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日亨 (日蓮正宗) - Wikipedia コンテンツにスキップ

にちとおる (日蓮にちれん正宗まさむね)

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にちとおる(にちこう、慶応けいおう3ねん2がつ14にち1867ねん3月19にち) - 昭和しょうわ32ねん1957ねん11月23にち)は、大石寺たいせきじだい59せい法主ほっしゅほりせいみちごうは慈琳(じりん)。みずかん阿闍梨あじゃり僧侶そうりょ宗教しゅうきょう学者がくしゃ。「にちこう」とむので発音はつおんから日興にっこう間違まちがえやすいため苗字みょうじをとって「ほり上人しょうにん」、「ほり猊下げいか」とばれることもおおい。また、伊豆いずはたけ隠居いんきょしていたため、「はたけ猊下げいか」ともばれる。

略歴りゃくれき

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1867ねん慶応けいおう3ねん)2がつ14にち九州きゅうしゅう久留くるべいはん峯太郎みねたろう長男ちょうなんとしてまれる(幼名ようみょうなみ二郎じろう)。翌年よくねんはは菊野きくの死別しべつし、6さいときから祖父そふはやしふとし四書ししょ五経ごきょう軍記ぐんきぶつならい13さい小学校しょうがっこう教師きょうしになった。19さいだった1885ねん明治めいじ18ねん)に向井むかいから折伏しゃくぶくされて日蓮にちれん正宗まさむね当時とうじ日蓮宗にちれんしゅう富士ふじ信徒しんとよく1887ねん明治めいじ20ねん)7がつ霑妙てら当時とうじ住職じゅうしょくみょう寿ことぶき尼僧にそう)をとして得度とくどする。直後ちょくごかくれみことだった52せい鈴木すずきにち師僧しそう変更へんこうし、宗門しゅうもん内外ないがい史書ししょ研究けんきゅうはじめた。

1893ねん明治めいじ26ねん)に大石寺たいせきじきよしはちすぼう勤務きんむとなり、常在寺じょうざいじ東京とうきょう豊島としま池袋いけぶくろ)・常泉つねいずみてら東京とうきょう墨田すみだ向島むこうじま)の住職じゅうしょく歴任れきにん1905ねん明治めいじ38ねん)にはのうとなり1913ねん大正たいしょう2ねん)にはむねかい議長ぎちょう就任しゅうにん寺務じむかたわら、宗門しゅうもん古文書こもんじょ取調とりしらべや史籍しせき編纂へんさん委員いいん歴任れきにん宗門しゅうもん古文書こもんじょ調査ちょうさ研究けんきゅう全力ぜんりょくをあげ、全国ぜんこくにわたって調査ちょうさ研究けんきゅうまわった。

1925ねん大正たいしょう14ねん)にだい58せい土屋つちやにちばしらむねかいにより不信任ふしんにんされてむねない内紛ないふんおちいったなか後任こうにん管長かんちょうされ、翌年よくねんにはにちばしらから相承そうしょう大石寺たいせきじだい59せいとしてとうした。

かくれとうとのち

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とうから2ねん1927ねん昭和しょうわ2ねん)、60せい阿部あべ日開ひがいほうづけしょくしてかくれみこととなり、以後いご函南かんなみむらはたけ隠居いんきょしながらむね学研がっけん鑚に専念せんねん1929ねん昭和しょうわ4ねん)から富士ふじむねがく全集ぜんしゅう編纂へんさんにあたり、原本げんぽん書写しょしゃをはじめとして「にちひろし上人しょうにんぜんつて」「南条なんじょうひかりぜんつて」などをあらわす。1937ねん昭和しょうわ12ねん)に「身延みのぶ離山はなれやま」を刊行かんこうし、よく1933ねん昭和しょうわ8ねんごろからそうまなぶ全集ぜんしゅう校訂こうていみ5ねん1938ねん昭和しょうわ13ねん)には富士ふじむねがく全集ぜんしゅう134かん完成かんせいさせた。

戦後せんご宗門しゅうもんない長老ちょうろうかくとして存在そんざいかんつよめ、1952ねん昭和しょうわ27ねん)の宗旨しゅうし建立こんりゅう700ねん記念きねんだい法要ほうようを64せい水谷みずたににちのぼりとも執行しっこう。また終戦しゅうせん直後ちょくご創価そうか教育きょういく学会がっかい初代しょだい会長かいちょう牧口まきぐち常三郎つねさぶろう法要ほうよう戸田とだじょうきよしらによっておこなわれたさいには導師どうしつとめ、戸田とだじょうきよし願主がんしゅとなって創価学会そうかがっかい日蓮にちれんだい聖人せいじんしょ全集ぜんしゅう発刊はっかんしたさいには同書どうしょ編纂へんさんけている。

のち弟子でしの61せい水谷みずたににちたかし戒壇かいだん本尊ほんぞん日蓮にちれんさくではないとり、とうしてからは大石おおいしてら登山とざんすることはなかった[よう出典しゅってん]

ほりにちとおる1957ねん昭和しょうわ32ねん)11月23にち畑毛はたけいて90さい(かぞどし91さい)で死去しきょ葬儀そうぎは65せいほりべいにちあつし導師どうしつとめている。


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