水着みずぎキャンペーンガール

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

水着みずぎキャンペーンガール(みずぎキャンペーンガール)は、キャンペーンガールのうち、つぎのもののいずれか、もしくは両方りょうほうす。

  1. おも水着みずぎ販売はんばい目的もくてきとした、キャンペーンガール
  2. おも水着みずぎ姿すがた披露ひろうすることによってキャンペーンおこなう、キャンペーンガール

前者ぜんしゃれいとしては旭化成あさひかせい旭化成あさひかせいグループキャンペーンモデル)やとうとうレキャンペーンガール)などの繊維せんいメーカーや、Aiサンアイリゾートアンバサダー)やパルコのような水着みずぎ販売はんばいてんによるもの、後者こうしゃれいとしてはビール会社かいしゃれい: オリオンビール)やパチンコメーカーれい: 三洋さんよう物産ぶっさん)、リゾート施設しせつれい: よみうりランド)によるものなどがられる。

概要がいよう[編集へんしゅう]

企業きぎょう消費しょうひしゃけにキャンペーンなどを展開てんかいするさいに、水着みずぎモデルによって訴求そきゅうをする宣伝せんでん活動かつどうにおいて、そのモデルの一般いっぱんてきかた

繊維せんいメーカー、水着みずぎショップなどは、そのとし主力しゅりょくデザインの水着みずぎ前面ぜんめんし、おも消費しょうひターゲットの女性じょせいけてアピールしている。ビールメーカーは、おも夏場なつばのビール消費しょうひげアップをねらってキャンペーンをおこなうことがおおい。また、新人しんじん起用きようおおく、そのため、モデルや女優じょゆう登龍門とうりゅうもんてき存在そんざいになっている。現在げんざいでは、会社かいしゃ経営けいえい方針ほうしん見直みなおしなどから水着みずぎキャンペーンガールから企業きぎょうのイメージガールへ変更へんこうしたり(水着みずぎキャンペーン自体じたい継続けいぞくするものの肩書かたがきから水着みずぎはずすケースもあり)、その活動かつどう自体じたいりやめる企業きぎょうおおくなってきた[1]

歴史れきし[編集へんしゅう]

はじめての水着みずぎキャンペーンガールは、資生堂しせいどう1966ねん昭和しょうわ41ねん)、なつのキャンペーンのために起用きようした前田まえだ美波みなみさとであるとかんがえられている。その1970ねん昭和しょうわ45ねん)のテイジン水着みずぎキャンペーンガールであった秋川あきかわリサは、当時とうじ人気にんき深夜しんや番組ばんぐみ11PM』のホステスもつとめるなど、水着みずぎキャンペーンガールがタレントする先駆さきがけとなった。また、1975ねん昭和しょうわ50ねん)に「アクエア」の資生堂しせいどう・「コダックインスタマチック」のコダックのTVCFでデビューしたアグネス・ラムは、ひろ社会しゃかいてきブームこしたことでられる。

このような背景はいけいから、一時いちじ化粧けしょうひん会社かいしゃ航空こうくう会社かいしゃなどをふくすうおおくの企業きぎょう団体だんたい水着みずぎキャンペーンガールを宣伝せんでん目的もくてき採用さいようするようになった。しかしながら1980年代ねんだい後半こうはんになると、化粧けしょうひん会社かいしゃ航空こうくう会社かいしゃによる水着みずぎキャンペーンガールがめとなり、おも採用さいよう企業きぎょう繊維せんいメーカービール会社かいしゃのみとなった。日本航空にほんこうくうによる水着みずぎキャンペーンガールの廃止はいし(1997ねん)は、そのすべての航空こうくう会社かいしゃ旅行りょこう会社かいしゃによる採用さいようめの発端ほったんとなった。

ビール会社かいしゃかんしても、女性じょせいのビール愛飲あいいんしゃえてきたことも背景はいけいとして2003ねん平成へいせい15ねん)にキリンビール、2004ねん平成へいせい16ねん)にはサントリービールが撤退てったいし、2005ねん平成へいせい17ねん)にはアサヒビールとサッポロビールも水着みずぎ着用ちゃくよう前提ぜんていとしないモデルの採用さいよう方針ほうしん転換てんかんした[1]

2015ねん平成へいせい27ねん現在げんざい水着みずぎキャンペーンガールは水着みずぎ販売はんばいおも目的もくてきとする繊維せんいメーカーと水着みずぎ販売はんばいてんによるものがもっぱらとなっており、それらのなかでは、『とうレキャンペーンガール』と、『三愛さんあい水着みずぎイメージガール』のメディア掲載けいさい目立めだっている。

旭化成あさひかせい広報こうほう室長しつちょうによると「キャンペーンモデルの活動かつどう繊維せんい水着みずぎのPRにしぼっていた時代じだいわった」とする一方いっぽう、「キャンペーンモデルの活動かつどうつうじて、一般いっぱんひとたちにしたしみをってもらうことが必要ひつよう」と現状げんじょうについてはなしている[2]

なお、とうレでは2000年代ねんだい後半こうはん一時期いちじき男性だんせいよう水着みずぎをPRする目的もくてきとして「水着みずぎキャンペーンボーイ」を制定せいていしていたこともあった。2006ねんには鈴木すずき亮平りょうへい初代しょだいのキャンペーンボーイに就任しゅうにんして、各種かくしゅ発表はっぴょうかいやイベントに出演しゅつえんしている。

1999年度ねんど 水着みずぎファッションショー[編集へんしゅう]

繊維せんいメーカーによる水着みずぎキャンペーンガールの採用さいようは、最盛さいせいには7しゃかぞえた。

そのキャンペーンガール7めいせいぞろいしたのが、東京とうきょうスイムスーツ協会きょうかい現在げんざい日本にっぽんスイムスーツ協会きょうかい主催しゅさいによる、「1999年度ねんど 水着みずぎファッションショー」であった。1998ねん平成へいせい10ねん11月開催かいさいされたこのイベントには、井川いかわはるか東洋紡とうようぼう)、植松うえまつ真美まみ(カネボウ)、片瀬かたせ旭化成あさひかせい)、菊川きくかわれいとうレ)、ひびきよし(テイジン)、滝沢たきざわ沙織さおり(ユニチカ)などが参加さんかしていた。これら水着みずぎキャンペーンガールのおおくが、のち女優じょゆうやタレントとして活躍かつやくするようになったことから、いわば伝説でんせつ水着みずぎショーとなった。

また、1999年度ねんど平成へいせい11年度ねんど)には、ほかにも伊東いとう美咲みさき(アサヒビール)、佐藤さとう江梨子えりこ大磯おおいそロングビーチ)など、のち人気にんきタレントとなる水着みずぎキャンペーンガールが多数たすういた。

過去かこ採用さいよう企業きぎょう[編集へんしゅう]

おも水着みずぎキャンペーンガール出身しゅっしんしゃ[編集へんしゅう]

1970年代ねんだい以前いぜん[編集へんしゅう]

1970年代ねんだい[編集へんしゅう]

 ※ トヨタ・スプリンターリフトバック 初代しょだいイメージガール(近藤こんどう正臣まさおみとペア、1976ねん

1980年代ねんだい[編集へんしゅう]

1990年代ねんだい[編集へんしゅう]

2000年代ねんだい[編集へんしゅう]

2010年代ねんだい[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 水着みずぎキャンギャルの終焉しゅうえん 背景はいけい企業きぎょう広告こうこく方針ほうしん変更へんこう. NEWSポストセブン. (2015ねん5がつ29にち). https://www.news-postseven.com/archives/20160529_414997.html?DETAIL 2016ねん6がつ19にち閲覧えつらん 
  2. ^ “キャンペーンガール「水着みずぎだけ」からの脱却だっきゃく旭化成あさひかせい場合ばあいは”. 毎日新聞まいにちしんぶん. (2015ねん3がつ10日とおか). http://mainichi.jp/articles/20150310/mog/00m/020/033000c 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]