(Translated by https://www.hiragana.jp/)
岩谷龍太郎 - Wikipedia コンテンツにスキップ

岩谷いわたに龍太郎りゅうたろう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
岩谷いわたに 龍太郎りゅうたろう
生誕せいたん 1869ねん1がつ1にち
日本の旗 日本にっぽん 久保田くぼたはん
死没しぼつ (1928-02-19) 1928ねん2がつ19にち(59さいぼつ
所属しょぞく組織そしき  大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん
ぐんれき 1891ねん - 1914ねん
最終さいしゅう階級かいきゅう 陸軍りくぐん少将しょうしょう
テンプレートを表示ひょうじ

岩谷いわたに 龍太郎りゅうたろう(いわたに りゅうたろう、1869ねん1がつ1にち明治めいじ元年がんねん11月19にち) - 1928ねん昭和しょうわ3ねん2がつ19にち[1])は、大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん軍人ぐんじん最終さいしゅう階級かいきゅう陸軍りくぐん少将しょうしょう位階いかい勲等くんとうこうきゅうしたがえくんさんとうこうさんきゅう[2]

経歴けいれき人物じんぶつ

[編集へんしゅう]

平民へいみん岩谷いわたに利三郎としさぶろう三男さんなんとして出羽でわこくげん秋田あきたけん)にまれ、1895ねん明治めいじ28ねん)12月におい岩谷いわたにかんぞうかたより分家ぶんけする[2]

1890ねん明治めいじ23ねん陸軍りくぐん士官しかん学校がっこうだい1卒業そつぎょう[1][3]、ちなみに 1890ねん明治めいじ23ねん)7がつ29にち官報かんぽうによると、陸軍りくぐん士官しかん学校がっこうだい1騎兵きへい2ばん/17めい卒業そつぎょうしている。翌年よくねん陸軍りくぐん騎兵きへい少尉しょうい任官にんかんする[2][4]。のち、1899ねん明治めいじ32ねん陸軍りくぐんだい学校がっこうだい13卒業そつぎょう[1][3]

軍馬ぐんば補充ほじゅう本部ほんぶ部員ぶいん騎兵きへいかん部員ぶいん陸軍りくぐん騎兵きへい実施じっし学校がっこう教官きょうかん皇族こうぞく武官ぶかんて、1906ねん明治めいじ39ねん)8がつ韓国かんこく駐箚ちゅうさつぐん参謀さんぼう任官にんかん[2][3]

ついで、1909ねん明治めいじ42ねん)4がつ陸軍りくぐん騎兵きへい大佐たいさ騎兵きへいだい4連隊れんたいちょう1910ねん明治めいじ43ねん)6がつ軍馬ぐんば補充ほじゅう三本木さんぼんぎ支部しぶちょう1912ねん明治めいじ45ねん)1がつ騎兵きへいだい14連隊れんたいちょうて、1913ねん大正たいしょう2ねん)8がつ休職きゅうしょくし、さらに翌年よくねん1914ねん大正たいしょう3ねん)1がつ待命たいめい同年どうねん5がつにに陸軍りくぐん少将しょうしょう昇進しょうしん同時どうじ予備よびやく編入へんにゅうした[1][3]

にちしん戦争せんそうおよびにち戦争せんそう軍功ぐんこうによりくんさんとうじょし、こうさんきゅう金鵄勲章きんしくんしょうたまわった[2]

親族しんぞく

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c d 福川ふくかわ 2001, 111ぺーじ.
  2. ^ a b c d e f 人事じんじ興信所こうしんじょ 1915, い80ぺーじ.
  3. ^ a b c d 外山とやま 1981, 96ぺーじ.
  4. ^ 外山とやま 1981, 91ぺーじ.
  5. ^ 人事じんじ興信所こうしんじょ 1943, ナ136ぺーじ.

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 福川ふくかわ秀樹ひでき日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、2001ねんISBN 4829502738 
  • 外山とやまみさお陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、1981ねんISBN 4829500026 
  • 人事じんじ興信所こうしんじょ人事じんじ興信録こうしんろく だい4はん人事じんじ興信所こうしんじょ、1915ねんhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1703995 
  • 人事じんじ興信所こうしんじょ人事じんじ興信録こうしんろく だい14はん 人事じんじ興信所こうしんじょ、1943ねんhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704455