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掃部りょう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

掃部りょう(かもんりょう・かもんづかさ・かんもりのつかさ)は、律令制りつりょうせいにおいてみや内省ないせいぞくするれいそとかん。『倭名わみょうしょう』ではかにもりのつかさとされる。唐名とうみょうは、守宮やもりしょ

沿革えんかく職掌しょくしょう

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掃部りょう宮中きゅうちゅう行事ぎょうじさいして設営せつえいおこない、また殿中でんちゅう清掃せいそうおこなう。そのため宮中きゅうちゅう施設しせつ管理かんり維持いじおこなしゅ殿しんがりりょう職掌しょくしょうかさなるところがあった。ともの掃部が付属ふぞくして清掃せいそう設営せつえいにあたった。また大量たいりょう人員じんいん必要ひつようとするかん配属はいぞくされる駆使くしひのとが80にん配属はいぞくされ実務じつむにあたっていた。

掃部りょうひろしひとし11ねん820ねん)に行政ぎょうせい改革かいかく一環いっかんとして職掌しょくしょうおな大蔵省おおくらしょう掃部みや内省ないせいうち掃部統合とうごうされて成立せいりつした。

中世ちゅうせい以降いこう中原なかはらあたま就任しゅうにんし、その職掌しょくしょう宮中きゅうちゅう装束しょうぞく担当たんとう中心ちゅうしんとなった。

職員しょくいん

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  • 史生ふみお
  • りょうてのひら
  • 使つかい
  • ちょくひのと
  • 駆使くしひのと
  • 掃部

「かもん」の由来ゆらい

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古語こご拾遺しゅうい』によれば、おりみこと豊玉とよたまひめあいだ鸕鶿草葺くさぶきごうみことまれるそのときに、浜辺はまべさん殿どのてられたが、掃守れんてんにん人命じんめい供奉ぐぶして、ほうきつく近寄ちかよかにばらってゆか安寧あんねいをはかった。これよりしきしつらえ職掌しょくしょう世襲せしゅうし、名付なづけてかにもり(かにもり)としょうしたという。現在げんざい執筆しっぴつされた当時とうじ)、掃守(かんもり)とぶのはこれが転訛てんかしたものである。

また、『新撰しんせん姓氏せいしろく』での掃守れんは、海神わたつみ豊玉とよたまたましいみことよんせいまごてんにん人命じんめいとし、雄略天皇ゆうりゃくてんのうつかえて掃除そうじ監督かんとくをしたことから掃守れん氏姓しせいたまわったという。

石上いしがみ英一ひでかずは、掃守れん宮中きゅうちゅう清掃せいそう敷設ふせつ生業せいぎょうとしたともづくりであり、掃部・掃守をふるくは「かむもり」とんだが、これが「かにもり」と転訛てんかしたのち語呂合ごろあわせでぎゃくかにもり説話せつわつくげられたもので、本来ほんらい殿上てんじょう清潔せいけつたもにん殿上てんじょうもり(かみもり)であったかと推測すいそくしている[1]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 改訂かいてい新版しんぱん 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん平凡社へいぼんしゃ、2007ねん

関連かんれん項目こうもく

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