川本かわもと 永守ながもり(かわもと えいしゅ、1855年ねん(安政あんせい2年ねん) - 没年ぼつねん不ふ詳しょう)は、明治めいじ期きの官僚かんりょう、鉄道てつどう院いん参事さんじ
長門ながと国こく豊浦とようら郡ぐん幡生はたぶ村むら(現げん・山口やまぐち県けん下関しものせき市し)生うまれ。上京じょうきょうし慶應義塾けいおうぎじゅくへ入学にゅうがくし、小野おの梓あずさの知遇ちぐうを得えて別べつ科かを卒業そつぎょう。
山陽さんよう鉄道てつどうに入はいり、下関しものせきの開発かいはつに従事じゅうじ。1906年ねん(明治めいじ39年ねん)、鉄道てつどうが国有こくゆうとなるに伴ともなって鉄道てつどう院いん参事さんじに就任しゅうにん。
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