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毒婦どくふでん首切くびきあさ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
毒婦どくふでん首切くびきあさ
監督かんとく 牧口まきぐち雄二ゆうじ
脚本きゃくほん 大津おおつ一郎いちろう
出演しゅつえんしゃ あずまてる
たちばな由紀ゆき
広瀬ひろせ義宣よしのぶ
汐路しおじあきら
伊吹いぶき吾郎ごろう
音楽おんがく 渡辺わたなべ岳夫たけお
撮影さつえい 勝木かつき勝夫かつお
編集へんしゅう 玉木たまき濬夫
製作せいさく会社かいしゃ 東映とうえい京都きょうと撮影さつえいしょ
配給はいきゅう 東映とうえい
公開こうかい 日本の旗 1977ねん1がつ22にち
上映じょうえい時間じかん 62ふん
製作せいさくこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
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毒婦どくふでん首切くびきあさ』(どくふおでんとくびきりあさ)は、1977ねん公開こうかい日本にっぽん映画えいが主演しゅえんあずまてる監督かんとく牧口まきぐち雄二ゆうじ東映とうえい京都きょうと撮影さつえいしょ製作せいさく東映とうえい配給はいきゅう。 

日本にっぽん映画えいが製作せいさくしゃ連盟れんめいのサイトでは『毒婦どくふでん首切くびきあさ』であるが、はつ公開こうかいのポスターでは『毒婦どくふでんくびあさ』となっている[1]

概説がいせつ[編集へんしゅう]

企画きかく当時とうじ東映とうえい社長しゃちょう岡田おかだしげる[2]。「高橋たかはしでんをやれ」と指示しじがあった[2]当時とうじ岡田おかだは「実録じつろく猟奇りょうき犯罪はんざい映画えいが」の製作せいさく推奨すいしょうしていた[3]企画きかく自体じたいはや段階だんかいがっており[4][5]、1975ねん8がつ27にち東映とうえい記者きしゃ会見かいけん岡田おかだ社長しゃちょうが1976ねん予定よてい番組ばんぐみ発表はっぴょうし、若山わかやま富三郎とみさぶろう主演しゅえんさく首切くびきあさ』と告知こくちしていた[5]。また1976ねん年頭ねんとう1がつ7にち記者きしゃ会見かいけんでは、岡田おかだが1976ねん製作せいさく方針ほうしんとして「ゴールデンウイークには菅原すがわら文太ぶんたの『組長くみちょう最後さいご』(『しん仁義じんぎなきたたか組長くみちょう最後さいご』)、由美ゆみかおるの『こつまなんきん』(映画えいがされず。『トラック野郎やろう天下てんか御免ごめん』のゲストにスライドしたものとられる)以降いこう五月さつきみどりものの『首斬くびきあさ』を...」と発表はっぴょうしたため[4]主演しゅえん若山わかやま富三郎とみさぶろう五月さつきみどり→あずまてる変更へんこうされたものとられる。

実録じつろく猟奇りょうき犯罪はんざい映画えいが」という企画きかくは、東映とうえいでは岡田おかだが1960年代ねんだい後半こうはんすうほん映画えいがしており[6][7]、これをまた復活ふっかつさせた[8]。『おれたちに明日あしたはない』の日本にっぽんばんという発想はっそうはプロデューサーの松平まつだいらじょうどうし、独特どくとく世界せかいかん映像えいぞう才能さいのうひいでた牧口まきぐち雄二ゆうじ監督かんとくまかせた[2]。「時代じだいげき MEETS ウェスタン」という内容ないよう[9]

ほんさく併映へいえい鶴田つるた浩二こうじ佐分利さぶりしん主演しゅえん大作たいさくやくざ戦争せんそう 日本にっぽん首領しゅりょう』は、当時とうじ日本にっぽん映画えいがかいながれから[10]岡田おかだ社長しゃちょう一本いっぽん興行こうぎょうかんがえていた[10][11]。ところが、館主かんしゅかいから「どうしても本立ほんだてにしてくれ」と抵抗ていこうされ、二本立にほんだ興行こうぎょうにせざるをえず[10][11]。それなら併映へいえいかるいものでというかんがえでほんさく製作せいさくされた[2]。 

ストーリー[編集へんしゅう]

まずしい農家のうかむすめでんは、ちち借金しゃっきんのかたに博徒ばくと勝蔵しょうぞうられる。そこをよこからかっさらいおでん処女しょじょうばったのがあさみぎ衛門えもんであった。ある日村ひむら賭場とば泥棒どろぼう市太郎いちたろうあらわ馬車ばしゃって逃亡とうぼうってきたちち勝蔵しょうぞうなぐころす。市太郎いちたろうとおでんあい強盗ごうとう生計せいけいてるようになった。道中どうちゅう身軽みがる松助まつすけとかつてのおつてのレズ仲間なかますずがつくわわり、よん人組にんぐみになったかれらは帝都ていと銀行ぎんこう駐在ちゅうざいしょなどを次々つぎつぎ襲撃しゅうげきする。しかし刑事けいじ吉蔵よしぞうらの追撃ついげき目前もくぜんせまっていた[9][12]

スタッフ[編集へんしゅう]

キャスト[編集へんしゅう]

宣伝せんでん[編集へんしゅう]

東映とうえい宣伝せんでんは、毒婦どくふでんことあずまてるはだかくびられる写真しゃしんポスター起用きようした広告こうこく展開てんかいかんがえていたが[14]ひがしが「必要ひつよう以上いじょうはだかりたくない、はだか写真しゃしんはポスターに使つかわないで」などと、はだか写真しゃしんれい東映とうえい勧告かんこくしてきた[14]結局けっきょく東映とうえいく、メインのポスターはひがしとはていない女性じょせい乳房ちぶさしてくびられる劇画げきが[1]、プレスシートなどのせんざい写真しゃしんは、ひがししろ着物きもの背中せなかけ、乳房ちぶさはほとんどえない写真しゃしんえた[14]当時とうじひがしのゴネれき有名ゆうめいで、日活にっかつに「貢献こうけんだいにしてはギャラやすすぎる」と出演しゅつえん拒否きょひ[14]、テレビではだか要求ようきゅうされてゴネ[14]東映とうえいはつ出演しゅつえんした今回こんかいいちけんで、映画えいが関係かんけいしゃから「ポルノ女優じょゆうはだかせないなんて」とツマはじきにった[14]

同時どうじ上映じょうえい[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 毒婦どくふでん首切くびきあさ”. 日本にっぽん映画えいが製作せいさくしゃ連盟れんめい. 2020ねん11月15にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d 牧口まきぐち雄二ゆうじインタビュー PART2」『映画えいが秘宝ひほう』、よういずみしゃ、2014ねん8がつ、78-79ぺーじ 
  3. ^ 筒井つつい武文たけふみ多田ただいさおおんな獄門ごくもんじょう かれた尼僧にそうワイズ出版しゅっぱん日本にっぽんカルト映画えいが全集ぜんしゅう8〉、1996ねん、80ぺーじ 「『ひとよんでおにぐま』をめぐる伊藤いとう俊也としやかこんでのディスカッション」『キネマ旬報きねまじゅんぽう』1975ねん11がつ下旬げじゅんごう、78-84ぺーじ 
  4. ^ a b 東映とうえい岡田おかだ社長しゃちょう年頭ねんとう懇談こんだんかい 『トラック…』のだいヒットとうかたる”. 週刊しゅうかん映画えいがニュース (全国ぜんこく映画えいがかん新聞しんぶんしゃ): p. 1. (1976ねん1がつ10日とおか) 
  5. ^ a b 東映とうえい半期はんきよんおくえん目標もくひょうだい進撃しんげき 岡田おかだ社長しゃちょう陣頭じんとう指揮しき企画きかく作品さくひん発表はっぴょう」『映画えいが時報じほうしゃ』1975ねん8がつごう映画えいが時報じほうしゃ、19ぺーじ 
  6. ^ 文化ぶんか通信つうしんしゃ へん映画えいがかいのドン 岡田おかだしげる活動かつどう人生じんせいヤマハミュージックメディア、2012ねん、329ぺーじISBN 978-4-636-88519-4 
  7. ^ 東映とうえい不良ふりょうせい感度かんど映画えいが世界せかい」『映画えいが秘宝ひほう』、よういずみしゃ、2011ねん8がつ、60ぺーじ 
  8. ^ 筒井つつい武文たけふみ多田ただいさおおんな獄門ごくもんじょう かれた尼僧にそうワイズ出版しゅっぱん日本にっぽんカルト映画えいが全集ぜんしゅう8〉、1996ねん、80ぺーじ 「『ひとよんでおにぐま』をめぐる伊藤いとう俊也としやかこんでのディスカッション」『キネマ旬報きねまじゅんぽう』1975ねん11がつ下旬げじゅんごう、78-84ぺーじ 映画えいがかいうご東映とうえい見世物みせもの映画えいがだい転換てんかん」『キネマ旬報きねまじゅんぽう』1976ねん9がつ上旬じょうじゅんごうキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、179ぺーじ 邦画ほうが指定していせき 沖縄おきなわやくざ戦争せんそう」『近代きんだい映画えいが』1976ねん10がつごう近代映画社きんだいえいがしゃ、171ぺーじ 文化ぶんか通信つうしんしゃ へん映画えいがかいのドン 岡田おかだしげる活動かつどう人生じんせいヤマハミュージックメディア、2012ねん、82-86ぺーじISBN 978-4-636-88519-4 東映とうえいやくざ映画えいがのカリスマ 安藤あんどうのぼる世界せかい ぶん藤木ふじきTDC・モルモット吉田よしだ」『映画えいが秘宝ひほう』2015ねん5がつごうよういずみしゃ、75ぺーじ 
  9. ^ a b 杉作すぎさくJ太郎たろううえあつし編著へんちょ作品さくひん紹介しょうかい牧口まきぐち雄二ゆうじインタビュー」『東映とうえいピンキー・バイオレンス浪漫ろうまんアルバム』徳間書店とくましょてん、1999ねん、198,200-203ぺーじISBN 4-19-861016-9 
  10. ^ a b c 文化ぶんか通信つうしんしゃ へん映画えいがかいのドン 岡田おかだしげる活動かつどう人生じんせいヤマハミュージックメディア、2012ねん、93-99ぺーじISBN 978-4-636-88519-4 
  11. ^ a b 「VMレーダー 『岡田おかだ社長しゃちょう 映画えいが証明しょうめい』」『月刊げっかんビデオ&ミュージック』1977ねん9がつ、10がつごう東京とうきょううつおと、36ぺーじ 
  12. ^ 毒婦どくふでん首斬くびきあさ東映とうえいチャンネルエロ・グロ・純情じゅんじょう 東映とうえいカルトプリンス 牧口まきぐち雄二ゆうじ世界せかい/ラピュタ阿佐ヶ谷あさがや
  13. ^ 牧口まきぐち雄二ゆうじ(監督かんとく)『毒婦どくふでん首切くびきあさ』(映画えいが東映とうえい、1977ねん1がつ22にち  各種かくしゅデータベースでは記載きさいがないが、映画えいが本編ほんぺんにはあずまてるつづ序列じょれつ2名前なまえがクレジットされている。
  14. ^ a b c d e f 「〈LOOK〉 今週こんしゅう話題わだいにん事件じけん 『またもやゴネた はだからないポルノ女優じょゆうあずまてる』」『週刊しゅうかん現代げんだい』1977ねん2がつ10にちごう講談社こうだんしゃ、33ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]