しょう熊坂くまさかさとし

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しょう熊坂くまさか さとし
基本きほん情報じょうほう
本名ほんみょう しょう熊坂くまさか さとし
階級かいきゅう ミニマムきゅう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
誕生たんじょう (1977-02-13) 1977ねん2がつ13にち
出身しゅっしん 福岡ふくおかけん筑後ちくご
死没しぼつ 2013ねん
スタイル ひだりボクサー
プロボクシング戦績せんせき
そう試合しあいすう 36
24
KO 9
8
4
テンプレートを表示ひょうじ

しょう熊坂くまさか さとし(こぐまさか さとし、1977ねん2がつ13にち - 2013ねん)は、日本にっぽんもとプロボクサー福岡ふくおかけん筑後ちくご出身しゅっしんだい18だい日本にっぽんミニマムきゅう王者おうじゃ新日本木村しんにほんきむらボクシングジム所属しょぞく

来歴らいれき[編集へんしゅう]

陽光ようこうアダチジムに所属しょぞくし、1995ねん1がつ10日とおか岡部おかべ裕輔ゆうすけせんでプロデビュー。

1999ねん中日ちゅうにちジムへ移籍いせき

2001ねん9月24にちもとWBA世界せかいミニマムきゅう王者おうじゃソンクラーム・ポーパオインに3-0の判定はんていちをおさ世界せかいランクりするが、こぶし負傷ふしょうやく1ねんはんリングをはなれる。

新日本木村しんにほんきむらジムに移籍いせきし、2003ねん2がつ10日とおか復帰ふっきせん阿部あべ弘幸ひろゆき日本にっぽん王座おうざいどみ、2Rにダウンをうばうなど3-0の大差たいさ判定はんてい勝利しょうり。2000ねん判定はんていけをきっした相手あいて雪辱せつじょくたすとともに日本にっぽん王座おうざ獲得かくとく

同年どうねん6がつ9にちせいふじ秀明ひであきを3-0の判定はんていくだはつ防衛ぼうえい

同年どうねん10がつ13にち鈴木すずきまことを3-0の判定はんていくだし2度目どめ防衛ぼうえい

2004ねん2がつ9にちダイヤモンドグローブ松本まつもと博志ひろしを3-0の判定はんていくだし3度目どめ防衛ぼうえい

同年どうねん6がつ28にち横浜よこはまアリーナイーグルきょうかずWBC世界せかいミニマムきゅう王座おうざ挑戦ちょうせんするも8R負傷ふしょう判定はんていけで世界せかい王座おうざ獲得かくとく失敗しっぱい

同年どうねん12がつ6にち金田かねだあつし一朗いちろうに2-1の判定はんていくだし4度目どめ防衛ぼうえい

2005ねん3月19にち三澤みさわ照夫てるおを3-0の判定はんていくだし5度目どめ防衛ぼうえい

同年どうねん7がつ30にち飯田いいだ大介だいすけ判定はんていくだし6度目どめ防衛ぼうえい

同年どうねん11がつ8にち金田かねだ淳一じゅんいちろうとの再戦さいせんを3-0の判定はんていくだし7度目どめ防衛ぼうえい

2006ねん3月18にちぜんWBC世界せかい王者おうじゃ高山たかやま勝成かつなりに9R負傷ふしょう判定はんていやぶれ、日本にっぽん王座おうざ陥落かんらく

同年どうねん8がつ12にち高山たかやま返上へんじょうしたタイトルをけて三澤みさわ照夫てるお対戦たいせんするが1-1の判定はんていドロー。

同年どうねん12がつ16にち後楽園こうらくえんホール開催かいさいされたダイナミックグローブふたた日本にっぽん王者おうじゃ三澤みさわいどむも0-3の判定はんていけで王座おうざ復帰ふっき失敗しっぱい結果けっかてきにラストファイトとなり引退いんたい

2013ねん事故じこにより死去しきょ[1]享年きょうねん36。

獲得かくとくタイトル[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ ボクシング・ビート2014ねん2がつごう

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

ぜん王者おうじゃ
阿部あべ弘幸ひろゆき
だい18だい日本にっぽんミニマムきゅう王者おうじゃ

2003ねん2がつ10日とおか - 2006ねん3がつ18にち

王者おうじゃ
高山たかやま勝成かつなり