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川崎かわさき安之助やすのすけ

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川崎かわさき安之助やすのすけ

川崎かわさき 安之助やすのすけ(かわさき やすのすけ、慶応けいおう3ねん4がつ21にち[1]1867ねん5月24にち) - 昭和しょうわ5ねん1930ねん9月21にち[2])は、衆議院しゅうぎいん議員ぎいん立憲りっけん政友せいゆうかい中正ちゅうせいかい憲政けんせいかい立憲りっけん民政みんせいとう)、大山崎おおやまざき村長そんちょう

経歴けいれき

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山城やましろこく乙訓おとくにぐん大山崎おおやまざきむら現在げんざい京都きょうと大山崎おおやまざきまち出身しゅっしん1888ねん明治めいじ21ねん)、城北しろきた青年せいねんかいというせいしゃ設立せつりつして幹事かんじとなり、のち山城やましろ自由じゆう倶楽部くらぶ設立せつりつした[3]1894ねん明治めいじ27ねん)、山城やましろ自由じゆう倶楽部くらぶ自由党じゆうとう京都きょうと支部しぶ合併がっぺいし、自由党じゆうとういんとなった[3]

これよりさき大山崎おおやまざき村長そんちょうえらばれており、のちには京都きょうと町村ちょうそん会長かいちょうつとめた[4]。1894ねんより京都きょうと会議かいぎいんえらばれ、どう参事さんじ会員かいいんどうふく議長ぎちょうどう郡部ぐんぶかい議長ぎちょう歴任れきにんした[4]

1908ねん明治めいじ41ねん)、だい10かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ立憲りっけん政友せいゆうかいから出馬しゅつば当選とうせん当選とうせん回数かいすう合計ごうけい5かいかぞえた。そのあいだ政友せいゆうかいだい1山本やまもと内閣ないかく妥協だきょうしたのを不満ふまんとして、尾崎おざき行雄ゆきおらとともに離党りとう[5]中正ちゅうせいかいうつり、憲政けんせいかい立憲りっけん民政みんせいとう設立せつりつくわわった。

その京都きょうとのう会長かいちょう山崎やまざき銀行ぎんこう頭取とうどり乙訓おとくに銀行ぎんこう取締役とりしまりやくきょう電気でんき軌道きどう株式会社かぶしきがいしゃ監査かんさやくつとめた[4]

親族しんぞく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 漆崎うるしざき多四郎たしろうしゅう両院りょういん議員ぎいん名鑑めいかん』、1919ねん、p.41。
  2. ^ 官報かんぽうだい1129ごう昭和しょうわ5ねん10がつ2にち
  3. ^ a b 京都きょうと会議かいぎいん列伝れつでん』P.24-25
  4. ^ a b c 代議士だいぎししょうらん』P.383
  5. ^ しん代議士だいぎし名鑑めいかん』P.306

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 佐野さの精一せいいち京都きょうと会議かいぎいん列伝れつでん金口きんぐちしたどう、1894ねん 
  • こうはた明男あきお大正たいしょうじゅうさんねんがつ当選とうせん 代議士だいぎししょうらん泰山たいざんどう、1924ねん 
  • 加藤かとうむらさきいずみしん代議士だいぎし名鑑めいかん国民こくみん教育きょういくかい、1924ねん