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後藤 耕造(ごとう こうぞう、1894年(明治27年)9月30日 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。住宅営団理事。
愛知県出身。1919年(大正8年)、高等試験に合格し、翌年に京都帝国大学法学部英法科を卒業した。千葉県属、同警視、和歌山県理事官、同事務官、新潟県事務官、石川県書記官・学務部長、北海道庁学務部長、佐賀県書記官・警察部長を歴任。1939年(昭和14年)より三重県書記官・総務部長、広島県書記官・総務部長、北海道庁総務部長を務めた。
1941年(昭和16年)に退官した後は、住宅営団理事・大阪支所長となった。
戦後は京都市助役を務めた[3]。
- 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十二年版』日本官界情報社、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版(上)』人事興信所、1941年。