(Translated by https://www.hiragana.jp/)
正岡大介 - Wikipedia コンテンツにスキップ

正岡まさおか大介だいすけ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
正岡まさおか 大介だいすけ
Daisuke Masaoka
プロフィール
リングネーム 正岡まさおか 大介だいすけ
本名ほんみょう 正岡まさおか 大介だいすけ
ニックネーム デスマッチジャンキー
身長しんちょう 168cm
体重たいじゅう 70Kg
誕生たんじょう (1983-10-10) 1983ねん10がつ10日とおか(41さい
出身しゅっしん 愛媛えひめけん今治いまばり
所属しょぞく プロレスリングFREEDOMS
トレーナー ディック東郷とうごう
デビュー 2004ねん11月7にち
テンプレートを表示ひょうじ

正岡まさおか 大介だいすけ(まさおか だいすけ、1983ねん10がつ10日とおか - )は、日本にっぽん男性だんせいプロレスラー血液けつえきがたOがた愛媛えひめけん今治いまばり出身しゅっしんプロレスリングFREEDOMS所属しょぞく

来歴らいれき

[編集へんしゅう]

2004ねん11月7にち東海とうかいプロレスたい根本ねもとかおるせんでデビュー。

2006ねん6がつ愛知あいちけん刈谷かりやDEP移籍いせき

2008ねん4がつ27にちKAIENTAI DOJO刈谷かりや大会たいかいにて房総ぼうそうボーイかみなりUWA世界せかいミドルきゅう王座おうざ挑戦ちょうせんするも奪取だっしゅならず。

9月13にち、DEPだい16せんにて小杉こすぎけんふとしとのタッグでYUJI KITO&柴山しばやまたかやぶり、アイモールはいタッグトーナメントを優勝ゆうしょう初代しょだいDEP差別さべつきゅうタッグ王者おうじゃ認定にんてい

12月31にち後楽園こうらくえんホールにておこなわれたプロレスサミット出場しゅつじょう。セミファイナルの6にんタッグに抜擢ばってきされるもフォールをうばわれてしまった。

2009ねんより、だい日本にっぽんプロレスD-DASH、BOYS、666ひとし団体だんたいへも積極せっきょくてき参戦さんせん

6月9にち開催かいさいされたD-DASHのウルトラマンティス・ブラックせんにて試合しあいちゅうにヒジを負傷ふしょう欠場けつじょうしていたが、9月6にちDEPのアイ・モールさんこう大会たいかい復帰ふっきした。

2010ねん10月のDEPよん周年しゅうねん記念きねん興行こうぎょうにて、同年どうねん12がつをもってプロレスラーを引退いんたいすることが発表はっぴょうされ、12月19にちちゅうスポーツセンターにて引退いんたい興行こうぎょう開催かいさいされた。今後こんご競艇きょうてい選手せんしゅになることを目標もくひょうとしていくとかたった。

しかし、競艇きょうてい選手せんしゅゆめかなわず、フリーランスとして2012ねん12月にプロレス復帰ふっき道頓堀どうとんぼりプロレス中心ちゅうしんに、2013ねんにはK-DOJOやVKFやFREEDOMSなどとインディー団体だんたいにも参戦さんせんし、2014ねん1がつ8にちよりFREEDOMSに入団にゅうだんした[1]。なお入団にゅうだんもフリー時代じだい参戦さんせんしていた道頓堀どうとんぼりプロレスには継続けいぞく参戦さんせんし、だい日本にっぽんプロレス大阪おおさか大会たいかいにも時折ときおり参戦さんせんしている。また同年どうねんのデスマッチトーナメントに参戦さんせんし、以降いこうそのままデスマッチ戦線せんせんにもくわわって活動かつどうしている。

2016ねん5月2にちKING of FREEDOM WORLD選手権せんしゅけん王座おうざだい6だい王者おうじゃ決定けっていせん葛西かさいじゅん対戦たいせん敗北はいぼく。しかし同年どうねん12がつ26にちどう王座おうざせんビオレント・ジャックやぶりベルト獲得かくとくした。

2017ねん1がつ3にち新木場しんきばでの「ダムズはじめ2017 新春しんしゅん!お年玉としだま争奪そうだつワンデートーナメント」では吹本賢児かしこちから杉浦すぎうらとおるすすむゆうやぶ優勝ゆうしょう[2]

8がつ27にち後楽園こうらくえんホール大会たいかいでは、KING of FREEDOM WORLD選手権せんしゅけん王座おうざ防衛ぼうえいせんおこない、ミエド・エクストレモ対戦たいせん。エクストレモとあたまとっ合戦かっせんおこない、途中とちゅう蛍光けいこうとうたばかかえたままコーナーからのスパニッシュフライをし、最後さいご剣山けんざんテーブルへのスパニッシュフライで3カウント。記録きろくは19ふん22びょうかたエビがため。試合しあい正岡まさおかは「ミエド、おれはアイツにれた。なんでこんなにやりたいとおも相手あいてまえからいなくなるんだよ!?なんでもなんでもやりたい、んだっていい。ダムズまたいよ!」と、この試合しあいって帰国きこくとなるエクストレモは「ササキサン、ワンチャンス!モウイッカイ、オネガイシマス!」と、それぞれ再戦さいせん所望しょもうした[3]

2019ねん1がつ、アメリカGCWへの遠征えんせいちゅうひざ負傷ふしょうし、以降いこう長期ちょうき欠場けつじょう

2020ねん6がつ10日とおかしん木場きば1stRING大会たいかいで1ねん5ヶ月かげつぶりに復帰ふっきした。

2022ねん3月29にち、FREEDOMS後楽園こうらくえんホール大会たいかいで、葛西かさいじゅんやぶKING of FREEDOM WORLD選手権せんしゅけん王座おうざ2度目どめ戴冠たいかんだい15だい王者おうじゃとなった。試合しあいはつ防衛ぼうえいせん相手あいて杉浦すぎうらとおる指名しめい

2022ねん5月3にち、FREEDOMS横浜よこはま武道館ぶどうかん大会たいかいで、KING of FREEDOM WORLD選手権せんしゅけん王座おうざ防衛ぼうえいせん杉浦すぎうらとおるおこない、はつ防衛ぼうえい

2022ねん5がつ27にち、FREEDOMS後楽園こうらくえんホール大会たいかい佐久田さくた俊行としゆきやぶり2度目どめ防衛ぼうえい

2022ねん8がつ29にち、FREEDOMS後楽園こうらくえんホール大会たいかいで、ドリュー・パーカーやぶれ、3度目どめ防衛ぼうえい失敗しっぱいし、王座おうざ陥落かんらく

2024ねん7がつ家庭かてい事情じじょうにより興行こうぎょうへのフル参戦さんせん年内ねんないいちはい発表はっぴょう

得意とくいわざ

[編集へんしゅう]
ムーンサルトプレス
リバーススプラッシュしきセントーン
仰向あおむけになった相手あいてにリングにけた状態じょうたいでコーナーのトップロープをつかみ、コーナーのセカンドロープにのぼって反動はんどうをつけてジャンプしてからだよこ方向ほうこうへと180ねじって仰向あおむけになった相手あいてうえ背中せなかから落下らっかする。
ダイナスター
WA4と同型どうけい
ロクーラあらため
ランニングダブルニーアタックと同型どうけい仰向あおむけになった相手あいて上半身じょうはんしんこして尻餅しりもちをつかせた状態じょうたいにして相手あいて距離きょりをとって助走じょそうしてジャンプしながらりょうひざすようにりょうひざたたみ、したりょうひざ相手あいて顔面がんめん目掛めがけてたたむ。
トランスレイヴ

タイトルれき

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 正岡まさおか大介だいすけ選手せんしゅが、プロレスリングFREEDOMSに入団にゅうだん。。。 てんどおりおう(てつお)のブログ 2014ねん1がつ8にち
  2. ^ http://pw-freedoms.co.jp/event_detail.php?id=954
  3. ^ 週刊しゅうかんプロレス2017ねん9がつ13にちごうpp.125.

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]