日蓮にちれん正宗まさむね住職じゅうしょく交通こうつう事故死じこし事件じけん

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日蓮にちれん正宗まさむね住職じゅうしょく交通こうつう事故死じこし事件じけん(にちれんしょうしゅうじゅうしょくこうつうじこしじけん)とは、1994ねん北海道ほっかいどうきた交通こうつう事故じこである。

事件じけん当初とうしょたんなる交通こうつう事故死じこしとしてあつかわれていたものであったが、相手あいて創価学会そうかがっかいいんだったことから様々さまざま憶測おくそくび、週刊しゅうかん記事きじによって国会こっかい議論ぎろんされ政局せいきょくにまで利用りようされた事件じけんである。ほんこうではどう交通こうつう事故じこ記事きじをめぐる民事みんじ訴訟そしょうについても記載きさいする。

概要がいよう[編集へんしゅう]

1994ねん7がつ21にち北海道ほっかいどう大滝おおたきむら日蓮にちれん正宗まさむね住職じゅうしょく運転うんてんする乗用車じょうようしゃ創価学会そうかがっかいいん運転うんてんするトラックと交通こうつう事故じここし、住職じゅうしょく事故死じこし創価学会そうかがっかいいん重傷じゅうしょうった[1]

事件じけん当時とうじ新聞しんぶんでは事故死じこしした運転うんてんしゅ日蓮にちれん正宗まさむね住職じゅうしょくであったことはほうじていたが、相手あいて創価学会そうかがっかいいんであったとは一切いっさい報道ほうどうされていなかった。しかし、交通こうつう事故じこ相手あいて創価学会そうかがっかいいんであったことが判明はんめいすると一部いちぶマスコミが交通こうつう事故じこ創価学会そうかがっかいによって仕組しくまれたものとする内容ないよう掲載けいさい、その記事きじ背景はいけい自由民主党じゆうみんしゅとう議員ぎいん国会こっかい追及ついきゅうする。

事件じけん経過けいか[編集へんしゅう]

事件じけん経過けいかとき系列けいれつ紹介しょうかいする

  • 7がつ21にち 交通こうつう事故じこ発生はっせい
  • 7がつ22にち 新聞しんぶん各紙かくしが「日蓮にちれん正宗まさむね住職じゅうしょくがトラックに衝突しょうとつ死亡しぼう」と報道ほうどう。また同日どうじつ保険ほけん会社かいしゃが「100たい0で日蓮にちれん正宗まさむね住職じゅうしょくがわ損失そんしつ」と認定にんてい
  • 8がつ22にち 事故じこ被害ひがいしゃ創価学会そうかがっかいいん週刊しゅうかん新潮しんちょう記者きしゃ取材しゅざいこたえる
  • 8がつ25にち 週刊しゅうかん新潮しんちょう(9がつ1にちごう)において「大石寺たいせきじ僧侶そうりょ衝突しょうとつさせた創価学会そうかがっかい幹部かんぶ」の記事きじ掲載けいさい
  • 9月27にち 創価学会そうかがっかいもと顧問こもん弁護士べんごし山崎やまざき正友まさとも自民党じみんとう白川しらかわ勝彦かつひこ都内とないホテルで会談かいだん
  • 10月5にち 事故じこにあった創価学会そうかがっかいいんが『週刊しゅうかん新潮しんちょう』を名誉めいよ毀損きそん提訴ていそ
  • 10月11にち 衆議院しゅうぎいん予算よさん委員いいんかい自民党じみんとう川崎かわさき二郎じろう交通こうつう事故死じこし事件じけん追及ついきゅう

事故じこ現場げんば検証けんしょうおこなわれ、タイヤこんとうから住職じゅうしょくった乗用車じょうようしゃもうスピードでセンターラインをオーバーし、対向たいこうする学会がっかいいん運転うんてんするトラックに正面しょうめん衝突しょうとつしたと判断はんだんされた[2]。また、事故じこ原因げんいんは(死亡しぼうした住職じゅうしょくの)スピードのしすぎによるハンドル操作そうさあやまりによるものと判断はんだん過失かしつ割合わりあいは「100たい0」で、学会がっかいいんがわ過失かしつを「ゼロ」と認定にんてい住職じゅうしょくがわ保険ほけん会社かいしゃ学会がっかいいん所有しょゆうしていた業務ぎょうむようトラックが廃車はいしゃになったため、費用ひよう全額ぜんがく負担ふたんした[3]

その週刊しゅうかん新潮しんちょう記者きしゃ事故じこにあった学会がっかいいん取材しゅざい取材しゅざい発売はつばいされた週刊しゅうかん新潮しんちょうでは「大石寺たいせきじ僧侶そうりょ衝突しょうとつさせた創価学会そうかがっかい幹部かんぶ」というタイトルのした、あたかも学会がっかいいん住職じゅうしょく交通こうつう事故死じこしさせたような内容ないよう掲載けいさいされた。またどう記事きじでは事故じこ当日とうじつ創価学会そうかがっかい札幌さっぽろ市内しないで『つい日蓮にちれん正宗まさむね天罰てんばつくだる!室蘭むろらん住職じゅうしょく交通こうつう事故死じこし!ガードレールに衝突しょうとつし、10:20ごろ死亡しぼう』というビラを配布はいふしたとしるしている[4]

10月11にち自由民主党じゆうみんしゅとう川崎かわさき二郎じろう衆議院しゅうぎいん予算よさん委員いいんかいにおいてこの事件じけんげた[1]

民事みんじ訴訟そしょう[編集へんしゅう]

事故じこにあった学会がっかいいん週刊しゅうかん新潮しんちょう取材しゅざいした内容ないよう故意こいにねつぞうしたとして1994ねん10がつ5にち札幌さっぽろ地裁ちさい週刊しゅうかん新潮しんちょう名誉めいよ棄損きそんうったえた。週刊しゅうかん新潮しんちょうがわ記事きじのねつぞうはしていないと否定ひていしたが、その一方いっぽう取材しゅざいまえからタイトルがまっていたという証言しょうげんもしていた。 1996ねん12がつ20日はつか札幌さっぽろ地裁ちさい週刊しゅうかん新潮しんちょうがわ敗訴はいそがいいわたされる。その週刊しゅうかん新潮しんちょうがわ控訴こうそ上告じょうこくしたがいずれの裁判さいばんでも敗訴はいそする[よう出典しゅってん]

また判決はんけつ確定かくてい自民党じみんとう川崎かわさき二郎じろう原告げんこく学会がっかいいん謝罪しゃざいした[よう出典しゅってん]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b だい131かい国会こっかい 予算よさん委員いいんかい だい1ごう”. 2016ねん10がつ1にち閲覧えつらん
  2. ^ 朝日新聞あさひしんぶん 北海道ほっかいどうばん1994ねん7がつ22にちごう
  3. ^ 月刊げっかんしお』2005ねん2がつごう戦後せんごにおける創価学会そうかがっかい報道ほうどう謀略ぼうりゃくせい
  4. ^ 週刊しゅうかん新潮しんちょう1994ねん9がつ1にちごう