おかっ引

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おかから転送てんそう

おかっ引(おかっぴき)は、江戸えど時代じだい町奉行まちぶぎょうしょ火付ひつき盗賊とうぞくあらためかたなど、警察けいさつ機能きのう末端まったんになった公認こうにん協力きょうりょくしゃ俗称ぞくしょうである。

呼称こしょう[編集へんしゅう]

奉行ぶぎょうしょからじゅうさずかる少数しょうすう正式せいしきじゅう手持てもちは“小者こもの”とばれ、だい多数たすうめるていまちまわ同心どうしん個人こじんてき雇用こようする公認こうにんの“御用聞ごようきき”とは区別くべつされていた。まさしくは江戸えどでは御用聞ごようき(ごようきき)、せきはちしゅうでは目明めあかし(めあかし)[ちゅう 1]上方かみがたでは手先てさき(てさき)あるいはくち(くちとい)、とかく地方ちほう呼称こしょうことなった。おかは「岡目八目おかめはちもく」とおなじくわき立場たちば人間にんげんであることをあらわし、公儀こうぎ役人やくにんである同心どうしんではないわき人間にんげん拘引こういんすることからおかっ引とばれた。おかっ引は配下はいか手下てしたくだっ引ばれる子分こぶんつこともおおかった。

本来ほんらいおかっ引」は蔑称べっしょうで、おおやけ場所ばしょもちいたりみずか名乗なの呼称こしょうではない。くだきを配下はいかとすることから「親分おやぶんさん」がただしい呼称こしょうだが[2]時代じだい小説しょうせつ時代じだいげきもちいる事例じれいおおい。ほんこうでは、便宜上べんぎじょうおかっ引」で統一とういつする。

歴史れきし[編集へんしゅう]

起源きげん軽犯罪けいはんざいしゃつみゆる手先てさきとして使つかった「放免ほうめん」である。武士ぶし市中しちゅう落伍らくごしゃ渡世人とせいにん生活せいかつ環境かんきょう犯罪はんざい実態じったいについて分明ぶんめいなため、捜査そうさ必要ひつようじょう犯罪はんざいしゃ一部いちぶ体制たいせいがわ情報じょうほう収集しゅうしゅうのため使役しえきする必要ひつようがあった。江戸えど時代じだい刑罰けいばつ共同きょうどうたいからの追放ついほうけい基本きほんであったため、まちむらといった公認こうにんされた共同きょうどうたい外部がいぶに、そこからの追放ついほうけた無宿むしゅくもの落伍らくごしゃ犯罪はんざいしゃ)の共同きょうどうたい形成けいせいされ、その内部ないぶ社会しゃかいつうじたもの使つかわなければ捜査そうさ自体じたい困難こんなんだったのである。必然ひつぜんてき博徒ばくとエタ的屋てきやなどのやくざしゃや、親分おやぶんばれる地域ちいき顔役かおやくおかっ引になることがおおく、両立りょうりつしえない仕事しごとねる「そくわらじ」の語源ごげんとなった。奉行ぶぎょうしょ威光いこうかさ威張いばものや、恐喝きょうかつまがいの行為こういかね強請ねだものおおく、たびたびおかっ引の使用しよう禁止きんしする御触おふた。

業務ぎょうむ[編集へんしゅう]

江戸えど場合ばあい[編集へんしゅう]

南町みなみまち北町きたまち奉行ぶぎょうしょには与力よりきかく25[ちゅう 2]同心どうしんかく100にん配置はいちされていたが、警察けいさつ業務ぎょうむ執行しっこうするまわかた同心どうしん南北なんぼくわせて30にんにもたず、人口じんこう100まんにんにもたっした江戸えど治安ちあん維持いじすることは困難こんなんであったため、同心どうしん私的してきおかっ引をやとっていた。おかっ引がやく500にんくだっ引をふくめて3000にんあまりがいた。

奉行ぶぎょうしょ正規せいき構成こうせいいんではなく、俸給ほうきゅう任命にんめいもなかったが、同心どうしんから手札しゅさつ小遣こづかい)をていた。同心どうしん屋敷やしきにはおかっ引のための食事しょくじ間食かんしょく用意よういつねととのえてあり、いつでもそこで食事しょくじができたようである。ただし、おかっ引を専業せんぎょうとして生計せいけいてた事例じれいはなく[3]女房にょうぼう小間物こまもの汁粉しるこをやらせるなど家業かぎょうった。

はんなな捕物とりものちょう』や『ぜにがた平次へいじ』などの時代じだいげきで、おかっ引はじゅう常時じょうじあずかっているようにえがかれているが、実際じっさい奉行ぶぎょうしょ要請ようせいもとづき事件じけんのたびに奉行ぶぎょうしょりにった。携帯けいたいするさい周囲しゅういからえるようなおびしはせず、テレビ時代じだいげきしん捕物とりものちょう』がえがいたようにふところなどにかく[ちゅう 3]ぬすまれたりしないようにした。時代じだいげきじゅうぼういていることがあるが、ぼう同心どうしん以上いじょうゆるされるものでおかっ引のじゅうにはかない。『つてなな捕物とりものちょう』の黒門くろもんまちつてななのように、奉行ぶぎょうからじゅう拝領はいりょうする小者こものでも紫色むらさきいろぼうじゅうつことはできず、十手じって紫色むらさきいろぼうけるもの要職ようしょくだけで、おかっ引がけることはない。むらさきぼうけられた十手じって捕物とりもの武器ぶきとして使用しようするものではなく、式典しきてんとき携帯けいたいするものである。この役職やくしょくもの身分みぶん証明しょうめい議員ぎいんバッジのような意味合いみあいのものであって、普段ふだんやたらにあるものではなかった。つてななくだきや、仲間なかま御用聞ごようききの五平ごへい親分おやぶんとう携帯けいたいする十手じってには、やとぬし同心どうしんおなしゅぼうけられた十手じって携帯けいたいしているが、御用聞ごようききがぼうけた十手じってつことは、本来ほんらい禁止きんしされている。

はんなな捕物とりものちょう嚆矢こうしとする捕物とりものちょう探偵たんていやくとしても有名ゆうめいであるが、実態じったいはかなりことなる。推理すいり小説しょうせつ研究けんきゅうによっては私立しりつ探偵たんてい同種どうしゅひともいる(藤原ふじわらおさむ太郎たろうなど)。

大坂おおさか場合ばあい[編集へんしゅう]

一般いっぱん町民ちょうみん内密ないみつ役人やくにんからめいじられて犯罪はんざい密告みっこくたった。江戸えどとはことなり、犯人はんにん捕縛ほばくたずさわらず、密告みっこくせんもんであった[4]

地方ちほう場合ばあい[編集へんしゅう]

江戸えどでは公認こうにん存在そんざいであったが、それ以外いがい地域ちいきでは地方ちほう領主りょうしゅにより公認こうにんされたケースも存在そんざいしている。たとえば奥州おうしゅう守山もりやまはんでは、目明めあかしにたいじゅうわりに帯刀たいとうすることを公式こうしき許可きょかし、かつ、必要ひつよう経費けいひわりの現物げんぶつ支給しきゅうとしてて(ぜに飲食いんしょく)の特権とっけん付与ふよしている。また、関東かんとう取締とりしまりやく配下はいか目明めあかし(道案内みちあんない)は地元じもと町村ちょうそんからの推薦すいせんにより任命にんめいされたため、公的こうてき性格せいかくゆうしていた。

おかっ引をあつかった作品さくひん[編集へんしゅう]

小説しょうせつとう[編集へんしゅう]

以上いじょうは「五大ごだい捕物とりものちょう」の一角いっかくめる3さく

時代じだい劇映画げきえいがや、テレビ時代じだいげき[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

  1. ^ 目明めあかしは仕事しごと密告みっこく密偵みっていてき行為こういだったことによる[1]
  2. ^ 与力よりき馬上もうえゆるされたためいちかぞえる。
  3. ^ きこみのさいに「おいらがきたいんじゃねぇんだぜ、この十手じってきたいってってんだ」とふところからチラつかせた

出典しゅってん

  1. ^ はやし美一よしかず江戸えどじゅうよんあいだ』、1989ねん河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、68ぺーじ
  2. ^ 名和なわゆみつよし間違まちがいだらけの時代じだいげき』、河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、27ぺーじ
  3. ^ 名和なわゆみつよし間違まちがいだらけの時代じだいげき』、河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、85ぺーじ
  4. ^ はやし美一よしかず江戸えどじゅうよんあいだ』、1989ねん河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、287ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 阿部あべ善雄よしお目明めあかきむ十郎じゅうろう生涯しょうがい中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ中公新書ちゅうこうしんしょ〉、1981ねん1がつISBN 4-12-100604-6 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]