あぶらすまし

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あぶらすましあぶらすまし)とは、熊本くまもとけんつたわる日本にっぽん妖怪ようかい一種いっしゅ[1]

概要がいよう[編集へんしゅう]

初出しょしゅつとなる昭和しょうわ初期しょき郷土きょうど史家しか浜田はまだ隆一りゅういち著書ちょしょ天草あまくさとう民俗みんぞく』にはあぶらずまし名称めいしょう記載きさいされている。それによれば熊本くまもと天草あまくさぐん栖本すもとむら河内かわうちげん天草あまくさ)と下浦しもうらむらげんどう)とをむすくさすみえつというとうげどうを、老婆ろうばまごれてとおりながら「ここにゃむかしあぶらびんさげたんよらいたちゅぞ」とまごはなしていると、「いまもーるーぞー」といながらあぶらずましがあらわれたという[1]。このとうげ熊本くまもとけん天草あまくさぐん有明ありあけまちげん天草あまくさ)による調査ちょうさ結果けっか有明ありあけまち天草あまくさぐん栖本すもとまちげんどう)をつな草越くさごえとうげだと判明はんめいしているが[2]、それ以外いがいには伝承でんしょうすくなくなぞ妖怪ようかいである。

民俗みんぞく学者がくしゃ柳田やなぎだ國男くにお著書ちょしょ妖怪ようかい談義だんぎ』の「アブラスマシ」のこうでは、前述ぜんじゅつの『天草あまくさとう民俗みんぞく』を引用いんようして「(あぶらすましという)めい怪物かいぶつ」と記述きじゅつしているが[3]、この「怪物かいぶつ」が何者なにものでどのような外観がいかんなのかは一切いっさい記述きじゅつされていない[4]

妖怪ようかい談義だんぎ』には「(あぶらすましという)めい怪物かいぶつ」と記述きじゅつしているのにたいし、原典げんてん天草あまくさとう民俗みんぞく』では「あぶらびんをさげた怪物かいぶつた」ではなく「あぶらびんさげたんよらいた」すなわち「あぶらびんげたのがた」とのみべられていること、また『妖怪ようかい談義だんぎ』の「アブラスマシ」は「ツルベオトシ」「ヤカンヅル」「サガリ」といった頭上ずじょうからものちてくる怪異かいいならべて紹介しょうかいされていることから、妖怪ようかい研究けんきゅう京極きょうごく夏彦なつひこは、あぶらすましとはひと姿すがたをした妖怪ようかいではなく、釣瓶落つるべおとしなどと同様どうようあぶらびん頭上ずじょうからがってくる怪異かいい可能かのうせいがあると指摘してきし、調査ちょうさしたものの確証かくしょうにはいたっていない(2001ねん8がつ時点じてん[5]

るいばなし[編集へんしゅう]

熊本くまもとではこのあぶらすましと同様どうよう妖怪ようかいうわさばなしをするとその妖怪ようかいあらわれるといった怪異かいいたんほかにもつたえられている。

あぶらすましとおなじく『天草あまくさとう民俗みんぞく』によれば、天草あまくさぐん一町田いっちょうだむら益田ますだげん天草あまくさ)で、「うそとうげ」という場所ばしょとおりかかった2人ふたりれが「むかしここに、のついた人間にんげんちてきたそうだ」とはなすと「いまもー」とこえがして、そのとおりのさかからころがりち、2人ふたりったのちに「ここでは生首なまくびちてきたそうだ」とはなすと、また「いまああ……も」とこえがして生首なまくびころがりちてきたという[1]

また下益城しもましきぐん豊野とよのむらげん宇城下郷しもごう小畑おばたでは「いまにもさか」という場所ばしょ大入道おおにゅうどうあらわれるというが、そのはなしをしながらさかとおると、「いまにも」とこえがして大入道おおにゅうどうあらわれたという[6]

昭和しょうわ以降いこう解釈かいしゃく[編集へんしゅう]

水木みずきしげるロード設置せっちされているあぶらすましのブロンズぞう

昭和しょうわ以降いこう妖怪ようかい関連かんれん書籍しょせきではしばしば、あぶらすましが以下いかのように解説かいせつされている。

全身ぜんしんみの羽織はおった、すましたかお妖怪ようかいあぶらはいったびんち、とうげ突如とつじょ出現しゅつげんして通行人つうこうにんおどろかせる。正体しょうたいあぶらぬすんだ罪人ざいにん亡霊ぼうれい[7]

みの羽織はおった姿すがた」とされるのは、漫画まんがゲゲゲの鬼太郎おにたろう』に登場とうじょうする、みの羽織はおった地蔵じぞうのような姿すがたあぶらすましや[8]大映だいえい映画えいが妖怪ようかいシリーズ妖怪ようかいひゃく物語ものがたり』『妖怪ようかい大戦たいせんそう』に登場とうじょうするあぶらすましが、その各種かくしゅ媒体ばいたい影響えいきょうあたえたためとられており、映画えいがさくや妖怪ようかいでん』で大映だいえい映画えいがあぶらすましのオマージュとして登場とうじょうした妖怪ようかい地蔵じぞう」も、このデザインを踏襲とうしゅうしている[4]

これらのオリジナルは、『鬼太郎おにたろう』の作者さくしゃである妖怪ようかい漫画まんが水木みずきしげる妖怪ようかいだが、これは伝承でんしょうとは無関係むかんけいえがかれた創作そうさくであり、本来ほんらい天草てんぐさ伝承でんしょうぞうとはおおきくことなるものとかんがえられている[4][5]雑誌ざっしかい』での京極きょうごく奨励しょうれいしょう受賞じゅしょうした評論ひょうろんによれば、文楽ぶんらくもちいられる「かにくび」という名称めいしょう人形にんぎょうあたまがこの妖怪ようかいのモチーフと指摘してきされており、妖怪ようかい研究けんきゅう京極きょうごく夏彦なつひこ自著じちょにおいてこのせつ支持しじしている[4][9]書籍しょせきによっては、すましがおであることが「すまし」の由来ゆらいとされているが[10]前述ぜんじゅつの『妖怪ようかい談義だんぎ』では「すまし」の由来ゆらい不明ふめいとされる[3]。また、児童じどうけの書籍しょせきでは「あたまい」「天才てんさいてき」と解説かいせつされていることもあるが、これは前述ぜんじゅつ映画えいが妖怪ようかい大戦たいせんそう』であぶらすましが参謀さんぼうかくとして位置いちづけられていたことが由来ゆらい解釈かいしゃくされている[4]

史跡しせき[編集へんしゅう]

2004ねんには栖本すもとまち河内かわち地区ちくで「あぶらすましどん」とばれる石像せきぞう一部いちぶ発見はっけんされた[2]。これは栖本すもと町中まちなかもん・すべりみちという場所ばしょ安置あんちされていたものがまちどう拡張かくちょう工事こうじ山中さんちゅう私有地しゆうち移転いてんされたもので、くびのない石像せきぞう両手りょうてあわせた姿すがたをしている[2][11]土地とち伝承でんしょうしゃによれば、かつては子供こどもがこのすべりみちであそんでいると「あぶらすましどんがる」とっておそれたという[2]

地元じもとでは『天草あまくさとう民俗みんぞく』とはことなり「あぶらすまし」の発音はつおんされているが、「あぶらをしぼる」ことを現地げんちでは「あぶらをすめる」と表現ひょうげんしたらしく、あぶらしぼりの職人しょくにんまつられてかみになったものが、とき妖怪ようかいへんじたとのせつもある[2][12]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 浜田はまだ 1932, p. 134
  2. ^ a b c d e 妖怪ようかいすまし」でまちおこし!”. Uoo Project (2004ねん10がつ). 2013ねん5がつ1にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2009ねん6がつ28にち閲覧えつらん
  3. ^ a b 柳田やなぎだ 1956, p. 206
  4. ^ a b c d e かい 2005, pp. 378–389
  5. ^ a b 京極きょうごく 2001, pp. 352–353
  6. ^ 日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい へん日本にっぽん傳説でんせつ名彙めいい柳田やなぎだ國男くにお監修かんしゅう日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい、1950ねん3がつ、344ぺーじNCID BN10317202 
  7. ^ 草野くさのたくみ幻想げんそう動物どうぶつ事典じてんしん紀元きげんしゃ、1997ねん5がつ、16ぺーじISBN 978-4-88317-283-2 
  8. ^ 妖怪ようかいだい全集ぜんしゅう すまし(あぶらすまし)”. 水木みずきしげるの妖怪ようかいワールド. 水木みずきプロダクション. 2008ねん8がつ12にち閲覧えつらん
  9. ^ かい 2005, p. 113
  10. ^ 多田ただ克己かつみ幻想げんそう世界せかい住人じゅうにんたち』 IV、しん紀元きげんしゃTruth In Fantasy〉、1990ねん12月23にち、33ぺーじISBN 978-4-915146-44-2 
  11. ^ くにをゆく】栖本すもとまちあぶらすましどんのさと」『朝日新聞あさひしんぶんデジタル朝日新聞あさひしんぶん、2005ねん1がつ22にち2021ねん8がつ18にち閲覧えつらん
  12. ^ 妖怪ようかいあぶらすまし」『西日本にしにほん新聞しんぶん西日本新聞社にしにっぽんしんぶんしゃ、2004ねん10がつ2にち2014ねん10がつ27にち閲覧えつらんオリジナルの2007ねん12月27にち時点じてんにおけるアーカイブ。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]