面併合により、平安北道寧辺郡に以下の面が成立。(14面)
- 邑内面・八院面・少林面・延山面・泰平面・龍山面・古城面・南松面・独山面・鳳山面・百嶺面・北薪峴面・南薪峴面・梧里面
- 1918年 - 邑内面が寧辺面に改称。(14面)
- 1952年12月 - 郡面里統廃合により、平安北道寧辺郡寧辺面・八院面・少林面・鳳山面および延山面・古城面・梧里面の各一部地域をもって、寧辺郡を設置。寧辺郡に以下の邑・里が成立。(1邑33里)
- 寧辺邑・延山里・文化里・西花里・大川里・龍和里・龍浦里・薬山里・西外城里・八院里・和坪里・松和里・明徳里・玉倉里・龍城里・鳳山里・古城里・館下里・亀山里・望日里・龍興里・南燈里・西位里・龍湫里・上秋里・鳳東里・鳳南里・南山里・下草里・亀項里・三峯里・梧峯里・松江里・細竹里
- 1954年10月 (1邑27里)
- 三峯里が球場郡に編入。
- 上秋里が博川郡に編入。
- 龍興里が泰川郡に編入。
- 西位里の一部が博川郡石渓里に編入。
- 延山里・文化里が合併し、延花里が発足。
- 鳳南里・鳳東里が合併し、東南里が発足。
- 薬山里・西外城里が合併し、西山里が発足。
- 1961年 - 亀項里の一部が南山里に編入。(1邑27里)
- 1967年 - 下草里の一部が龍城里に編入。(1邑27里)
- 1972年 - 八院里が八院労働者区に昇格。(1邑1労働者区26里)
- 1989年 - 寧辺邑・西山里の境界線を調整。(1邑1労働者区26里)
- 九龍江と丘に囲まれた邑城は鉄甕城の異名で知られる。
- 寧辺邑内にある、奇岩とツツジの名所。近代朝鮮の詩人・金素月の「寧辺薬山東台のつつじ」で知られる。
古くから絹織物の名産地として知られた。