楊炯

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楊炯・『ばんわらいどう竹荘たけしょうでん』より

楊 炯(よう けい、生年せいねんしょう - 692ねん)は、中国ちゅうごくとうだい初期しょき詩人しじんおうあきら駱賓おうとともに「はつとうよんすぐる」としょうせられる。

略伝りゃくでん[編集へんしゅう]

はなしゅうはなかげけん出身しゅっしん祖父そふは楊虔やす楊善かいおとうと)。

幼時ようじから慧敏わいまんでよく文章ぶんしょうつくり、661ねん神童しんどうげられこうしょろうさづけられた。681ねんたかしぶんかん学士がくしになった。

のり天武てんむきさき時代じだいあずさしゅう司法しほうさんぐん左遷させんされて、のちみつるかわけん県令けんれいとなった。ちょに『みつるかわしゅう』がある。

漢詩かんし[編集へんしゅう]

従軍じゅうぐんぎょう
烽火ほうかあきら西京にしぎょう  烽火ほうか西京にしぎょうらし
心中しんちゅうの不平ふへい  心中しんちゅうの みずかたいらかならず
きばあきらおおとり  きばあきら おおとり闕を
鉄騎てっきにょうりゅうじょう  鉄騎てっきりゅうじょうにょう(めぐ)る
ゆきくら凋旗  ゆきくらくしてはたは凋し
ふうざつごえ  ふうおおくしてごえみだる
やすしためひゃくおっとちょう  むしひゃくおっとながたらん
かつ作一さくいち書生しょせい  いち書生しょせいとなるにすぐれり


よるおくちょうたて
ちょうれんじょう  ちょうれんじょうの璧
由来ゆらい天下でんかでん  由来ゆらい天下でんかつた
おくきみかえきゅう  きみきゅうかえるをおくれば
明月めいげつまん前川まえかわ  明月めいげつ前川まえかわ