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束松たばねまつ

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束松たばねまつ (つかまつ ろこう、1867ねん慶応けいおう3ねん) - 1918ねん大正たいしょう7ねん1がつ8にち)は、日本にっぽん新聞しんぶん記者きしゃ俳人はいじん小林こばやし一茶いっさ研究けんきゅう本名ほんみょう束松たばねまつ伊織いおりべつごうわがはるどう鳴子なるこえんてつうし

経歴けいれき

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1867ねん慶応けいおう3ねん出羽でわこく村山むらやまぐん水沢すいざわむらげん山形やまがたけん西村山にしむらやまぐん西川にしかわまち)に束松たばねまつ隆三りゅうぞう長男ちょうなんとしてまれた。家庭かてい事情じじょう東京とうきょうされた、博文ひろぶみかんから高田たかだ新聞しんぶんしゃ信濃しなの毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ記者きしゃとなる。1900ねん明治めいじ33ねん)から信濃毎日新聞しなのまいにちしんぶんに「俳諧はいかいてら一茶いっさ」を連載れんさい(121かい)し、一茶いっさ研究けんきゅう先鞭せんべんをつける。1908ねん明治めいじ41ねん)に一茶いっさ郷里きょうり長野ながのけん柏原かしわばらむら中村なかむら六郎ろくろうらと一茶いっさ同好どうこうかい組織そしきしていちちゃはちじゅうねん追善ついぜん俳句はいく大会たいかい開催かいさいしたり、一茶いっさ関係かんけい書籍しょせき刊行かんこうするなど精力せいりょくてき活動かつどうした。1918ねん大正たいしょう7ねん)1がつ8にち死去しきょ

代表だいひょう

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ははうておどってたしぼんつき

著作ちょさく

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  • 俳諧はいかいてら一茶いっさ一茶いっさ同好どうこうかい、1910ねん
  • ちち終焉しゅうえん日記にっき』 : 一茶いっさ遺稿いこう束松たばねまつ 校訂こうてい岩波書店いわなみしょてん、1922ねん
  • 束松たばねまつ大正たいしょうろくねん日記にっき : 一茶いっさ発掘はっくつした文人ぶんじんさんろくにち勝幸かつゆき こうちゅう解説かいせつ 信濃毎日新聞しなのまいにちしんぶんしゃ、2003ねん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん講談社こうだんしゃ
  • 束松たばねまつ大正たいしょうろくねん日記にっき いちちゃ発掘はっくつした文人ぶんじんさんろくにち