河野こうの神社じんじゃ

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河野こうの神社じんじゃ


拝殿はいでん

地図
所在地しょざいち 鳥取とっとりけん八頭やずぐん智頭ちずまち三吉みつよし475
位置いち 北緯ほくい3513ふん40びょう 東経とうけい13413ふん40びょう / 北緯ほくい35.22778 東経とうけい134.22778 / 35.22778; 134.22778座標ざひょう: 北緯ほくい3513ふん40びょう 東経とうけい13413ふん40びょう / 北緯ほくい35.22778 東経とうけい134.22778 / 35.22778; 134.22778
主祭しゅさいしん 須佐すさだんいのちしのぶみのるみみいのち
だいおのれ貴命きめい、彦火々いのち
大山おおやま祇命、さんれいいのち
宇賀うがたましいいのち
創建そうけん 大正たいしょう5ねん(1916ねん
例祭れいさい 10がつだい2日曜日にちようび
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河野こうの神社じんじゃ(こうのじんじゃ)は鳥取とっとりけん八頭やつがしらぐん智頭ちずまちにある神社じんじゃ因幡いなばわか一宮いちのみや通称つうしょう「にゃくいちさん」とばれる。祭神さいじん須佐すさだんいのちしのぶみのるみみいのちだいおのれ貴命きめい彦火々いのち大山おおやま祇命さんれいいのち宇賀うがたましいいのちの7はしら

歴史れきし[編集へんしゅう]

元来がんらい4しゃであったものが、大正たいしょう5ねん1916ねん9月7にち合祀ごうし現在地げんざいち移転いてん建立こんりゅうされ河野こうの神社じんじゃ命名めいめいされた。合祀ごうし理由りゆう神社じんじゃ維持いじ費用ひよう負担ふたん各社かくしゃではまかないきれないためであった。神社じんじゃとう神社じんじゃ神職しんしょく河野こうの由来ゆらいする。この河野こうの伊予いよこく築城ちくじょうおも家系かけいであるとされる。

参拝さんぱい[編集へんしゅう]

かたこしあし病気びょうき霊験れいけんがあるとされ、県内けんないはもとより近県きんけんからの参拝さんぱいものえない。祈願きがんよう木製もくせい手形てがた足形あしがた数多かずおお奉納ほうのうされている[1]

きゅうしゃ[編集へんしゅう]

合祀ごうしされた神社じんじゃつぎとおり。

  • 広峰ひろみね神社じんじゃ天平てんぺい18ねん746ねん播磨はりまこく広峰ひろみね熊野くまの神社じんじゃ町内ちょうない山田やまだ勧請かんじょうした。牛頭ごず天王てんのうしゃばれた。
  • 宮国みやぐに神社じんじゃ紀伊きいこく熊野くまの神社じんじゃ町内ちょうないじゅうにち勧請かんじょうした。わかいち王子おうじ権現ごんげんばれた。
  • ひのき神社じんじゃ町内ちょうない三吉みつよし大坪おおつぼにあった。退すさ明神みょうじんばれ、火除ひよけのかみとして信仰しんこうされた。
  • せい神社じんじゃ町内ちょうないけいしょにあった。せい大明神だいみょうじんばれた。

広峰ひろみね神社じんじゃ宮国みやぐに神社じんじゃ中心ちゅうしんとなり合祀ごうしされた。

所在地しょざいち・アクセス[編集へんしゅう]

鳥取とっとりけん八頭やずぐん智頭ちずまち三吉みつよし475

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]