明日あしたへの盛装せいそう

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明日あしたへの盛装せいそう
監督かんとく 中村なかむらのぼる
脚本きゃくほん 山内やまうちひさ
原作げんさく 津村つむら節子せつこ 小説しょうせつ華燭かしょく
製作せいさく 深沢ふかざわたけし
出演しゅつえんしゃ 高千穂たかちほひづる
音楽おんがく 武満たけみつとおる
撮影さつえい 厚田あつたつよしはる
編集へんしゅう 浜村はまむら義康よしやす
製作せいさく会社かいしゃ 松竹しょうちく松竹しょうちく大船おおぶね撮影さつえいしょ[1]
配給はいきゅう 松竹しょうちく[2]
公開こうかい 日本の旗1959ねん10月16にち[1]
上映じょうえい時間じかん 83ふん[1]
製作せいさくこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
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明日あしたへの盛装せいそう』(あすへのせいそう)は、1959ねん公開こうかいされた中村なかむらのぼる監督かんとく日本にっぽん映画えいが[1]

津村つむら節子せつこ小説しょうせつ華燭かしょく』が原作げんさく[1]配給はいきゅうもと松竹しょうちく公式こうしきサイトによれば「幸運こううんつかもうとする現代げんだいむすめ姿すがたわらいのうちに批判ひはんしようというもの」と紹介しょうかいされている[2]

あらすじ[編集へんしゅう]

理髪りはつてん経営けいえいする両親りょうしん織田おだ政雄まさお[1]さくらむつ[1])の意向いこうしたがみせぐために上京じょうきょうした岡本おかもとチカ子ちかこ高千穂たかちほひづる[1])は、みじめな生活せいかつおく両親りょうしんからのがれ、東京とうきょうキャバレーつとめながら学費がくひかせぎつつ貴族きぞく子弟していおお上流じょうりゅう大学だいがくかよってたま輿こしねら[3]

故郷こきょうからのすくない仕送しおくりをキャバレーのかせぎでおぎな大学だいがく生活せいかつなかで、やがてチカ子ちかこ精密せいみつ機器きき社長しゃちょう保護ほごしゃ高倉たかくら明夫あきお石浜いしはまあきら[1])とホテルぎょういとなどうどう輝雄てるお杉浦すぎうら直樹なおき[1])とうことに成功せいこうしたものの、おなじく高倉たかくらどうねら志摩しまゆりえ(杉田すぎた弘子ひろこ[1])、片桐かたぎり公子きみこなか圭子けいこ[1])、夏目なつめ純子じゅんこ芳村よしむら真理まり[1])といったライバルの存在そんざいづき落胆らくたんおぼえた[4]

そのチカ子ちかこはキャバレーの常連じょうれんさん田村たむら理一郎りいちろう永井ながい達郎たつお[1])や、その三田みたむらおとうと多助たすけ大木おおきみのる[1])にじつかくれてキャバレーつとめをしていることをバラされそうになったりと波乱はらんがあり、そのことでますますはや高倉たかくらどう射止いとめなければとあせはじめた[4]

しかし、夏休なつやすみにはいって高倉たかくらどうらと公子こうし別荘べっそうまねかれたおり公子こうしおや同士どうし決定けっていによってどう結婚けっこんすることを発表はっぴょうしたのだった[4]。そのよるチカ子ちかこのこった高倉たかくら財産ざいさん目当めあてにホテルの合鍵あいかぎわたし、二人ふたりむすばれた[1]

だが、高倉たかくらおやだとおもっていた精密せいみつ機器きき会社かいしゃ社長しゃちょう高倉たかくら伯父おじであり、そもそも高倉たかくらおや富豪ふごうなどではなく伯父おじ伝手つてたよっておなさけで工場こうじょう勤務きんむさせてもらっている身分みぶんうえ高倉たかくら自身じしんはそのちち次男じなんぼうであるとり、たま輿こしねがつづけたチカ子ちかこゆめやぶれたのだった[1]

そして、高倉たかくらとの子供こども身籠みごもったチカ子ちかこは、高倉たかくらとの平凡へいぼん幸福こうふくつけるだろうとおもわれた[1]

スタッフ[編集へんしゅう]

以下いかのスタッフめいKINENOTEしたがった[1]

キャスト[編集へんしゅう]

以下いか出演しゅつえんしゃめい役名やくめいとく記載きさいがないかぎりKINENOTEにしたがった[1]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]