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みねふう (駆逐くちくかん)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
かんれき
計画けいかく 1917ねんはちよん艦隊かんたいあん
起工きこう 1918ねん4がつ20日はつか
進水しんすい 1919ねん2がつ8にち
竣工しゅんこう 1920ねん5月29にち
その 1944ねん2がつ10日とおか戦没せんぼつ
除籍じょせき 1944ねん3がつ31にち
要目ようもく
排水はいすいりょう 基準きじゅん:1,215トン
おおやけためし:1,345トン
全長ぜんちょう 102.6メートル
全幅ぜんぷく 8.92メートル
吃水きっすい 2.79メートル
機関きかん ごうかん本式ほんしきかん4
パーソンズしきタービン22じく
38,500馬力ばりき
速力そくりょく 39ノット
航続こうぞく距離きょり 14ノットで3,600カイリ
燃料ねんりょう 重油じゅうゆ:395トン
乗員じょういん 154めい
へいそう 45口径こうけい12cmたんそうほう4もん
6.5mmたんそう機銃きじゅう2てい
53.3cm連装れんそう魚雷ぎょらい発射はっしゃかん3
魚雷ぎょらい8ほん
いち号機ごうきかみなり16

みねふう(みねかぜ)は、日本にっぽん海軍かいぐん駆逐くちくかんみねふうがた1ばんかんである。「みねふう」と表記ひょうきされる場合ばあいがある。かんめいみねふう由来ゆらいする。

かんれき

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舞鶴まいづる海軍かいぐん工廠こうしょう建造けんぞう一等いっとう駆逐くちくかん類別るいべつされ、横須賀よこすか鎮守ちんじゅせき編入へんにゅうされた。

1920ねん大正たいしょう9ねん)12月、同型どうけいかんの「さわふう」、「ふう」、「おきふう」とともだい駆逐くちくたい編成へんせいし、だい艦隊かんたいだい水雷すいらい戦隊せんたい編入へんにゅうされた。

1932ねん昭和しょうわ7ねん)、だいいち上海しゃんはい事変じへんさいして、長江ながえ水域すいいきしょ作戦さくせん参加さんかした。1937ねん昭和しょうわ12ねん)から1939ねん昭和しょうわ14ねん)には、にちちゅう戦争せんそうにおける華北かほく華中かちゅう沿岸えんがんでのしょ作戦さくせん従事じゅうじ

1940ねん昭和しょうわ15ねん)10がつ11にち横浜よこはまこうおきおこなわれた紀元きげんせんろくひゃくねん特別とくべつ観艦式かんかんしき参加さんか[1]

1941ねん昭和しょうわ16ねん)9がつ15にち鎮海警備けいび編入へんにゅうされ、対馬海峡つしまかいきょう方面ほうめん哨戒しょうかい活動かつどうおこなった。

1942ねん昭和しょうわ17ねん)4がつ10日とおか、「みねふう」は佐世保させぼ防備ぼうび戦隊せんたい編入へんにゅうされた。同月どうげつ12にち佐世保させぼ出港しゅっこうし、佐世保させぼ近海きんかい哨戒しょうかい活動かつどう実施じっし。9月25にち佐世保させぼ出港しゅっこうし、サイパンとうトラックとうラバウルへの船団せんだん護衛ごえい従事じゅうじする。11月12にち佐世保させぼ入港にゅうこうし、整備せいび補給ほきゅうおこなった。11月27にち佐世保させぼ出港しゅっこうし、佐世保させぼ東シナ海ひがししなかい方面ほうめんにおいて船団せんだん護衛ごえい哨戒しょうかい監視かんし従事じゅうじ。12月1にち佐世保させぼ帰港きこうした。1943ねん昭和しょうわ18ねん)もつづ東シナ海ひがししなかい方面ほうめんでの船団せんだん護衛ごえい任務にんむ従事じゅうじする。

1944ねん昭和しょうわ19ねん)2がつ1にち、「みねふう」はだいいち海上かいじょう護衛ごえいたい編入へんにゅうされ、2がつ5にち門司もじこう出港しゅっこう高雄たかおまでモタ02船団せんだん護衛ごえい任務にんむいたが、2がつ10日とおかべい潜水せんすいかんポーギー」の雷撃らいげきにより台湾たいわんおきにて沈没ちんぼつした[2]

歴代れきだい艦長かんちょう

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※『艦長かんちょうたちの軍艦ぐんかん』218-219ぺーじによる。階級かいきゅう就任しゅうにんのもの。

艤装ぎそういんちょう

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  • 木田きだ新平しんぺい 少佐しょうさ:1918ねん12月1にち[3] - 1919ねん3がつ15にち[4]
  • けん木田きだ新平しんぺい 少佐しょうさ:1919ねん3がつ15にち[4] - 1919ねん4がつ1にち[5]
  • けん心得こころえ木田きだ新平しんぺい 少佐しょうさ:1919ねん4がつ1にち[5] -

艦長かんちょう

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 紀元きげんせんろくひゃくねん祝典しゅくてん記録きろくだいろくさつ』、369ぺーじ
  2. ^ 昭和しょうわ18ねん11月15にち昭和しょうわ19ねん11月30にち 海上かいじょう護衛ごえいそう司令しれい戦時せんじ日誌にっし(1)』」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C08030137300 、画像がぞう51。
  3. ^ 官報かんぽうだい1900ごう大正たいしょう7ねん12月3にち
  4. ^ a b c 官報かんぽうだい1984ごう大正たいしょう8ねん3がつ17にち
  5. ^ a b c d 官報かんぽうだい1997ごう大正たいしょう8ねん4がつ2にち
  6. ^ a b 官報かんぽうだい2501ごう大正たいしょう9ねん12月2にち
  7. ^ a b 官報かんぽうだい2801ごう大正たいしょう10ねん12月2にち
  8. ^ 官報かんぽうだい3043ごう大正たいしょう11ねん9がつ21にち
  9. ^ 官報かんぽうだい3102ごう大正たいしょう11ねん12月2にち
  10. ^ a b 官報かんぽうだい878ごう昭和しょうわ4ねん12月2にち
  11. ^ 官報かんぽうだい1170ごう昭和しょうわ5ねん11月21にち
  12. ^ 官報かんぽうだい2472ごう昭和しょうわ10ねん4がつ2にち
  13. ^ a b 官報かんぽうだい2563ごう昭和しょうわ10ねん7がつ19にち
  14. ^ a b 官報かんぽうだい2684ごう昭和しょうわ10ねん12月12にち
  15. ^ a b 官報かんぽうだい2835ごう昭和しょうわ11ねん6がつ16にち
  16. ^ a b 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげん号外ごうがい だい220ごう 昭和しょうわ13ねん8がつ3にち」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072074200 
  17. ^ 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげん号外ごうがい だい230ごう 昭和しょうわ13ねん8がつ25にち」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072074200 
  18. ^ 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげん号外ごうがい だい259ごう 昭和しょうわ13ねん11がつ10日とおか」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072074500 
  19. ^ a b 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげん号外ごうがい だい269ごう 昭和しょうわ13ねん12月5にち」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072074700 
  20. ^ 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげん号外ごうがい だい273ごう 昭和しょうわ13ねん12月15にち」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072074800 
  21. ^ 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげんだい555ごう 昭和しょうわ15ねん11月15にち」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072079500 
  22. ^ 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげんだい614ごう 昭和しょうわ16ねん4がつ10日とおか」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072080700 
  23. ^ 海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう部内ぶないげんだい708ごう 昭和しょうわ16ねん9がつ10日とおか」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072082000 

参考さんこう文献ぶんけん

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  • まるスペシャル』だい51ごう 日本にっぽん駆逐くちくかんII、しお書房しょぼう、1981ねん
  • 外山とやまみさお艦長かんちょうたちの軍艦ぐんかん光人みつひとしゃ、2005ねんISBN 4-7698-1246-9
  • 海軍かいぐん歴史れきし保存ほぞんかいへん日本にっぽん海軍かいぐんだい7かん発売はつばい:第一法規出版だいいちほうきしゅっぱん、1995ねん