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けんうけたまわ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
けんうけたまわ(イ・ヒョンスン)
Lee Hyun-Seung
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 大韓民国の旗 韓国かんこく
出身しゅっしん 仁川にがわ広域こういき
生年月日せいねんがっぴ (1983-10-11) 1983ねん10月11にち(40さい
身長しんちょう
体重たいじゅう
179 cm
87 kg
選手せんしゅ情報じょうほう
投球とうきゅう打席だせき ひだりとうひだり
ポジション 投手とうしゅ
プロ 2006ねん 2ドラフト3じゅん
はつ出場しゅつじょう 2006ねん4がつ8にち
最終さいしゅう出場しゅつじょう 2022ねん7がつ24にち
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど
国際こくさい大会たいかい
代表だいひょうチーム 大韓民国の旗大韓民国だいかんみんこく
WBC 2017ねん
プレミア12 2015ねん
獲得かくとくメダル
大韓民国の旗 韓国かんこく
WBSCプレミア12
きむ 2015 野球やきゅう
イ・ヒョンスン
各種かくしゅ表記ひょうき
ハングル 이현승
漢字かんじ けんうけたまわ
発音はつおん イ・ヒョンスン
日本語にほんごみ: り けんしょう
英語えいご表記ひょうき Lee Hyun-Seung
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けんうけたまわ (イ・ヒョンスン、韓国かんこく:이현승、1983ねん10月11にち - )は、大韓民国だいかんみんこく仁川にがわ広域こういき出身しゅっしんもとプロ野球やきゅう選手せんしゅ投手とうしゅ)。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

現代げんだい時代じだい[編集へんしゅう]

2002ねん現代げんだいユニコーンズから指名しめいけるも拒否きょひし、大学だいがく進学しんがくする。そして大学だいがく卒業そつぎょう2006ねんあらためて入団にゅうだんした。

このとし中継なかつぎとして起用きようされ、成績せいせき平均へいきん自責じせきてん3てんだい、2しょう、19ホールドを記録きろくしてホールド部門ぶもん3がった。

ウリ・ソウル時代じだい[編集へんしゅう]

2007ねん現代げんだいユニコーンズが解散かいさんすると、選手せんしゅたちはしん球団きゅうだんのウリ・ヒーローズにれられた。

2008ねん以降いこう先発せんぱつ転向てんこうし、120イニングで平均へいきん自責じせきてん4てんだい、6しょう8はいとなった。

2009ねん自身じしんはつの2けた勝利しょうり達成たっせいしたが、シーズン終了しゅうりょうの12月にきんみんきんぜに10おくウォンとの交換こうかんトレードで斗山とさんベアーズ移籍いせきした[1]

斗山とさん時代じだい[編集へんしゅう]

斗山とさん移籍いせきふたた中継なかつぎとして起用きようされた。

2012ねんから2013ねんあいだ兵役へいえきのため尚武しょうぶでプレーした。なお2013ねんには2ぐん1試合しあい出場しゅつじょうにとどまり、そのとしの4がつひじ手術しゅじゅつけてリハビリをした[2]

除隊じょたいされた2014ねんには65試合しあい出場しゅつじょう平均へいきん自責じせきてん5てんだい、3しょう3はい、15ホールドを記録きろくした。

2015ねん前年度ぜんねんどおさえをつとめていたいさおからクローザーのうばい、18セーブをげた。オフの11月に開催かいさいされただい1かいWBSCプレミア12韓国かんこく代表だいひょう選出せんしゅつされた。どう大会たいかい韓国かんこく大会たいかいはつ優勝ゆうしょうたした。

2016ねんには25セーブをげた。オフにFAけん行使こうしして3ねん大型おおがた契約けいやく残留ざんりゅうした[3]

2017ねんはシーズン開幕かいまくまえの3がつ開催かいさいされただい4かいワールド・ベースボール・クラシック(WBC)韓国かんこく代表だいひょう選出せんしゅつされた。しかしシーズンでは成績せいせきとし、57試合しあい出場しゅつじょう平均へいきん自責じせきてん4てんだい、3しょう2はい、5セーブ、9ホールドとなった。

2018ねんおさえの役割やくわり咸徳ばしら配置はいち転換てんかんされ、セーブをひとつもげられなかった。

2019ねんは2ホールドをげたが高齢こうれいのため出場しゅつじょう機会きかい大幅おおはば減少げんしょう入団にゅうだん以降いこう最小さいしょうとなる9試合しあい登板とうばんかつ勝利しょうりなど、自己じこワーストとなる記録きろくわった[4]

同年どうねんオフにはかつてウリ時代じだい同僚どうりょうだった高津たかつしんわれ対談たいだん。そのときには「ぼくもあと2〜3ねん引退いんたいだとおもいます。」「おさえはチームが2時間じかん以上いじょうっていても、(自分じぶんげた)10分間ふんかん試合しあいにしてしまうこともある。そんなプレッシャーのなかげるのは本当ほんとうにきつかった。」とかたっている[5]

2020ねん復活ふっかつし、2ねんぶりの白星しろぼしげた。シーズンでは62試合しあい登板とうばん

2022ねん防御ぼうぎょりつ6てんだい不振ふしんつづき、7がつまつ登録とうろく抹消まっしょうされるとそれ以降いこうぐん試合しあいにも出場しゅつじょうしなかった。そして同年どうねんシーズン終了しゅうりょう自由じゆう契約けいやく選手せんしゅとなり、現役げんえき引退いんたいした[6]

詳細しょうさい情報じょうほう[編集へんしゅう]

年度ねんど チーム 平均へいきん自責じせきてん 試合しあい 完投かんとう 完封かんぷう 勝利しょうり 敗戦はいせん セーブ ホールド 勝率しょうりつ 打者だしゃ 投球とうきゅうかい 安打あんだ 本塁打ほんるいだ 四球しきゅう 死球しきゅう だつ三振さんしん 失点しってん 自責じせきてん
2006 現代げんだい 3.79 70 0 0 2 0 0 19 1.000 182 40.1 44 3 14 2 43 18 17
2007 7.15 45 0 0 1 2 0 5 0.333 105 22.2 33 1 9 0 14 19 18
2008 ウリ/ヒーローズ 4.58 40 1 0 6 8 0 1 0.429 535 120 132 10 53 5 78 64 61
2009 4.18 30 0 0 13 10 0 0 0.565 716 170 161 25 66 5 120 84 79
2010 斗山とさん 4.75 46 0 0 3 6 2 4 0.333 327 77.2 80 8 25 3 50 45 41
2011 4.82 50 0 0 3 5 4 6 0.375 325 74.2 85 8 26 5 50 43 40
2014 5.07 65 0 0 3 3 0 15 0.500 259 55 68 2 23 3 39 34 31
2015 2.89 41 0 0 3 1 18 2 0.750 191 46.2 45 3 10 2 41 16 15
2016 4.84 56 0 0 1 4 25 1 0.200 260 57.2 65 8 17 7 41 36 31
2017 3.98 57 0 0 3 2 5 9 0.600 235 52 62 4 16 4 38 23 23
2018 4.99 39 0 0 1 0 0 6 1.000 140 30.2 39 4 14 1 21 18 17
2019 3.00 9 0 0 0 1 0 2 0.000 22 6 4 0 0 0 4 2 2
2020 5.31 62 0 0 2 1 2 10 0.667 195 42.1 48 2 21 2 42 27 25
2021 1.93 38 0 0 5 1 0 7 0.833 90 23.3 16 1 6 0 20 6 5
2022 6.23 23 0 0 1 0 0 2 1.000 43 8.2 13 2 4 1 9 6 6
通算つうさん 15シーズン 4.47 671 1 0 47 44 56 89 0.516 3625 827.2 895 81 304 40 610 441 411

背番号せばんごう[編集へんしゅう]

  • 29 (2006ねん
  • 48 (2007ねん - 2009ねん、2014ねん - 2017ねん、2019ねん - 2022ねん
  • 58 (2010ねん - 2011ねん
  • 3 (2018ねん

代表だいひょうれき[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]