(Translated by https://www.hiragana.jp/)
座光寺公明 - Wikipedia コンテンツにスキップ

座光寺ざこうじ公明こうめい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
座光寺ざこうじ 公明こうめい
生誕せいたん (1958-01-20) 1958ねん1がつ20日はつか
出身しゅっしん 日本の旗 日本にっぽん
死没しぼつ (1987-01-29) 1987ねん1がつ29にち(29さいぼつ
ジャンル クラシック
職業しょくぎょう ピアニスト
担当たんとう楽器がっき ピアノ

座光寺ざこうじ 公明こうめい(ざこうじ ひろあき、1958ねん1がつ20日はつか - 1987ねん1がつ29にち)は、日本にっぽん作曲さっきょくピアニスト

略歴りゃくれき

[編集へんしゅう]

東京とうきょうまれ、4さいより20さいまで北海道ほっかいどう旭川あさひかわそだつ。ピアノを4さいからならはじめる。小学校しょうがっこう学芸がくげいかいでは、ピアノ演奏えんそう合唱がっしょう指揮しきをしていた。そのころたテレビ番組ばんぐみレナード・バーンスタイン世界せかい』に感動かんどうし、しんなか指揮しきしゃろうとおもはじめる。北海道ほっかいどう旭川東あさひかわひがし高等こうとう学校がっこう1年生ねんせいはる指揮しき勉強べんきょうをするため旭川あさひかわから札幌さっぽろまでかよい、木村きむら雅信まさのぶ作曲さっきょくならはじめる。そのうち作曲さっきょくという創作そうさく魅力みりょくかれて、作曲さっきょくろうと決心けっしんする。

日本にっぽん大学だいがく芸術げいじゅつ学部がくぶ音楽おんがく学科がっか作曲さっきょくコース)卒業そつぎょうどう研究所けんきゅうじょ修了しゅうりょう作曲さっきょく貴島きじま清彦きよひこ小倉おぐらあきら、ピアノを松谷まつやみどり星野ほしのすみれ師事しじ日本にっぽん大学だいがくづるおか高等こうとう学校がっこう講師こうしつとめながら、20だい前半ぜんはんより作曲さっきょく、ピアニストとして活発かっぱつ活動かつどうはじめ、1982ねん東京とうきょうしん和楽わらくコンソートを結成けっせい。『日本にっぽん作曲さっきょく I ・松村まつむら禎三ていぞう』、『日本にっぽん作曲さっきょく II ・小倉おぐらあきら』、『日本にっぽん作曲さっきょく III ・間宮まみや芳生よしお』、『20世紀せいき音楽おんがく I・II・III・IV』、『座光寺ざこうじ公明こうめい作品さくひんてん I・II・III』とうもよおす。

1984ねんわたりおうし、バーゼルはちむら義夫よしおの『ピアノのためのインプロヴィゼーション』などをふくめた日本にっぽん現代げんだい作品さくひん演奏えんそう自作じさく伴奏ばんそうチェロのための変奏曲へんそうきょく』(Op.16)を発表はっぴょう。1985ねん5がつISCMバーゼル支部しぶ招待しょうたいふたたわたりおうし、演奏えんそうかい参加さんか。『ピアノきょく・I』(Op.28)を初演しょえん。1986ねん5がつにはふたたびスイスにわたり、アーレスハイムで演奏えんそうかい参加さんか。『ピアノきょく・III』(Op.36)を初演しょえん。そのスペイン、デンマーク現代げんだい音楽おんがくさいおとずれ、音楽おんがく雑誌ざっし音楽おんがく芸術げいじゅつ」1986ねん9がつごう記事きじ執筆しっぴつ。デンマークからノルウェーにわたり、ベルゲンエドヴァルド・グリーグいえ見学けんがく同年どうねん6がつだい2かい世界せかい仏教ぶっきょう音楽おんがくさいに『CONTINUUM』(OP.18)が入選にゅうせん初演しょえんされる。同年どうねん8がつ8にち『2だいのピアノのゆうべ』で、同窓どうそう小林こばやし隆一りゅういちとも自作じさく『Morphology』(Op.38)をはじめ、よしまつたかしの『ランダムバード変奏曲へんそうきょく』、高橋たかはしゆうの『オフェーリアのうた』、小倉おぐらあきらの『舞踏ぶとう組曲くみきょく』などを演奏えんそうする。同年どうねん8がつ、ラジオ・スペイン(マドリード)で『コンポジション・II「つむ」』(Op.11)、『コンポジション・III「」』 (Op.13)が放送ほうそうされる。そしてその活躍かつやく注目ちゅうもくされした矢先やさき翌年よくねん、1987ねん1がつ29にち急性きゅうせい心不全しんふぜん夭逝ようせいした。結婚けっこんしてからわずか10カ月かげつのことであった。

座光寺ざこうじはわずか29ねんと9にちあまりにもみじか生涯しょうがいで、40ちか作品さくひんのこした多作たさくであった。かれ作品さくひん楽譜がくふ)はすべて日本にっぽん近代きんだい音楽おんがくかん保管ほかんされている。

調しらべせいてき語法ごほう復興ふっこうにも熱心ねっしんであったが、ギター・ソロのための『モノ・モルフォロジー・II』(Op.27)(日本にっぽん作曲さっきょく協議きょうぎかい出版しゅっぱん番号ばんごう:JFC-8706)では比較的ひかくてき調しらべてきなパッセージの手探てさぐりからつよ緊張きんちょうりょくそうとしている。

1992ねん4がつ23にち、26にち、30にち、5月3にちもよおされたスペイン、バルセロナのTeatre Lliureでのコンサート“ORIENT - OCCIDENT”で、武満たけみつとおるいんくわ作品さくひんともに『室内しつないチェロ協奏曲きょうそうきょく』(Op.29-a)が演奏えんそうされた。

2006ねん2がつ25にち、「日本にっぽん作曲さっきょく・21世紀せいきへのあゆみ」シリーズだい3(1976ねん - 2000ねん)II、「だい34かい 室内楽しつないがく諸相しょそうIII」で、『フルートとピアノのためのモノディア』(Op.31)が演奏えんそうされた。

2008ねん1がつ作品さくひん番号ばんごういていない10代のときかれた習作しゅうさく、Scherzo,Andante 1, Adagioなどがスペインの作曲さっきょくLlibert López Pascualによって録音ろくおんされ、15さいときかれた作品さくひん Scherzo(1973ねん)は2がつにイタリア(フェルモ)でラジオ放送ほうそうされた。

夫人ふじん現在げんざいロンドンきょかまえており、公式こうしきサイトを運営うんえいしている(外部がいぶリンク参照さんしょう)。

人物じんぶつ

[編集へんしゅう]

気候きこうきびしい北海道ほっかいどうそだったため我慢強がまんづよねばりの性格せいかく。スポーツ万能ばんのうなかでもスキーは全日本ぜんにほんスキー連盟れんめい1きゅうからさらじゅん指導しどういん資格しかく取得しゅとくし、大学だいがく2年生ねんせいときより6年間ねんかん日本にっぽん大学だいがく芸術げいじゅつ学部がくぶ体育たいいくスキー教室きょうしつと、美ヶ原うつくしがはらスキー教室きょうしつのスキーインストラクターをつとめる。性格せいかく一人ひとり人間にんげんなか相反あいはんする2つの性格せいかく共存きょうぞん。タフで骨太ほねぶとであると同時どうじに、非常ひじょう繊細せんさい感受性かんじゅせいつ。内向ないこうてきであると同時どうじ外向がいこうてきおおくの作品さくひんにも反映はんえいされているように『』というテーマや仏教ぶっきょう興味きょうみち、非常ひじょう沈思ちんしてき瞑想めいそうてきである一方いっぽうあかるく冗談じょうだんきで、余興よきょう花火はなび』というおどりを披露ひろうしてはひと爆笑ばくしょうさせていた。海外かいがい発表はっぴょうもとめインターナショナルであると同時どうじに、雅楽ががくまなび、『古事記こじき』、『日本書紀にほんしょき』を愛読あいどくするナショナリスト。音楽おんがくてき非常ひじょう早熟そうじゅくで20だいで40だいや50だい作曲さっきょく対等たいとうはなしをする一方いっぽう子供こどものように純粋じゅんすい至純しじゅんだった。きないろくろきなもの蕎麦そばきなまち鎌倉かまくら師匠ししょう小倉おぐらあきら鎌倉山かまくらやま蕎麦そばどころ『らいてい』をよくおとずれていた。無類むるい読書どくしょきな作家さっか芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ。オペラ『蜘蛛くもいと』を構想こうそうちゅうくなった。非常ひじょう几帳面きちょうめんで、のこされた作品さくひんがいつおとずれてもいいように、じつ整然せいぜん整理せいりされていた。

主要しゅよう作品さくひん

[編集へんしゅう]

管弦楽かんげんがくきょく

[編集へんしゅう]
  • 弦楽げんがくのためのしょう交響こうきょうきょく(9にん弦楽器げんがっき奏者そうしゃのための音楽おんがく) Op.3(1979ねん)(ヴィヴァルデイ作品さくひんコンクール佳作かさく
  • オーケストラのための「変換へんかん」 Op.7(1980ねん
  • オーケストラのための「メタ・ポリフォニー」 Op.10(1981ねん
  • オーケストラのための「しばられたとき」 Op.32(1986ねん完成かんせい
  • Time-Space Continuum Op.18(Orch)(1982ねん)(1986ねんだい2かい世界せかい仏教ぶっきょう音楽おんがくコンクール入選にゅうせん

協奏曲きょうそうきょく

[編集へんしゅう]
  • ピアノ協奏曲きょうそうきょく Op.21(1983ねん
  • 室内しつないチェロ協奏曲きょうそうきょくかんらくオーケストラばん) Op.29-a(1985ねん
  • 室内しつないチェロ協奏曲きょうそうきょくかん編成へんせいオーケストラばん) Op.29-b(1985ねん完成かんせい

室内楽しつないがくきょく

[編集へんしゅう]
  • フルートとピアノのためのソナタ Op.2(1979ねん完成かんせい
  • てん宇受おんなアメノウズメ)」(ソプラノ、ピアノ、打楽器だがっき3、7管楽器かんがっき) Op.4(1980ねん
  • 室内しつない交響こうきょうきょく Op.5(1980ねん
  • コンポジション・I「沈黙ちんもくなかより」 Op.8(フルート、ヴァイオリン、ピアノ)(1981ねん
  • 弦楽げんがくよん重奏じゅうそうきょく Op.9(1981ねんのち破棄はき、スコアおよびパートあり)
  • 弦楽げんがくよん重奏じゅうそうきょく Op.12-a(1981ねん
  • 弦楽げんがくよん重奏じゅうそうのための前奏ぜんそうきょくとフーガ Op.12-b(1981ねん
  • コンポジション・III「」(尺八しゃくはちそう) Op.13(1981ねん
  • 2だいのマリンバのための「なかとき」 Op.17(1982ねん
  • 弦楽げんがく合奏がっそうのための前奏ぜんそうきょく - ひとのために - Op.20(1982ねん
  • ピアノさん重奏じゅうそうきょく「トライヘデゥルム」 Op.23(ヴァイオリン、チェロ、ピアノ)(1983ねん
  • 重奏じゅうそうきょく Op.24(フルート、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ)(1983ねん
  • コンポジション・V「異質いしつどうぞう」 Op.26(フルート、ハープ)(1983ねん
  • Monodia Op.31(フルート、ピアノ)(1985ねん
  • 組曲くみきょく - 古楽こがくのための - Op.34(1986ねん
  • コンポジション・VI(尺八しゃくはちそう・ピアノ) Op.37(1986ねん
  • Morphology - 2だいのピアノのための - Op.38(1986ねん

独奏どくそうきょく

[編集へんしゅう]
  • コンポジション・II「つむ」 Op.11(しゃくはちはん/フルートばん)(1981ねん
  • コンポジション・IV「神聖しんせいまい」 Op.14(打楽器だがっき独奏どくそう)(1982ねん
  • 伴奏ばんそうチェロのための変奏曲へんそうきょく Op.16(1982ねん
  • Mono-morphology I「みこのろい」 Op.22(フルート・ソロ)(1983ねん
  • Mono-morphology II Op.27(ギター・ソロ)(1983ねん
  • ピアノきょく・I Op.28(1984ねん
  • ピアノきょく・II Op.30(1985ねん
  • あや」- 独奏どくそうそうのための - Op.35(1986ねん
  • Mono-morphology III Op.33(オーボエ・ソロ)(1986ねん、いくつかのはんがある)
  • ピアノきょく・III Op.36(1986ねん

独唱どくしょうきょく

[編集へんしゅう]
  • 中原なかはら中也ちゅうやによるみっつの歌曲かきょく Op.1(ソプラノ、ピアノ)(1978ねん完成かんせい?)
  • 微笑びしょう」(大岡おおおかしん) Op.6(バリトン、ピアノ)(1980ねん
  • けい太子たいしとなえるふたつのうた Op.15(テノール、ピアノ)(1982ねん
  • ふちより」(高見たかみじゅん) Op.19(こえ、ピアノ)(1982ねん

合唱がっしょうきょく

[編集へんしゅう]
  • 死者ししゃたましい祭礼さいれい」 Op.25(オーケストラ、合唱がっしょう)(1983ねん完成かんせい
  • 合唱がっしょうのためのインベンション(1985ねん)(不明ふめい

著作ちょさく

[編集へんしゅう]
  • 対談たいだん小倉おぐらあきらく』(1983ねん11月6にち日本にっぽん近代きんだい音楽おんがくかんぞう
  • 対談たいだん間宮まみや芳生よしおく』(1986ねん9がつ16にち日本にっぽん近代きんだい音楽おんがくかんぞう

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]