巨勢 派
この
巨勢 派 歴代
[第 1世 巨勢 金岡 (こせの かなおか)大和絵 の創始 者 にして、その家系 は古代 の名 族 巨 勢 氏 の家系 に連 なる。貞 観 ~延喜 年間 に活躍 。第 2世 巨勢 相 覧 (こせの おうみ)金岡 の長子 。『源氏物語 』「絵合 」に「(竹 取 物語 の)絵 は巨 勢 の相 覧 、手 (詞書 )は紀貫之 書 けり」とある。第 3世 巨勢 公 忠 (こせの きんただ)金岡 の次子 。『日本 紀 略 』により天 暦 三 年 (949年 )に皇 命 にて御 屏風 八 帖 を画 いたと知 られる。第 4世 巨 勢 公望 (こせの きんもち)金岡 の第 三子 。『源氏物語 』「絵合 」に「大極殿 の儀式 …公 茂 (公望 )が仕 れるが…」とある。第 5世 巨勢 広 貴 (こせの ひろたか)(*)弘 高 ・広高 と同 じ。深江 (公望 の子 )の子 。『権 記 』長保 四 年 (1002)花山 上皇 の勅 にて書写 山 性 空 上人 を画 かしめたと知 られる。第 6世 巨勢 是重 (こせの これしげ)広 貴 の子 。第 7世 巨勢 信 茂 (こせの のぶもち)是重 の子 。第 8世 巨 勢 宗 茂 (こせの むねもち)信 茂 の子 。第 9世 巨勢 益 宗 (こせの ますむね)宗 茂 の子 。第 10世 巨勢 有 宗 (こせの ともむね)益 茂 の子 。第 11世 巨 勢 宗久 (こせの むねひさ)有 宗 の子 。第 12世 巨 勢 永 有 (こせの ながもち)宗久 の子 。第 13世 巨 勢 光康 (こせの みつやす)永 有 の長子 。正 応 年間 に活躍 。代表 作 は『地蔵 尊霊 験 絵巻 』(本 絵巻 の賛 詞 は卜部 兼好 )。第 14世 巨勢 有家 (こせの ともいえ)光康 の長子 。『石 清水 八幡 遷座 縁起 絵 』は彼 の作品 であると伝 える。第 15世 巨勢 有 康 (こせの ともやす)光康 の次子 。代表 作 『紙 本 著 色 高野 大師 行状 図 』。第 16世 巨勢 堯尊(こせの ぎょうそん)有 尊 (永 有 の次子 )の長子 。第 17世 巨勢 堯儼(こせの ぎょうごん)尭 尊 の子 。一乗院 絵 仏師 。代表 作 『神像 板 絵 』(薬師寺 所蔵 )。第 18世 巨勢 有 誉 有 厳 の長子 (有 尊 の次子 堯有の子 )。大乗 院 絵 仏師 。式部 法橋 とあるも特段 の伝承 もなし。第 19世 巨勢 行 有 有 厳 の次子 (有 尊 の次子 堯有の子 )。大乗 院 絵 仏師 。信濃 法眼 。第 20世 巨勢 専有 行 有 の子 。大乗 院 絵 仏師 。筑前 法橋 。第 21世 巨 勢 源 有 専有 の子 。大乗 院 絵 仏師 。三川 法師 。第 22世 巨勢 重 有 源 有 の子 。大乗 院 絵 仏師 。筑前 法眼 。第 23世 巨勢 長 有 重 有 の子 。大乗 院 絵 仏師 。筑前 法橋 。第 32世 巨勢 金親 第 33世 巨勢 小石 (こせ しょうせき)本名 は八田 金 起 。金親 の子 。東京 美術 学校 (現 東京芸術大学 )教授 。仏画 の家系 であるが、土佐 派 の画 を学 んだ。
脚注
[関連 項目
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