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金廣かねひろ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
きむ ひろ
Kim Kwang-Hyun
SSGランダース #29
2019 WBSCプレミア12での金廣かねひろ
東京とうきょうドームにて)
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 大韓民国の旗 大韓民国だいかんみんこく
出身しゅっしん ソウル特別とくべつ
生年月日せいねんがっぴ (1988-07-22) 1988ねん7がつ22にち(35さい
身長しんちょう
体重たいじゅう
188 cm
88 kg
選手せんしゅ情報じょうほう
投球とうきゅう打席だせき ひだりとうひだり
ポジション 投手とうしゅ
プロ 2006ねん KBO1ドラフト
はつ出場しゅつじょう KBO / 2007ねん4がつ10日とおか
MLB / 2020ねん7がつ24にち
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど
国際こくさい大会たいかい
代表だいひょうチーム 大韓民国の旗 大韓民国だいかんみんこく
五輪ごりん 2008ねん
WBC 2009ねん2023ねん
プレミア12 2015ねん2019ねん
獲得かくとくメダル
大韓民国の旗 韓国かんこく
オリンピック
きむ 2008 野球やきゅう
ワールド・ベースボール・クラシック
ぎん 2009 野球やきゅう
WBSCプレミア12
きむ 2015 野球やきゅう
ぎん 2019 野球やきゅう
キム・グァンヒョン
各種かくしゅ表記ひょうき
ハングル 김광현
漢字かんじ 金廣かねひろ
発音はつおん キムグァンヒョン
マ字まじ Kim Kwang-Hyun
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(キム・グァンヒョン、かん: 김광현1988ねん7がつ22にち -)は、大韓民国だいかんみんこくソウル特別とくべつ出身しゅっしんプロ野球やきゅう選手せんしゅ投手とうしゅ)。KBOリーグSSGランダース所属しょぞく

経歴けいれき

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アマチュア時代じだい

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野球やきゅうきの父親ちちおや影響えいきょうもあり、小学校しょうがっこう3ねんより野球やきゅうはじめる。やすさん工業こうぎょう高校こうこう時代じだいより速球そっきゅう左腕さわんとして頭角とうかくをあらわす。

2005ねんはアジア青少年せいしょうねん大会たいかい出場しゅつじょうし、チャイニーズタイペイせん勝利しょうり投手とうしゅとなる。平田ひらた良介りょうすけらがひきいる日本にっぽん高校こうこう選抜せんばつチームにも5かいをパーフェクトにおさえるなど2年生ねんせいエースとして活躍かつやくした。打線だせん沈黙ちんもくして2しょう2はいだったが、防御ぼうぎょりつは1.04の好成績こうせいせきのこした。この大会たいかいで、堂々どうどうたるマウンドさばきをせ、日本にっぽんでも注目ちゅうもくされる存在そんざいとなった。

2006ねんハバナ開催かいさいされたAAA世界せかい野球やきゅう選手権せんしゅけん大会たいかいにも出場しゅつじょうした。準々じゅんじゅん決勝けっしょうのチャイニーズタイペイ代表だいひょうせんでは完封かんぷう勝利しょうり準決勝じゅんけっしょうカナダせん決勝けっしょうアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくせんでもリリーフとして登板とうばん大会たいかいつうじて4しょう防御ぼうぎょりつ0.87、だつ三振さんしん22好成績こうせいせき大会たいかいMVPを獲得かくとくした。

SK時代じだい

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2006ねんのKBOドラフトの地域ちいき優先ゆうせんドラフト[ちゅう 1]SKワイバーンズに1指名しめいされ、入団にゅうだんした。

2007ねんはシーズン開幕かいまく直前ちょくぜんひらかれた記者きしゃ会見かいけんでは、プロり1ねん先輩せんぱいやなぎけん前年度ぜんねんどMVP、投手とうしゅ3かん)をして「あたま使つかえばもっといい投手とうしゅになれる」と発言はつげん[1]韓国かんこくちゅう注目ちゅうもくあつめる。

ルーキーイヤーは開幕かいまくから先発せんぱつローテーションにはいったものの後半こうはん調子ちょうしおとす。シーズンちゅうぐんちも経験けいけん、チームはシーズンはじめから好調こうちょう維持いじして韓国かんこくシリーズ進出しんしゅつしたが、金廣かねひろ鉉のプロ1ねん成績せいせきは20試合しあい登板とうばんして3しょう7はい、52だつ三振さんしん平均へいきん自責じせきてん3.6てんだいと、やなぎけん新人しんじんとき実績じっせきにはるかにおよばなかったためやなぎけんから「まだ実績じっせきもないのにくちだけ先走さきばしっている」と批判ひはんされた。

斗山とさんベアーズとの韓国かんこくシリーズでは、チームが1しょう2はいまれていただい4せん(10がつ26にち)に先発せんぱつ登板とうばんねばづよ投球とうきゅう斗山とさん打線だせんを8かい2まで1安打あんだ失点しってんおさえる好投こうとうせ、斗山とさんのエースでこんシーズンのタイトルをそうなめにしたダニエル・リオスとのいをせいし、のちにチームも韓国かんこくシリーズ球団きゅうだん史上しじょうはつ制覇せいはたした。優勝ゆうしょう祝勝しゅくしょうかい監督かんとく金星きんぼしからアジアシリーズ初戦しょせん先発せんぱつ登板とうばんげられ、アジアシリーズのため来日らいにちした。プロフィールのインタビューには「韓国かんこくシリーズで高校こうこう時代じだい自信じしんもどした」とこたえている。シリーズでは開幕かいまくせん先発せんぱつし、7かいまで中日ちゅうにち打線だせんを3安打あんだ得点とくてんおさえた。ワイバーンズもそのまま6たい3で勝利しょうり日本にっぽんのチームがやぶれたのは大会たいかいはつのことであった。決勝けっしょうせんは2番手ばんてとして登板とうばん初戦しょせんおさんでいた炳圭に2ランをびて降板こうばんし、チームも9かいひょうてんゆるやぶれてしまった。

北京ぺきんオリンピック・アジア予選よせんには、代表だいひょう選考せんこうころ不調ふちょうぐんちしていたため出場しゅつじょうできなかった。また新人しんじんおうのタイトルも、記者きしゃ投票とうひょう斗山とさんベアーズはやしやすしくんやぶれ、受賞じゅしょうできなかった。

2008ねんはシーズン開幕かいまくまえの3がつ開催かいさいされた北京ぺきんオリンピック野球やきゅう世界せかい最終さいしゅう予選よせん韓国かんこく代表だいひょう選出せんしゅつされた。どう大会たいかいではメキシコたたかえ、チャイニーズタイペイせん先発せんぱつ、いずれも勝利しょうり投手とうしゅとなり、韓国かんこく代表だいひょう五輪ごりん出場しゅつじょう貢献こうけんした。8月に開催かいさいされた北京ぺきんオリンピック野球やきゅう韓国かんこく代表だいひょうにも選出せんしゅつされたが、このとき韓国かんこく代表だいひょうでは最年少さいねんしょうでの選出せんしゅつだった。予選よせん準決勝じゅんけっしょう日本にっぽんせん先発せんぱつ予選よせんでは6かいげ、2失点しってんけつかず、準決勝じゅんけっしょうでは8かい2失点しってん勝利しょうり投手とうしゅとなって、韓国かんこく代表だいひょうきんメダル獲得かくとく貢献こうけん韓国かんこくでは「日本にっぽんキラー」というあだがついた。

レギュラーシーズンでは、前年ぜんねんからいちだん成長せいちょうした姿すがたせローテーションのエースとして活躍かつやく最多さいたしょう最多さいただつ三振さんしんのタイトルをにしてレギュラーシーズンMVPにも選出せんしゅつされ、期待きたいされた素質そしつ開花かいかさせた。チームも斗山とさんとの韓国かんこくシリーズふたたせいし、2ねん連続れんぞく韓国かんこくシリーズ優勝ゆうしょうたした。

アジアシリーズでは、日本にっぽんシリーズ優勝ゆうしょうした埼玉さいたま西武せいぶライオンズとの試合しあい先発せんぱつ登板とうばんしたものの、5かい途中とちゅう3失点しってん降板こうばんるわず、チームは勝利しょうりしたものの満足まんぞくのいく内容ないようではなかった。さらにチームも台湾たいわんシリーズ中国語ちゅうごくごばん優勝ゆうしょうした統一とういつセブンイレブン・ライオンズやぶれ、決勝けっしょう進出しんしゅつもならなかった。

2009ねんはシーズン開幕かいまくまえの3がつ開催かいさいされただい2かいワールド・ベースボール・クラシック(WBC)韓国かんこく代表だいひょう選出せんしゅつされた。どう大会たいかいでは東京とうきょうラウンドの日本にっぽんせん先発せんぱつ登板とうばんした。韓国かんこくでは北京ぺきんオリンピックの再現さいげん期待きたいされたが、金廣かねひろ鉉をよく研究けんきゅうした日本にっぽん打線だせんまえに1かい1/3をげて8失点しってんでKOされ、2たい14で7かいコールドけをするきっかけとなった。本人ほんにんいわく「ぼく野球やきゅう人生じんせいながくないが、あんなにたれたのははじめて」とくやしそうにかたった。そのどう大会たいかいでは先発せんぱつ登板とうばんすることなく、2ラウンドで3試合しあいリリーフ登板とうばんした。日本にっぽんとの2ラウンド順位じゅんい決定けっていせんでは8かいひょう登板とうばんしたが、適時てきじたれた。結局けっきょくどう大会たいかいでは満足まんぞくのいく結果けっかのこせなかった。

レギュラーシーズンでは、前年ぜんねんおなじくチームのエースとして活躍かつやくしていたが、8がつ2にちきむけんはなった打球だきゅうこう直撃ちょくげきボールあとがはっきりとかるほどの痛烈つうれつなピッチャー強襲きょうしゅうであり、負傷ふしょう戦線せんせん離脱りだつ。そのも、プレーオフや韓国かんこくシリーズといったポストシーズンでも1登板とうばんすることなくシーズンをえた。だが規定きてい投球とうきゅう回数かいすうたっしていたため、はつ最優秀さいゆうしゅう防御ぼうぎょりつのタイトルを獲得かくとくした。

2010ねん負傷ふしょうから復活ふっかつし1ねんとおして先発せんぱつローテーションをまもり、SKのエースとして活躍かつやくし17しょう自身じしん2度目どめとなる最多さいたしょうのタイトルを獲得かくとくした。オフの11月に開催かいさいされた広州こうしゅうアジア競技きょうぎ大会たいかい韓国かんこく代表だいひょう選出せんしゅつされたが、顔面がんめん麻痺まひにより辞退じたいし、にちかんクラブチャンピオンシップのメンバーからもはずれた。

2011ねん体調たいちょう不良ふりょう開幕かいまくエントリーにれず、7がつにはかた故障こしょうでたびたび戦線せんせん離脱りだつし4しょうにとどまった。

2012ねん体調たいちょう不良ふりょうなおらず、一軍いちぐんはつ登板とうばんは6がつ後半こうはんからだったが、先発せんぱつとして起用きようされつづけ8しょうをあげた。

2013ねん開幕かいまく一軍いちぐんわなかったが、4がつ中旬ちゅうじゅんはつ登板とうばんたした。最終さいしゅうてきに2010ねん以来いらい3ねんぶりとなる2ケタ勝利しょうり記録きろくし、規定きてい投球とうきゅう回数かいすうにもたっした。

2014ねんは13しょうをあげ、復活ふっかつ予感よかんさせた。オフにメジャーリーグベースボール(MLB)挑戦ちょうせん表明ひょうめいし、11月にポスティングシステム行使こうし要請ようせい最高さいこう入札にゅうさつがく200まんドルをつけたサンディエゴ・パドレス入団にゅうだん交渉こうしょうすることになったが、12月12にち交渉こうしょう期間きかんない契約けいやくがまとまらず[2]、SKとさい契約けいやくした。

2015ねんオフの10がつ7にちだい1かいWBSCプレミア12韓国かんこく代表だいひょう選手せんしゅ28めい選出せんしゅつされた[3]どう大会たいかいでは開幕かいまくせんとなった日本にっぽんせん先発せんぱつしたが、敗戦はいせん投手とうしゅとなった。11月21にち決勝けっしょうアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくせんにも先発せんぱつし、5かい失点しってんおさ韓国かんこく代表だいひょう優勝ゆうしょう貢献こうけんした。

2016ねんはKBO通算つうさん100しょうふくむ11しょう記録きろくした。オフの11月にはつのフリーエージェント(FA)けん行使こうしし、SKと2017ねんからの4ねん契約けいやくむす残留ざんりゅうした。

2017ねんはシーズン開幕かいまくまえの3がつ開催かいさいされただい4かいWBC韓国かんこく代表だいひょう選出せんしゅつされたが、ひじ手術しゅじゅつによる長期間ちょうきかんのリハビリのため辞退じたいした。シーズンではSKで1試合しあい登板とうばんしなかった。

2018ねんは11しょう記録きろく。SKは韓国かんこくシリーズ進出しんしゅつし、さん斗山とさんとの顔合かおあわせとなった8ねんぶりの韓国かんこくシリーズ優勝ゆうしょうにも貢献こうけんした。

2019ねんオフの11月に開催かいさいされただい2かいWBSCプレミア12韓国かんこく代表だいひょう選出せんしゅつされた。どう大会たいかいでは2試合しあい先発せんぱつ登板とうばんした。同年どうねん12がつ6にち自身じしん2度目どめとなるポスティングによるMLB移籍いせき申請しんせいした。

カージナルス時代じだい

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2019ねん12月17にちセントルイス・カージナルスと2ねん総額そうがく800まんドルで契約けいやくむすんだ。SKには譲渡じょうときんとして160まんドルが支払しはらわれる[4]

2020ねんシーズン開幕かいまくせんとなった7がつ24にちピッツバーグ・パイレーツたたかえ、3てんリードした9かいひょうに3番手ばんて登板とうばんしてメジャーデビュー。2てんうしなったが、セーブをげた[5]。8月23にちシンシナティ・レッズせん先発せんぱつ登板とうばんし、メジャーはつ勝利しょうり記録きろく[6]

2021ねんは27試合しあい(うち先発せんぱつ21試合しあい)に登板とうばんして7しょう7はい1セーブ、3.46を記録きろくした。オフの11月3にちにFAとなった[7]翌年よくねんもMLBでプレーするとおもわれたが、12月2にちはじまったMLBのロックアウト影響えいきょうもあり、MLBの移籍いせきさきまることはなかった[8]

SSG時代じだい

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2022ねん3月8にち古巣ふるすSSGランダース(2021ねんにSKワイバーンズから改称かいしょう)と4ねん契約けいやくむすび、KBOに復帰ふっきした。同年どうねんはチーム最多さいたタイの13しょう記録きろくした。

キウム・ヒーローズとの韓国かんこくシリーズ朝鮮ちょうせんばんではだい6せんの9かいうら途中とちゅうから登板とうばん失点しってんおさえ、胴上どうあ投手とうしゅとなった。これにより、球団きゅうだん史上しじょう4ねんぶり9度目どめ、SKからSSGに改名かいめいしてから球団きゅうだんはつ、また金廣かねひろ自身じしんにとって5度目どめ、KBO復帰ふっきはつとなる韓国かんこくシリーズ優勝ゆうしょうたした。

投球とうきゅうスタイル

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2021ねん投球とうきゅうデータ[9]
たましゅ 配分はいぶん 平均へいきん球速きゅうそく
% mph km/h
フォーシーム 40.8 89.0 143.2
スライダー 37.9 83.5 134.4
チェンジアップ 11.5 80.3 129.2
カーブ 9.0 69.6 112.0
ツーシーム 0.8 89.0 143.2

長身ちょうしんながいリーチと真上まうえからろすオーバースローから、平均へいきん球速きゅうそくやく147km/h(2019ねんシーズン)[10]最速さいそく156km/h[ちゅう 2]のカット気味ぎみなストレートとたてするどちる高速こうそくスライダー武器ぶきにする先発せんぱつ左腕さわんフォークボールカーブげることが出来できる。

2018ねんまでチェンジアップを時折ときおり使用しようしていたが、18ねんオフに門倉かどくらけんからフォークボールをおそわり、どうたましゅ使用しようしなくなった。

投球とうきゅうするときあしたかげ、うでおおきくるフォームが特徴とくちょうであるため、モーションがおおきくクイック苦手にがてゆえ盗塁とうるいをされやすいのが欠点けってんである。

人物じんぶつ

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LGツインズのファンであったが、出身しゅっしんこうやすやま工高こうこう所在地しょざいちがプロ契約けいやくしたSKワイバーンズのフランチャイズである京畿けいきどうだったため、縁故えんこ優先ゆうせんの1ドラフトでワイバーンズに指名しめいされた。

2008ねん北京ぺきんオリンピックでは日本にっぽんせん先発せんぱつし、好投こうとうせたことから、「日本にっぽんキラー」とばれることがある[13][ちゅう 3]

詳細しょうさい成績せいせき

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年度ねんどべつ投手とうしゅ成績せいせき

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とし

たま

だん
とう

いた
さき

はつ
かん

とう
かん

ふう

よん
たま
かち

はい

せん





かち

りつ


もの
とう
たま
かい

やす

ほん
るい
あずか
よん
たま
けい

とお
あずか

たま
だつ
さん


とう


しつ

てん

せめ
てん
ぼう

りつ
W
H
I
P
2007 SK 20 13 0 0 0 3 7 0 0 .300 342 77.0 80 5 41 2 4 52 2 0 35 31 3.62 1.57
2008 27 27 1 1 0 16 4 0 0 .800 659 162.0 127 9 63 1 2 150 3 0 50 43 2.39 1.17
2009 21 21 1 0 1 12 2 0 0 .857 568 138.1 121 14 53 1 4 112 8 0 46 43 2.80 1.26
2010 31 30 2 1 0 17 7 0 0 .708 797 193.2 153 13 84 1 5 183 13 0 56 51 2.37 1.22
2011 17 14 1 0 0 4 6 0 0 .400 328 74.1 70 6 45 0 5 61 1 0 45 40 4.84 1.55
2012 16 16 0 0 0 8 5 0 0 .615 347 81.2 85 9 36 0 2 65 2 1 44 39 4.30 1.48
2013 25 22 0 0 0 10 9 0 0 .526 580 133.0 128 12 68 0 4 102 9 1 72 66 4.47 1.47
2014 28 28 1 0 0 13 9 0 0 .591 749 173.2 178 10 81 1 3 145 9 1 77 55 3.42 1.49
2015 30 29 1 1 0 14 6 0 1 .700 754 176.2 173 19 66 2 3 160 10 0 86 73 3.72 1.35
2016 27 21 1 0 0 11 8 0 1 .579 583 137.0 139 17 41 2 6 116 3 0 68 59 3.88 1.31
2018 25 25 0 0 0 11 8 0 2 .579 554 136.0 125 16 30 0 2 130 3 0 48 45 2.98 1.14
2019 31 30 0 0 0 17 6 0 0 .739 786 190.1 198 13 38 1 2 180 8 0 64 53 2.51 1.24
2020 STL 8 7 0 0 0 3 0 1 0 1.000 154 39.0 28 3 12 2 0 24 1 0 9 7 1.62 1.03
2021 27 21 0 0 0 7 7 1 0 .500 452 106.2 98 12 39 2 4 80 1 0 46 41 3.46 1.28
2022 SSG 28 28 0 0 0 13 3 0 0 .813 694 173.1 141 10 45 2 5 153 1 0 48 41 2.13 1.07
2023 30 30 0 0 0 9 8 0 0 .529 713 168.1 163 11 70 0 2 119 5 0 75 66 3.53 1.38
KBO:14ねん 356 334 8 3 1 158 88 0 2 .642 8454 2015.1 1881 164 761 13 46 1728 79 3 814 716 3.20 1.31
MLB:2ねん 35 28 0 0 0 10 7 2 0 .588 606 145.2 126 15 51 4 0 104 5 0 55 48 2.97 1.21
  • 2022年度ねんどシーズン終了しゅうりょう
  • かく年度ねんど太字ふとじはリーグ最高さいこう

年度ねんどべつ守備しゅび成績せいせき

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とし
たま
だん
投手とうしゅ(P)
ためし

ごう
とげ

ころせ


ころせ
しつ

さく


ころせ
もり

りつ
2007 SK 20 3 10 0 1 1.000
2008 27 7 28 5 0 .875
2009 21 6 16 0 0 1.000
2010 31 6 26 3 2 .914
2011' 17 6 7 0 1 1.000
2012 16 5 13 0 0 1.000
2013' 25 9 19 0 1 1.000
2014 28 8 24 1 1 .970
2015 30 12 30 2 1 .955
2016 27 5 34 2 1 .951
2018 25 6 16 2 1 .917
2019 31 5 38 2 4 .956
2020 STL 8 1 3 0 0 1.000
KBO 298 78 261 17 13 .952
MLB 8 1 3 0 0 1.000
  • 2020年度ねんどシーズン終了しゅうりょう
  • かく年度ねんど太字ふとじはリーグ最高さいこう

タイトル

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  • 最多さいた勝利しょうり:2かい(2008ねん、2010ねん
  • 最優秀さいゆうしゅう防御ぼうぎょりつ:1かい(2009ねん
  • 最多さいただつ三振さんしん:1かい(2008ねん

表彰ひょうしょう

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代表だいひょうれき

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背番号せばんごう

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 2020ねんまでおこなわれていた、フランチャイズ保護ほご地域ちいき所在しょざいする高校こうこう出身しゅっしん選手せんしゅ対象たいしょうに、1人ひとりだけ排他はいたてき指名しめいけん行使こうしできるドラフト。ウェーバー方式ほうしきおこなわれる2ドラフトのまえおこなわれる。
  2. ^ 2019ねん9がつ先発せんぱつ計測けいそくされたが、計測けいそくされた試合しあい雨天うてんノーゲームとなっている[11]試合しあい成立せいりつしたときの最速さいそくは2013ねん計測けいそくした155km/h[12]
  3. ^ これまで1980年代ねんだいよし朝鮮ちょうせんばん、1990年代ねんだいだいあきら、2000年代ねんだい初頭しょとうたてまつ重根しこねなどが「日本にっぽんキラー」とばれてきた

出典しゅってん

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  1. ^ 최정희 (2007ねん4がつ4にち). 류현진 "김광현 별로" vs 김광현 "류현진 단순해" (朝鮮ちょうせん). Joynews24(조이뉴스24. https://www.inews24.com/view/255843 2022ねん9がつ13にち閲覧えつらん 
  2. ^ Lin, Dennis (The San Diego Union-Tribune). “Padres, Kim fail to reach deal” (英語えいご). サンディエゴ・ユニオン・トリビューン. https://www.sandiegouniontribune.com/sports/padres/sdut-padres-kwang-hyun-kim-fail-to-reach-deal-2014dec11-story.html 2022ねん9がつ13にち閲覧えつらん 
  3. ^ "2015 프리미어12 국가대표팀 최종 엔트리 명단 발표" (Press release) (韓国かんこく). KBO. 7 October 2015. 2022ねん9がつ13にち閲覧えつらん
  4. ^ "Cardinals sign Korean lefty Kim to 2-year deal" (Press release) (英語えいご). セントルイス・カージナルス. 19 December 2019. 2022ねん9がつ13にち閲覧えつらん
  5. ^ Overbey, Steve (2020ねん7がつ25にち). “Flaherty sharp, DeJong homers, Cards beat Bucs 5-4 in opener” (英語えいご). AP通信つうしん. https://apnews.com/article/mlb-virus-outbreak-st-louis-st-louis-cardinals-pittsburgh-pirates-b3fce199f90f9bb87d2bc3d8cecff50b/ 2022ねん9がつ13にち閲覧えつらん 
  6. ^ “キム・グァンヒョン、2度目どめ先発せんぱつ登板とうばんでメジャーはつ勝利しょうり. wowKorea. News1. (2020ねん8がつ24にち). https://s.wowkorea.jp/news/read/268470/ 2022ねん9がつ13にち閲覧えつらん 
  7. ^ 160 Players Become XX(B) Free Agents” (英語えいご). mlbplayers.com (2021ねん11月3にち). 2022ねん11月15にち閲覧えつらん
  8. ^ アメリカでもしまれた母国ぼこく復帰ふっき韓国かんこく屈指くっし左腕さわんはなぜ、MLBからはなれたのか?「はやげたいという意思いしがあった」”. Slugger. THE DIGEST編集へんしゅう (2022ねん3がつ10日とおか). 2023ねん9がつ27にち閲覧えつらん
  9. ^ Kwang Hyun Kim Statcast, Visuals & Advanced Metrics” (英語えいご). baseballsavant.com. MLB. 2022ねん9がつ12にち閲覧えつらん
  10. ^ “(LEAD) Cardinals showing interest in S. Korean pitcher Kim Kwang-hyun: sources” (英語えいご). 聯合れんごうニュース. (2019ねん12月17にち). https://en.yna.co.kr/view/AEN20191217001151315 2022ねん9がつ13にち閲覧えつらん 
  11. ^ 고동현 (2019ねん9がつ7にち). “'강렬한 1이닝' SK 김광현, 10일 키움전 선발 등판”. sports.news.naver.com. mydaily.co.kr. 2020ねん7がつ17にち閲覧えつらん
  12. ^ 이정호 (2013ねん8がつ14にち). [미스터칸]155㎞ 강속구 팍!팍! ‘김광현’이 돌아왔다 (朝鮮ちょうせん). スポーツきょうきょう (きょうさと新聞しんぶん). https://sports.khan.co.kr/sports/sk_index.html?mcode=series&art_id=201308132250166 2022ねん9がつ13にち閲覧えつらん 
  13. ^ 韓国かんこく代表だいひょう背水はいすい日本にっぽんせんはキム・グァンヒョン先発せんぱつ かつての“キラー”34さい左腕さわん大役たいやく. Full-Count. (2023ねん3がつ9にち). https://full-count.jp/2023/03/09/post1347361/ 2023ねん8がつ30にち閲覧えつらん 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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