柴田しばたうけたまわ

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しばた しょうじ
柴田しばた うけたまわ
日本学士院により公表された肖像写真
日本学士院にほんがくしいんにより
公表こうひょうされた肖像しょうぞう写真しゃしん
生誕せいたん 1915ねん10月23にち
日本の旗 東京とうきょう
死没しぼつ (2016-07-12) 2016ねん7がつ12にち(100さいぼつ
居住きょじゅう 日本の旗 日本にっぽん
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
研究けんきゅう分野ぶんや 薬学やくがく
研究けんきゅう機関きかん 東京大学とうきょうだいがく
明治薬科大学めいじやっかだいがく
出身しゅっしんこう 東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく医学部いがくぶ卒業そつぎょう
おも業績ぎょうせき イスランジアへんまい事件じけんにて
原因げんいんきん有毒ゆうどく成分せいぶん
構造こうぞう解明かいめい
薬用やくよう人参にんじん芍薬しゃくやくしばえびすなど
生薬きぐすりるい有効ゆうこう成分せいぶん解明かいめい
おも受賞じゅしょうれき 日本にっぽんやく学会がっかいしょう学術がくじゅつしょう
1959ねん
日本学士院にほんがくしいんしょう1973ねん
プロジェクト:人物じんぶつでん
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柴田しばた うけたまわ(しばた しょうじ、1915ねん大正たいしょう4ねん10月23にち - 2016ねん平成へいせい28ねん7がつ12にち[1])は、日本にっぽん薬学やくがくしゃ天然てんねんぶつ化学かがく生薬きぐすりがく)。位階いかいせいよん勲等くんとうくんとう学位がくい薬学やくがく博士はかせ東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく1944ねん)。東京大学とうきょうだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ日本学士院にほんがくしいん会員かいいん文化ぶんか功労こうろうしゃ

東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく医学部いがくぶ助教授じょきょうじゅ東京大学とうきょうだいがく医学部いがくぶ教授きょうじゅ東京大学とうきょうだいがく薬学部やくがくぶ教授きょうじゅ東京大学とうきょうだいがく薬学部やくがくぶ学部がくぶちょう明治薬科大学めいじやっかだいがく薬学部やくがくぶ教授きょうじゅなどを歴任れきにんした。

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

しょうれき[編集へんしゅう]

  • 1959ねん昭和しょうわ34ねん) - 日本にっぽんやく学会がっかいしょう学術がくじゅつしょう受賞じゅしょう
  • 1966ねん昭和しょうわ41ねん) - センテナリーしょう受賞じゅしょう
  • 1973ねん昭和しょうわ48ねん) - 日本学士院にほんがくしいんしょう受賞じゅしょう

栄典えいてん[編集へんしゅう]

家族かぞく親族しんぞく[編集へんしゅう]

参考さんこう[編集へんしゅう]

  • 日外にちがいアソシエーツ 『しんてい 現代げんだい日本人にっぽんじんめいろく』 2002ねん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 柴田しばたうけたまわ会員かいいん逝去せいきょについて”. 日本学士院にほんがくしいん. 2019ねん12月4にち閲覧えつらん
  2. ^ 博士はかせろん文書ぶんしょデータベースによる
  3. ^ 官報かんぽう』6841ごう平成へいせい28ねん8がつ19にち